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白嶺の金剛夜叉

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 井ノ部 康之 、 出版 山と渓谷社
山岳写真家・白籏史朗の一生をたどった本です。白籏史朗の写真集は、私も何冊か買って持っていますが、そのド迫力には圧倒されます。
尾瀬写真美術館というものがあるそうです。ぜひ一度行って、高さ9メートル、幅15メートルの巨大写真を5つのスピーカーで再現した滝の轟音(ごうおん)を聴きながら、じっくり眺めてみたいものです。そして、樹々のトンネルをくぐるように2階にすすむと、落ち着いた、いかにも尾瀬らしい雰囲気に浸ることができるそうです。いやあ、ぜひぜひ実感してみたいですう…。
私は尾瀬沼には一度行きましたが、一度しか行っていません。私が大学2年生のとき(1968年6月)、授業をサボって、駒場寮の後輩と3人で行きました。東大闘争が始まる直前の、まだフツーに授業があっているときのことでした。尾瀬沼の本道を歩いて、「夏がくれば思い出す、はるかな尾瀬」の世界に浸ったのでした。
白籏は中学校を卒業して、高校進学をあきらめ、東京の写真家・岡田紅陽に弟子入りした。このとき18歳。いやあ、すごいですね。それ以来、写真ひと筋で86歳まで70年間近く生きたわけです。
山岳写真家として本人も何度か危険な目にあっていますし、弟子を3人(うち1人は交通事故で)亡くしています。いやはや、山は、とくに冬山は怖いですよね、きっと…。
白籏は師匠と同じく富士山も撮っているが、それは富士山込みの風景写真ではなく、あくまで山岳写真としての富士山。つまり、新幹線や茶摘み娘、大漁旗漁船、田植えをする人々などを組み合わせた写真ではない。それは、横山大観の富士山の絵と共通している。なーるほど、ですね…。
白籏は「白い峰」という写真家集団の育成に心血を注いだ。30人で出発し、250人もの強力集団にまで成長した。中学校までの教育しか受けていない、山梨県の田舎出身の白籏は、そのコンプレックスを内に秘めたまま、刻苦勉励、精進潔斎し、山岳写真界の第一人者に到達した。
白旗の撮影の基本は、可能な限り高いところに登り、360度を見すえて、じっくり撮る。これに尽きる。
白籏が山に正対するとき、三面どころか四方八方、頭上足下に五つの眼にも匹敵する鋭い視線を走らせ、六本はないが両手と十本の指を六通り以上に駆使し、三脚を据え、カメラを固定し、レンズを交換し、フィルムを装填し、ファインダーをのぞき、シャッターを切る。それは、まさに金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の姿そのものだ。
いやはや、なるほど、こんな姿で構えて、あの数々の傑作写真が生まれたのですね。納得できました。白籏(しらはた)史朗の写真集を改めて手にとってみることにします。
(2020年5月刊。2000円+税)

「関ヶ原」の決算書

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 山本 博文 、 出版 新潮新書
この本の結論をまず紹介します。
「関ヶ原」で負けたことで、秀頼は年収1286億円だったのが、一挙にわずかその1割ほどの185億円になってしまった。秀頼の領地としては摂河家74万石のみとなった。そして、全国にあった豊臣家蔵入地と金銀山からの運上収入を全部失った。
これに対して、家康のほうは573万石を支配するようになったが、これは日本全土1850万石の3割に相当する。そして、金銀山からの運上金が年に397億円。なので、あわせると毎年1205億円の収入を生む領地と金銀山を家康は得た。
この家康が奪った秀頼の蔵入地と金銀山こそが「関ヶ原」の15年後の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす原資となり、260年も続いた江戸幕府の重要な経済基盤となった。
まことに経済基盤こそ社会のおおもとを動かす原動力なのですね…。
「関ヶ原」で決戦した東西両軍の戦費も計算されています。
徳川家康としたがった大名の兵力は5万5800人。この軍勢が3ヶ月、90日のあいだ行軍し、戦った。1日5合の割合で計算すると、20億円あまり。これに秀忠軍をあわせると30億円近くになる。西軍のほうは9万3700人なので、そして61日間とすると、23億円弱となる。つまり、わずか3ヶ月間で53億円もの兵糧米が消費されたということ。
島津家が「関ヶ原」でなぜ敵中突破に成功したのか、なぜ薩摩藩を守り抜くことができたのか、かなり詳しく紹介され、分析されています。
関ヶ原のとき、島津義弘は65歳、徳川家康は58歳、そして石田光成は40歳だった。
義弘の率いる軍勢は、わずか1000人足らずでしかなかった。それでも島津の軍勢は「関ヶ原」の敗戦のなかで敵陣の中央突破を図って、なんとか切り抜けることに成功した。それには福島正則の軍隊が島津軍を見逃してくれたことも大きかった。朝鮮出兵のとき、福島正則は島津軍とともに戦った関係にあった。
義弘主従は、最終的に50人ほどになっていた。ただし、別に300人ほどの部隊が京都にたどり着いている。また、島津軍には商人も同行していたという。そして、島津氏の内部では、「関ヶ原」の戦後も強硬派と融和派があって、深刻な対立があった。
結局のところ、家康は島津家との軍事衝突より全国の平和を優先させたということのようです。大変勉強になりました。著者は、惜しくも先日亡くなられました。残念です。
(2020年6月刊。800円+税)

アーニャは、きっと来る

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マイケル・モーパーゴ 、 出版 評論社
ナチス支配下のフランス。スペインとの国境に接するピレネー山脈のふもとの山村が舞台です。主人公はヒツジ飼いの13歳の少年ジョーです。
ジョーの父親はフランス軍に招集され、今ではドイツで捕虜生活をしています。一緒に住むのは母親とおじいちゃん、そして小さな妹という一家4人の暮らしです。
12月初めに天神の映画館でみていましたので、スト―リー展開は無理なく理解できます。
ヒツジたちを山へ追いまた帰ってこさせる風景がすばらしい。空にはワシやタカが飛び、ヒツジの番犬とともにヒツジの世話をしますが、どうしても眠たくなります。そんななか、ヒツジたちがクマに襲われます。あわててジョーは逃げだし、不思議な男性と山中で出会うのです。ユダヤ人でした。ピレネー山脈をこえてスペインに逃げ込もうというのです。しかも、子どもたちを連れて…。ところが、村にやってきたナチスの兵士たちは山中を見まわり、容易なことではありません。子どもたちは次第に増え、10人をこします。食料の確保が大変です。
ナチス兵の伍長が怪しみます。でもベルリン空襲で娘を亡くした伍長は自分たちは、ここで何をしているのか、何を目的としているのか、自問自答し、ジョーたちの行動を見て見ぬふりをしてくれたのです。
ついに子どもたちを全員ピレネー山脈からスペインへ逃がす行動が始まります。でも、いったい、どうやって…。
ここで謎ときはしません。
娘のアーニャがきっと来ると確信していた父親は逃亡に成功した…、かと思うと…。
戦後、ついにアーニャが村にやってきます。実話をもとに組み立てられた小説です。
同じ著者の『戦火の馬』はスピルバーグで映画化され、私も映画館でみました。本作と同じファンタジックなストーリーでした。
コロナ禍で息が詰まりそうな毎日です。たまには、こんな息抜きもしないとやっていけません。といっても主題は重たいのですが、村人が力をあわせてユダヤの少年少女たちをスペインへ送り出すのに成功するというストーリーは、心を癒してくれます。フランスが舞台ですからフランス語の勉強になるつもりで行ったら、英語だったので、残念でした。
(2020年3月刊。1400円+税)

日本語を学ぶ中国八路軍

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 酒井 順一郎 、 出版 ひつじ書房
八路(はちろ)軍といっても、今どれだけの日本人が知っているのでしょうか…。実は、私の叔父(父の弟)は、応召して中国戦線へ引っぱられ、敗戦後、八路軍の求めに応じて技術者として残留し、国共内戦下の満州で八路軍と行動を共にしていたのです。1953年6月に帰国しましたが、たちまち郷土の保守的風土に溶け込み、長生きしました。八路軍は偉かった、「三大規律、八項注意」を守る人民の軍隊だったと胸を張って私に教えてくれました。
中国共産党(中共)の対日工作は、日本語と日本文化を積極的に学び分析している。中共は、積極的にプロパガンダの一つである抗日工作を行った。中国人将校に対して日本語教育を行い、学んだ日本語で対日宣伝や捕虜投降の呼びかけ工作をすすめた。
そして、獲得した日本兵を優遇しながら、反戦教育を施した。
中共は日本人捕虜から日本軍の情報収集だけでなく、日本語教師としても活用した。日本軍兵士のなかで中国語教室を開いただなんて聞いたこともありません。
同じように、アメリカでもアメリカ兵に日本語教室を開いていました。「菊と刀」などをテキストにして、日本文化の研究もしていたのですが、それは早くも戦後の日本占領政策のすすめ方を考えていたということです。
中共の八路軍内に、敵軍工作訓練隊が設置され、そのとき活用されたのが日本留学組の中国人、そして日本人捕虜、軍内で育成された高度な日本語人材だった。
中国では、1930年代に空前の日本語ブームが到来した。日本語ができるのは、新しい出世の近道だった。上海に会った有名な内山書店における日本語本の売り上げの6割は中国人だった。1926年から30年にかけて、中国から日本へ留学する学生が1.7倍に増えた。その一人が有名な魯迅(ろじん)です。ただし、職業キャリア・アップの日本語学習熱は、日中戦争がはじまると、たちまちしぼんでしまいました。
八路軍は中国軍(八路軍)との戦闘に勝利して千人以上の日本兵を獲得する自信があったけれど、できなかった。日本兵は死んでも捕虜にならないと戦い続けようとしたからだ。
しかし、日本兵の残した日記等を解説すると、日本兵も死を恐れるフツーの人間だということを知り、そこに働きかけることにした。毛沢東も、戦略的に日本語が重要であることを理解していた。
1938年11月、八路軍は延安に敵軍工作の中心を担う日本語人材育成のため、敵軍工作訓練隊を設立した。1040年、敵軍工作幹部学校に改編された。そして、日本留学組が活躍した。そして、日本人捕虜も助教として採用された。
訓練隊では、日本語の発音が重視された。教える側の日本人の放言が問題になったこともある。多くの日本人捕虜は庶民であり、共産主義の知識もなかった。八路軍で初めて小林多喜二の「カニ工船」に接した。
日本軍は、八路軍の働きかけによる捕虜と投降の増加を問題視し、八路軍の抗日工作を警戒した。日本人捕虜たちは、八路軍の将兵が酒をくみ交わし、日本語の歌を一緒にうたう日中歌合戦をしていた。うひゃあ、そうだったんですか…。
それに対して、日本陸軍内では中国班は出世コースに乗ることすらできなかった。
こりゃあ、ダメですよね、まったく…。国としての総合力でまるで劣りますね、日本っていう国は…。こんなことでは、偉そうなことを言えるはずもありません。
(2020年3月刊。2600円+税)

善と悪のパラドックス

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 リチャード・ランガム 、 出版 NTT出版
ヒトラーもスターリンも、そしてポル・ポトも何百万人もの人々の処刑を命じたが、親しい人には愛想が良く、いつも温和な態度を示していたという。つまり、ひどく邪悪な人間も穏やかな一面をもつことはありうるのだ。
人間は生まれつき性善か性悪か、単純な議論に意味はない。人間は生まれつき善良であり、同時に生まれつき利己的だ。すべての人が善にも悪にもなりうる。
生物学的な条件が人間のもつ矛盾する性質を決定し、社会が両方の性に影響を及ぼすのだ。善良さは、強化されることもあれば堕落することもある。同じく、利己心には強まることも、弱まることもる。人間が特異なのは、ふだんの社会生活ではいたって穏やかなのに、ある状況では、すぐに相手を殺すほど攻撃的になるという組み合わせだ。
チンパンジーは、オスがメスより優位で、比較的凶暴だ。ボノボは、概してメスがオスより優位に立ち、平和的で、攻撃の代わりに性行動をとることが多い。
そして、人間は、ボノボのように非常に忍耐強いものの、同時にチンパンジーのように非常に凶暴だ。ボノボは人間によって家畜化されたのではない。ということは、ボノボは「自己家畜化」したのだ。
ニューギニアの隔絶された高地に住むダニ族は、他部落との領地(ナワ張り)をめぐる争いは深刻で、死因の3分の1は、その争いに起因する。しかし、村のなかでの暴力は厳しく統制されている。敵を威嚇しても、自分の村のなかでは、決して暴力をふるわない。
これは、文明国の兵士が戦場と母国とで行動がまったく異なることと同じ(共通している)ことだ。
日本軍の兵士が中国大陸で残虐行為を繰り広げていたのは事実としてあるわけですが、今やその体験者がごくごく少なくなっていっています。
オオカミは犬とは違う。どれほどオオカミを飼い慣らしても、家畜されることはない。
おとなの類人猿は安全ではない。どんなに慣れたチンパンジーでも、人を攻撃しないという保証はない。
家畜化された動物と野生種との違いが四つある。その一は、家畜は野生種より小型になる。その二は、家畜は顔が平面的で、前方への突出が小さくなる。その三は、オスとメスの違いが家畜では野生動物より小さい。その四は、家畜は野生より脳が明らかに小さい。ただし、能力が劣化するというのではない。
チンパンジーのオスがメスにしばしば暴力をふるのは、目につけたメスをおびえさせて交尾要求を容易に受け入れさせるのが目的だ。そして、このメスをおびえさせるだけ多くの子孫を残す、オスの戦略の重要な要素になっている。
ところが、ボノボは、食べ物をすすんで分かちあい、他者が自分の食べ物を食べることに寛容だ。ボノボにとって食べ物より仲間のほうが重要なのだ。
チンパンジーとボノボは、90万年前から210万年前に共通の祖先から分かれた。ボノボの頭蓋骨は、子どものもののように見えて、実は大人なのだ。ボノボの発情期は長く、メスがオスに対して主導権を握っている。ボノボは、おとなになっても同性愛的な行為(ホカホカ)を続ける。交尾と遊びは一体となっている。ボノボの群れの中心には常にメスの集団があり、オスよりメスの数が多い傾向にある。メスのほとんどは近い血縁関係になく、メスは安定した結びつきを築くことで、防衛的な協力体制をつくりあげている。オスは、それによって、攻撃を無効化され、おとなしくなっている。
ボノボは人間の手が加わらなくても家畜化している(自己家畜化)が、人間も同じように自己家畜化している。
カンボジアやルワンダで大量虐殺の実行者(犯)たちは、狂信者というのではなく、家族や同胞をふつうに愛する平凡な人々だった。恐怖と凡庸は、お決まりの組み合わせだ。
人間に近いチンパンジーとボノボの違いというのは何度読んでも大変興味深いものがあります。そして、人間の自己家畜化のきっかけは「言語」を操る能力だったということに大いに注目しました。
人間が本来善であり、悪であるという認識に立ち、いかにして世界の平和を守り、戦争にならにようにするか、その努力が大切だと痛感しました。
(2020年10月刊。4900円+税)

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