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ソ連核開発全史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 市川 浩 、 出版 ちくま新書
 ロシアがウクライナに侵攻して1年以上たちました。プーチン大統領は核兵器を使うぞとたびたび脅していますが、その前にチェルノブイリとザポロージェ原発(原子力発電所)のほうは、すでに現実的な脅威となっています。
 ウクライナは豊かな穀草地帯ではあるものの、燃料資源には乏しいところから原発の大量導入が期待され、1970年代後半から1980年代にかけて、多くの原発がウクライナに立地した。ウクライナ電力産業の原発依存率は高く、電力の55%が原発によっている。
 チェルノブイリ原発は1986年4月26日、大惨事を引き起こしたが、すぐには閉鎖されなかった。ようやく閉鎖されたのは2000年のこと。ウクライナの電力事情が即時閉鎖を許さなかった。
 ザポロージェ原発はチェルノブイリ原発と同じくロシア軍の支配下にあり、外部電源を喪失したり、ウクライナとの戦火の下で危うい状況が続いている。第三の巨大原発災害、カタストローファにならないか、著者は大いに危惧しています。
 ソ連の核開発は、アメリカのそれとエコーした、時代の狂気なしでは理解できない現象だった。
 チェルノブイリ原発事故に先行して、ソ連市民の原発への疑問・不信は高まり、ソ連政治体制の危機のひとつの要因となった。それにもかかわらず、ソ連の後継国家ロシアの原子力産業は21世紀になって、したたかに息を吹き返し、国際的にビジネス展開するに至った。
 ソ連時代、市民の原発への疑問・不信は高まりを見せ、計39ヶ所で原発の建設・操業を阻止した。
 ソ連時代の核実験場であるセミパラチンスクやカプスチンヤール周辺では、大量の放射性物質が飛散した結果、住民のなかに白血病、種々のガンの罹病率、先天性障害のある子どもの出生率に明らかに有意な増加が認められている。
 ソ連時代、船用の原子炉からの放射性廃棄物は、未処理のまま長く海洋投棄されていた。地下深くに廃棄物を埋没しようとする試みもまったく一部でしかなかった。
 ロシア領内にある採掘可能なウランの埋蔵量は世界の5%にあたる17万トン超。ロシアは低品位ながら毎年3500トンのウランを供給し、カナダ、オーストラリア、カザフスタンに次ぐ、世界第4位のウラン産出国。そして、ロシアは、世界のウラン濃縮能力の40%以上、3.5%濃縮ウランを2万4000トン製造する能力を有している。核燃料の加工は2ヶ所で行われ、年間2600トン可能。ロシアの原子力工業「ロスアトム」は、世界有数の国際原子力企業集団としてよみがえっている。
 日本も原発大国です。日本で戦争なんてはじまったら、たちまち日本は終わりです。敵基地攻撃を反撃能力と言いかえてごまかしていますが、要は戦争しようというのです。でも、日本はウクライナと違って海に囲まれた日本は逃げることもできませんし。1週間も戦争したら、私たちは完全にアウトなんです。ともかく原発再稼働には反対です。戦争にならないよう、外交力を向上させるよう、私たち国民が声をあげるしかありません。
(2022年11月刊。税込964円)

甘粕大尉

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 角田 房子 、 出版 ちくま文庫
 関東大震災のドサクサに無政府主義者(大杉栄)とその愛人、そして幼い子ども三人を虐殺した憲兵大尉が、有罪になったとはいうものの形ばかりの服役をして、パリに渡ったあと、まもなく帰国し、満州で我が物顔にのさぼった。それが甘粕正彦。その一生をたどった文庫本です。
 大震災がおきたのは、大正12(1923)年9月1日の昼前。朝鮮人が暴動を起こしたとのデマが治安当局も加担して広がっていった。
 9月4日、亀戸警察では南葛労組の川合義虎など9人が日本軍の将校に虐殺された。
 甘粕ら憲兵が大杉栄を虐殺したのは9月16日のこと。伊藤野枝、そしてその甥の宗一も殺された。
 甘粕は軍法会議にかけられた。軍隊の中だけでなく、一般大衆にも甘粕支持者は多く、減軽嘆願書は65万人の署名が集まった(法廷に提出されたのは5万)。
 判決はもちろん有罪で懲役10年。ところが、2年もしないうちに出所し、フランスに渡る。
 甘粕が本当に大杉栄たちを殺したのか、今なお真相は明らかにされていませんが、軍当局の全体の意向として大杉栄のような無政府主義者を「邪魔者は消せ」とばかりに虐殺したこと、甘粕がその一味であったことは間違いありません。そうでなければ、甘粕のフランス行き(滞在費用も)を軍部が負担するはずはありません。
 そして、1年5ヶ月ほどフランスにいたあと甘粕は日本に戻り、今度は満州に渡るのです。
 満州では、ハルビンにおいて関東軍による爆弾事件の中心人物に甘粕はなった。
 そして、すぐあとに満州国皇帝になった溥儀が満州に連れてこられたとき、派遣されて出迎えたのも甘粕だった。
 甘粕は満州国が建国されると民政部刑務司長となった。日本の内務省警得局長にあたる高官だ。その後、1937年、甘粕は協和会総務部長に就任した。
 甘粕は陸軍士官学校時代、教練班長の東條英機から教育された。そして、甘粕は東條の「一番のお気に入り」だった。満州時代の東條に対して甘粕は機密費など多額の政治資金を渡していた。
 1939年11月1日、甘粕(48歳)は満映理事長に就任した。酒席の甘粕は、しばしばハメをはずして荒れた。しかし、本業の映画製作には力を入れた。
 日本敗戦の1945年8月20日、甘粕はもっていた青酸カリを飲んで、予告どおり自殺した。3通の遺書のほか、「大ばくち、もとも子もなく、すってんてん」と理事長の黒板に書いていた。
 昭和史の黒い謎の一つですよね。
(2011年10月刊。税込1045円)

福島第一原発事故中通り訴訟

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 野村 吉太郎 、 出版 作品社
 「中通り訴訟」とは、2011年3月11日の福島第一原発事故のあと、避難せずに福島市等で暮らす市民52人が東電に対して合計1億円の慰謝料を請求した訴訟。代理人は東京の著者一人で、被告は東電のみで国は被告としていない。
 東電は裁判所の和解勧告を蹴り、一審で住民側が勝訴すると控訴し、さらに上告もした。もちろん上告棄却となって高裁判決が確定した。高裁判決は基本的に慰謝料30万円を認め、既払金8万円を差し引き、弁護士費用2万2000円を加算した。
 原告52人のうち、男性は5人のみで、女性が47人と圧倒的に多い。世代としては事故時に60代22人、50代15人と、この二つの世代が多い。
 3.11から3年後の2014年3月に弁護士と原告予定者の第1回目の話し合いがもたれた。その後、弁護士と原告予定者が個別面談を重ねて、陳述書づくりをすすめた。
 2年後の2016年4月に福島地裁に提訴し、8月に第1回口頭弁論。2年後の2018年2月から原告本人尋問がはじまり、7回の本人尋問で、ほぼ原告全員が法廷で陳述した。
 2020年2月に福島地裁で原告側一部勝訴判決。9月に仙台高裁は1回で結審し、2021年1月に判決。2022年3月、最高裁が上告受理申立を認めず確定。
 当初の原告予定者は100人ほどだったが、陳述書がまとまらずに断念した人も多く、結局、原告は52人となった。著者は、それぞれ3200字以上の陳述書を書いて、1人100万円の慰謝料を求めてたたかおうと原告団を励ました。陳述書を完成させるまでに、最低3回、多い人は10回以上も弁護士である著者の指導を受けて書き直した
 著者は原告に「ヌードになれ。せめてセミヌードに」と言い、「自分をさらけ出すこと」を迫った。そして、原告本人尋問の前には2回、そして前日もリハーサルをやった。つまり3回もリハーサルして、原告は本番の法廷にのぞんだ。
 本文470頁の大著である本の中には、52人の原告の陳述書が2段組で紹介されています。その全部に目を通しましたが、本当に大変な状況に追い込まれたことを改めて知りました。
放射線被爆の下で、家族を避難させるのかどうか、家族の分断が生まれ、気まずい状況も生まれます。
子どもたちは福島にいる限り、室内に閉じ込めておくしかありません。東京に出て、子どもたちが地面の上を駆けまわっているのを見て涙が出てきます。そして、甲状腺検査をすると、結果はA2。20ミリ以下ののう胞があることが判明。再検査の必要はないというけれど、本当にそうなのか。
自宅周辺を自ら除染する。行政はすぐには動かないし、業者に頼んだらいつになるか分からないというので、自分たちでやってみる、庭に穴を掘って、汚染土を埋め込む。身体のあちこちにガタが来る。
放射能のせいとは断言できないが、子どもたちが鼻血を出す。大人も病気になる。そうでなくてもストレスから体調不良になる。
小学生の子どもから、「自分の命は40万円なの?」と尋ねられ、何と返事してよいか分からない…。
庭の花、畑の野菜そして柿やシイタケなどの自然の恵みに触れて豊かな老後生活を楽しんでいたのが突然断ち切られ、孫たちとも離ればなれにさせられた。これで慰謝料4万円ですまそうという東電は絶対に許せない。
身につまされる陳述書ばかりでした。いま、岸田政権は12年前の大事故を忘れたかのように原発再稼働をすすめようとしています。信じられません。3.11の原発事故が日本社会にもたらした深刻な打撃の実情をまざまざと認識させられる本です。著者は日弁連で調査室の室長をしていましたので、私も面識があります。大分県竹田市の出身です。
(2022年12月刊。税込4290円)

子どもたちに民主主義を教えよう

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 工藤 勇一 ・ 苫野 一徳 、 出版 あさま社
 最初から最後まで、大変共感できる話のオンパレードでした。こんな校長先生がいるんだったら、まだ日本の民主主義もまんざら捨てたもんじゃないな、そう思えて、心がホッコリ温まりました。
 学校は民主主義の土台をつくる場。
 多様性の中で生きていく力、それが民主主義教育。
 学校改革のすべては、学校を民主主義を学ぶ場所に変えることにつながっている(そうすべきなのだ)。
 民主主義がゴールとするのは、誰ひとり置き去りにしない、持続可能な社会の実現。多数決は民主主義の本質ではない。
 これは、今の日本の国会を見ていても本当にそう思います。自民・公明の与党は野党の一部をうまく抱き込んで、国会で十分な審議をすることなく、多数決の横暴で、どんどん自分たちの都合の良い軍事優先・福祉切り捨ての政治をすすめています。そこには民主主義のカケラも認められません。
 現在の日本の学校は、自由を奪うピラミッド型社会。
 学校は平和のためにある。もし、学校がなかったら、絶対に世界に平和はやってこないだろう。本当に、そのとおりですよね。でも、子どもたちが大人になったとき、大人の多くは「生活するため」に子どものころの純真な気持ちを忘れてしまいます。でも、決してみんながみんな忘れたのではありません。
 アメリカだって、もはや民主主義国家と言えるのか…。超富裕層が支配する国になってしまっている。
 日本は国民の意識があまりにも伝存的になってしまっている。
 日本は当事者意識が低い。政治参加の点では、日本は下から数えたほうが早い。
 日本では「心の教育」を強調するが、「思いやり」では対立を解消することはできない。ちゃんと現実を直視して、感情を切り分け、理性的に物事を考える必要がある。
 学校では「道徳教育」をするべきではなく、やるべきは「市民教育」だ。
 幼稚園から小学校低学年にかけて、子ども同士のトラブルが絶えないのは当たり前のこと。社会性を学んでいる最中なのだから。
 トラブルをなくすのではなく、トラブルが起きたときに解決できる人材がたくさんいる社会づくりを目ざすのが民主主義教育。なーるほど、まったく同感です。
 いじめの件数を減らす努力をする必要はない。そうではなく、人間関係を自力で修復する機会を奪ってしまったら、この社会は大変なことになってしまう。
 自民党はなんでも「日教組が悪い」というが、現場の実際は、日教組に入っている教員はほとんどいない。日教組は現場では壊滅状態にある。
 合唱コンクールは、参加を強制し、競争させる。よほど廃止したほうが良い。
 民主主義の下地のないような学校で、校則づくりから入っていくのはすすめない。校則の変更ありきでスタートさせないようにしたい。
 著者(工藤)が校長だった麹町中学校では宿題を廃止した。「三者面談」も。やはり、行動で示す必要があるのですね。
 日本人が考えるべきことは目の前に山積していることを強く印象させられた…とのこと。
 実に面白く、ためになる、考えさせられる本でした。
(2022年10月刊。税込1980円)

樋口一葉赤貧日記

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 伊藤 氏貴 、 出版 中央公論新社
 24歳という若さで亡くなった樋口一葉の一生が詳しく再現されています。なにしろ本人の日記がネタ元になっているのですから、まさしく迫真的です。
 一葉は、ずっと貧しい生を送ったのかと思っていましたが、それはまったくの誤解でした。幼いころから貧しかったら、文学的教養を身につけることができるはずもありません。むしろ、幼い頃は、中の上か上の下くらいの家庭で、一葉はなに不自由なく育ったのです。
 この本を読んで驚いたことがいくつもあります。その一が、一葉は、手紙の書き方の本を書いていることです。その『通俗書簡文』は、10年間に版を重ねて、5万部以上も売れた。いやあ、これは、すごいです。
 一葉は筆まめというだけでなく、手紙の達人だった。遊女の手紙まで代筆していた。この本は、女性を対象読者とした、女性の文体での手紙の書き方。
 「試験に落第せし人のもとに」送る手紙、「書物の借用たのみ文」など…。ところが、「借金を頼む手紙」とか、「借用金の返済猶予を願う文」というのは一切ない。これらは一葉にとって、とても身近だったテーマだったのに、ない。なぜか…。一葉が生前に出した唯一の本がこれで、借金から逃れるために書いて本にしたものだった。
 そして、二番目に驚いたのは、一葉が死んだあと2ヶ月したばかりで「一葉全集」が出版社の博文館から発刊されたこと。いやあ、これはすごいことですよね。わずか2ヶ月で、「全集」が出るなんて、誰にも想像できないことではないでしょうか。売れると見込んでいたのですね。
 その三は、もし一葉が若くして病死しなかったとしたら、売れた本の印税収入を元手として社会運動に身を投じていたかもしれないと著者は想像していることです。なるほど、そうかもしれないなと、私は思いました。
 一葉の作品が優れていたからこそ、女性として初めての日本銀行券の顔になった。そして、作品をそれほど優れたもの、他の追随を許さない、唯一無二のものにしたのは、なにより貧乏の体験だった。本当にそうだと私も思います。
 一葉の父の名前は、大吉、八代吉、甚蔵、八十吉、八十之進、為之助と何度も改名していて、最後に「則義」となった。
 一葉の家は、本郷にある東大赤門のちょうど道路をはさんだ真向かいにあった。
 一葉の父は、山梨で代々農民だった。そして、武士の地位はお金で買った。徳川幕府の直参の御家人になった。そして、その父(一葉の祖父)は、百姓惣代として水争いの調停のために江戸へ出て、老中阿部正弘に駕籠訴(かごそ)をして、投獄された。本人は死を覚悟していたが、結局、30日の伝馬町の牢内手鎮の刑ですんだ。一葉は、その生まれ変わりのように扱われた。
 一葉の父親は、苦労に苦労を重ねて、金を貯め、ここまで成り上がった。それに対して一葉は、生まれたときから裕福でお金の苦労というものを一切知らない。
 一葉は、12歳で小学校を中途退学した。母親の意見によるものだった。それで、一葉をかわいそうに思った父親が、一葉にどんどん本を買ってやり、そして一葉は和歌を独習した。『南総里見八犬伝』を3日で一葉は読了した。ホントでしょうか…。
 父親が58歳で病死すると、一葉は父親の指示どおりに戸主になった。そして、一葉の兄は23歳のとき、肺結核によって亡くなっている。
 漱石は一葉の5歳年上で、この二人は結婚の可能性があった。戸主になると、他家に嫁に行けなくなり、基本的に、長男とは結婚できなくなってしまう。
 一葉は19歳のとき、誰にも頼らず、自分の力だけで生きていこうと腹をくくった。
 一葉は、生きるために書くことを捨てた。そうではなく、書くために生きるのだ。
 私は書くために弁護士稼業をずっとずっと続けたいと考えています。
 一葉にとって「奇跡の14ヶ月」というのがあるのを初めて知りました。最後まで貧しさの底で生きることで、一葉の文学は、大きな実りを結んだ。貧困なくして、一葉の文学の輝きは生まれなかった。「大つごもり」、「にごりえ」、「十三夜」、「わかれ道」、「たけくらべ」の五作は、この14ヶ月に生まれている。
 私は、この五作を全部読んではいないと思いますので、ぜひ挑戦してみたいと思いました。
 いい本でした。面白かったです。
(2022年11月刊。税込2420円)

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