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「不器用な技術屋iモードを生む」

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著者:中野不二男、出版社:NTT出版
 いま携帯電話は耳にあてて聞いて話す道具というより、画面を見る道具になってしまいました。歩きながら画面に夢中になっている人の姿はどこにでも見かけます。
 iモードが誕生して6年がたちました。携帯電話は今や単なるケータイと言った方がピッタリきます。だって、電話というより持ち歩きのできる超小型のパソコンそのものなんですから・・・。ケータイとは違いますが、i−podにも驚きました。単なるウォークマンではないのですね。7000曲も入っていて、画面を見ながら選曲できますし、歌詞まで読めるのですから、すごいものです。
 iモードが誕生するについては、松永真理の「iモード事件」も面白く読みました。熊本で仕事をしていた彼女を、人脈で掘り起こしたんですね。
 この本は、技術屋サイドから見たiモードの開発物語です。私には技術的なことはさっぱり分からないのですが、とても興味深く読みました。技術屋の世界って、事務系とは一味も二味も異なる世界なんだなとつくづく思いました。
 携帯電話がまだ珍しかった時代に、私はそれを持ち歩いていたことがあります。ポケットに入るなんてものではありません。大きさは小城羊羹の1本分くらいです。手にとると、ずしりと重たいのです。バッテリーも同じくらいかさばっていました。ともかく貴重品ですから、大切に扱っていました。今ではケータイが普及しすぎて、公共の場所から公衆電話がなくなりつつあって困ります。要するに、自分のケータイをつかって相手方とダイレクトに交渉したくないときには公衆電話をつかいたいのです。そんなの非通知にすればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、自分のケータイにいろいろ入ってくること自体がいやなのです。ケータイの送受信歴がまったく消えないというのも嫌ですよね。
 この本で圧迫面接という手法があるというのを初めて知りました。たたみこむように質問していって相手を追いこみます。質問に対して正確な答えをするかどうかは問題ではなく、圧迫をはねつけて、正面切って答えたり、うまくすり抜けたりする機転のはやさを見るための手法ということです。ほとんど嫌がらせのような手法です。私は体験がありませんが、面接のとき、相手の能力を知るひとつの手法なんだろうなと思いました。

私のかかげる小さな旗

カテゴリー:未分類

著者:澤地久枝、出版社:講談社
 著者は旧満州(中国東北部)から16歳の多感な少女のときに日本へ引き揚げてきた。それまで1年あまりの難民生活も体験している。だから、戦争を憎む気持ちが人一倍強い。そして、あくまで人間を大切にするヒューマニストである。
 1947年、東京に出てきた。空襲の焼け跡がそのまま残っていた。いま最高裁のある場所には、米軍のカマボコ住宅が整然とならび、白とグリーンの仮設住宅が鮮烈に日に映えていた。日本人メイドの胸に抱かれた白人の子どもたちは丸々とよく太っていた。
 アメリカによるベトナム侵略戦争がたたかわれていたとき小田実と一緒にベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」)の活動をした。そして、いま「安保条約をやめて、日米平和友好条約を!」という市民運動をすすめている。
 著者は憲法9条2項の意義を訴えている。過去の戦争のほとんどが、自衛を大義名分としてたたかわれたものである。「自衛」という表現には、実は何の歯止めもない。すべての軍隊は、自国の平和、独立、安全を守り、自衛する建前で存在する。しかし、「自衛」は拡大解釈される。日米が第二次世界大戦を始めたときだって、だれも侵略戦争とは言わず、自存自衛のためのいくさと言っていた。
 戦後うまれの人には、憲法は空気のように感じられるかもしれない。しかし、戦争を放棄し、国の交戦権を否認した憲法によって日本はアメリカやロシアのような軍拡競争による国家財政破綻の危機をまぬがれ、一人の戦死者も出さず、他国のだれも殺傷しない戦後の半世紀を生きてきた。
 わたしは政治に絶望したり、グチを言うことはやめることにした。政治はわが手で、という考えに立っている。声をあげよう。 
 74歳の著者は今、「九条の会」の呼びかけ人の一人として、すべての日本人に呼びかけている。著者よりは二まわりほど若い私も、負けずに声をあげていくつもりだ。

住民が主人公を貫く町

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著者:山田兼三、出版社:あけび書房
 私は山田町長の古くからのファンです。くたびれている同世代の男たちが多いなかで、いまも元気モリモリでがんばっていますから、畏敬の念を禁じえません。といっても、一度も会ったことはありません。前の「南光町奮闘記」を読んで、その謙虚・誠実な人柄と小さな町を町民が住んでよかったと思える町づくりをすすめる実行力に感嘆して以来、尊敬しています。
 残念ながらまだ行ったことはありませんが、いまや南光町はヒマワリの町として全国的にも有名です。なにしろ40ヘクタール、200万本のヒマワリが7月から8月にかけて、ずっと咲き続けるというのです。いつか、ぜひ見に行きたいと思っています。
 山田町長が誕生したのは25年前。1980年10月のことです。当時32歳のよそ者の青年です。そんな人がいきなり立候補して当選できるはずがありません。もちろん、本人も当選するなんて夢にも思っていません。立候補しただけで使命は果たした。そんな思いから気楽に選挙戦をすすめていたそうです。ところが、案に相違して当選してしまいました。真っ青になったそうです。それほど同和問題で荒れた町だったのです。
 当選した山田町長に寄せられた町民の要望は、「暴力・暴言を許さない宣言の町・南光町」の看板をはずしてほしいということでした。いかにも暴力・暴言がはびこっている町と受けとられて恥ずかしいというのです。さっそく看板は塗りかえられ、「花と小鳥の町・南光町」そして今は「ひまわりの郷・南光町」になっています。
 ヒマワリの花は私の家の庭にも植えています。大輪の花だと、咲いているのは10日間ほどでしかありません。わが家のヒマワリは小ぶりの花を次々に咲かせるものです。でも、大輪の花の方が何万本と植えたときには見映えがよいのです。そこで南光町では、8ヘクタールのヒマワリ団地をいくつもつくり、種をまく時期を順次ずらし、見物人を7月上旬から8月中旬までずっと魅きつける工夫をしています。稲作をする田んぼを、集落が話し合ってヒマワリ栽培の団地として提供するわけです。オレんところは今年は稲をつくるなんて誰かが言い出したら、みっともありません。集落内の十分な話し合いが不可欠です。そのおかげで、多い日には観光バスが80台、600台収容の駐車場が満杯になるそうです。年間15万人の観光客が5千人足らずの町民人口の町に押し寄せるのですから、たいしたものです。
 南光町では子ども歌舞伎も復活させました。小学生があこがれて子ども歌舞伎クラブに次々に加入しているそうです。地域の伝統文化を守り育てているのに感心します。
 山田町長の偉いところは、何事も町長を先頭に取り組んでいるところです。たとえば、町が工事を発注するときには、入札の直前に町長室で関係職員を集めて入札金額を決め、その場で町長自身が金額を書きこみ、その足で入札会場にのぞむというのです。おかげで贈収賄事件は山田町長の24年間に一度も起きていません。
 山田町長は議会に対して事前の根まわしを一切しません。議会の審議は質問時間の制限が一切ありません。ボス議員を特別扱いすることもなく、すべて全議員を対象として話をすすめるのです。その結果、ときに議案が否決されることもあります。しかし、山田町長は、それはそれでよいことと割り切っています。町長と議会は一定の緊張関係が必要なのです。なかなかできることではありませんよね。私はつくづくその政治姿勢に感心します。
 山田町長は共産党の町長ですが、宮内庁から秋の園遊会に招待されて、紋付袴姿で奥さんとともに出席しました。モーニング姿の出席者が多いなかでとても目立ち、天皇や皇后をはじめ皇族から相次いで声をかけられたそうです。世の中、本当に変わりました。
 そんな山田町長も、この10月で南光町が消滅しますので、任期満了となります。町民のためのきめ細かな施策をやれる小さな町や村をつぶしてしまう平成の市町村大合併って本当に住民のために良いことなのか、私には大いに疑問です。

「メディア裏支配」

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著者:田中良紹、出版社:講談社
 TBS(東京放送)のディレクターとして長年テレビ番組をつくる側にいた人が、日本のメディアを信用してはいけないと声を大にして叫んでいる本です。日本のメディアがいかに当局に操作されているか、この本を読むと改めて背筋が凍る思いです。
 わかりやすい報道には嘘がある。世の中に起こることは単純であるはずがない。国民が日本のメディアと向きあうときに大切なのは、「正しい報道」という呪縛から解き放たれること。この世に「正しい報道」などありえない。
 テレビの視聴率主義は人間から思考力を奪っている。どこを見ても分かりやすい話ばかりだと人間は考えなくなる。いつの時代にも国策推進に協力するのが日本のメディア。国民はメディアの言うことを信じるのをやめて、自分の頭で考えて判断しなければいけない。小泉首相には驚くほど金と人脈がない。しかし、メディアの力がそれを補っている。小泉首相のパフォーマンスは、中曽根や細川とはまったく質が異なる。殿様が町に降りてきて町人姿に変身し、横丁のあんちゃんとしてふるまっている。メディア、とりわけテレビメディアの効用を計算し尽くしている。
 視聴率を上げるノウハウは、女性に受け入れられるよう、複雑なものはダメ、なるべく白黒がはっきりした話がよい。上品なものもダメ。お高く止まっているものはもっとも嫌われる。
 視聴率は、番組の質とはおよそ関係がない。テレビは操作する。たとえば、「街の声」と称して街頭インタビューを放映するとき、はじめと最後の人物をいれかえるだけで、まったく逆の印象を与えることが可能。
 司法記者クラブほど、徹底した情報管理の下に置かれ、それに抗することのできない無力な記者クラブは他にない。えーっ、そこまでひどいのかしらん・・・。私もずっと司法記者クラブとはつきあってきたのですが・・・。
 私は、テレビは、動物を主人公とするドキュメンタリー以外はほとんど見ません(あとでビデオで見ます)。歌番組もバラエティーショーもクイズ番組も、私にとっては時間のムダでしかありません。どうして、世の中の大勢の人々があんなつまらないものを見て自分の時間を浪費するのか、不思議でなりません。
 そんなことを言うので、いつも私は奇人変人あつかいされています。でも、世の中を変えるのは奇人変人、そして凡人なのですよね・・・。私はそう思って、こうやって毎夜、書評をしこしこと書きつづっています。

「大学のエスノグラフィティ」

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著者:船曳建夫、出版社;有斐閣
 いまの大学生には五月病というのはないそうです。そのかわり小児病が広がっています。大学に入ってすぐにオリクラ(オリエンテーションクラス合宿)があり、講義が始まるまえからシケ長(試験対策の長)が決まり、彼(女)を中心にして講義毎にシケタイ(試験対策委員)を決め、シケプリ(試験対策プリント)を用意する慣行が確立しています。講義はたくさんありますから、クラス員のほとんどが何かのシケタイになります。シケタイになると、その講義には必ず出席して、シケプリをつくらなければなりません。
 もちろん、私の学生のころにはそんなシステムはありませんでした。そもそも、2年生の6月まで授業があったあとは翌年3月まで授業がありませんでした。それまでだって私はサークル(セツルメント)活動に忙しくて、語学の授業以外はまともに大学の授業には出ていなかったのです。ゼミなるものにも一度として出たことがありません。だから、大学教授というのははるか彼方に仰ぎ見て、マイクを通して声を聞く存在でしかありませんでした。肉声で身近に教授の声を聞いて議論するなんて、考えたこともありませんでした。そのかわりセツルメント活動にうちこんでいましたから、そこで大学の何たるかは精一杯学んだと思っています。といっても、今となっては、もう少し真面目に勉強しておけばよかったかなという後悔もチョッピリしています。その反省が今の読書意欲のバネにもなっているのです。
 船曳ゼミに入るのはなかなか難しそうです。応募者が50人くらいもいて、試験をしたあと面接をして12人ほどに絞るのです。ここで手抜きをすると、あとでひどい目にあうという反省の弁を著者は語っています。ストーカーがうまれたりするのです。
 船曳ゼミでは、学生にレポートを用意させて自分で朗読させるという方法もとられています。人前で堂々とスピーチするという訓練にもなるというのです。なるほど、と思いました。読みあわせというのは非能率的なようで、案外な効果があるというのは私も実感します。読みとばせないことから、しっかりと脳が働き、思考もまとまってきます。夏目漱石の小説は朗読するのに適した文章だということです。私も一度チャレンジしたいと思います。
 東大教授の一日がこまごまと紹介されています。学生の身の上相談、進路相談、成績証明書づくりなど、実にさまざまな雑務が押し寄せてくることが手にとるようによく分かります。東大教授の生態とふくめて、教授であることの意義が淡々とありのまま、何のてらいもなく語られますので、読み手の頭にすっと入ってきます。本当に素直な文章です。
 著者は私と入学年が同じです。著者は東大闘争(東大紛争とは、私も当事者の一人ですから呼びたくありません)のときは何をしていたのか、まさかノンポリではないだろうけど・・・。そう思って読んでいくうちに、著者は全共闘の活動家だったことが分かりました。当時、教授会にも乱入したことがあるようです。大学の知識人である教師を「お前はー」と罵倒したことがあると書かれています。
 私は著者とは反対側で活動していました(もちろん、いわゆるぺーぺーの一兵卒です)。この本は全体的に何の違和感もなく共感したり、なるほどと感心したり読みすすめていったのですが、ただ一点だけは、そうかなー、といささか異和感がありました。すなわち、大学教授なるものは社会を導く警告者であるというのはまったくの幻想にすぎないという著者の認識です。実際、なるほどそうかもしれません。しかし、やはり大学の外にいる私には、ぜひ社会に対して声をあげて警告する役割を大学教授とりわけ東大教授には果たしてほしいと切に願います。自分の現場ではないところにでも名前を貸す種類の抗議声明発表のプロは効力を失い、自己満足でしかないと著者は言っていますが、私は言い過ぎではないかと思います。まだ、それだけの効果は東大教授の肩書きにはあります。大学と専門分野の狭い枠にとどまってほしくはありません。日弁連という「抗議声明発表のプロ」にいる身として、この点は強調しておきたいと思います。
 東大教授の肩書きにあこがれる人が多い現実があります。それは勲章がほしくなるのと同じことでしょう。私も年齢をとりましたから、そのように思う人の気持ちがよく分かるようになりました。それでも、20歳のころに議論していたことをどこかでなんとか忘れないようにしたい。そういう思いも強くあります。それが、私に1968年の駒場の状況を再現する小説をライフワークとして長年にわたってとりくませる原動力(エネルギー)にもなっています。

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