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パティシエ世界一

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著者:辻口博啓、出版社:光文社新書
 店での仕事のすべてはコンクールで優勝するため、さらに言えば、自分の店を持つためのものだった。僕は一文無しだったし、たとえどんなに節約して、こつこつ貯金しても、5年や10年で店を持てるだけのお金がたまる計算にはならなかった。
 しかし、世界的コンクールで優勝すれば、きっと僕の良さを分かってくれるスポンサーが現れると思った。世界ナンバーワンになることが、僕にとって店を持つ近道だと、当時からそう考えていた。
 田舎から東京に出た。何のコネクションもない大都会で、じゃあ、成り上がるためにはどうしたらいいかを考えた。
 僕がコンクールに強いと言われるのは、食べていくため、成り上がるため、生活をつかみ取るため、そういう明確な目的を持って取り組んでいたからだと思う。ある程度の生活の保障がある人たちとは違って、飢えるってことが、どんなに恐ろしいことか分かっていたから。うーん、すごいですね。このハングリー精神で、見事にパリで開かれたお菓子の世界的コンクールで優勝してしまうんです。
 うちのシュークリームは1日200個の限定品。1個200円。実は原価割れの値段。つかっている卵は秋田の比内鶏(ひないどり)が産んだもの。店で10個800円で売っている。卵をこれに変えたら、味が劇的に変わり、自分でもびっくりした。バニラビーンズはタヒチ産。香りも、のびもいい。牛乳は低温殺菌。風味がいい。
 新しいものは、試作したら必ず商品になる。100%。というのは、試作前から頭の中で、味もデコレーションも含めて完全に出来あがっているから。僕の頭の中は基本的にお菓子だけ。今、僕にとってお菓子づくりは仕事であると同時に、趣味でもあるし、遊びでもある。でも、好きなことに打ち込んでいるからこそ、仕事としてお金をもらってもいいんじゃないかと思う。
 うちのプリンは、濃厚で、まったりしているんだけど、大人の感じが忍んでいるような・・・、そんなイメージを味にしてみた。
 うちでつかうアーモンドはスペイン産のみ。スペイン産は、丸みがあって、やや皮が堅く、中に含まれる油脂分が多い。この油脂分に旨みや香りが含まれている。カリフォルニア産に比べて、値段は3倍もする。しかし、味わい深いし、香りも抜群。
 うちの店では、チョコレートを1日に何十キロもつかう。バレンタインシーズンになると、毎日100キロくらい使う。ええーっ、そんなに大量につかうなんて・・・。
 人間って、不思議なことに、ひとつ手を抜きはじめると、これも、あれも、となってしまう。
 朝食は、いつも厨房で店のパンを食べる。飽きない。美味しい。なーるほど、すごい自信なんですね。こうまで言われると、私も食べたくなります。
 店を建ちあげる前、スポンサーとしてある女性に決めた。あなたの本当につくりたいものが作れるお店をやっていいわよ。この一言で決めた。それで、とりあえず、1億5000万円渡され、店を探しはじめた。半年前も店を探しまわって、やっと決めたのが今の店。今では、自由ヶ丘の人の流れを変えたとも言われているらしい。自由ヶ丘はパティスリー激戦区だということです。
 実は、オープンして半年間は、毎日、ポリバケツ2個分も捨てていた。今では、お菓子が売れ残ることは、ほとんどない。年に2度、ケーキが100個も残る日がある。大雪の日と台風の日。そんな日でも同じ量のケーキをつくる。そして、その残ったものをスタッフが楽しみにして食べる。月曜日も、夕方まで商品に余裕がある。うーん、ということは、月曜日の夕方に行くしかないみたい。
 店の朝は早い。スタッフは5時半。シェフは6時半。9時半に毎朝15分から30分間のミーティングをする。スタッフは、3人の枠に30人の応募がある。
 人生は、いつも思いどおりにはいかず、みんな一度は負けると思う。劣等感にさいなまれる時期もあると思う。でも、それさえバネにしてしまう強さと継続が何より大事。それがまた感性にフィードバックしてくると思う。実は、この最後の文章に出会ったとき、ぜひこの本を紹介しようと私思ったのです。さすがにコンクールで世界一になった人の言葉は違います。見習いたいものです。
 先日、能登に行ってきました。著者は七尾出身の人です。そこのホテルで、親しい友人から有名なパティシエだと聞かされ、さっそくお菓子も買ってきました。なるほど、評判を裏切ることのない味でした。ぜひ今度、上京したとき自由ヶ丘まで足をのばしてこようっと。

栗林忠道、硫黄島からの手紙

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著者:栗林忠道、出版社:文藝春秋
 1945年(昭和20年)2月16日、アメリカ軍は硫黄島に総攻撃を開始した。戦艦6隻、重巡5隻、空母10隻を主力とする大機動部隊が島を包囲し、艦砲射撃と1日のべ1600機の飛行機による爆撃。3日間のうちに爆弾120トン、ロケット弾2250発、海からの砲弾3万8500発が島に撃ちこまれた。3日後の2月19日朝、アメリカ軍の上陸用船艇が一斉に発進した。作戦は5日間で完了するとアメリカ軍はみていた。ところが、日本軍が反撃し、最初の2日間だけでアメリカ海兵隊は3600人の死傷者を出してしまった。
 栗林中将は、水際撃滅戦法をとらず、後方防御、それも地下陣地による迎撃戦法へと転換し、地下15〜20メートルの深さに陣地をつくり、延長18キロの地下道で結んでいた。無謀なバンザイ突撃もとられませんでした。
 それでも、4日後の2月23日朝、摺鉢山に向かったアメリカ海兵隊は頂上に達し、大きな星条旗を押し立てました。かの有名な写真は、その直後にとり直したものだということが判明しています。クリント・イーストウッドの硫黄島2部作の映画が上映されることになっていますが、私は先日、500円のDVD「硫黄島の砂」を買って見ました。ジョン・ウェインが主人公です。
 摺鉢山の陥落のあとも、実は、まだまだ日本軍は激しく抵抗します。アメリカ軍は26日後の3月16日に硫黄島全島を制圧しますが、そのときなお栗林中将は生きていました。戦死したのは3月26日、享年53歳。陸軍大将に昇進したことを知らないままでした。
 日本軍の損害は戦死1万9900人、戦傷1000人。対するアメリカ軍は戦死
6821人、戦傷2万1865人。死傷者合計は2万8686人。上陸した海兵隊の2人に1人が死傷したことになる。太平洋戦争でアメリカ軍の反攻開始のあと、その死傷者が日本軍を上まわったのは、この硫黄島だけ。日本軍の捕虜は、1033人。すべて負傷して動けなくなってから。
 この本は、栗林中将が家族に宛てた手紙を編集したものです。家族を思いやる内容に心が打たれます。奥さんは、2003年に99歳で死亡。二女が翌2004年に死亡(69歳)、長男が2005年に死亡(80歳)ということです。長男は一級建築士をしていたとのことです。
 1944年6月の手紙に9分9厘まで生還できないとの悲愴な心境が述べられています。
 もし私のいる島が敵にとられたら、日本内地は毎日毎夜のように空襲されるでしょうから、私たちの責任は実に重大です。私の健康からすれば、まだ20数年は生きられ、まだいろいろ仕事ができたろうと思いますが、鬼畜米軍のため、国難に殉ずることになります。
 7月の手紙には、この世ながら地獄のような生活を送っていますとあります。
 食事は乾燥野菜が主のため胸が焼けて閉口。清水は絶対ない。ハエとカは眼も口もあけられないほど押し寄せてくる。
 8月。ここに比べると、大陸の戦争は演習のようなもの。
 妻にあてた手紙で、おまえさんには長い間ほんとに厄介になりましたが、あまりいい目をさせずにしまうことが何より残念です。女ながらも強く強く生き抜くことが肝心です、と書いています。99歳まで奥さんは生き抜いています。
 島ではアリに悩まされています。ナフタリンくらいで退治できるようなものでないと訴えています。
 9月。私も米国のため、こんなところで一生涯の幕を閉じるのは残念ですが、一刻でも長くここを守り、東京が少しでも長く空襲されないように祈っている次第です。
 20歳の長男のことを常に気づかっています。何をするにも意志の力、つまり精神力が一番大切である。精神力を養うことは、何もたいしたことではない。日常の生活でおのれのわがままを封じることができれば、その目的は半ば達せられる。朝、眠たくても、時間がきたらガバとはね起きる。ただ、そのことだけでも、目的の一部が達せられる。
 うーん、なるほど、そうなんですよね。私も、一年中、いつも朝7時に起きるようにしています(ホテルでは、朝6時)。
 ところどころ硫黄島での写真もはさまれていて、かなりイメージがわきます。
 栗林中将は、最後まで健康をたもったようです。みなから不思議がられているが、それはやはり責任が重いから絶えず緊張していて、そのため病気にもならないのだろうと本人が書いています。なるほど、そのとおりなのでしょうね。
 最後の手紙は、アメリカ軍の総攻撃の13日前、2月3日の日付です。本土への飛行機に託したのです。戦争のむなしさ、切なさが惻々と伝わってきます。

集中力

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著者:谷川浩司、出版社:角川ワンテーマ21(新書)
 将棋を始めたのは5歳のとき。大山康晴、中原誠も同じで5歳のとき。羽生善治は6歳の終わりころ。うーん、なんという早さでしょう。そのころ私は、いったい何をしていたのか、思い出すこともできません。
 子どもが将来、将棋に強くなるかどうかは、思いついた手をどんどんさしていけるかがポイント。考えこんで指す子は強くはなれない。何か自分はこういうねらいを持っているのだということが、指し手に現れている子が伸びる。一時間かけて一局指すより、一局を10分、20分と数多くどんどん指す方がよい。直感的にどんどん指していく。知識や技術に頼るのではなく、閃いた手を指すのが、将棋に強くなる第一条件だ。そして、棋士の本当の強さの基盤になるのが集中力だ。うむむ、なるほど、そうなんですね・・・。なんだか、良く分かりますね、この指摘。
 20代の棋士には、将棋は技術がすべてだと考え、毎日6〜8時間も将棋の勉強にうちこむ人は珍しくない。しかし、30代になっても一日の大半を将棋盤に向かっているだけだという生活では、ちょっと問題がある。将棋の強さは、技術の占める面も大きいのだが、技術を100%出すには、その人の内面の奥深さが必要である。刻々と変化する局面に単純に対応し、こなしているだけでは、何も打開できない。状況をのみこみ、判断し、先を読む内面の広がりが重要である。将棋の研究以外に何かをプラスアルファできないと勝ち続けていけない。その意味で、30代に人間としての厚みを増やさないと、40代、50代と長く勝ち続けていくことは難しい。
 世界は違っても、弁護士についても同じことが言えると思います。法律論だけでなく、大局観が弁護士にも求められるのです。
 将棋を指しているあいだは、相手と会話を交わすことも、顔を見ることもない。視線は、せいぜい胸あたりまでで、神経は盤上に集中している。しかし、将棋を通じて、対局中の互いの考えや局面での心理は分かる。
 他人の力強さに焦っていては、自分の将棋に集中できるわけがない。
 トップにいる棋士の実力とは、不安と迷いのなかで、正しい手を選び、指せるという強さだ。そのためには、子どもの頃から、どのような厳しい局面でも、自分で考えるしかない。また、自力で考えるからこそ、勝つ喜びもあるという自覚を培うことが大切なのだ。
 集中力は、もって生まれた才能とは違う。好きなことに夢中になれるという誰もが子どものころからもっているもの。才能はそれほど必要ではない。最初の気持ちをずっと持ち続けられること、一つのことを努力し続けることを苦にしないことが、もっとも大事な才能なのだ。集中力の基本は、好きであることの持続。
 勝負に限らず、自分のペースを守り、集中力を維持するためには、感情をコントロールすることが大事だ。怒りで冷静さを失い、自分を見失ってしまうのでは損でしかない。
 焦らない、あきらめない。常に自分に言い聞かせた言葉である。小さなミスに焦らないという気持ちで集中していれば、「しまった」と焦らなくてすむ。プロの将棋では、とんでもない大ポカで負けるよりも、小さなミスが積み重なって負けるケースが多い。
 対局日が近づいても特別なことはしない。朝起きて、三度の食事をきちんととって寝る。睡眠だけはしっかりとって、ふだんの生活と同じレベルに対局があるのが望ましい。負けることに耐えられず、潔さを失ったら、将棋界から立ち去り、勝負から遠ざかるべきだ。
 うーん、なるほど。そうなんでしょうね。だから私は、勝負事には近づきません。そんなに潔く負けを認めることなんて、できっこないと自覚しているからです。
 小さな新書版ですが、内容にはズシリと重たさを感じさせるものがあります。さすが名人の言うことは違いますね。

わたしはCIA諜報員だった

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著者:リンジー・モラン、出版社:集英社文庫
 10代のころからスパイにあこがれていた女の子。スパイ小説の読みすぎです。ハーバード大学を優秀な成績で卒業して、あこがれのCIAについに入りました。
 CIAのスパイというのは、実はCIA局員ではなく、CIAのケース・オフィサーによってアメリカのために通常は金銭と引き換えにスパイ行為を働くよう勧誘された、不運な愚か者のこと。CIAは、そんな情報提供者を見つけて、査定し、関係をつくり、仲間に引きこむ。これを勧誘サイクルと呼ぶ。
 CIAに入ってすぐ過酷な訓練が始まった。一緒に入った仲間の大半は、鼻持ちならない傲慢な連中の集まりだった。日頃から、自分たちは最高であり、最優秀だと意識させられる。子どものように甘やかされ、大きな任務に貢献しているかのように錯覚させられた。
 厳しいサバイバル訓練を受けさせられる。毎朝、自分の車の安全を点検・確認させられる。海外に住むようになったら必要になると言われて。しかし、これで誇大妄想に陥り、やがて正気を失ったケースは数知れない。
 CIA内の不倫は珍しいことではない。尾行者をまくコツも教えられた。尾行者は変装する。しかし、靴を見る。靴の方まではめったに変わることがない。
 ケース・オフィサーとして情報提供者に会ったものの、きわめて疑わしい人間だった。嘘を言っているとしか思えない。CIAを金づるにしているのだ。
 9.11があってCIAが動揺したのは、ゲームの規則にしたがって動かない人間がいると分かったから。冷戦が終わり、伝統的なスパイ対スパイの戦法がもはや通じなくなった。だけど、CIAは今もなお、ゲームをやめたくない男性たちの集まりだ。
 著者がCIAを辞めたいと思った理由はたくさんあったが、イラク侵攻はアメリカがとったもっとも間違った方向だという確信が大きい。9.11の事件を起こしたテロリストの組織を撲滅しようとする努力がなんの実も結んでいないという事実をあいまいにするための、まったく不要なでっちあげの陽動作戦としか思えなかった。
 CIAの上司はこう言った。ブッシュ大統領は戦争をしたがっている。我々の仕事は、大統領にその理由を与えることだ。
 この話を聞いて著者は仰天した。それで、辞める決心がついた。
 CIAに入って、たちまち幻滅してしまったインテリ女性の体験記として面白く読みました。かの恐るべき謀略機関の総本山であるCIAも、なかの実情を知ると、たいした組織ではないようです。

リビアを知るための60章

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著者:塩尻和子、出版社:明石書店
 リビアはアフリカ大陸で4番目に広い国土をもつ国。日本の4.7倍。広大な国土は、93%が砂漠地帯。サハラ砂漠からリビア砂漠がある。しかし、紀元前6000年ころまでサハラ砂漠の大部分は森林や草原だった。リビアには、常に水をたたえて流れる河川は一本もない。食料供給の4分の3は輸入に頼っている。
 スペインはリビアを支配したが、労力を要する植民地支配を避け、港湾だけ支配した。
 イタリアのリビア支配は、オスマン帝国の支配とは比較にならないほど苛烈なものだった。30年間のイタリア支配下で、全リビア人の4分の1が死亡した。1998年になって、イタリアはリビアに対して、占領の賠償金として2億6000万ドルを支払った。
 革命を起こしたとき、カダフィ大尉は27歳でしかなかった。砂漠の遊牧民の子である。
 リビアの人口は900万人。97%がアラブ系とベルベル系の混血。アラビア語が唯一の公用語。しかし、英語はよく通じる。
 リビア人は、ほとんど誠実で穏やかな人柄。おとなしい国民性だが、驚くほど誇り高い人々でもある。
 日本で有名なカダフィ大佐は、カッザーフィーという。37年間も、この広大な国を支配している。革命の直後に、イギリスとアメリカの巨大な軍事基地を撤去させた。銀行は国有化し、新聞社・教会・政党を閉鎖した。石油のメジャー会社の言いなりをやめた。イタリア人やユダヤ人の不在地主の土地も没収した。
 カザーフィーは、首相でも大統領でも、まして国王でもない。わずかに大佐であるだけ。18歳以上の国民すべてが直接国政に携われるという建前のシステムだ。直接民主主義といっても、実際には、上に向かって権力が集中するピラミッド構造であり、あらゆることの決定権がピラミッドの頂点に存在する独裁体制になっている。

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