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官僚たちのアベノミクス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 軽部 謙介 、 出版  岩波新書
私は、高校生のころ、なんとなく、漠然と、官僚って日本の将来を支えている有能・誠実な集団だと考えていました。今おもえば、まったくの幻想でしかありませんし、佐川や柳瀬、そして福田の哀れな答弁を見ていると、いやはや、トップ・エリートを自負する連中が、あんな無様(ぶざま)な姿をさらすようでは、日本も世も末だと涙がほとばしってしまいます。あの連中には、いったい誇りとか自尊心というものがないのでしょうか・・・。もちろん、かつてはあったに違いありません。では、いつ、どこで、どうやって捨ててしまったのでしょうか・・・。
だって、彼らの上に君臨するアベなんて「アホの王様」(裸の王様とは決して言いません)でしかないことは明々白々ではありませんか・・・。そんな政権を下支えしていて、本当に、これで「国を支えている」という気分に、いっときであっても、なれるものなんでしょうか・・・。
かつての大蔵省、今の財務省は、大変な権威のある官庁でした。それが今では、なんということもない、最低・最悪の官庁ですし、みっともない官僚集団でしかありません。バッカじゃないの、きみたち・・・って、言いたくなります(すみません。まじめな人がたくさん今もいると思いますが・・・)。あの福田次官のセクハラ発言は、品性ゼロ集団の代表としか言いようがありません。「オール優」どころか、「優」ゼロの私のひがみから率直に言わせてもらいました。
永田町の情報を集める能力にかけては財務省が霞が関でナンバーワン。主計局や主税局のメンバーは、日常的にいろいろの議員と接触し、情報を集めてくる。そして、財務省は、情報のつかい方も組織的だ。
なるほど、その点は、他の官庁にまさっているのですね・・・。
アベノミクスなるコトバは東京周辺では、今も生きているのかもしれません。なにしろ株価高で、億万長者が続出しているそうですから・・・。でもでも、福岡をはじめ、田舎には全然無縁です。それって、どこの国の話なんですか・・・、そう問いかけたいくらいです。
今や、アベ首相その人が「アベノミクスの効果」なんて口にしませんよね。そんなものです。まったくコトバの遊びでしかありませんでした。
読みたくないけれど、読まなくては・・・、と思って読んで、ますます腹立たしさと怒りを覚えた本でした。
(2018年4月刊。860円+税)

ルポ 地域再生

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 志子田 徹 、 出版  イースト新書
地域活性化に必要な人材として、日本には、「よそ者、若者、バカ者」というコトバがある。しがらみにとらわれず、自分たちの気づかない、地域の宝や財宝を発見してくれるのは、よそ者や若者の視点だ。やる前から、あれこれ考えて無理だと決めつけず、バカ者になって、とにかく何でもエネルギッシュにやってみる人が必要だ。
この本では、福岡県大牟田市も取りあげられています。三池炭鉱のあった大牟田市は、かつて21万人に近かった人口が半分の11万人になった。「明治日本」の世界遺産申請は「上からの」運動だった。そして、そこには「負の遺産」もあった。三池争議があり、炭じん爆発事故(死者458人)があった。さらに、そのもっと前には、中国人・朝鮮人の強制連行・強制就労そして、捕虜(フィリピンでのバターン死の行進の被害者)は収容所での虐待(収容所の所長は戦後に戦犯として絞首刑)もありました。
スペイン北部の人口19万人のサン・セバスチャン市は世界の美食家たちをひきつけている。居酒屋「バル」のはしごをするのだ。
うむむ、これは私も行ってみたいです。でも、スペイン語は出来ません。フランス語なら、なんとか・・・、なんですけれど。
ここでは、1晩に5軒や6軒まわるのは当たり前のこと。好きな人なら10軒くらいはしごする。いやあ、いいですね、ぜひぜひ行ってみたいですね。ここに行った日本人の体験記を読んでみたいです。誰か紹介してください。
そのアイデアを提唱したシェフは、秘伝のレシピを互いに教えあうようにすすめた。これがあたったようです。やはり、自分だけ良かれではダメなのです。他の人が良くて、自分もいいという精神ですね・・・。このサン・セバスチャンは、1年間に宿泊客だけで100万人。三ツ星レストランもあるけれど、好きな店(バル)を食べ歩きできるのが何よりの魅力なのです。
スウェーデンには、8階建てのマンションが、すべて木で出来ているものがある。すでに6棟、200戸がつくられた。土台こそコンクリートだけど、それ以外は、みな木造。長崎のハウステンボスの「変なホテル」の2階建ても、九州産の木材によるもの。岡山県真庭市の3階建の市営住宅も木造だ。木材といっても集成材にすると、強度はすごいのですね。
熊本県小国(おぐに)町の「わいた地熱発電所」は、日本で初めての住民が主体となって造った発電所。
地域の活性化のためには、知恵と連帯の力を集めるべく、いろいろ工夫が必要だということのようです。
(2018年2月刊。861円+税)

父の遺した「シベリア日記」

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 大森 一壽郎 、 出版  司法協会
私と同じ団塊世代の著者がシベリアに抑留されて生還してきた亡父の日記を整理して出版したものです。
20代前半の青年がソ連に捕虜として連行され、シベリアの苛酷な環境の下で働かされていたときのことを亡父が400字詰め原稿用紙200枚に書きしるしたのです。いわば、生きた証(あかし)だったのではないでしょうか・・・。
亡父が日本に帰国したのは昭和22年4月27日。例によって舞鶴港。当時、26歳だった。この日記は、35年後に書きあげられた。
亡父は大正11年生まれで、工業高校を卒業して、海軍に就職したものの、昭和18年、22歳のときに召集された。満州のチチハルで終戦を迎え、シベリアに送られた。
収容所では、2割から3割の兵隊が死んだ。だいたいが栄養失調のため。作業も苦しいが食糧の悪いのが原因の一つ。戦勝国のソ連の国民にもひどい服装の人がいるので、捕虜に十分な食糧を与えられるはずもない。
腹痛や頭痛だと病気とは認めてもらえない。熱が出て、はじめて病人と判定してくれる。
外気温は、マイナス50度。まさしく酷寒。
ロシア人は戦争のため男性が極端に少ない。男ひでりの未婚の娘が、若い日本人捕虜の男性を放っておくわけがない。
蛙も蛇も野ネズミも、何でも食べた。2メートルもある蛇は皮をはぐと身がきれいで、焼いて食べると蛙より美味しい。野ネズミはあまり美味しくはなかった(ようだ)。著者はさすがに食べられなかったのです。
こんな苦労して日本に帰ってきた元日本兵に対して、日本社会は「シベリア帰り」として冷たくあたったのでした。捕虜になりながら、おめおめと生きて日本に帰ってきたこと、しかもソ連で赤く洗脳されて帰ってきた危険人物として・・・。
亡父が20代前半だったから、酷寒のシベリアを生き抜けたのだと思います。
私も亡父から生前に聞きとりしてその歩みを小冊子にまとめました。親たちの人生がどうだったのか、やはり次世代に語り伝える必要があると私は考えています。お疲れさまでした。
(2018年1月刊。900円+税)

弁護士50年、次世代への遺言状(下)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 藤原 充子 、 出版  高知新聞総合印刷
高知弁護士会初の女性会長(1985年)であり、人権分野での目ざましい活動に挺進してきた著者が自分の扱った裁判のなかから特筆すべきものを紹介しています。前にこのコーナーで紹介した本に続く、下巻です。
私は、司法の堕落とも言えると思った白ろう病裁判での高松高裁判決をまずは紹介したいと思います。まさに血も涙もない判決の典型です。
高知営林局管内でチェーンソーを使用していて白ろう病となった林業労働者が国を訴えた事件です。一審の下村幸男裁判長は現場検証で自らチェーンソーを操作したとのことで、写真が紹介されています。そして、白ろう病は国の責任だ、労働者の安全配慮義務を怠ったとして、1億円余の支払を国に命じたのです。ところが、高松高裁(菊池博・瀧口功・渡辺貢)は、この一審判決を取り消し、請求棄却としました。その理由がひどいのです。
「機械を数年にわたって使用したあとに発症した重症でない職業病について直ちに企業者に債務不履行責任があるとしたら、長期的にみれば機械文明の発達による人間生活の便利さの向上を阻み、わが国のように各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国においては、国民生活の維持向上に逆行するもので、合理的ではない」
「経年により進行増悪しても、医学上説明できないことで、それらは私傷病や加齢によるものとみるほかない」
もちろん、この判決には上告したのですが、最高裁は上告棄却。しかし、奥野久之裁判官だけは国の安全配慮義務違反を認めました。
ただし、その後、白ろう者の職業病認定を求める行政訴訟では勝訴しています。これで少しばかり救われました。
スモン訴訟や中国残留孤児国賠訴訟についても裁判所のあり方について、著者はいろいろ問題提起していますが、共感するところ大です。裁判所は、もっと弱者に対して温かい目をもって法論理を展開すべきだと思いますし、あるときには、求められた必要な勇気をふるい起こすべきなのです。
この点、今も弱者に冷たく、権力に弱い裁判官があまりに多い現実に、直面して、弁護士生活45年になろうとする私は、たまに絶望感に襲われます。でも、決して絶望はしていません。話せば分かる裁判官もまだまだ少なくないからです。
それにしても、1968年(私が大学2年生のころです)に著者が高知弁護士会に入会したとき、手土産をもって弁護士会の長老に挨拶まわりをしなければいけなかったとか、料亭へ全会員を招待(費用は新人弁護士が半分もち)しなければいけなかったなど、まったく信じられない話も紹介されていて、びっくり仰天です。
著者の今後ますますのご健勝を心より祈念しています。
(2018年5月刊。1389円+税)

新・冒険論

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  インターナショナル新書
私は冒険をするような勇気は、これっぽっちも持ちあわせていませんが、冒険物語をハラハラドキドキしながら読むのは大好きです。
探検は、システムの外側にある未知の世界を探索することに焦点をあてた言葉。冒険はシステムの外側に飛び出すという人間の行動そのものに焦点をあてた言葉。
探検は土地が主人公の言葉で、冒険は人間が主人公の言葉だ。
冒険とスポーツとは、本質的に完全に対極に位置する行為だ。冒険には未知で予測不可能な世界に飛び込むという点が注目される。スポーツは、競技場という名の、舞台の整った場でおこなわれる行為だ。
著者は、冒険というものを自らの経験をベースに、現在の時代状況と照らしあわせて論じることのできる日本で唯一の人間だと自負していますが、まさしくそのとおりだと私も思います。だって、あとで紹介する著者の本を読めば、疑いようもありませんから・・・。
本多勝一は、①明らかに生命への危険をふくんでいること、②主体的に始められた行動であること、この二つが満たされたら、その行動は冒険だと言えるとした。
本多勝一は、朝日新聞の有名な記者で、私も、たくさんの本を読みました。
エベレスト登山は、いまや冒険とは認められない。なぜなら、エベレストに登りたい希望者が、熟練したガイド登山家が主催する隊にお金を払って参加するという、いわば商業ツアー登山の形をとっているから。登山客は定められたマニュアルにそった行動を指示される。公募登山の参加者は、自分の力で山に登っているわけではない。このエベレスト・ツアーに足りないのは無謀性である。
北極点を目ざすような極地旅行者は、ほぼ全員がGPSを持って行動している。使っていないのは、著者くらいだろう。
このコーナーで先に取りあげた『狼の群れと暮らした男』(築地書館)が紹介されていますが、この本は本当に驚くべき冒険にみちみちています。だって、文明人の大人がオオカミ(狼)の群れに近づき、ついには、その一員として認めてもらったというのです。その過程のすさまじさは圧倒的で、まさしく声を呑み込んでしまいます。
そして、もう一人は服部文祥の『サバイバル登山』です。これまた、大雪に閉ざされた冬山で一人、黙々と登山を敢行していくという苛酷すぎる体験記です。なにしろ、テントなし、コンロなし、食料は自給という生活を山中で続けていくのです。
そして最後に、先日よんだばかりの『極夜行』(文芸春秋)です。80日間、ほとんど真暗闇の極夜を過ごしていく極限の状況には声を呑み込むしかありません。
欧米人は単独行を避ける傾向にあるが、日本人は積極的に単独行をする。日本人は自然の本源に深く入り込むこと、生の自然に触れて、畏れおののくこと、結果以上に課程の充実を重視している。
冒険者は、自由状態をできるかぎり享受するため、あえて安全性を犠牲にしたり、緻密に計画することを放棄したりする。
なるほど、冒険って、そういうことなのか・・・。とても私には出来ないことだと再認識させられました。でも、自分が出来ないからこそ、こういう本を読むのは大好きなのです。
(2018年4月刊。740円+税)

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