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シェイクスピアの時代のイギリス生活百科

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  イアン・モーティマー 、 出版  河出書房新社
 16世紀の末、エリザベス朝時代のイングランドでは、命のはかなさに胸を衝(つ)かれる。エリザベス自身も何度も暗殺計画は反乱の標的となった。ジェントリーの反乱から、侍医による毒殺未遂まで・・・。このころのことを、ある政府の役人が次のように書いている。
「女王は貧しく、国土は疲弊し、貴族も貧しく、腐敗している。有能な指揮官と兵隊が足りない。何もかも値段が高い。肉の食べすぎ、酒の飲みすぎ、行き過ぎた服装。国内の分裂・・・」
 これは、エリザベスの治世を「黄金時代」とする見方とはかけ離れている。
 しかしながら、エリザベスは、間違いなく、史上最も強大な権力をふるったイギリス人女性である。その宮殿について、訪問したフランス人は、「ヨーロッパで最大、かつ、もっとも醜い宮殿」と評した。
 ロンドン橋は反逆者の首がさらされる場でもあった。腐ったあとも、君主に楯突いた者の運命を忘れさせないため、頭がい骨が杭に刺さったままにされた。16世紀末には、30以上の頭蓋骨が見られた。ロンドン橋は、単なる橋ではなく、ロンドンの象徴にして、王権を宣言する場なのである。
 当時のイングランドの人口は411万人。その前の200年間は、300万人を大きく下回っていた。エリザベス朝の60歳以上は、21世紀の75歳以上に匹敵する。40歳は老年期の入口。50歳まで生きられたら幸運なほうだ。21%の子どもは10歳になる前に亡くなり、そのうち3分の2は、生後1年内に死ぬ。
エリザベス朝の一部の人々は女王のことを快く思っていなかった。カトリック教徒だけでなく、ピューリタンも女王を軽蔑した。エリザベスは、ロンドン市内を練り歩く行進で自分の姿を見せびらかし、大げさな賞賛を求めた。みずからの姿を見せることで、人々の目から見た女王の尊厳とイングランド人らしさを強化しようとした。エリザベスは議会が好きではなかった。実際にイングランドという国を所有し、動かしているのは、ジェントリーと呼ばれる、貴族と農民の中間に位置する階層である。
定住している貧民は大部分が女性で、旅してまわる貧民の4分の3は独身男性である。女性は、結婚していないかぎりで、男性同様に、旅をし、祈り、書き、広く自分の仕事に取り組むことができた。すべての結婚の25%から30%は再婚である。女性がある程度、男性と同等であるといえる唯一の領域は文学である。
エリザベス朝の人々は朝食を食べていた。風呂は、通常、体をきれいにするためではなく、医療を目的として入るものだった。
エリザベス朝で、もっとも一般的な刑罰は罰金刑だった。エセックス州の成人人口4万人のうち1万5000人、つまり3分の1以上が性的犯罪のかどで法廷に立たされている。どうやら人々は盛んに性行為をおこなっており、そのかなりの部分が違法なものだったようだ。
16世紀末、エリザベス時代のイギリスの生活の実際を知ることのできる貴重な百科全書です。
1月末に受けたフランス語技能検定試験(仏検)の口頭試問(準1級)の結果が大型封筒で送られてきました。ということは合格証書が届いたということです。娘から「何枚目?」と尋ねられましたので、即座に「もちろん、ぼくは二枚目」と答えてやりました。本当は7枚目です。2009年から、ほぼ連続して合格しています。とはいっても、まだ十分にフランス語が話せるレベルではありません。なので、毎朝、NHKラジオ講座を聴き、書きとりをし、フレーズの暗誦にチャレンジしています。車中もフランス語のCDを聴いているのですが、それでもまだまだ1級のレベルは遠い彼方にあります。
(2017年6月刊。3800円+税)

パリのすてきなおじさん

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  金井 真紀 、 出版  柏書房
 もう何年もパリには行っていませんが、フランス語を毎日勉強している身としては、またぜひ行きたいところです。
 この本はパリ在住40年という日本人(広岡裕児氏)の案内でパリの各所で出会った男性をイラストつきで紹介しています。さすがプロのイラストレーターだけあって、おじさんたちの肖像がよくとらえられています。このイラストをながめるだけでも楽しい本です。
 パリの女性は服をたくさんもっていないけれどエレガントに装って生きている、そんな本が日本でも売れましたよね。この本には服も靴もほとんど持っていないという男性が登場します。持っているのは長袖シャツ5枚、デニムを5本、黒いスニーカーを4足だけ。スーツを1着持っているが、ほとんど着ることがない。服に求めるのは、目立たない色と実用性。服を選ぶときに、あれこれ迷って悩むのは時間のムダ。2分考えればすむことを、人は大げさに考え過ぎている。人生はシンプルに考えるべき。人生には予想外のことが起きる。そして、限りがある。だからこそ、本質的なことだけに目を向けるべきだ。
その反対に、夫婦ともに弁護士の39歳の男性はお気に入りのスーツは30着、靴も30足もっていて、そのほとんどがオーダーメイド。ローマとミラノにわざわざ服をつくりに行く。
 アフリカのマリから出稼ぎに来ている男性は出身地や共同体で人を一般化したらいけないという。この国の人はこういうタイプ、なんていうのは全部がウソ。本当にそのとおりです。日本人にしても一般的な傾向は言えるとしても、そもそも日本人は裁判が嫌いだなんていうのがウソであるのと同じように、下手な日本論をふりかざすのは認識を間違ってしまうだけです。
パリの演劇人が、どうやって生活しているかという話は興味深いものがあります。フランスのショービジネス業界の失業保険制度で演劇人は暮らしが安定している。映画・演劇・キャバレーなどで働くフリーランスは、前年にはたらいた時間と収入額の証明書を提出すると、それに応じて、次の年に最大6ヶ月分の失業手当が出る。取材を受けた36歳の男性は月1600ユーロの収入があって、なんとか暮らしていけるとのことです。
イラストのうまさに惹きつけられて、あっというまに読み終えてしまいました。人間って、顔も皮膚も違っていても、あまり頭の中は変わらないんだな、そう思わせる本でもありました。平和が一番です。
(2017年12月刊。1600円+税)

信長と弥助

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  ロックリー・トーマス 、 出版  太田出版
 織田信長にイエズス会が黒人を献上した。この黒人は信長の近習(小姓)として仕え、本能寺の変のときにも信長の側にいたが危く難を免れた。明智光秀から南蛮寺へ追放せよと言われて命は助かったが、その後の消息は不明。黒人の出身地は不明で、日本名は弥助。
 ここまでは私も知っていましたが、イギリス出身の著者が英語で書いた本が翻訳されたものです。よく調べてあるのですが、いかんせん原資料が不足ですので、決定的に解明したというにはほど遠く、読んでもどかしさが残りました。
 背丈が驚くほど高く、坊主頭で、筋骨隆々とした体は、真っ黒な色をしている。その男の名は弥助という。信長の道具持ちも務める小姓で、史上初の外国人侍だった。
 本能寺の変のあと、織田勢で唯一生存が確認されている侍が弥助だ。弥助は明智軍に刀を差し出して投降したあと、近くのイエズス会の教会堂に移送された。
 明智光秀はイエズス会を敵にまわしたくなかったので助かったと解釈されています。
弥助は物覚えが良く、すぐに日本語を覚えた。日本語は、母国語以外に学んだ4番目か5番目の言語だった。
 黒人が来るというので、京都の人々が何千人も殺到した。信長は弥助の風貌が引き起こした騒動を耳にして、誰が、何が治安を乱したのかを知りたがり、群衆が散開したあと、その黒い男と会わせろと要求した。信長のいた本能寺に黒人はやって来た。イエズス会宣教師のオルガンティーノが同行し、仲立ちした。
 信長は上半身裸になるよう命じた。弥助の黒い肌はこすられても、ひっかかれても色が落ちることはなかった。信長は、ようやく黒い肌が本物だと納得し、息子たちを呼んで、この驚くべき人間を見せた。イエズス会のヴァリニャーノは、政治的配慮から弥助の献上を申し出て、信長は受け取った。
 弥助は信長から従者付の私宅と扶持(ふち。給与)を受け取った。信長の刀持ちとして、護衛として、有能な側近の一人となった。
 弥助のルーツはアフリカ大陸にある。モザンビーク出身説が有力のようです。
 弥助は、信長をめぐるゲームにも登場しているそうですね。知りませんでした。その意味で、今どきの若者にはポピュラーな存在なのかもしれません。
 こくな日本史のニッチな話をイギリス出身の著者が英語で出版するとは、世界は広いようで狭いものですね。
(2017年2月刊。1800円+税)

治安維持法小史

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  奥平 康弘 、 出版  岩波現代文庫
 アベ政権の下で、現代日本の法体系と政治の運営が、戦前の暗黒政治と似てきていると心配しているのは私だけではないと思います。
 秘密保護法や安保法制法が制定され、モリ・カケ事件では開示すべき情報は秘匿されたまま、アベの仲間だけが特別に優遇されて暴利をむさぼっている、そして軍事予算が肥大化していく反面、福祉・教育予算は削減される一方。ところが、国民はあきらめ感が強くて投票率はやっと過半数・・・。
それでも、まだ戦前にあったきわめつけの悪法である治安維持法がないだけ現代日本はましです。なにしろ治安維持法なるものは、ときの政権が好き勝手に政府にタテつく人々をブタ箱に送り込むことができたのです。ひどすぎます。
治安維持法が制定されたのは1925年(大正14年)。1928年に緊急勅令で大きく改正され、さらに1941年(昭和16年)に、大改正された。
治安維持法は、刑事法というよりも警察や検察にとっての行政運営法というべきものだった。その運用実態に着目しなければ、治安維持法を語ったことにはならない。
治安維持法をつかって容疑者を逮捕はするけれど、起訴して裁判にかけるという正式手続きにはすすめずに、身柄を拘束しつづけるだけというのが、圧倒的に多かった。
特別要視察人制度なるものがつくられた。これはプライバシーの侵害体系だった。警察にとって意味のあるすべての動向が把握され、要視察人は、政治上は丸裸にされたも同然となった。
「国体」というコトバが法律上の文言として採用されたのは、治安維持法がほとんど最初である。
京都学連事件では、検事も禁固刑を求刑していた。ところが、その後、国体変革を目的とする思想犯について、裁判所は破廉恥罪の一種と判断して懲役刑を適用するようになった。
1926年12月に、日本共産党は山形県の五色温泉で再建大会を開いた。1928年3月15日、警察は1000人もの人々を検挙した(3.15事件)が、3分の2はまもなく釈放された。このころ、党員は全国に400人ほどしかいなかった。この3.15をきっかけとして特高警察が強化された。特高警察が全国化され、専任警視40人、警部150人、特高専門の刑事1500人を増員した。特高警察だけで追加予算200万円が承認された。司法省の思想係検事の追加予算は32万円だった。
「目的遂行のためにする行為」なるものが付加された。目的遂行罪である。
1929年3月5日、山本宣治代議士が暗殺(刺殺)された。治安維持法に反対を主張することが、どんなに危険なものを示した。3.15で検挙されたうち、起訴されたのは480人ほど。逮捕されたもののほとんどが不起訴となっている。3.15そして4.16事件の弁護をしていた弁護士20人が目的遂行罪で一斉に検挙された。1941年以降は、弁護人は司法大臣があらかじめ指名した弁護士のなかからしか選任できないこととされた。弁護権の実質的な剥奪である。これらの検挙された弁護士たちは布施辰治をのぞいて、全員が転向を表明している。
1938年10月から1939年11月にかけての企画院事件は、体制内部の抗争を反映するものであったが、権力者が政治目的をもって治安維持法を利用しようと思えば、いかようにでも利用できる、便利な法律だということを実証した。
自由にモノを言えない社会になりつつあるのが本当に怖いですね。何かというと、フェイクニュースを信じ込んだ人が「弱者たたき」に走るという現実があります。先日、辺野古の基地建設反対で座り込みしている人は、みな日当2万円もらっている「外人部隊」だと信じ込んでサウナで声高に話している男性がいたというのをネットニュースで知りました。嘘も百回言えば本当になるというヒトラーばりの手法が現代日本で堂々と通用している風潮を早くなくしたいと思います。
(2017年6月刊。1360円+税)

アメリカの汚名

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  リチャード・リーヴス 、 出版  白水社
 第二次世界大戦が始まった直後、アメリカにいた日系人はほとんど全員が砂漠のなかの強制収容所に収容されてしまいました。ドイツ人やイタリア人が同じような処遇を受けることはありませんでした。なぜなのか、私にとって長年の疑問でしたが、この本を読んで、その謎がとけました。黄色人種に対する差別意識もあったとは思いますが、それより前に、人口比がまったく違うのです。
強制収容所に入れられた日系アメリカ人は12万人。その7割はアメリカ生まれのアメリカ国民だった。司法省の推定によると、カリフォルニア州に住むイタリア系とドイツ系のアメリカ人には、5000万人以上の親類がほかの州にいた。これは全米人口の3分の1にあたり、彼らの協力なくして戦争に勝つことはできない。
日系人・日本人が戦争中にスパイ活動や破壊活動で告発されたケースは皆無だった。彼らが一度も行ったことのない日本帝国という敵国の兵士の顔に似た顔色をしているという理由だけで、戦時中ずっと閉じ込められていた。
1941年11月に、FBI関係者の報告には、日本人の武装蜂起はありえない、むしろ日系人が白人から危害を加えられる可能性のほうが高いとされていた。日系人は、もはや文化的には日本人ではないというレポートだった。ところが、真珠湾のあと、またたくまに恐怖と偏見、利害と強欲がカリフォルニアの白人社会に蔓延しはじめた。ロサンジェルス警察はリトル・トーキョーを閉鎖した。
日系農家は25万エーカーの耕地をもち、その価値は7500万ドルもあった。カリフォルニアの農作物の40%は日経農家によって生産されていた。
都市部では、大勢の白人ビジネスマンが日経ライバルの保有する店舗・事業・漁船を横取りしようと虎視眈々と狙っていた。これは、ドイツでユダヤ人迫害が進行中のとき、ユダヤ人のもつ資産をドイツの民集が押しかけて横取りしていたのと同じです。差別するものは横領できるという経済的利得も手にするのです。
日系アメリカ人について、「アメリカに生まれながら、日本の天皇にひそかに忠誠を尽くす人々」と決めつけ、迫害を正当化する言論がひどくなっていきます。日系人の一斉退去に反対する司法長官は集中攻撃を受け、四面楚歌となってしまった。
若い日系人は苦しんだ。「私は忠実なアメリカ国民。なのに、この私の顔は敵国人の顔をしている・・・」
日系人が収容された砂漠の収容所は夜になると夏でも寒い。まして冬になれば恐怖・・・。
ハワイにいた日系人は強制退去の対象にならなかった。なぜか・・・。島には戒厳令が敷かれたけれど、日本人が多すぎた。15万人もいる日本人は全島民の40%を占めており、退去させるのは非現実的だった。そして、ハワイ出身者は1万人が戦場行きに応募した。ただ、その日系人は、平均身長が160センチ、体重57キロと、あまりに小さかった。
有名な、「あたって砕けろ」(ゴー・フォー・ブローク)というのは、ハワイ人のサイコロ賭博のかけ声に由来する。
1944年10月、フランスの山中でアラモ連隊275人がドイツ軍700人に包囲・孤立したとき、救出に向かった日系兵士442連隊は果敢に突撃していった。その結果、1年前に1432人いた第100歩兵大隊は260人に減っていた。
1988年、市民の自由法が制定され、12億ドルの予算で8万人の被収容者に1人あたり2万ドルが支給された。日系アメリカ人が失った数十億ドル相当の資産に比べるとわずかなものだが、アメリカ政府が公式に謝罪したことの意味は大きい。
日系アメリカ人の苦難の状況を初めて詳しく知ることができました。戦争に突入すると、さまざまな異常心理がはたらくわけですが、人種差別もその一つなのだと思い至る本です。ヘイトスピーチなんて、本当にやめさせる必要があります。
(2017年12月刊。3500円+税)

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