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南極探検とペンギン

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ロイド・スペンサー・ディヴィス 、 出版 青土社
エンペラー・ペンギンはペンギンの中でもとくに「貞操観念」が低い。離婚率は85%にも達する。多くのつがいが1年で別れ、翌年にはまた新しいパートナーとつがいになる。
エンペラー・ペンギンには、そもそも巣というものがない。そのため、同じ相手と続けてつがいになる動機に乏しい。したがって、エンペラー・ペンギンは愛の偶像などではなく、むしろ「離婚の守護聖人」とでも呼ぶべき生物なのである。いやあ、うっそー、と叫びたくなりました。
動物の2個体が戦っていれば、それはオス同士の戦いであり、卵を抱いて温めるのはメスの役目。これが疑う余地のない常識だった。しかし、両方とも間違っている。
ペンギンの卵も雛も、その世話には大変な手間がかかる。卵を生むのはメスだけど、メス一羽だけでは卵をかえして雛を立派に成長させることは不可能。
卵は年にたった2個しかつくれない。メスは卵1個に大きな投資をしているから、誰とどこで交尾するか慎重に選ばなくてはならない。失敗したら、その年の繁殖機会は失われてしまう。
ペンギンの繁殖が成功するために何より重要なのは、タイミングだ。親は、雛が十分な食べ物を得られるように、急いで行動しなくてはいけない。適切なタイミングで十分に大きく成長できるようにする。一定の期間で必ず、自力で生きられる程度にまで成長させる必要がある。羽毛が大人のものになるだけでは不十分で、その時点で十分な体重がないと、長く生きのびることはできない。
オスのペンギンにとって、交尾はそう簡単な仕事ではない。うつ伏せになったメスにただ飛び乗るだけではなく、同時に、自分のクチバシを震わせてメスのクチバシに当てなくてはならない。メスを興奮させるためだ。オスが精液を正しくメスの標的に命中させられるのは、わずか3分の1。そのうえ、交尾が成功しても南極では繁殖を失敗させる要因が無数にある。その最大のものが天候。
アデリー・ペンギンのメスの10%は、つがいの相手(オス)がいるにもかかわらず、近くの別のオスと交尾し、またすぐに元のオスのところに戻る。なぜか…。オスのなかに生殖能力のないオスがいる。なので、2羽のオスと交尾すれば、どちらかのオスに生殖能力がなくても、子どもが生まれる可能性が高くなるから…。うむむ、な、なるほど、ですね。
エンペラー・ペンギンのオスは、寒い南極の冬のあいだ、合計で3ヶ月間も、何も食べずに生き抜く。オスはメスが帰ってくるのを待つあいだ、雛に食べさせるために、自らの身体の組織を削って雛のエサをつくり出す。そのエサは「ペンギン・ミルク」と呼ばれている。
ペンギンは、実は「売春」もする。アデリー・ペンギンのメスは巣を補強するための石を求めて、独身のオスに近づく。独身のオスは石を集めている。メスは交尾させるふりをしてオスの気を引き、石から注意をそらさせ、さっと石の一つを失敬してしまう。メスがオスから、この手口で62個もの石を奪いとったことがある。石はペンギンのコロニーの中で、通貨のような役割を果たしている。交尾させ、その代わりに石を受けとる。オスも石という通貨を支払って、交尾を買っている。
ペンギンは、同性愛、離婚、不倫、強姦、売春をしている。これは、繁殖を成功させるのが容易ではない環境の下で長年生きていた結果、そういう行動をすることになったということ。
自然選択とは、単に勝った者が生きのびるということであって、良い手段をとったから生きのびるというわけではない。
ペンギンほど、外見の個体差のない動物はいない。外見からだけでは、ペンギン自身でさえ、オスとメスを見分けることができない個体の識別も不可能だ。
オスはメスと交尾したら、メスのそばにとどまって、共に助けあって子育てしなくてはならない。ペンギンの雛が卵からかえって4日から6日間は食べ物を与えられなくても生きられるが、与えられなければ、餓死してしまう
アデリー・ペンギンは、冬の移動中に多くの個体が死んでいく。6羽のうち1羽、ひどいときには4羽のうち1羽が死ぬ。そして、つがいだった2羽が両方とも無事にコロニーに戻ってきても3組のうち1組は再びつがいにはならない。つまり離婚する。
はじめてのメスは、低い声のオスを好む。一般に身体が大きいほど声は低くなる。メスが新たなパートナーを選ぶには、いくつかの重要な条件がある。決定権は常にメスだけにある。
アデリー・ペンギンでは、コロニーにおける戦いは、オスをめぐってメス同士が戦うものが多い。
南極の夏はあまりにも短いので、オスの帰りが遅いと、メスには長々と待つ余裕はないので、別のオスを選ぶ。つまり離婚する。
前年に繁殖に成功しなかったつがいは、たとえ再びつがいになっても、結局、別れてしまうことが多い。そして、そのつがいは、互いの絆を強める行動をとらない。
ミューチュアル・コールのとき、2羽は胸と胸をつきあわせるように立ち、同じように大きな声で鳴く。クチバシを空に向け、互いに頭を振りあう。
ペンギンたちが同じ相手と一生添いとげることはせず、頻繁に離婚し、パートナーを変えるのには十分な理由がある。なによりペンギンたちには時間がない。繁殖につかえる期間はごく短いので急がなくてはいけない。そして繁殖の成功率は高くない。なので、親鳥たちは、条件が良くなり次第、できるだけはやく繁殖行動を開始すべきことになる。
1912年3月、南極探検のアムンゼン隊とスコット隊との違い、そして、スコット隊の中にジョージ・マレ・レビックというペンギン研究の研究の生存者がいたことを紹介しつつ、ペンギンの性生活を明らかにしていくという興味深い本です。少しでもペンギンに関心のある人には超おすすめの本です。
(2021年5月刊。税込3080円)

使うあてのない名刺

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 桃井 恒和 、 出版 中央公論新社
読売新聞の社会部記者から巨人軍社長になった著者のエッセイ集です。
この本を読んでいてもっとも驚いたのは、中国大陸での抗日戦の主役だった八路軍(パーロー。中国共産党の軍隊)の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が日本人孤児の少女とツーショットでうつっている有名な写真がありますが、その少女を探りあてたのが著者だったという話です。ときは1940年(昭和15年)の写真です。
調査の結果、満鉄グループの華北交通の駅の助役夫婦が亡くなったことが判明し、その夫婦に美穂子という長女がいるというので、宮崎県都城市まで将軍とツーショットの写真をもって会いに行ったのです。すでに40年たっていて、本人には当時の記憶は何も残っていない。ところが、アルバムを見ているうちに、やっぱり間違いないと確信し、美穂子さんに将軍あての手紙を書いてもらった。そして、「写真の少女は私です」という大きなスクープ記事となって、美穂子さんは中国に招待され40年ぶりに将軍と再会したのでした。
私も、この写真は何回も見ていて知っていました(最近も福岡で展覧会が開かれていたと思います)。新聞社の取材力というのはすごいですね…。
著者が読売新聞の社会部長をしていたとき、新宿の歌舞伎町にある雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなったが、死者の多くがキャバクラ嬢だった。この犠牲者を実名で報じるか匿名にするかというとき、悩んだあげく実名にしなかったというのです。
キャバクラ勤めは不名誉なことなのかという疑問を抱きつつも、遺族は、娘がキャバクラ嬢をしていて非業の死をとげたことが世間に知られたら、二重に悲しませることになりはしないか…。
私も、匿名にして良かったと思います。これは職業に貴賤なし、というのと違ったレベルの問題だと考えるからです。
著者が今、嫌いなものは三つ。ヘイト・スピーチ、ネット上にとびかう匿名の誹謗中傷、そして、上から目線の「寄り添う」という言葉の安易な使い方。いずれも、まったく同感です。
著者が読売巨人軍の球団社長に就任するときの話もまた衝撃的です。
「巨人軍のスカウト活動で不祥事があり、球団の社長も代表も辞めることになった」
上司はこう言って、一枚の紙を目の前に置いた。新しい球団社長が著者になっている。
「いつからですか?」
「明日から」
うむむ、人間社会の人事って、そんなこともあるのですね…。
ところで、この本のタイトルの意味は…。
著者が巨人軍を離れたのは、選手の野球賭博が発覚した責任をとっての突然の辞任。名刺はもう使えない。使うあてのない名刺を処分し、肩書のない名刺をつくってみた。でも、今度は使う勇気がない。
たかが名刺、されど名刺…。
もちろん私は弁護士という肩書のついた名刺を今も使っています。相談者の心配を打ち消すのに必要だと思えば惜し気なく、何枚だって名刺を渡します。でも、こんな人とは関わりたくないなと思ったら、決して名刺は渡しませんし、相談料もいただきません。
日弁連副会長としての苦楽をともにした須須木永一弁護士(横浜市)と同級生だということで贈呈していただきました。心にしみる話ばかりです。ありがとうございました。
(2019年2月刊。税込1760円)

こうして生まれた日本の歌Ⅱ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
9.11事件のとき、著者は朝日新聞のロサンゼルス支局長として赴任したばかりだった。ロサンゼルスにも高層ビルに飛行機が突っ込むというデマが流れ、中心街はゴーストタウンになり、誰も出勤してこなかった。このとき、テレビでは、何回も「カミカゼ」という言葉が流れた。テロリストは神風特攻隊と同じだというのだ。こんな日本語は世界で流行ってほしくありませんよね。カラオケはともかくとして…。
ロサンゼルスには、私も若いときに行ったことがあります。リトル東京というブロックがあり、ホテル・ニューオータニがありました。著者は、そこで、映画「青い山脈」に出演した杉葉子に出会ったというのです。この「青い山脈」は私もみましたが、つくられたのは私の生まれた翌年の1949年です。軽やかな歌の流れる青春映画です。自転車で通学する高校生は成城学園高校の女生徒たちがモデル。「若く明るい歌声に…」というフレーズが耳の奥に残っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」がつくられた経緯も心を打ちます。長崎の小学校の同級生に貧しい家のヨシオがいた。その母親は授業参観の日に、ハンテンにモンペという作業服でやってきた。著者は土方作業員の母親が働いている現場をみたが、母親は、地らなしの重しの網を引っぱるとき、「ヨシオのためなら、エンヤコーラー」と叫んでいた。
美輪明宏がシャンソン喫茶でこの歌をうたうと、客は最初、力仕事をする労働者への軽蔑、優越感から卑しい顔をして笑っていた。それが、最後になると涙に変わった。テレビで歌うと、開局以来のかつてない反響があり、2万通もの投書が届いた。私も、たまの日曜日、この歌を聞いて、心の中で涙を流します。
この本には、大牟田市で講演したときの話も登場します。森田ヤエ子作詞、荒木栄作曲の「がんばろう」に歌はあまりにも有名だ。といっても、今の大学生には知られていないかも…。
「花を贈ろう」という歌が紹介されていないのが私には残念でした。東京へ去っていく仲間にオレンジの花を贈るという、とても感動的な歌です。ぜひ、ネットで探して聴いてみてください。
荒木栄の碑は今も米の山(こめのやま)病院の玄関前にあります。
最後に横井久美子。惜しいことに2021年1月に病死してしまいました。私は横井久美子の澄んだ声、そして歌詞が大好きで、たくさんのCDをもっています。
この本では、ベトナム戦争反対を歌う「戦車は動けない」、「自転車に乗って」、「なみちゃん」そして「私の愛した街」が紹介されています。「自転車に乗って」の歌詞は横井家の現実とは逆だったというのは笑わせました。歌詞では、母親が夫と子どもをたたき起こすとなっているが、本当は、しっかり者の長男が寝不足の母親を起こし、グズグズしないようにせかしていたのでした。
いやあ、いい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。心の中に軽やかなメロディーが流れて来て、心が洗われますよ。
(2021年5月刊。税込1760円)

「低度」外国人材

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 安田 峰俊 、 出版 角川書店
「低度」外国人材とは、「高度外国人材」というコトバの反対にあるもの。
政府は高度外国人材を次のように定義している。学歴や年収が高くて年齢が若く、学術研究の実績や社会的地位をもち、日本語を流暢に話せて、イノベイティブな専門知識をもつ人たちのこと。日本の国家は、こういう人を歓迎する。
では、「低度」外国人材とは、容易に代替が可能な、劣位の人材で、日本の産業にイノベーションをもたらさず、日本人との交流もなく、専門的・技術的な労働市場の発展を促すこともなく、日本の労働市場の効率性を高めることもなく働いている人材。
日本国内で働く技能実習生は41万人、うち過半数の22万人近くがベトナム人(2019年末現在)。
2018年の1年間に失踪した技能実習生は9052人、2018年は8796人。そのほとんどが、あまりの低賃金に嫌気がさしたことによる。逃亡した技能実習生は、偽造の在留カードなどを使って建設現場などで働く。技能実習生のときに9万~12万円ほどの手取り月収が15万~20万円ほどになる。
不法滞在者やドロップアウトした偽装留学生たちのベトナム人たちが自称するのは「ボドイ(兵士)」だ。
われわれは労働力を招いたのに、来たのは人間だった。
このよく知られたフレーズが、ことの本質をよくあらわしていると思います。
群馬県南部の太田市・伊勢崎市・舘村市にはベトナム人が多く住み、群馬県大泉町には日系ブラジル人が多い。埼玉県西川口市には中国人タウン化している一帯がある。蕨(わらび)市にはクルド人、八潮(やしお)市にはパキスタン人のコミュニティが存在する。
いずれも、横浜や長崎の中華街をイメージしたらよいのでしょうか…。
日本国内にイスラム教のモスク(寺院)が、36都道府県で105ケ所ある(2018年末)。
ベトナム人実習生が住んでいるアパートかどうかを見分けるには…。
建物の前に自転車が異常にたくさんある。雨の日でもベランダに洗濯物が出ている。外出するときの服装は、ジャージとフード付きのパーカー。
ベトナムで働いたら、月収はせいぜい4万円から5万円くらい。逃亡したら月収が3倍になり、月に10万円をベトナムの親に送金できた。偽造書類は1枚につき数万円で購入できる。
日本で犯罪に走るベトナム人は、高額の学費を支払えない(支払いたくない)ドロップアウトした留学生と、逃亡した技能実習生が半分半分。
ベトナム人の犯行の手口はスーパーでの万引きが多い。私も2回ほど弁護人として体験しました。
日本に「合法的」に滞在して稼ぎを続けたいときには偽装結婚もある。
非正規雇用とあわせて外国人労働者の問題を抜きにして、日本の今後の労働運動をとらえることはできません。この点の理解が私たちにはまだまだと思いました。
(2021年3月刊。税込1980円)

約束の地(下)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社
オバマ元大統領の回顧録の下巻を読んで、ショックを受けました。
オサマ・ビン・ラディンの暗殺はオバマの指令によって発動したものだったのです。これまでCIAなどが暗殺作戦を企画し、大統領として仕方なく決裁したように考えていましたが、逆でした。9.11の被害者・遺族の心情を考え、その報復として暗殺作戦をオバマが始動させたというのです。
凶悪犯罪をおかした人間を裁判にかけることなく一方的に殺害してよいというオバマの発想は、彼が弁護士だったことに照らしても、まったく理解できません。そして、殺害地はアメリカ国内ではなく、国外のパキスタンです。パキスタンには事前の了解なしに暗殺を実行する軍事要員をヘリコプターで送り込み、さっと引き揚げたのです。以前あったように軍事要員たちが暗殺に失敗し、パキスタン軍ないし警察と銃撃戦になったとき、その責任をどうやってとるのか、どんな弁解が法的に成り立つのか、大いに疑問です。現に、ヘリコプターの1機は建物に衝突して、危うく墜落寸前になったのでした。
「ビン・ラディン追跡を最優先課題にしたい」
2009年5月、オバマは顧問数名に告げた。オバマには、ビン・ラディン追跡を重視する明白な理由があった。この男が自由を満喫している限り9.11で命を失った人々の家族の心痛は消えず、アメリカが侮辱され続けることになるからだ。
オバマは、また、ビン・ラディンの抹殺は、アメリカの対テロ戦略の方針を転換するという目標に欠かせないものと考えていた。テロリストたちは妄想に支配された危険な殺人鬼でしかないということを世界にそしてアメリカ国民に知らしめたほうがいいと考えた。彼らは、拘束、あるいは死刑に値する犯罪者だ。ビン・ラディンの抹殺ほど、それを知らしめるのにいい方法はないとオバマは考えた。
私には、この論理はまったく理解できません。なぜ、「拘束・裁判・投獄」してはいけないというのでしょうか…。ナチスの犯罪者であるアイヒマンをイスラエルはブラジルから違法に拉致しましたが、それでもイスラエルの法廷で裁判にかけたうえで死刑にしました。
アメリカがイスラエルのような方法をなぜとらなかったのか、オバマの「弁明」は違法な暗殺作戦を合法化できるものではないと思います。
オサマ・ビン・ラディンをアメリカ国内に連行して裁判にかけたとしたら、その安全対策のために途方もない費用がかかると思います。それでも、それなりの「対話」が生まれることも間違いありません。
オバマには、オサマ・ビン・ラディン暗殺について、ドローンを使った小型ミサイル攻撃も選択肢の一つだった。しかし、それでは、ターゲットがオサマ・ビン・ラディンなのかどうか確証が得られないうえ、その周囲にいる女性や子どもたち20人以上も一挙に殺害してしまうことから踏み切れなかったというのです。
ちなみに現アメリカ大統領のバイデンは奇襲攻撃に反対したとのこと。失敗したときの影響の大きさを考えての心配からです。
ターゲットがオサマ・ビン・ラディンだというのは、5分5分の確率だったのです。オバマとアメリカは、本当に危ない橋を渡ったのでした。
オバマは大統領在任時にノーベル平和賞を受賞しました。この回顧録を読んだ私の印象は、そのことをあまり喜んでいないのが意外でした。
大統領としてのオバマへの期待と現実とのギャップが広がりつつあることに思いをめぐらせた。オバマは、平和の新時代をもたらすのにひと役買うどころか、さらなる兵士をアフガニスタンの戦場へ送り込むことになることに思いをめぐらした。
オバマ・ケアなど、オバマが一生懸命努力したことは高く評価したいと思いますが、オバマも「アメリカ帝国主義」の考え方にどっぷり浸った人物であることも改めて認識させられた回顧録でした。もちろん、問答無用式のトランプなんかより、議論が成り立つだけ、はるかに良い大統領ではありましたが…。
(2021年2月刊。税込2200円)

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