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ほどよく距離を置きなさい

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 湯川 久子 、 出版  サンマーク出版
著者は九州で第一号の女性弁護士として活躍してきました。90歳の今も現役の弁護士です。事件を扱うときには稲村鈴代弁護士と共同作業のようですから、心配は無用です。
弁護士生活61年という体験をふまえていますので、その言葉には重みがあります。
先日、たまたま赤坂近くのけやき通りで著者に出会い、ほんの少しだけ言葉をかわしました。腰を痛めて能のほうはやめて、座ってできる謡(うたい)だけにしているとのことですが、足取りはしっかりしていて、とても90歳をこえているとは思えない元気の良さでした。
相談に来て目の前に座った人がうつむいてボソボソと力なく話しはじめたときには、こう言う。「顔を上げて、私の目を見てお話ししなさい」
すると、顔を上げ、目に光が戻ってくる。声のトーンが変わり、背筋が伸びてくる。問題をかかえた姿から、問題と向きあう姿勢に変わった瞬間だ。顔を上げ、前を向くだけで、未来を見る姿勢になる。
本当にそうなんです。逃げの姿勢から、物事に向きあい、乗りこえていく。これが求められています。
弁護士の事務所は、悩める人たちにとって、その心の病気の治療室のようなものである。
これまた、まったく同感です。
離婚問題をかかえたとき、長引けば長引くほど、人生の再起は遅れ、再起するためのエネルギーも失われていく。
たった1回だけの人生です。大切に扱いたいものです。
和解は、させられるときには納得いかないけれど、主体的に和解を選ぶようにする。発想を転換させるのですね・・・。
「話す」ことは「離す」こと。
話していくと、自分というものが、客観的に見えてくるようになるのです。
子どもは成長する過程で百粒をこえる喜びと幸せを親に与えてくれる。子どものことで傷ついた親は百粒の涙を流す。子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなる。
数多くの熟年離婚を見てきて、我慢の先に幸せはないと痛感する。
私は子どものために離婚をガマンしてきたという言葉を聞かされると、それは、子どもこそ気の毒だったと思います。もっとはやく親が別れてくれていたら、たとえ片親であっても笑顔の絶えない、明るい生活を過ごせたはずなのです。それを親の都合で子どもから奪いながら、子どもにあんたのせいだと責任をおしつけるなんて、親としてすべきことではありません。
こころに余裕がある人は、他人に寛大になれる。他人の幸せを妬んだり、うらやんだりすることもない。未来を向いて、今を楽しんでいると、幸福度は、ますます高まっていく。そのためには、いくつになっても好奇心をもち、新たな挑戦をしてみることです。
長生きは、ごほうびの時間だと考えている著者に、ますますのご健勝を心から祈念します。10万部も売れているとのこと。これまたすばらしいです。
(2017年11月刊。1300円+税)

瀬長 亀次郎の生涯

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 佐古 忠彦 、 出版  講談社
私はカメジロー本人を遠くから一度だけ見たように思います。彼が噂のカメジローか・・・と、畏敬の念をもって眺めました。
カメジローは戦後の沖縄が生んだ偉大な政治家です。なんと沖縄民謡の歌詞にも登場します。那覇市長に当選したのに、アメリカ軍の圧力でやめさせられます。さらにアメリカ軍の意向を受けた保守反動の議員たちが再度カメジローを引きずりおろしました。でも、次の市長選はカメジローの後継者が見事に当選したのです。
この本は、いま話題の映画(残念なことに、まだ見ていません)を文章に起こしたようなものです。ぜひとも15万人の大集会で語ったカメジローの肉声を聞きたいです。
「この瀬長ひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば、全那覇市民にまで聞こえます。沖縄70万の人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができます」
いやあ、すごい演説です。ほれぼれします。この演説の文章に接するだけでも、この本を手にする価値があるというものです。
カメジローが演説するときには、早い時間から会場には聴衆がつめかけて座って待っていた。カメジローは、タレント、芸能人のような存在だった。若い青年には憧れの人だった。演説会場にいた聴衆は、非常に痛快で、帰るときには、みんなニコニコしていた。
「したいひゃー!カメジロー!!」
「したいひゃー」とは、やった、でかした、あっぱれという意味の沖縄の方言。権力者を前に言えないことをカメジローが言ってくれる。民衆は胸のすく言葉に熱狂していた。
裸電球が一つ吊るされ、演台の上にはやかん。これがカメジローの演説のスタイルだった。神様(カメジロー)の演説は、聴いた者の心をつかんで離さなかった。
アメリカの失敗は、カメジローを投獄したこと(カメジローは、逃亡犯をかくまったとして2年の実刑判決を受けました)。投獄すれば屈すると思っていたのに、逆にカメジローはますますヒーローになって帰ってきた。しかも、治療を受けて元気になって出てきた。カメジローだって無事に生きて帰ってこられたのだから、どんなに弾圧されてもがんばろうと、みんなに勇気を与えた。
すごいことですよね。私は車中で読んでいて、このくだりで思わず涙を流してしまいました。花粉症の涙のようにティッシュでごまかしましたが・・・。
カメジローは1956年12月、那覇市長に当選した。保守派が分裂したためでもあった。アメリカ軍政府は、沖縄財界とともに銀行預金凍結とか、水道ストップとか、えげつない圧力をかけ、ついに市長の座を奪ってしまうのです。
アメリカの秘密報告書は、カメジローについて、「ダイナミックで、多彩な個性をもった雄弁家」、「軍事占領に対する抵抗のシンボルになった男」、「庶民性を兼ね備え、とても機知に富み、退屈で陳腐な決まり文句は使わない」としている。
政治家は、かくあるべしという見本のようなカメジローを知ることができました。アベ首相の品性のなさ、アソウ大臣の下劣さに呆れる日々のなか、目と心が洗われ、スッキリしました。
(2018年4月刊。1600円+税)

つくられた恐怖の点滴殺人事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 阿部 泰雄 ・ 山口 正紀 、 出版  現代人文社
私の弁護士生活も45年となりましたが、残念なことに勇気ある裁判官、真実を直視しようとする気骨ある裁判官が本当に少ないと実感します。たまに出会うと感激ものです。
2001年に仙台で起きた「筋弛緩剤点滴殺人事件」が、実は何の科学的根拠もない警察による見込み捜査にもとづくものであり、警察とマスコミのつくりあげた「犯罪」だったことを明らかにした本です。
亡くなった小学6年生の女児は、その症状から筋弛緩剤中毒ではなく、別の急性脳症(ミトコンドリア病)だったというのです。ところが、医療の素人である裁判所が専門医の鑑定結果を受け入れないとは、いったいどういうことなのでしょう・・・。
そして、鑑定資料が警察鑑定によって全量消費されてしまって、残っていないというのにも驚かされます。これでは、追試ができません。警察による証拠隠し(いん滅)としか言いようがありません。
有罪が確定した守大助氏の父親は警察官でしたが、定年退職までつとめあげ、今では息子の無罪を訴えて、夫婦で全国をまわっているとのこと。すばらしいことです。
守大助氏は当初「自白」していますが、これを重視すべきではないのに、裁判所は鬼の首でもとったかのように考えています。まったくの間違いです。古今東西、やってない人が「自白」するのは、いくらでもあることです。その「自白」が客観的証拠と矛盾しないのかどうか、慎重に裁判所は検証していかねばなりません。
事件からすでに17年がたっています。裁判所には無罪の扉をぜひ開けてほしいと思います。私と同期の阿部泰雄弁護士の奮闘には心から敬意を表し、多くの人に一読をおすすめします。
(2016年12月刊。1700円+税)

佐藤ママの強運子育て心得帖

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  小学館
著者の本は、どれを読んでも、じんわり心が温まる思いがします。同時に、自らの子育てを振り返ると、ああ、そうか、あれは良くなかったんだなあと、反省することしきりです。でも、まあ、3人の子がそれなりに元気に生きていることで、それほど大きな間違いはしてないよね、と自らを慰めています。
そもそも、子どもには、親の恩なんて感じさせないように育てるのが一番いい子育てだ。
ともに笑ったり、泣いたり、かわいいころを一緒に過ごせる幸せに感謝。
まったく、そのとおりです。でも、その幸せに気がつくのは、たいてい過ぎ去ってから何年も何十年もたってからのことなんですよね・・・。
ケアレスミスという言葉をつかってはダメ。間違いは、すべて間違い。
人間はみな、基本的に怠け者である。
子どもの泣き声が耳障りなのは、生きていくために親の注意をひく目的があるから。
そうなんです。サルやチンパンジーの赤ちゃんは泣かない。なぜか・・・。赤ちゃんは母親にぴったり密着しているから、泣く必要がない。人間の赤ちゃんは母親と密着していないので、泣いて母親の注意を喚起する必要があるのです。
隣の子に言えないような言葉は自分の子にも決して言ってはならない。
アドバイスを受けたら、まず、感謝する。「だけどね・・・」と言うべきではない。
子どもから相談をされたら、何を差しおいても、ふたつ返事で引き受ける。
うーん、これって簡単そうで、実際には難しいですよね。親にも都合があり、気分の変化もありますからね・・・。それでも、ということなんですよね。
家庭のなかで、みんなが明るく生きていけるように演じてみる。
自分の心に毒になってしまいそうなことはスルーしてしまう。
そうですよね、ストレスもためこまない工夫が必要です。
子どもにとって、親は絶対的な存在であって、相対的なものではない。
親が何ごとにも好奇心旺盛で積極的に行動していると、子どもは伸びる。
子育てにおいて一番大切なことは余裕をもつこと。そして、十分な睡眠は集中力に欠かせない。
4人の子(男3人、女1人)を全員、東大理Ⅲに合格させた佐藤ママの言葉は、どれをとってもなるほどと思わせるものばかりです。あとは、ひとつひとつ実行していくことですね。
わずか130頁たらずの小さな新書ですが、子育て途中のパパ・ママには価値ある1000円に間違いありません。
(2018年4月刊。1000円+税)

スバル360開発物語

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 桂木 洋二 、 出版  グランプリ出版
スバル360とは、軽自動車の車名です。1958年(昭和33年)3月に売り出され、12年間もモデルチェンジされませんでした。42万5000円で売られましたが、これは1500CCの小型乗用車の半値以下でした。もっとも、ふつうのサラリーマンの年収を大幅に上回っています。それでも、売れました。軽自動車の免許で乗れ、安くて故障が少なく、加速力などの性能が良かったのです。
小さいクルマなのに室内が驚くほど広く、加速が良いうえ軽快に走りました。丸くてずんぐりとした形で、愛嬌がありました。富士重工業がつくり、伊藤忠商事が販売しました。
私が40年前にUターンして独立開業したときの初めての車はスバルの中古車でした。あろうことか走行中に交差点のド真ん中でエンストを起こし、3歳の長男が泣き出してしまいました。親切な若者がうしろから押してくれて、危地を脱することが出来ました。中古車って、そんなこともあるのか・・・と悟り、それから車音痴で安全第一の私は中古車に乗るのはやめました。
スバルは「すばる」のこと。清少納言の『枕草子』に「星はすばる」とありますが、プレヤデス星団を指しています。ちなみに、このコーナーの著者名(ペンネーム)も昴(すばる)です。
スバル360の開発計画がスタートしてから、わずか1年4ヶ月で試作車第1号が完成した。驚くべき速さだった。
クルマのデザインは、会社にとって最高機密に属する。
スバル360が走っていたのは、私が小学生から中学・高校生までのことです。よく見かけました。ダイハツのミゼットは高用車でしたが、スバル360は家族そろってのお出かけに最適だったようです。
なつかしいクルマに久しぶりに出会うことができる本でした。
(2015年5月刊。1600円+税)

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