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博徒の幕末維新

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著者:高橋敏、出版社:ちくま新書
 この著者の本は面白い。前の『江戸村方騒動顛末記』(ちくま新書)も大いに知的好奇心をかきたてられた。古文書を縦横無尽に読み解いていくさまは、下手な推理小説よりよほどワクワクしてしまう。草書体で書かれた古文書をスラスラ読みこなせたら、すばらしい新発見に出会える気がしてならない。でも、実際には、同一人物がいろんな名前で登場してくるので、そこまでよく分かっていないと、文書のもつ意義を理解できないだろう。
 この本は、伊豆七島に島流しにあっていた無宿人の安五郎が島抜けするところから始まる。七人の無宿者が船頭を引き立てて、伊豆半島に渡り、そこで散りじりになるが、主犯の安五郎は無事に故郷の甲州へたどり着く。なぜ、そんなことが可能だったのか・・・。そこに黒船到来の当時の世相が語られる。
 甲州は紛争が多いところだった。入会権をめぐり、水の分配をめぐり、紛議は絶えなかった。あまりの裁判の多さに奉行所はパンク寸前だった。
 日本人が昔からいかに裁判を好んでいたか。農村地帯でも裁判に訴えることは日常茶飯事だった。無宿人・安五郎も立派な文書を残している。文盲ではなかった。
 水滸伝のように、幕末期の関東地方では無宿人たちが暴れていた。勢力富五郎(28歳)も徒党を組んで荒らしまわった。石原村無宿・幸次郎一味の悪党21人を捕まえるため、総勢3000人にのぼる捕者隊が組織された。なにしろ幸次郎一味は鉄砲まで所持している。幕末の混乱する世相が博徒に焦点をあて、よく描かれている。江戸時代のもう一つの側面を知る格好の本だ。

ザ・メイン・エネミー

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著者:ミルト・ベアデン、出版社:ランダムハウス講談社
 3月11日の夕刊に、アメリカ人の連邦議会で働いていた人が、サダム・フセインのスパイをしていたとして逮捕されたことが載っていました。冷戦構造がなくなっても、相変わらずスパイの活躍する余地の大きいことを改めて実感しました。
 この本は、CIAとKGBのスパイ合戦について、「勝者」CIAの立場から取りあげられています。双方ともスパイを送り出し、また、スパイを獲得しようと必死でせめぎあっていました。なかには、CIAとKGBの係官同士が固い友情関係を結んだケースもあったようです。やはり、それぞれの当局からは、あいつは敵に買収されてしまった、そう疑われたようですが・・・。 スパイ活動は何のためにやるものなのか。使命感かお金か。それとも処遇不満への腹いせなのか。いろんなケースがあったようです。必ずしもお金だけが理由ではないようです。
 2重スパイがいて、スパイ志願者がいて、いったん敵に亡命したものの、もう一度、本国に帰ってしまったエージェントもいたり、この世界も複雑怪奇です。
 よく日本はスパイ天国だと馬鹿にされますが、お互いに他人(ヒト)を信じられなくなったら、お終いですよね・・・。

財閥と帝国主義

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著者:坂本雅子、出版社:ミネルヴァ書房
 三井物産と戦前の中国との関わりをテーマとしています。三井物産は軍部と結びついて中国でのアヘン販売に関わっていました。日本軍が大量のアヘンを中国で販売したのは、アヘン販売が手っとり早い資金獲得の方法であったからです。これによって得た資金は、傀儡政権の財源や日本軍の謀略工作の費用に用いられていました。
 三井物産は三井財閥の中枢にあり、資本金1億円という日本一の巨大私企業でした。また、三井財閥は他財閥に群を抜く巨大財閥であり、国家政策への影響力も格別に大きいものがありました。
 中国は、日本にとって武器輸出の中心的な市場でもありました。中国軍に日本製の武器を売り込み、日本製の武器で統一させ、中国市場を恒久的なものにしようとしたのです。ちょうど、今の日本の自衛隊とアメリカとの関係です。アメリカはアメリカ軍の規格にあわない自衛隊の装備を日本に認めていません。
 中国東北部(満州)にあった日本の経済界は、張作霖が商売の邪魔をしているとして、その排除を強硬に要求しました。関東軍による張作霖爆殺事件も、それを背景にしたものだったのです。
 著者は、日本の中国進出について、独占が形成されて過剰資本となったはけ口としてなされたというレーニン型の見解を否定しています。独占の形成される前から三井物産は中国へ進出していったからです。三井物産という財閥会社と中国侵略について、改めて考えさせられました。

生活形式の民主主義

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著者:ハル・コック、出版社:花伝社
 デンマークの学者による、民主主義とは何かを考えた本です。40年前に書かれていますが、内容は新鮮そのものです。書かれた時期を知らずに読むと、現代日本について警告を発した本ではないか、そうとしか思えません。
 「もっとも太った人々は、もっとも賢い人々でもある」
 そうと言えないことは、現代日本の金満家たちの愚行で証明ずみです。
 「戦争が正しい者を決めることはけっしてできない。ただ、最強者を決めることができるだけである。人間には、勝利と正義とを一緒くたにする特別な傾向がある。警察と軍隊は必要悪である。それらは必要ではあるが、それらに依存しない可能性こそ私たちが期待しているもの。他方を嘲笑い、怒鳴りつけ、しばらくそれを続けてから、取っ組みのケンカをはじめる。それによって最強の者が決められる。そうした流儀は子ども部屋の掟である。子ども部屋は、反動と権威主義的支配によって、強者の法律と容赦のない権力行使が命ずるところに帰するのが常である」
 これは、アメリカのイラク侵略戦争と、それに無批判に追随している日本を批判した文章としか読めません。
 「民主主義社会では、あらゆる決定が相対的で、正しいことがらへの接近にすぎず、それゆえ討議は止むことがない。
 民主主義は生活形式であり、西ヨーロッパで2000年以上にわたって絶えず挫折や堕落を繰り返しながら成長を遂げてきた。それは自己完結したものではない。
 民主主義は、勝ちとられた勝利ではなく、つねに継続するたたかいである。それは一度に達成された結果ではなく、つねに新たに解決されるべき課題である。
 民主主義の本質は投票によって規定されるのではなく、対話や協議、相互の尊重と理解、そしてここから生まれる全体利益にたいする感覚によって規定される。
 人間的な覚醒、すなわち啓蒙と教育、それなしには民主主義は危険なものになる。多数派というのは、まさに怪物である。
 宣伝は、民主主義にとって、年々、危険性の度合いを増している。テレビと映画によって、現代人は、国民的・政治的権力の優位性や欠点をまったく受動的に確信す
る」
 権力によるマスコミ操作はイラク戦争のとき、そして今もますます強まっています。有事立法が施行されたら、その危険性は今よりはるかに増大することでしょう。よくよく現代日本のあり方を考えさせられる本です。

トキオ

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著者:東野圭吾、出版社:講談社
 知人のNAOMIさんが絶賛していたので、早速読んでみた。うまい。さすがにぐいぐい引きこまれていく。いつまでもおとなになりきれない青年の気持ちがよく描かれている。そこへ身内と自称する変な青年が登場して、つきまとう。いったい何のために・・・。青年はふられた彼女の行方を追ううちに事件に巻きこまれていく。変な青年もついてきて、しきりにアドバイスというか指示を与える。いったい、どういうつもりなんだ。でも、何かひかれるものがあり、その言いなりに動かざるをえない。
 おとなになりきれない、なりたくない青年の揺れ動く気持ちをバックに事件が展開し、意外な結末を迎える。オビには時を超えた奇蹟の物語とある。まさにそのとおりだった。

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