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書物と権力

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 前田 雅之 、 出版  吉川弘文館
この本のオビには、書店も、取次も、図書館もない時代に、人々は何のため、どのようにして本を手に入れたのか・・・、と書かれています。
中世の人々にとって、本を読むというのは黙読ではなく、音読だったのですよね。そして、印刷というのがありませんので、すべて手で書き写していたのです。大変でした・・・。
私は、この本の訴えたいところより、『源氏物語』についての解説が目にとまりましたので、紹介します。
『源氏物語』の少女(おとめ)巻には、次のような場面がある。ことは、光源氏の息子である夕霧の教育方針をめぐって、光源氏と、その義母であり、夕霧にとって祖母となる三条大宮との対立。三条大宮は、上流貴族の子弟である夕霧を光源氏がどうして中下流貴族の子弟が入る大学寮という学校に入れたがるのか、分からない。光源氏は、不満たらたらの三条大宮に対して次のように説得した。
自分は、ちゃんとした教育を受けていないから、幅広い教養がないために、漢学を学ぶのも、管弦の調べを習うにも、不十分な点が多かった。私が子にはちゃんとした教育を受けさせ、・・・、我が子だけが取り残されないようにしたい・・・。そして、次のように言った。
なほ、才(ざえ)をもとにしてこそ、大和魂の世に用いらるる方も強うはべらめ
「才」とは、才能ではなく、漢学などの、教育手段によって後天的に学ばされる教養知のこと。「大和魂」とは、今はやりの民族的精神なんかではなく、「才」の対極にある経験や体験によって身につけることができる実践知の意味。
生き馬の目を抜く、冷酷非情な貴族社会に生きる人間にとって最後の砦となるのは、どちらかといえば、役に立たない、学問・教養としての「才」なのだ。そして、ついに、光源氏の主張が通って、夕霧は大学寮に入った。
なぜ、『源氏物語』の作者の紫式部がこのような認識をもつに至ったかは不明。しかし、紫式部が仕えていた藤原道長の知性のなさと卓越した実力が関係しているのではないか。
道長の日記は、極度に語順がデタラメな記録文になっていることから分かる「才」の欠如。そうは言っても、道長も和歌は詠(よ)んでいたし、漢詩をつくる能力もあった。
上流貴族の子弟は大学に入ることはなく、家庭で教育を受けていた。そして、大学が火災で焼失してから中世以降、大学寮は存在していなかった。
貴族社会における教育の伝播というものを考えさせられましたし、道長に知性がなかったというのが、私にとっては真新しい知見でした。
(2018年9月刊。1700円+税)

スペイン内戦(1936~39)と現在

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 川成 洋 ・ 渡辺 雅哉 ほか 、 出版  ぱる出版
スペイン内戦というと、スターリンの責任は重大だと思います。当時、スターリンはソ連国内で大量の粛清をすすめていましたが、スペインでも自分の都合のよいほうに引きまわしたのです。その手先になって踊らされた人々もソ連に戻ったら次々に粛清されていったのでした。
スペイン内戦では、アメリカから渡った日系人(ジャック白井)の活躍も忘れることは出来ません。この本では、ほかにもアナーキストの日本人が2人スペインに渡ったという説も紹介されていますが、当時の日本ではありえないと否定されています。
 スペイン内戦について、さまざまな角度から、大勢の人が語り、分析し、紹介している大作です。なにしろ783頁もあるのですから、一度では読み切れず、日曜日ごとに読んで1ヶ月以上も読了するのにかかってしまいました。
国際旅団の活躍も詳しく紹介されています。
国際旅団の義勇兵は世界各地から、50ヶ国から、続々とスペインに入国し、共和国の戦列で戦った。その合計は4万人。このほか、教育・医療・プロパガンダなどに従事する非戦闘員2万人がいた。彼らは、1938年11月の国際旅団の解散まで、激烈な戦場で戦った。
それから、80年がたっているのですね・・・。この本はスペイン内戦の勃発(1938年)から80周年を記念して出版されました。
ピカソの絵「ゲルニカ」で有名なゲルニカはバスク地方にあります。
1937年4月26日午後4時半ころから3時間、ドイツのコンドル兵団を中心にイタリア軍の飛行機も参加し、人口7000人のバスクの町ゲルニカが爆撃された。爆弾と焼夷弾が投下され、中心街の300家屋の建物の71%が破壊された。
この爆撃はドイツ空軍を試す機会だったと、ヘルマン・ゲンリングはニュールンベルグ法廷で証言した。
スペインの内戦に勝利したフランコ独裁政権は、スペイン国民をサッカーと闘牛に熱狂させ、政治に目をさせない、できる限り教育を受けさせず、政府批判の能力を持たせない、そして、外国人観光客による収入に満足し、どこの地方でも「スペイン料理」としてパエリヤをつくることを受け入れさせることにした・・・。
フランコ独裁政権は、戦後の配給制度によって与えられていた。
スペイン内戦において、早い段階からフランコ軍を支援し続けたのは、ヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニのファシスト・イタリアだった。国際旅団のなかでは指導権を握ろうとするソ連への反発も強く、一枚岩ではなかった。ジョージ・オーウェルも国際旅団の民兵組織には加わっていない。
2007年12月、スペイン歴史記憶法が成立した。これはスペイン内戦やフランコ独裁体制時に、政治的・思想的な理由により迫害された人々に対して、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復する権利を承認した。
こんな法律までつくったのですね、えらいですよね。
ジャック白井は1900年ごろ北海道の函館に生まれ、1929年にアメリカ・ニューヨークにたどり着いた。それまでは外国航路の船員(おそらくコック)だった。そして、最前線で銃をもって戦っていたが、1937年7月11日、敵の機関銃弾によって戦死した。
ジャック白井への追悼詩は、次のように書いている(ほんの一部です)。
同志白井は斃れた
彼を知らない者がいただろうか
あのおかしなべらんめい英語
あの微笑の瞳
あの勇敢な心
エイブラハム・リンカン大隊の戦友は彼を兄弟のように愛していた。
函館生まれのジャック白井
日本の大地の息子
故郷で食うことができず
アメリカに渡り
サンフランシスコでコックとなった
彼の腕は町の食通の連中の舌を満足させた・・・
(2018年6月刊。5800円+税)

縄文美術館

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 小川 忠博、小野 正文、堤 隆 、 出版  平凡社
縄文文化をしっかり見届けることのできる見事な写真集です。いま東京で縄文美術が展示されているようですが、なかなか行けません。仕方なく、この本を手にとって眺めることにしました。写真とあわせて解説も行き届いていて、とても分かりやすい本です。
フリーカメラマンの小川忠博氏は、35年ほども縄文時代の遺物を撮り続けてきたといいます。その圧倒的蓄積が、この写真集に見事に結実しています。
縄文時代とは、1万6千年前から3千年前までの1万3千年間をさす。
縄文人は、男性が身長160センチ弱、女性は150センチ弱。顔は短く、鼻は高く、目は大きく、唇は厚く、そして、耳垢は湿っていた。
平均寿命は40歳くらい。夫婦と子どもたちから成る家族が4件くらい集まって集落をつくっていた。
狩猟では弓矢を使い、犬を一緒にシカとイノシシを狩っていた。
縄文時代が1万3千年のあいだ続いたとして、はじめは数万人だった人口が、中頃には20万人以上にふくれあがったとみられている。
縄文人は、子宝、安産、豊穣、鎮魂など、日常の祈りをこめて土偶をつくっていた。土偶のなかには仮面をつけていたと思われるものもあります。土偶のなかには、有名な遮光器土偶、つまりまるで宇宙服を着ているとしか思えない顔のものもあります。小さな乳房、子を宿したお腹、豊艶を超越した大いなるお尻をもつビーナスには、ただただ圧倒されます。見事な身体曲線差です。
さすがに縄文人の着ていたものは、そのままでは残っていません。でも、編みカゴが現物そのままに残っています。なかにクルミが入っていたカゴです。ヒノキ科の針葉樹の樹皮を見事に編んでつくられています。
小さな石に丸い穴を開ける工法が紹介されています。もちろん鉄はありません。そして硬い石器を使うのでもなく、細い竹や鳥骨にヤスリの役割をする硬砂をつけながら回転させて揉み切りして貫通させるのです。大変な忍耐のいる作業だったことでしょう。 そんなペンダントの原材料になる原石が土器に入って見つかっています。
青森にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡に行ってきました。縄文文化に触れて日本の文化を考えてみました。
手にとって一見する価値が多いにある写真集です。
(2018年7月刊。3000円+税)

弁護士はBARにいる

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 前岨 博 、 出版  イースト・プレス
私は久しく「バー」なるものに行ったことがありません。若いころにはスナックにもクラブにも、そしてたまにバーに行ったことがありました。宴会のあと、若者たちが先輩に率いられて、ゾロゾロと二次会、三次会に流れていったのです。そして、当然のように先輩弁護士が勘定をもってくれていました。今では、ちょっと考えられない光景ですよね。先輩が後輩を誘うことはまれにありますし、少しだけ余計に負担することはあっても、「全額おごり」だなんて、考えられません(少しとも私には・・・)。
それはともかくとして、この本では、バーのカウンターの内側にいる男性が客の悩みに的確なアドバイスをするという趣向です。そのアドバイスは明確です。それは危いからやめたほうがいい、それは大丈夫だ、問題ない、このようにきっぱり小気味良く断言します。もちろん、そのあと解説が続きますので、納得もします。
たとえば、従業員の横領が発覚して頭をかかえている社長に対して、何と言ったか・・・。
「法的見地から申し上げると、現段階で警察に駆け込むのは、早計というもの」
このアドバイスには、私も、まったく同感でした。民事、刑事、処遇、会社の組織・システム、それぞれの問題についてよく整理しておくことが先決。警察は、すぐには動いてくれない。そして、懲戒解雇ではなく、諭旨解雇にして、支払うべき退職金を賠償金に充てるという解決法がある。
この点は、私も同じように処理したことがあります。
有力な従業員が競争相手の同業者に引き抜かれてしまった。さあ、どうしたらよいか・・・。
「法的見地からすると、残念ながら、その同業同社を訴える条件はそろっていないと考える」
従業員を、退職したあとまで、競業避止(きょうぎょうひし)業務でしばることはできない。例外的に、事前に競合禁止の誓約をとっていると、限定的に認められることはある。それでも、営業秘密をもらして元の会社に損害を与えたという事実の主張・立証ができないと、損害賠償が認められる可能性は小さい。
著者の名前は、「まえそ」と読むそうです。200頁ほどの新書版サイズの手頃な本です。バーでのやりとりを通じて、悩める社会の法律トラブル対策が書かれていて、気楽に読み通せました。
(2017年11月刊。1100円+税)

戦地巡歴、わが祖父の声を聴く

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 井上 佳子 、 出版  弦書房
熊本放送の記者をしている著者が、中国大陸で戦死した著者の祖父が遺した日記をたどり、ついに30分のテレビ番組にしたものを本にまとめたのです。
祖父は中国に出征して、わずか47日で戦死しています。第六師団歩兵13連隊です。
1937年7月に盧溝橋事件から日中戦争が始まると、第六師団は中国に渡り、上海の杭州湾から上陸し、12月の南京攻略戦に参戦し、翌1938年2月には徐州会戦、そして武漢作戦の前哨戦である漢口攻略を目ざした。
祖父の井上富廣は明治44年(1911年)生まれですので、明治42年生まれの私の亡父・茂より2歳も年下だったわけです。亡父・茂も会社員だったところを兵隊にとられ、陸軍二等兵として中国大陸に渡りましたが、幸か不幸か(幸に決まっています)病気にかかって台湾へ送還されて命拾いしました。
祖父・富廣は、1938年(昭和13年)6月に門司港を出港して中国は上海に上陸した。補充兵として第六師団を追って、南京、蕪湖、安慶、潜山、太湖と転戦していった。そして、中国に出征してわずか47日で戦死した。戦死する5日前まで日記を書いている。このほか、戦地から家族に書いて送った手紙も4通残っている。
「(昭和13年)6月26日。潜山発。四時半起床。要所を撃破せし戦跡には支那人死体横たわり、当当と進軍する愉快さ。・・・」
「2,3日前、20名ほどとらえてきて尋問したら、矢張り、支那軍から命令されているようです。全部、河原へ連れ出し銃殺しました。泣きながら殺してくれるなという顔を見れば、ちょっと気の毒な様でもあります。人間の死体や牛豚の残がいで、くさくて仕様ないです」
これは祖父富廣が日本にいる妻へあてた手紙です。敗残兵の20人を銃殺したことを、しごく当たり前のように、あっけらかんと書いている。
そのような兵士の心理について、次のように解説されています。
「戦場の兵士は、普通の精神状態ではない」
「死ぬか生きるか、殺すか殺されるかの極限状態なんです」
そして、著者は取材のため祖父・富廣の戦跡をたどりました。
中国大陸で日本軍が罪なき人々を殺し、女性を強姦し、物資を略奪していったことを、その体験者から聞き出していったのです。
まことに戦争とは、むごいものです。大勢の人々を殺し、また理不尽に殺されていきます。絶対にあってはならないのが戦争です。
日本のネトウヨなど一部の人々が反中国をあおりたてていますが、両国は経済的にも文化的にもしっかり結びついているのです。戦争なんて、とんでもありません。平和的に共存共栄するしかないのです。
この本は、その原点の大切さを考えさせてくれました。
(2018年8月刊。2200円+税)

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