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鳥たちの旅

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著者:樋口広芳、出版社:NHKブックス
 すっごく面白い本です。私と同じ団塊世代の学者の書いた本ですが、その日頃の多大な労苦に心から拍手を送ります。その地道な研究を、このように素人にも分かりやすくまとめていただいて、心から感謝します。
 「グース」というアメリカの映画を少し前に見ました。ガンのわたりを追いかけたものです。小型の飛行機で撮影したようです。「ミクロコスモス」というフランス映画がありました。オスとメスのカタツムリによる愛撫シーンは、あまりに官能的なので鳥肌が立ち、その匂いたつエロスにすっかり圧倒されてしまいました。同じ監督がつくったのが「WATARIDORI」(渡り鳥)です。渡り鳥の生態を刻明に、超軽量飛行機に乗ってどこまでも追いかけた映像の素晴らしさには、声も出ないほど、息を呑むばかりでした。
 この本で、著者はコハクチョウに送信機をつけ、北海道からロシアへ渡るのを追いかけます。マナヅルが九州(鹿児島)から朝鮮半島そして中国・ロシアに渡るのも追跡しました。50日間で2千キロをこえる旅です。コンピューターの前にすわって、送信機からの電波を解析しながら追跡していくのです。
 サシバ(タカ類)が石垣島から東北・福島まで渡ってくる。福ちゃんと呼ぶサシバを追跡する。福ちゃんは3月17日に石垣島を出発し、4月15日に福島県白沢村にたどり着く。31日間で2900キロの旅だ。別のサシバ「新子」は新潟県を9月7日に出発し、10月13日に石垣島に到着。37日間で2271キロを移動した。
 ハチクマは長野県の安曇野を9月19日に出発し、11月9日にインドネシアのジャワ島に到着。52日間で1万キロ近くを移動した。春は2月22日に出発し、5月18日に安曇野に戻った。58日間、1万6千キロの旅だった。戻った場所は、前年とまったく同じ安曇野の同じところ。毎年ほとんど同じ日に旅に出る。カレンダーもないのに不思議だ。
 このような追跡は、鳥に送信機をつけることによって可能となる。この衛星追跡システムをアルゴスシステムとも呼ぶ。アメリカの気象衛星(ノア)を利用している。ここでもドップラー効果を利用して鳥の位置が探知される。
 鳥にどうやって送信機を取りつけるのか。送信機の重さは鳥の体重の4%以内なら影響はないとされている。重さは12〜100グラムほど。羽毛に直接貼りつけたり、テフロンリボンをつかってランドセルのように背負わせる。
 鳥が渡りをするのは寒さから逃れるためではない。鳥は定温動物なので、気温の変化にはそれほど左右されない。鳥が渡るのは、食物を十分に確保するため。
 鳥が渡るときには、太陽の位置を体内時計で補正しながら飛んでいる。夜には星座を利用するし、地磁気も重要な手がかりとしている。それにしても、秋の出発地と春の到着地がまったく同じというのは、地図情報がなくてもできることなのか・・・。
 朝鮮半島の非武装地帯は、鳥たちにとって、残された数少ない良好な自然環境である。今や鳥たちがあてにできる自然環境は激減し、鳥の生存が脅かされている。
 送信機をつける鳥をどうやって捕まえるのか。ロシアでは、大型ツル類をつかまえるには、ヘリコプターで近づき、地上2メートルから人間が飛びおりて、ツルに抱きつく方法がとられている。しかし、これは人間がケガする危険は大きい。だから、睡眠薬を利用したり、わなをつかったりする。
 衛星追跡するには、10個体200日の追跡で850万円もの費用がかかる。うーん、大変です。写真のほか、大変わかりやすいイラストがついています。楽しく渡り鳥の生態が学べました。本当に学者って、すごいですよね。

吉備大臣入唐絵巻の謎

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著者:黒田日出男、出版社:小学館
 1943年うまれの著者は海外に一度も行ったことがないそうです。本当でしょうか。
 この本は、いまアメリカのボストン美術館に現物がある吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)を解説した本です。この絵巻には欠けているものがあると指摘し、その謎ときを試みています。読んでいるだけで、なんだか胸がワクワクしてきて、うれしくなります。目で見る絵巻なので、とても分かりやすいというのもいいですね。
 絵巻は日本の誇るユニークな美術品。有名なものだけで515点もある。源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵巻、鳥獣人物戯画は、四大絵巻と呼ばれているが、いずれも平安末期、12世紀ころの作品。
 吉備大臣(吉備真備)は、実在の人物であり、奈良時代の政治家・学者(693〜775年)。養老元年(717年)に遣唐留学生として入唐し、天平6年(734年)に帰国。孝謙(称徳)天皇の信任を受けた。天平勝宝3年(751年)に再び入唐し、同5年に帰国。藤原仲麻呂の乱の鎮定に功を立て、中国の文物の紹介・導入に尽力した。吉備(岡山県)の地方豪族の出身でありながら、右大臣・正二位にまでのぼった。
 この絵巻は、一人の画家が描いたのではなく、画家の工房によって制作されたものである。源氏物語絵巻もそうでした。
 絵巻は物語の進行を逆戻りさせることはない。それが絵巻表現のルールである。画家たちは、中国・唐朝の身分秩序を服装や被り物によって描き分けるだけの知識をもっていなかった。だから、それらしく中国風に描くしかなかった。
 中国の風俗を、行ったこともない日本の画家たちがいろいろ想像して描いてわけです。それにしてもよく出来ていると感心させられます。日本文化も、なかなか捨てたものではありません。楽しい絵巻の謎ときでした。

ミネラルウォーター・ガイドブック

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著者:早川 光、出版社:新潮社
 ミネラルウォーターについての実用的なガイドブックです。大いに参考になりました。
 高校生までは水道の蛇口から直接のんでいました。夏でも冷えた水で、うへぇー、鉄管ビールは美味しいや、などとふざけながらも、本当に美味しいと思って水道水を飲んでいました。私がミネラルウォーターを愛用するようになったのは、まだ10年にもなりません。今では、自宅では夏でもビールをほとんど飲まなくなり、かわってミネラルウォーターを飲んでいます。少し前までは、ビールのかわりに牛乳を飲んでいましたが・・・。年齢(とし)をとると、嗜好が変わるって本当ですね。きっと、身体が求めるのが違うのでしょう。
 2年前に中国のトルファンを旅行したとき、中国人のガイド氏がペットボトルのミネラルウォーターは必携だと再三注意していたこと、まさにこれは生命の水ですよねと言いながら、さも美味しそうに飲んでいたことが忘れられません。日本で水道水を飲んで下痢することはありませんが、外国に行くとその心配がありますから、ビールを飲むかミネラルウォーターに頼ってしまうことになります。それでも、今や日本人の47%が家で水道水をそのまま飲まないと回答しているとのことです。私もその一人です。朝おきたら、一番に前の晩のうちに昆布をコップ一杯のお湯につけたものを飲みます。
 日本ではミネラルウォーターは天然水とは限らない。日本のナチュラルミネラルウォーターは濾過・沈殿および加熱による殺菌(除菌)が義務づけられている。しかし、ヨーロッパの水は例外的に無殺菌での販売が認められている。なぜか? それは源泉の安全管理や周辺の環境保護において日本とは格段の差があるから。つまり、無殺菌で売れるほど安全だからだ。たとえば、「ボルヴィック」では、源泉の周囲5キロ以内を保護区とし、地上に建造物を建てるのはおろか、すべての地下活動も禁止して地下水を守っている。すごーい・・・。でも、それくらいするのが当然ですよね。日本がそれをしていないのがおかしいのです。
 日本人向けのミネラルウォーターが売り出されたのは1929年(昭和4年)が初めて。これは、現在の富士ミネラルウォーター。1983年(昭和58年)に売り出された「六甲のおいしい水」が一般家庭に初めて登場したミネラルウォーター。日本のミネラルウォーターは東京・大阪・福岡など、水道水に問題をかかえた地域に集中している。水道水の水質が比較的良好な名古屋では伸び悩んでいる。へー、そうなんだー・・・。
 しかし、今では水道水への不信からだけではなく、健康維持のためにも売れている。ミネラル摂取の不足、そして日本人の味覚が硬度の高い水に慣れてきたことにもよる。それでも、国民1人あたりのミネラルウォーターの年間消費量はフランスの142リットルに対して、日本はケタ違いの10リットル以下にすぎない。
 アルカリイオン整水器については、下痢や胃酸過多への効能や美容効果はほとんど期待できないことが分かっている。フランスの「コントレックス」は若い女性にやせる水として親しまれている。利尿性が高いこと、重くて渋いので胃に充足感を与えてくれ、空腹感を緩和するので、食べすぎという肥満の原因を除去してくれる。美味しいごはんを炊くには、「ボルヴィック」のような軟水をつかうべきで、「コントレックス」のような硬度の高い水だとパサパサになってしまう。
 たかが水、されど水です。安心して飲める水を子々孫々に残すのは、いまを生きる私たちの重大な責務だと思います。

蝉しぐれ

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著者:藤沢周平、出版社:文春文庫
 映画も見て、しっとりした江戸情緒を心ゆくまで堪能しました。薄暗い映画館のなかで過ぎ去った青春時代を思い起こしながら胸を熱くしました。味わい深い原作をもとに、大自然のこまやかな季節の移ろい、そして人さまざまの生き方が見事に描き出されています。
 陽炎のたちのぼる炎暑の坂道にさしかかり、父の遺体を汗だくになって必死に運ぶ文四郎。それを手伝おうとして隣の娘ふくが坂の上から駆けおりてくるシーン。黄金の稲穂が風に揺れる風景。水田に入って作柄の様子を調べている見まわり役人の苦労。雪をいただいた、威厳すら感じさせる堂々たる山並み。何かしら胸の奥につきあげるものを感じます。いかにもニッポンの原風景です。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」にも美しい情景と鮮やかな殺陣に魅せられてしまいましたが、同じ藤沢周平が原作でした。
 凛とした、張りのある美しい女優さんに強く魅せられました。憂いのある微笑みがアップでうつしだされると、ほかには何も目に入りません。まさに至福のひとときです。
 海坂(うなさか)藩普請組の軽輩・牧文四郎の父は藩内部の抗争に巻きこまれ、突然、切腹を命じられた。文四郎はその子どもとして苦難の道を歩みながら大きくなっていく。そして隣家に住む幼なじみの少女ふくは江戸にのぼる。やがてお殿さまの手がつき、側室となって郷里に帰ってくる。
 剣の道をきわめた文四郎に側室の子どもを奪う命令が下る。そこへ刺客たちが乱入し、側室と殿の子どもの命が狙われる。文四郎の殺陣まわりは迫真のものがあります。日本刀で人を斬ると血が人間の身体から噴き出し、刀はこぼれて使いものにならなくなります。斬り合いがいかに大変なことか痛感しました。
 そして20年後、文四郎は殿様と死別した側室ふくに呼び出され、久しぶりに再開します。静かな屋敷で、並んで庭を眺めながら話します。
 「文四郎さんの御子が私の子で、私の子どもが文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
 「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・」
 原作と映画では、このあたりが微妙に異なっています。原作は、この会話のあと何かが起きたことを暗示していますが、映画の方はあっさりしたものです。どちらがありえたのか・・・。私は原作を選びます。でも、映画の方がいいという人も多いことでしょうね。
 ふくを見送る文四郎を、黒松林の蝉しぐれが耳を聾するばかりにつつんで来た・・・。
 そうなんですよね。みんな青春の淡く、ほろ苦い思い出があるものなんです。

境界線を越える旅

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著者:池 明観、出版社:岩波書店
 私も「韓国からの通信」を愛読した一人です。といっても「世界」に連載されていたのを読んでいたというより、岩波新書にまとめられたものを読んだということです。岩波新書で4冊あります。ここに良心の叫びがある。そんな気がして、毎回、読みながら自分はこのまま何もしなくていいのかと、身もだえする思いでした。
 「世界」の1973年5月号から1988年3月号まで15年間も連載されていました。400字詰めの原稿用紙で1万枚ほどの分量になるというのですから、それだけでもたいしてものです。もちろん、その量よりも質です。その伝える事実の重みに泣きながら書いていたというのですが、惻々とした、いかにも抑えた筆致で、読み手の心に重くズシンと貫きました。
 その著者「T・K生」は長らく謎の存在でした。おそらく韓国内にいる複数の人物(学者)だろうと推測されており、私もそのように想像していました。しかし、それは日本にいる韓国人学者だったのです。本人が名乗り出たわけです。KCIAの探索もはねのけ、長く秘密が守られてきたことにも畏敬の念にかられます。
 この本は「T・K生」こと池明観教授の生い立ちから現在の心境を本人が語ったものです。読みはじめると、人間の良心とはこういうことなのかと、心が震える思いで、最後まで一気に読み通してしまいました。
 著者の父親は貧しい小作農民。精米所のベルトにからまる事故にあってまもなく死亡。著者はこのとき3歳。30代前半の若い母親と2人、苦難の人生を歩き始めた。
 小学校で大酒飲みの進歩的な先生(担任)に出会った。後に出会ったときには、この先生は共産党の幹部になっていて、著者と意見を異にする。しかし、小学生のころの著者に対して絶大な影響を及ぼした。やがて苦学しながら北京に学び、また韓国で師範学校で教え、さらにソウル大学に入った。大学3年生のとき、朝鮮戦争が始まった。
 この戦争は起こるべくして起こった。著者はこのように言い切ります。朝鮮半島は、北も南も、矛盾のなかに大いに荒れすさんでいたからです。
 韓国では、健康な若者は軍隊に引っぱられ、健康の悪い者は棍棒でたたかれて放免された。イデオロギーとは、いったい何のためのものであるのか。戦いの中で人間は残忍になる。人を殺せば勲章がもらえる。この世に生き残れる者は残忍なものだけなのか。
 著者は警備隊に入り、軍隊に入ります。そこで、軍隊の本質を見せつけられます。
 高級将校は避難民の女性を宿舎に隠しているのに、兵士が女性と性行為をすれば、当の女性が強姦などされていないと叫んでも銃殺刑に処せられる。他人には厳しく、自分には甘い。わが身の延命が最優先。軍人による正しい政治など可能であるはずがない。軍隊は腐敗していた。多くの高級将校がそうだった。5年間の軍隊生活のなかで、良心的な高級将校には出会ったことがない。将官級にのぼればのぼるほど、幻滅は増していくばかりだった。軍人生活のなかで優れた人間が育つことはない。
 韓国は軍人社会をくぐり抜けて、ようやく民主化を達成できました。その民主化運動には、著者のような海外にいる韓国人の運動があったことがよく分かります。
 金大中が大統領になった。ところが、その在任5年のあいだに金大中事件のことを調べたら真相は分かったはずなのに、金大中はなぜか真相を明らかにしなかった。これは現代史の謎のひとつだ。
 著者は、1993年4月、20年ぶりにソウルに戻りました。そして、今では韓国側から日韓問題について意見を述べています。
 日本は門戸を開放して世界交流をなしたときに繁盛し、その門戸を閉ざしたときに敗北している。これは厳然たる歴史的事実である。
 なるほど、そうです。そうなんです。教科書問題といい、小泉首相の靖国神社参拝といい、自らの過去を反省せず、海外友好を考えないでは日本の繁栄はありえません。
 著者は、いまの廬武鉉(ノムヒョン)大統領にも苦言を呈しています。廬武鉉は軍事政権と戦ってきたはずなのに、国民のなかに敵と味方をつくりあげている。これが韓国の政治状況全体を暗くしている。革命を口にしながら反革命に傾斜している。
 うーむ、厳しいな。思わず、私はうなってしまいました。それでも、日本の小泉首相よりはよほどまともな大統領だと思うのですが・・・。

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