法律相談センター検索 弁護士検索

「日本スゴイ」の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 早川 タダノリ 、 出版 朝日新書

 日本人や日本が「世界で一番」というのは、今でも右翼の雑誌などでよく見聞しますよね。でも、久しい以前に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出て売れていましたけれど、今では誰もそんなことは言いませんね。だって、日本人の若者の自殺率って、世界のなかで高いほうでしょ。

官僚の汚職が少ないといっても、ないわけではありません。政治の世界を見たら、ワイロ同然の裏金議員が大手を振って国会にのさばっています(とくに萩生田議員)。そして、統一協会なんて、まさしく反日団体そのものですが、そこに媚びを売って当選してきた自民党議員が今回もヌケヌケと当選しています。それで、「ウソの少ない日本」だなんて、誰が言えますか…。

「日本スゴイ」をネット上で作成する業者は、アルバイトのクリエイターに対して、「読み手は中学生ぐらいだと思って」つくるように指示しているとのこと。中学生を馬鹿にしています。といっても、実は新聞一般が中学生に理解できる紙面を目ざしていると聞いています。

この本にも紹介されていますが、昔、「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになったことがありました。ところが、その著者(イザヤ・ベンダサン)は実はユダヤ人ではなく、山本七平という生粋の日本人だということが暴露されたのです。なーんだ、そうだったのかと、当時、私も読んで知って、馬鹿にされた思いでした。

「道徳」の教科書に安倍晋三首相の演説が載っているとのこと。驚きました。そんな教科書を読まされる中学生は可哀想です。

日本人は毎日風呂に入って清潔好きだというのも、客観的にそう言えるものなのか…。日本の住宅に内風呂があるのは全国平均で1963年に6割未満、9割をこしたのは1988年のこと。今でも95%。

日本人が「世界一」清潔好きといえるのか、「ゴミ屋敷」が現代日本の至るところにある現実を無視しているのではないか…。そうなんですよね、客観的に証明されてはいません。

桜井よし子が嘘つきであるのは有名です。ところが、「嘘はつかない。それは日本人の美徳だ」というのです。安倍首相が国会答弁で何百回も嘘をついたことは公式にカウントされて明らかになっています。桜井よし子は、まさしく安倍首相のように口から出まかせで、いつも嘘をついています。

タイのククリット・プラモート元首相の言葉、「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した」というのは、実は出所不明のものにすぎないことが本書で明らかにされています。アジアの諸国は自分の手でそれぞれ独立を勝ちとったのであって、第二次大戦で日本は残酷な加害行為をしたことはあっても、諸国の独立を手助けしたことはまったくありません。歴史の歪曲は許されないところです。

まぁ、それにしても、今回の2月の総選挙で、「サナ活」とかいって、大量のSNSインチキ情報に踊らされた日本人が少なくないことに、私は恐ろしさを感じます。

何かやってくれるんじゃないかと期待したい気持ちは、私にも理解できます。でも、彼女がこれまで何を言ってきたか、やってきたかをすっかり忘れて、調べることもなく、流されてしまっているのに、怖さを感じてしまうのです。

「日本と日本人、スゴイ」って、あなたは、そんなにスゴイ人ですか…。そんなことはないでしょ。フツーの人ですよね。私も同じです。だったら、もっと足を地に着けて考え、行動するしかありません。そう思いませんか…。 

(2025年6月刊。990円)

43歳が人生の頂点だという本を読みましたので、私は43歳のころ何をしていたのか、1991年の訟廷日誌をふり返ってみました。

 すると、まず目についたのは、当時は土曜日も当然のように事務所は営業していて、市役所の法律相談も土曜日の午前中に開かれていました。

 事務所でも午前中に何人もの相談を受けていました。

 家庭のほうは、まだ子育て中で、下の子の保育園の運動会に参加したり、上の子が中学生まで思春期病で入院したりしています。

 事件の関係では、前年暮れに、共産党の演説会の告知ポスターを電柱に貼っていた男女がパトカーに連行され逮捕された事件について、無事に不起訴を勝ちとった経緯を小冊子にまとめています。しんぶん赤旗のコラムで紹介されていました。

 当時、筑後地区の弁護士は全部で30人ほどしかいなくて(今は100人超)、なんとか弁護士を増やさないと大変だよと話し合っていました。

 43歳というのは、私にとっては、まだまだで、頂点というのは、いくら何でも早すぎると思いました。

論争・大阪の陣

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)

著者 笠谷 和比古、 出版 新潮選書

 論争というタイトルがついているとおり、大変に刺激的な問題提起がされている本です。

関ケ原合戦のあと、西軍に属した大名の領地が没収され、そこに新しい領主が生まれた。もちろん、徳川家康が領地配分を行った。ところが、京都から西には徳川系の藩代大名は皆無。

この西国、九州や瀬戸内海沿岸地帯は、当時は「僻遠(へきえん)の地」では決してなく、文明の恩恵を享受する地だった。この西国地域は、ポルトガル船、オランダ船そしてイギリス船などの外国船が来航し、鉄砲や硝石などの軍需品、洋風衣料や薬品類などの西洋の文物を最初にもたらしてくれる最重要地域だった。このような「垂涎(すいぜん)の地」を家康は、豊臣系大名たちに配分した。なぜなのか……。

関ケ原の戦いで没収されたのは、石田三成(19万石)、宇喜多秀家(57万石)、小西行長(20万石)、長宗我部盛親(22万石)。また、毛利輝元(120万石)、上杉景勝(120万石)、佐竹義宜(54万石)ら五大名は領地を削減された。それらの合計は632万石になり、その8割の520万石が豊臣系大名に加増として配分された。

家康は、全国一元支配を考えず、日本列島を東国と西国に二分し、自らは東国を統治し、西国については統治は別とする、つまり西国直接統治を回避した。そして、家康は、諸大名の領地配分にあたって、領知朱印状を発布・交付しなかった。なぜか……。

この時点では、家康には領知朱印状を発給する資格・権限がなかった。発給するとしたら秀頼の名前で出すことになる。領知の安堵(あんど)を行う主体は、まだ秀頼にあり、家康ではなかった。えーっ、そうなんですか……。

関ケ原合戦における東軍の主たる軍事力は徳川軍ではなく、家康に同盟した豊臣系武将たちの軍事力であった。家康は関ケ原合戦のあとにおいても、まだ豊臣公儀体裁下の一大老の地位を抜け出てはいなかった。豊臣家と秀頼の政治的権威は厳然としており、家康は幼少の秀頼を補佐する政務代行者でしかなかった。うむむ、そうなんですね……。

家康は、領地配分にあたって、使者を巡遣して、口頭で伝達していた。このころはまだ、秀頼が成人したときには天下人として君臨することが、当時の武家社会における共通認識だった。

家康が将軍に在職していた当時は、江戸城はなく、建設途上だった。神田山を切り崩し、その土砂で日比谷入り江を完全に埋立し、あわせて台地部分の平坦化を実現した。

二代将軍秀忠のころまでは、家康や秀忠は上済して伏見城や二条城にいて、各地の大名と会合していた。諸大名にとっては、京都が全国政治の中心地であり、京都参勤が常態だった。

家康は、秀頼の存在を否定ないし抹殺して征夷大将軍になったのではなく、秀頼の支配体制から離脱して新たな政治体制を構築した。二重公儀体制である家康は、豊臣家とは共存の道を探り続けた。

秀頼と千姫との婚姻は、母方いとこ婚。彼らの母である淀殿とお江の方とは、浅井姉妹の姉と妹であった。この婚姻を通して、徳川と豊臣の両家が濃密な親戚の関係となり、そのうえで、東は徳川が、西は豊臣が、それぞれ分有し、棲み分ける国制を家康は考えていた。

秀吉・家康の時代における征夷大将軍は五位相当というのが通念だった。これに対して、関白は正二位より上だった。だから、関白だった秀吉は、征夷大将軍の職に何ら関心がなかった。

関ケ原合戦によって、大幅に領地を削減された毛利・上杉・佐竹たちにとって、家康が死ねば、失われた先祖伝来の地を奪回すべき好機到来となる。

ところが、二条城会見のあった慶長16(1611)年3月以降、豊臣家にとって頼みの柱となる大名たちが次々と亡くなった。加藤清正、浅野幸長、池田輝政、前田利長……。福島正則は、もはや一人では力にならない。

大阪の陣において、福島正則、黒田長政、加藤嘉明は江戸屋敷に留め置かれた。彼らの嫡子は家臣・国を率いて参戦した。

大阪城の堀埋め工事は、1ケ月を要する大工事であり、豊臣側の虚をついて、一気に強行埋填したというものではなかった。豊臣家は、家康の死を待つまでの時間稼ぎをしたと考えられる。家康は、大阪夏の陣のとき、74歳。現代なら90代半ばとみることができる。当時の平均寿命は50歳あたり。

家康は6時間も総攻撃をためらった。豊臣家と秀頼を一気に滅ぼすことなく、無力化して大名としては存続することを考えていた。ところが、秀頼のほうが、最終決戦にはやった。

本書では家康の本陣に迫ったのは、毛利勝永隊だとしています。一般には真田信繁が家康本陣に突入したとされていますが、ありえないという考えです。

私と同じ団塊世代の著者の本は、どれも大変刺激に満ちていて、いつも勉強になります。おすすめの一冊です。

(2025年10月刊。1650円+税)

しずくと祈り

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 朽木 祥 、 出版 小学館

 1945年8月6日午前8時15分、広島市の上空にあらわれたB29爆撃機3機のうち1機が、原子爆弾を投下した。その瞬間、空に巨大な日の球が出現した。まるで、もう一つの太陽のように。異様な太陽はすさまじい光と熱を発し、大地を底から鳴らすや、恐ろしい風で町をなぎ倒した。

 人々は生きながら焼かれた。鳩が地に落ちて、ぶざまに跳ねた。横倒しになって、のたうち回る馬の脇で。男とも女とも分からない人々が、いたるところに倒れている。

 焼かれてボロボロになった身体を引きずりながら、懸命に逃げようとしている人々もいる。顔が赤むけになってパンパンにはれている者、目玉が飛びだしている者、皮膚がめくれて身体や指先からぶら下がっている者。ほとんどが裸同然だった。腰ひもだけの姿で呆(ほう)けたように歩いている女の人もいた。みんな、生きながら焼かれた。

皆実(みなみ)町にあった住友銀行も、外壁だけになっていた。ただ、玄関は形を留めていて、石の階段が残っている。いま、広島の原爆資料館にある「人影(ひとかげ)の石」の黒い部分には、たしかに人間が座っていた。

「石の上に緑色の影がはっきり残っていた」というのは、直後に「死の人影」の主を収容した男性の目撃証言。それは、「子どもかと思うくらい小柄な女性の遺体だった」。あれっ、「人影」の主は男性じゃなかったの…?私は、ふと疑問に感じました。

 1945年、米軍カメラマンが石段の影を撮影したとき、近くにいた男性をすわらせて再現写真を撮ったことから、石段にすわっていたのは男性だというのが、いつのまにか通説になっただけのこと。なーるほど、そうだったんですね…。

 この本は、すわっていたのは越智ミツノさん(当時42歳)だとしています。娘が名乗り出て、前後の目撃者の証言と合致しているからです。

この石段は黒っぽい御影石で出来ていた。原爆の熱戦を浴びて白変したとき、人間がすわっていた部分だけ、黒く人の形に残った。戦後しばらくは、影の部分はコールタールみたいに真っ黒だったらしい。すわっていた人間由来の成分が石に染みついて黒い影のように残った可能性がある。

 奈良文化財研究所の調査によると、「人影の石」は、有機物がついたものであり、人間の皮膚などの生体成分の可能性があるという。貴重な掘り起こしの成果です。

核爆発の恐ろしさを再認識しました。日本は非核三原則を絶対に投げ捨ててはいけません。

(2025年10月刊。1540円+税)

「東京物語」から「男はつらいよ」へ

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 吉村 英夫 、 出版 中日新聞社

 今の若い人に映画「男はつらいよ」を観たことのない人が多いのは残念でなりません。テレビで繰り返し放映されていますので、ぜひ観てほしいと思います。

 私は「男はつらいよ」第1作を東京で、大学3年生の夏に観ました。映画になる前、テレビで放映したというのは残念ながら観ていません。大学生ころは、テレビを観る時間も余裕もありませんでした。

 著者はシリーズ第8作『寅次郎恋歌』が出色の出来だとしています。 黒沢明の有名な映画『七人の侍』で主人公の一人を演じた志村喬が老学者として登場します。学問一途に生き、家庭を大事にせず、子育てにも関わらなかった。そして、妻は死んでしまった。

 「暗い夜道を歩いていると、一軒の農家が見え、灯りのついた茶の間で家族がにぎやかに食事している。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていて、縁側はあけっ放し。これが本当の人間の生活ってもんじゃないか」と気がついた。

 この光景は、実はフランス文学のフロベール(「ボヴァリー夫人」の作者)の描写から来ているそうです。なかなか奥の深い話なんですね。ところが、寅さんが柴又のダンゴ屋の茶の間で紹介すると、みんながひやかし半分でまぜっかえすのです。 いやはや、すごい展開です。まさしく喜劇になってしまうのでした。

 もう一つ。著者はフランスの劇作家マルセル・パニョルの「ファニー」三部作の影響もあると指摘しています。パニョルの映画は、フランスかぶれの私はいくつか観ていますが、パニョルの映画が山田洋次の作品とつながっているとは、思ってもいませんでした。

 ちなみに、映画「男はつらいよ」は全シリーズフィルムによる撮影とのこと。デジタル作品ではないとのことです。

「男はつらいよ」の家族構成は複雑です。寅さんと妹のさくらは両親を共通する兄妹ではありません。

 家族は、血のつながりも重要で、基本的要素だが、血のつながりがいささかイレギュラーであっても、家族が家族であるという信頼と親愛の意思をもつことが、家族の重要条件だ。

 この指摘は、50年以上の弁護士生活を踏まえた私の実感とぴったりあいます。

家族というものが仲良くしていくためには、家族が家族であろうとする努力、そういう意思の力、それが必要なんじゃないか。

 山田洋次は、こう言っていますが、本当にそのとおりです。また、次のようにも言います。

 「血のつながりをとても大事にする考え方は、時として人間を不幸にするんじゃないかとすら思います」「血縁を強調する社会は、どうしても排他的になってしまう。」

いやぁ、まったくそのとおりです。「家族としてのつながりをお互いに見いだして、そのつながりをより豊かなものにするために努力していく苦労が必要なんだ」

よくよく考え抜かれた指摘だと思います。

 「男はつらいよ」シリーズは48作も続いた世界一長いシリーズですが、第9作に吉永小百合がマドンナとして登場したのが、長期シリーズとしての出発だったとのこと。吉永小百合は、自称サユリストの私からしても憧れの永遠の美女ですが、当時はまだ25歳で、絶大な人気を誇っていました。渥美清も吉永小百合の登場を期待したといいます。

 フランス人であるクロード・ルブランの「山田洋次が見てきた日本」(大月書店)は、このコーナーで先に紹介していますが、その本のなかで、著者の本も紹介されています。

 この本は小津安二郎についても触れられています。というか、その半分は小津安二郎の映画「東京物語」などを細かく分析し、論評しているのですが、私は「東京物語」以外は観ていませんので、ここでは割愛します。

(2025年9月刊。1800円+税)

 いま、我が家の庭は黄色いロウバイが咲き終わり、黄水仙の可憐な花があちこちに咲いています。水仙は白より黄色が私の好みです。

 そして、紅梅と白梅が隣同士に競いあって咲いています。今年は梅の当たり年になるのかもしれません。近所にカササギが巣をつくったせいで、庭によくやってきます。パンくずをまいておくと、すぐに見つけて運び去っていきます。

 日が長くなりました。春の近さを感じます。近く、ジャガイモの種を孫たちと植えつけます。

ヨルダンの本屋に住んでみた

カテゴリー:中東

(霧山昴)

著者 フウ 、 出版 産業編集センター

 これは面白い本です。特急電車のなかで読みふけりました。途中の停車駅で電車が停まって出発するのも気がつかないほど集中したので、しまいには下車駅を乗り過ごさないよう自分に言い聞かせたほどです。

 ヨルダンという国が中東のどこにあるのか今も知りませんが、治安はとてもいいようです。なにしろ若い女性2人がヒッチハイクで旅行できるというのですから(もちろん、彼女らなりに用心はしていますが…)。

 主人公の日本人女性は22歳。絵が描けるという特技を身につけていて、本屋の看板づくりに活かして喜ばれます。22歳なのに、すでに10ヶ国も一人旅をしたことのある猛者(もさ)です。勇気があるんですね、とても私には真似できません。いえ、今の私はもちろんのこと、22歳の私にも、そんな勇気がなかったと断言できます。

 ヨルダンの公用語はアラビア語。でも、英語は十分に通用する。著者も、アラビア語はダメで、英語で通した。

 ネットでヨルダンにある本屋を見つけて、ネットで「働かせてください」と送ったところ、すぐに「OK」という返事が来た。でも、泊まる部屋がどんなところか何も書かれていない。ネットで本屋の様子は教えてくれたけれど、部屋の案内まではなし。

 さて、そこでどうしたか。ただちに旅費をためて、突撃取材ならぬ、突撃訪問したのです。いやぁ、勇気ありますよね。怖いもの知らずとは、まさにこのことです。

 アラビア語で「本屋」というのは、一般に文房具屋ということ。しかし、ここは本物の「本を売る本屋」なのだ。しかも、カフェつき。写真で見ると、いかにもおしゃれな店です。店の構えも、店内も。なので、本を買うより、店内の写真を撮りに来る「客」が多くて、「写真撮影禁止」という張り紙をしている。それでも、こっそり写真を撮る人たちがいる…。

ジャパニーズガールと同じように、同じ年齢のイタリア人女性が同じ本屋に飛び込んできて、二人は同じ部屋で生活することになったのでした。まさしく超ラッキーです。世の中、偶然とはいえ、こんなこともあるんですね…。

 しかも、このイタリア人女性は英語もフランス語もペラペラの才女。そのうえ、最高なのは著者とまったく気が合ったのです。アラビア語も真面目に勉強しているというので、さすがの著者もたじたじとなりました。ただ、料理は不得意というので、まかない当番からははずれたそうです。

 本屋とカフェの写真がたくさんあって、そりゃあ、こんなところでしばらく働くのもいいかも…と、つい思ってしまいました。

本屋で働くスタッフの人物紹介がまた何とも言えないほど素敵です。世間的には奇人・変人の集まりとしか思えませんが、女性で大工をしているアリスは愛にあふれていて、英国紳士そのもののデイビッド。

この本で、アラビア語の数字が日本人には間違いやすいことを初めて知りました。5は0(ゼロ)、6は7にしか見えませんし、7と8はVと逆Vなのです。そして0は、なんと小さな黒丸(・)。いやぁ、これは困りますよね…。

アラビア語のなかで著者が真っ先に覚えたのは「ハビービー」。その意味は、なんと「愛する人」。ところが、声を荒らげるケンカの真最中にまで、この「ハビービー」が使われるというのです。信じられません。

ヨルダンでも日本のマンガやアニメは大人気で、「チビ・マルコ」まで知っているというのです。

店内に入って、うっかり壺を大量に割ってしまった話が笑えますし、泣けます。いやぁ、こんなこともあるんですよね。旅行保険をもとに弁償しようとすると…。その顛末は、ぜひ、この本を読んで下さい。

日記にネットに載せていたのが本になりました。面白いです。日本の若い女性の勇気に驚嘆、敬服しました。

(2025年8月刊。1980円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.