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ヨーゼフ・メンゲレの逃亡

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 オリヴィエ・ゲーズ 、 出版  東京創元社
ナチスの戦犯として、アイヒマンはイスラエルの諜報機関(モサド)に隠れ家から拉致されてイスラエルに連行され、裁判を受けて処刑されました。
ところが、ヨーゼフ・メンゲレのほうはアルゼンチンそしてブラジルで平穏な暮らしのなかで生きのびて、海岸で溺死するまで裁判にかけられることがありませんでした。どうして、そんなことが可能だったのかを小説で再現しています。
アルゼンチンのブエノスアイレスでアイヒマンとメンゲレは互いに面識があったようです。
メンゲレはずっと目立たないように注意してきたのに、アイヒマンは名声を求め、酔いしれて元ナチス親衛隊上級大隊指導者とサインしたりした。
メンゲレはアイヒマンを無教養な元商人として軽蔑した。中等教育も満了しておらず、前線での経験もない会計係の息子。アイヒマンは哀れなやつだ。一級の落ちこぼれだ・・・。
アイヒマンのほうも、メンゲレについて、臆病などら息子、日焼けした下っ端野郎にすぎないとけなした。
メンゲレはフランクフルトとミュンヘンの両大学で医学と人類学で博士号をとっていた。ところが、1964年に、アウシュヴィッツで殺人の罪を犯していたことを理由として、メンゲレの博士号は取り上げられた。これを知ってメンゲレは怒り狂った。
メンゲレはアルゼンチンからパラグアイに移住した。ドイツにいる家族とはずっと連絡をとりあっていた。西ドイツの情報部は、そもそも旧ナチスの息のかかった機関なので、メンゲレの行方を真剣に追跡することはなかった。
そして、次にブラジルに移住した。サンパウロの近くだ。ドイツにいる息子、ロルフ・メンゲレとは盛んに文通した。
1976年5月、メンゲレは脳卒中に襲われた。
息子、ロルフ・メンゲレがブラジルにやって来て、父に問うた。
「パパ、アウシュヴィッツでは何をしたんです?」
メンゲレは答えた。
「ドイツ科学の一兵卒としての私の義務は、生物学からみた有機的共同体を守り、血を浄化し、異物を排除することにあった」
「ユダヤ人は、人類に属していない」
「何千年も前からユダヤ人はアーリア人種の絶滅を望んできたのだから、すべて排除すべきなのだ」
「人民の外科医として、アーリア民族が永遠に栄えるよう、社会の幸福のために努めたのだ」
「私は何も悪いことはしていない」
いやはや、死ぬまでメンゲレはまったく反省せず、罪の意識もなかったというわけです。
1979年2月7日、メンゲレは水着を身につけ、海岸に入った。そして、溺れた。
息子ロルフは、父を助けてきてくれた人々に対する配慮から、父の死亡を公表しなかった。メンゲレの家族は南米における潜伏場所を知っていて、最後まで仕送りしていた。
1992年、DNA検査でメンゲレの遺体であることが確認された。
息子ロルフはミュンヘンに住み、弁護士として活動している。
メンゲレの死に至る状況がノンフィクションとして実に細かく再現されていて、圧倒される思いでした。
(2018年10月刊。1800円+税)

生きづらい明治社会

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 松沢 裕作 、 出版  岩波ジュニア新書
1868年が明治のはじまりです。それから1945年の敗戦まで、なんと77年間でしかありません。いま、敗戦から73年たっていますので、その差はわずか4年。
前の77年間に、日本は、日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦に参戦して中国・青島でドイツ軍と戦争し、さらに第二次世界大戦をひき起こしました。まさに、戦争に明け暮れた77年間です。それに対して、敗戦後の73年間は、戦争とは無縁(少くとも直接的には)で過ごしてきたのです。ありがたいことですよね、これって・・・。
明治維新から明治天皇が死んだ1912年までの45年間に、日本は大きく変わった。
日清・日露戦争によって、日本は台湾や朝鮮半島を植民地とした。明治時代は経済的には発展の時代だった。1870年に3400万人だった人口は、明治が終わるころには5000万人(植民地は除く)になっていた。実質GDPは2倍になった。
明治時代の人びとは、大きな変化のなかを不安とともに生きた。そして、不安のなかを生きていた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまった。
明治の都市下層社会では、家族は安定した形をとっていない。正式に結婚している夫婦は少なく、事実婚の夫婦が多い。そして、夫婦ゲンカが絶えない。
長屋に住むが、そこは木造平屋建てで、四畳や六畳の一部屋だけ。布団を所有しない世帯も珍しくない。布団を買うお金がないので、毎日の収入のなかから、少額のレンタル料を払って布団を借りている人が珍しくなかった。
住居をもてない都市下層民は木賃宿(きちんやど)に住んだ。大部屋に人びとが雑魚寝(ざこね)して寝泊りする。東京市内に145の木賃宿があり、1ヶ月の宿泊者は1万3000人だった。20畳の部屋に照明はランプが一つ、まくらは丸太で、寝具は汚れて悪臭を放ち、ノミがたくさんいるという不衛生な状況だった。
明治時代、今の生活保護法に類似した制度は恤救(じゅっきゅう)規則。これまで隣近所で面倒見てきた者は、この恤救規則の対象にはならないとされた。国は、救助を貧困者の隣近所の住民に押しつけた。
貧困は自己責任であって、社会の責任ではない。法律をつくると、怠け者が増えてしまう。こう言って、反対する議員が多く、法律は制定されなかった。
江戸時代には、農村部の休日は増加傾向にあった。最大で年間80日も休んでいた村もあった。ところが、明治時代になると、通俗道徳の「わな」に人びとがはまってしまった。人びとが、自分たちから、自分が直面している困難を他人のせい、支配者のせいにしないで、自分の責任としてかぶる思想にとりつかれていた。
貧困者を「ダメ人間」視するところでは、政府や地方自治体のような公的機関が、税金を貧困者のためにつかうことには強い抵抗がある。一部の「ダメ人間」のために、「みんな」のお金をつかうことはできないと考えるのだ。
おカネは、道路、鉄道、学校といった、「みんながつかうもの」と考えられた目的につかわれ、貧困対策のような「一部の人たちだけがトクをする」と考えられたものには使われなかった。
慈善は悪事である。怠け者を助けてやっても、ますますつけあがって怠けるだけ。
成功した者が動かす社会では、政府がつかうおカネが増えたからといって、それが貧困対策につかわれることはない。成功者たちからすると、貧困者は怠け者の「ダメ人間」なのだ。
いやあ、今でも、こんな考え方の人は多いですよね。自分がいつ弱者になるかもしれないのに、そんなことをまったく考えないのです。
生きづらいのは明治社会だけではなく、現代日本でも残念ながら同じですよね。こんなすばらしい本がジュニア新書として出ているんですね・・・。多くの人に一読してほしい本です。
(2018年9月刊。800円+税)

江戸の目明かし

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 増川 宏一 、 出版  平凡社新書
江戸時代、目明かしがもっとも使われたのは天保の改革のころ。ということは、江戸も末期ということになります。
天保4年(1833年)に判決が言い渡された「三之助事件」では、処罰された士分の者だけで33人、百姓・町人をあわせると総勢64人が処罰された。与力・同心そして目明かしである。
水野忠邦が主導した天保改革の真の狙いは思想統制にあった。反対意見を封殺して、幕府の権威を取り戻そうとした。そのために出版規制を強めた。
このころ、かるた賭博もさいころ賭博も、特別な賭場ではなく、普通の民家でおこなわれ、商人、職人、主婦が気軽に参加していた。
目明かしは、元犯罪者であることが多い。目明かしになる最初のきっかけは、自分が捕えられたときや入牢中に、他人の犯罪を訴えること。訴えた犯罪者は減刑されたり、特赦された。幕府は、犯罪捜査に役立つとして、これらの元犯罪者を目明かしとして採用した。元は犯罪者であった目明かしの弊害はすぐに表れた。江戸市中では、目明かしと自称して強請(ゆすり)をする者があとを絶たなかった。
このころ、現在の東京23区より狭い地域に60万人の町人が住んでいた。これを、わずか100人弱の同心で取り締まるのは不可能だった。そのため、同心の補助として目明かしが必要とされた。しかし、この目明かしは、お金をむさぼりとって賭博を見逃した。
目明かしは、奉行所の収入から同心を通じて定期的に手当を与えられていた。ところが、目明かしたちは、些細なことで町民に難癖をつけて強請(ゆす)ることを日常的におこなっていた。目明かしとその子分たちは、権力公認の暴力団ともいえる存在だった。
債権者より依頼されて借金の取立てをするときには、債務者に犯罪の容疑となる証拠もないのに逮捕し、その親類に借金を返済したら釈放するといって返済を強要する。取立がうまくいったら、債権者に礼金を強請る。
目明かしは、入牢したら裏切り者として牢内でリンチされる危険もあったので、入牢することを非常に恐れていた。
天保8年(1837年)に大坂の与力だった大塩平八郎の乱が起きた。
水野忠邦は天保14年(1843年)に老中を罷免された。明治維新まであと20年ほどです。水野忠邦は、その後いったん老中に再任された(1844年)が、翌年に辞職し、完全に失脚した。
天保の改革が終わって庶民がひと息ついたとき、黒船が来航し、世情は騒然とした。
明治維新の直前には、目明かしとその子分、そしてその手引たちが1500人ほどもいて、その横暴は目に余るものがあった。目明かしの存在じたいが治安を揺るがす問題となり、幕府も取り締まる姿勢を示さざるをえなかった。
目明かしは、決して「正義の味方」ではなく、非道の輩(やから)だったということがよく分かる面白い新書でした。
(2018年8月刊。780円+税)

戦国の城の一生

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 武井 英文 、 出版  吉川弘文館
私は弁護士になってしばらく、鎌倉の大船に住んでいたことがあります。フラワー公園のすぐ近くの玉縄のアパートでした。すぐ近くに玉縄城という有名な城跡があったようです。福岡に来てから知り、行ったことがなかったのを残念に思いました。
『のぼうの城』で有名になった埼玉の忍(おし)城にも行ってみたいと思います。石田三成が、秀吉の高松城の水攻めにならって水攻めをやってみたけれど失敗して撤退したというお城です。
古城といえば、なんといっても原城ですよね。廃城といいつつ、城壁どころか建物まで残っていたようです。ここで、3万人もの百姓が皆殺しにされたというのですが、今は何もなく実感が湧きませんでした。
この本には登場しませんが、戦国の城では安土城には2度のぼりましたし、朝倉氏の越前一乗谷の城下町にも2度行って、往時をしのびました。
城跡は、日本全国に数万ヶ所もあるそうです。城めぐりを趣味とするサークルがあり、旅行会社のツアーまであるというので、驚きました。
埼玉県嵐山(らんざん)町にある杉山城という大論争の城にも行ってみたいものです。
地選(ちせん)・・・城の位置を決める。地取(じどり)・・・場所を確保する。経始(けいし)・・・縄張を決める。普請(ふしん)・・・土木工事。作事(さくじ)・・・建築工事。鍬初・鍬立(くわだて)・・・地鎮の儀式。新地(しんち)・・・新規に築城する城。
城の築城期間は、およそ10ヶ月あまり。丈夫な土塁をつくるには、土だけでつくるのではなく、萱を入れることが必要だった。しかも、前年に刈って乾燥させた萱が良かった。
山城のなかには、一定の竹木を植えついたし、水源を確保するために必要だった。それだけでなく、家(城主)の繁栄のシンボルでもあった。
戦国時代には大名だけが築城したのではなく、自立的な村落が自分たちの身を守るために自ら主体的に城を築いた。村の城という。
城は聖地を意識して築かれることもあった。
城には、いざ籠城となったときのことを考えて、それなりの数の備品を常備していた。そのため、その維持管理は大変だった。兵粮は大名にとって悩みの種の一つだった。
人や馬の糞尿は、毎日、城外へ出して場内を清潔にするよう定められていた。その場所は場内から遠矢を放ち、その矢の落ちたところより奥の場所となっていた。
城には門限があった。朝9時ころに開門し、夕方6時ころに閉門していた。
お城オタクの、若い著者のお城探訪記のような本でもあります。
(2018年12月刊。1700円+税)

つたえるエッセイ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 重里 徹也、助川 幸逸郎 、 出版  新泉社
心にとどく文章の書き方というサブタイトルがついた本ですので、早速、手にとって読んでみました。というのも、私の敬愛する先輩から、もう少し味わい深い文章を書くことに挑戦したらどうかと最近、苦言というか助言を受けたからです。
私は小学生のころから日記をつけていましたし、中学校で作文がうまいわねと担任の教師から賞賛されたことに自信をもったあとからは文章を書くのは苦になりませんし、早く、分かりやすく書けます。ところが、そこに味つけをしろというアドバイスを受けたのです。私の課題となりました。
何のために書くか・・・。答えは二つ。一つは、他人に伝えるため。もう一つは自分自身で自分の思想や感情を知るためだ。この二つのことが同時にできるのが、文章を書くことの醍醐味なのだ。
タイトルのつけ方で文章は決まる。タイトルを本気でつけるのが、レポート改善の特効薬。
私は小見出しが大事で、小見出しなしの文章は読みづらいし、しまりがないと考えています。小見出しを先につけて、それにあわせて文章を書くことはよくあります。
最初に自分が何を書きたいのか、はっきりさせる。その点を意識すると、最後まで滞りなく仕上げることができる。
ディテール(細部)が大事。それが文章にみずみずしさ、新鮮さをもたらす。
センテンス(一文)を短くすると、読みすすめるうえでの抵抗感が減る。
一文の長さを切りつめると、一気に文章の完成度があがる。
文章は、他人分かってもらうことを目ざして書く。
他人に伝わる文章を書くためには、自己を相対化することが必須で、そのためには寝かせることがもっとも有効。寝かせるというのは、何日か放っておいて、しばらくしてから読み直してみるということです。
締め切りよりも早く原稿を送るのが売れないライターの心得。たくさん書いて、あとから削る。さいしょは2.3割よけいに書いて、あとから規程の量まで減らすと、密度の濃い文章ができあがる。
文章は、自分が望む反応を相手から引きだすために書く。
私は、一文は短く、分かりやすく、そして速く書き上げることをモットーとしています。そのうえで、味つけを考えないといけません。さあ、どうしましょ・・・。
とても役に立つ文章の書き方が満載の本でした。
(2018年10月刊。1600円+税)

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