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小さな里山をつくる

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 今森 光彦 、 出版 アリス館
 この春、私の庭の一隅にフジバカマを5株だけ植えつけました。夏の日照りと強風のせいで、うち1株は枯れてしまいましたが、残り4株はすくすくと育ってたくさんの小さな花をさかせました。白っぽい小花とチョコレート色の小花がぎっしり咲いたのでした。
 ところが、残念なことにアサギマダラは来てくれませんでした。それでも、少し離れたところに住む知人が、もう何年も庭に来ていたアサギマダラが今年は来なかったと嘆いていました。そこは、そんなに広い庭ではありませんから、うちにだってアサギマダラは来てくれるはずだと大いに期待しています。今年は早々にフジバカマをネットで注文して取り寄せました。一気に、とはいきませんが、幅1メートル、10メートルの長さのフジバカマ畑をつくってアサギマダラを招くつもりなのですが…。
 著者は、なんと75種類ものチョウのすむ(やってくる)庭というか、里山をつくっています。絵本のような、写真集のような本書に、もちろんアサギマダラもうつっています。少し紹介します。
 秋には、旅人のお客さんがやって来る。著者のつくったチョウの庭にすみついているのではなく、成虫だけが訪れる。アサギマダラだ。暖かくなると北上し、涼しくなると暖かい地方に南下する、旅をするチョウだ。毎年やってくるが、滞在するのは、ほんの数日間だけ。根っから旅好きのチョウなのだ。
 いやあ、驚きますよね。このアサギマダラは、台湾から長野県までを行ったり来たりしているというのです。
 アサギマダラの羽にはリンプンがないので、羽に油彩ペンでナンバリングできるのです。その記号によって、いつ、どこにいたというのを後づけで知ることができます。とても気の長い根気のいる作業です。それでも全国にそんな人たちの観察努力によって、アサギマダラの飛翔行為の全容が判明したのですから、たいしたものです。
 著者はチョウたちを呼ぶ庭づくりをはじめました。すごいです。木を植え、花を植えていきます。
 チョウにも好みがあります。たとえば、アゲハチョウはボタンクサギの常連客です。このボタンクサギは、わが家の庭にも自生していますが、自生能力が高いのはいいとして、ともかく臭いのです。なので、私は、見つけ次第にひっこぬいています。ところが、クロアゲハの大好物のようです。ちっとも知りませんでした。
 それにしても、たくさんのチョウの名前をよく知っていること、その特性・好みを生かした庭(里山)づくりをするなんて、すごいことです。秋から冬にかけて、枝打ちもしますし、大きな木も伐採することもあります。そんなときにはチェーンソーを使うのです。慣れてないと恐い作業です。
 久しぶりに手にとって見直しました。楽しい、大判の写真集です。
(2021年5月刊。税込2640円)

満州分村移民と部落差別

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 エイミー・ツジモト 、 出版 えにし書房
 熊本県山鹿市来民(くたみ)町から満州に移民した「開拓団」が日本敗戦後、関東軍から見捨てられ、現地農民から成る「暴徒」3千人に取り囲まれるなか、276人全員(1人だけ命じられて脱出)が自決に追い込まれた。その半数以上は子どもたちだった。
 「満州は日本の生命線」とかの大々的な宣伝、そして満州農業移民100万戸移住計画という国策に乗せられ、多くの日本人が幻想をもって満州へ渡った。ところが、満州の農地とは関東軍の武力を背景として、安く買いたたいて、現地農民を追い出したあとに入植したものだった。
 だから、現地の匪賊(ひぞく)と戦うべく鉄砲を持たされる。いわば屯田兵。これが政府の当初からの狙いだった。ソ連との国境地帯の多数の開拓団が配置された。しかし、現地の開拓団の農民は、そのような自覚に乏しく、関東軍が自分たちを守ってくれると考えていた。
 来民開拓団は、新京(長春)より北、ハルビンより南に位置し、すぐ近くには長野県から移民してきた黒川開拓団があった。黒川開拓団のほうは、日本敗戦後、進駐してきたソ連軍に守られ(その代償は独身女性による性接待)、その大多数が日本内地に帰還した。
 日本敗戦の直前に開拓団の青年男子が召集され、開拓団の大半は老人と女性そして子どもたちだけとなっていた。そこへ、日頃の恨みから現地農民が押し寄せてきたということ。このとき、現地警察が来民開拓団から武器を取り上げるのに一役買っていて、しかも襲撃勢の先頭に立っていた。
 満州の開拓団の典型的な悲劇が掘り起こされている貴重な労作です。
(2022年8月刊。税込2200円)

ぼくらは人間修行中

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 二宮 敦人 、 出版 新潮社
 子育ての悩みも一瞬忘れてしまいそうになる本です。赤ちゃん、そして幼児のときの子どもたちの生態がよくとらえられ、それが見事に文章化されています。
 子どもってのは、もぞこい。もぞこいは東北の方言。哀れだ、無残だ、不憫(ふびん)だという意味。親の愛は慈悲の愛。
 私の近辺では、むそがるとか、むぞかね、って言います。これは可愛いだと思います。
 子どもはたいしたもの。あれだけ高熱だったのに、けろりと治った。すると、うれしそうに走り回り、キャッキャッと笑っている。そして、大人が相手にしてくれないとみると、居間や台所を荒らしはじめる。水をこぼしたり、調味料の瓶を放り出したり、コンセントをいじったり…。
 ホント、子どもって、いっときもじっとしていません。だから目が離せないのです。マンションの上層階のベランダからの転落死亡事故が相次いでいますけど、ベランダに出て、イスを運んできて、その上に乗って、身を乗り出して外を眺めようとしたのでしょうね、きっと…。 
 転んで痛がったときは、本気で号泣する。しかしご飯だからといってテレビを消されたときには、口だけで、泣いてみせる。それっぽい声だけど、涙は出ていないし、明らかに勢いが弱い。いわゆる「ウソ泣き」だ。ウソ泣きしながら、ときどき薄目を開けて、親の反応をうかがう。効果がないとみるや、無理やりテンションを上げて泣き、やがて本気泣きへの移行に成功することもある。テンションが上がりきらないときには、途中でぴたりと泣き止んでしまう。そして、「さっきの見たかった。お父さん、しないでほしかった」と寂しそうに言う。
 子どもって、本当に天性の役者なんですよね…。
 初めてのコトバはパパかママか…。実は、「やーんだ!」でした。「嫌だ」なんです。
 自分のおならでびっくりして、あたりをきょろきょろ見回す。お風呂場でおしっこをしながら、「なんか出てきたんだが、何コレ」と不審げに股間をつまみ、親の顔色をうかがう。
 よくぞ観察記を文章化したものです。面白かったです。
(2022年7月刊。税込1595円)

鎌倉武士の生活

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 西田 友広 、 出版 岩波ジュニア新書
 「鎌倉殿の13人」のおかげで鎌倉時代の武士が大きく注目されているようです。といっても、私はテレビは見ていませんので、そんなブームとは関係ありません。
 鎌倉時代にも「大名」(だいみょう)がいたそうですが、江戸時代の「大名」とは、まったく意味が違います。多くの所領(領地)を持つ有力者だという意味なのです。
 御家人(ごけにん)とは、先祖伝来の所領を持ち、鎌倉殿に家来として使えることで、その所領の領有を保障された武士のこと。
 鎌倉時代の後期には、幕府による御家人身分の認定は厳格化された。御家人身分が限定されたのは、それが特権的な身分だったから。
 絵巻物を見てみると、裸足(はだし)の武士も多くいた。上級の武士は、頬貫(つらぬき)とう皮革製の靴を履いた。武士は、地方と京都の両方にいた。武力行使という職能によって社会の中に位置づけられた人々。
 源頼朝の出発点は、反乱軍・反政府武将勢力だった。頼朝は謀叛(むほん)人だったのです。反乱軍だったのが、勝ちすすんで政府軍になったのでした。
 建物を数える単位というのに、「宇(う)」というのがあるのを初めて知りました。持ち家は1戸、アパートは1棟というのですが、「宇」というのもある(あった)のですね…。
 昔の日本人は、実際には獣肉をかなり食べていた。それはそうでしょうね。猪(イノシシ)なんて、今よりもっと身近にいたでしょうし…。武士は犬も食べていたようですね。私は、いわゆる犬派ですので、まちがっても犬は食べたくありません。でも、仔牛は可愛いと思いつつ、食べたいのです。我ながら矛盾していると思います。
 鎌倉時代の馬はサラブレッドのような大きさではなく、ポニーくらいの小型だった。だから、戦国時代の合戦を撮った映画にサラブレッドが登場すると、いささか興ざめというか、違和感があるのです。それでも日本古来の馬は持久走は悠々できるようです。
 鎌倉時代の女性は、北条政子のように、大きな実力を持っていました。地頭職につくこともあったのです。そして、娘は親から所領を譲られることもありました。その所得は、夫の財産とは別に、妻自身の財産として扱われた。そして、実際の合戦の場にも戦う女性が存在していた。うひゃあ、こ、これは驚きです…。
 鎌倉武士の実際を知ることができる本です。
(2022年8月刊。税込968円)

日清・日露戦史の真実

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 渡辺 延志 、 出版 筑摩選書
 一般に公刊されている日清戦争そして日露戦争の戦史は、実は本当の戦争の推移は書かれていない、つまり、都合の悪いことは書かないことになっていることを明らかにした本です。どうしてそれが判明したかというと、公刊戦史の前にあった草案が掘りおこされ、両者を見くらべることが出来たからです。
 公刊戦史は、失敗した軍事行動は書かない、成果をあげていない行動はつとめて省略するという編集方針によって書かれている。そして、日本軍の準備不足を暴露するようなことも書いてはいけないし、国際法に違反するようなことも書かないほうがよい、とされました。
 日清戦争のとき、清軍(中国軍)の将軍たちの戦意は乏しかった。平壌まではどうにか日本軍はたどり着いたが、兵糧は限界に達していて、もはや戦えなくなるのも目前だった。
 清軍(中国軍)は平壌に立てこもっていたが、ついに白旗を揚げた。そして、平壌から逃げだした。日本軍は白旗をあげた清軍に対して捕虜にするつもりだった。清軍のほうは、そんな常識を知らないので、白旗を揚げたあとは中国のほうへ引き揚げるつもりだった。決して日本軍をだましたりオチョクルつもりではなかった。あくまで任意撤退するつもりで、白旗をあげたのだった。
 清軍は、戦意に乏しく、情報収集の能力も乏しかった。そして前線の戦地からの威勢のいい報告は敵(日本)軍の兵力を大幅に過大な数量としていた。
日本軍は乏しい食糧を持たず、現地で「敵」から奪ってまかなうことになっていた。ひどい軍隊ですよね。なので、日本軍の兵士たちが略奪にいそしんだのは当然です。
日本軍の食糧を運ぶため近くの村々から人々を追いたてて使ったりするが、この人々はまったく協力的でなかった。お金を支払おうとすると、韓貨でしか支払えず、その韓貨は重たくて大きく持ち運びに不便だった。これも現地の人々による抵抗の一環なんでしょうね。
 日本軍に都合の悪いことがほとんど伏せられた「公刊戦史」なるものが、いかにインチキくさいものであるか、よくわかる本です。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を呼んだ人にとっては必読の書です。
(2022年7月刊。税込1760円)

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