法律相談センター検索 弁護士検索

江戸八百八町に骨が舞う

カテゴリー:未分類

著者:谷畑美帆、出版社:吉川光文社
 花のお江戸では、水辺の屍(しかばね)は、町の風景のなかにすっかり溶けこんでいる。江戸の辻番所の規定には、池や川に死体が漂っているのを目の当たりにしても、とりあえずは届けなくてよいとなっていた。つまり、水死体は、きちんと処理しなくてもよく、たとえ見つけても、ぽーんと遠くに突き流してもよかった。ええーっ、ウソでしょう。と、言いたくなる話です。時期によるが、江戸の町は、実際、水辺を中心に死体がごろごろしていたと考えてもよい。なんと、なんと、そんなー・・・。
 江戸時代、火葬は土葬に比べて少なかった。二代将軍秀忠の正妻お江与(えよ)の方が1628年(寛永5年)に火葬され、埋葬されたのは、当時としては非常に珍しいことだった。墓が飽和状態になると、墓域全体に盛り土して、人工的に新たな埋葬地をつくりあげていた。
 町人層の人骨から骨梅毒が11.5%認められたのに対して、武家層からは3.5%だった。梅毒は江戸時代に大流行していた。杉田玄白は、年間の診療患者1000人のうち、700〜800人は梅毒にかかっていたと回想録で述べている。
 日本人の平均寿命は、1960年代までは、せいぜい50歳程度だった。19世紀までは、死産や早世などで、子どもが死ぬのは当たり前だった。人が成人まで生き残る確率は、きわめて低かった。江戸時代、死亡率全体の7割が乳幼児であった。
 江戸に出て来て白米を食べるようになると、江戸煩(えどやみ)になった。今でいう脚気(かっけ)にかかったということ。
 江戸時代の人々は義歯(入れ歯)をつかっていて、お墓にも入っていた。
 老人(60歳以上)が23%を占める墓地がある。長寿者は、地域の知恵袋として尊敬の対象となっていた。
 老人が楽しく生きられる社会は楽しい。老人が幸せに生きているということは、将来、老人になるであろう、いま壮年期を迎えた人たちにとっても、先々への不安を払拭することになるから。まことにそのとおりですよね。いつのまにか老人になるのも間近な私は、つくづくそう思います。
 江戸時代の定年は自己申告制だった。自分で仕事を続けていけるかどうかを自らで判断し、隠居願いを出した。その後の生き方を自分自身で決めていくことができた。なるほど、それもいいですよね。といっても、弁護士である私は、あまり早々と隠居したくはありません。ボケ防止のためにも、隠居は先送りするつもりです。
 江戸時代の庶民層の身長は、男性が155〜156センチ、女性では143〜145センチだった。ところが、縄文時代には、男性が158センチ、女性が147センチというのが平均だった。そして、弥生時代になると、男性163センチ、女性150センチに伸びた。古墳時代には、さらに男性163センチ、女性は152センチだった。なぜ、江戸時代に身長が低くなったのか。それは、食生活で油脂・タンパク質の摂取量が極端に少なかったからだろう。
 葛飾北斎の描く庶民の顔は、丸顔で低い鼻をもち、反っ歯の強いもの。これに対して喜多川歌麿の描く美人画に登場する人々は、細面で高い鼻をもっている。
 江戸時代、ハンセン病の治療薬として、漢方薬の大風子(だいふうし)が中国から輸入されていた。この輸入量からして、日本には50万人のハンセン病患者がいたとみられている。
 江戸時代に日本を訪れた外国人は、日本人には皮膚病と眼病を患っているものが多いと驚いている。江戸には下水道がなかった。というのも、排水のなかでもっとも大きな問題となる糞尿を下肥(しもごえ)として再利用していたから。生活排水は道にまいて地下に浸透させていた。排水として出されるものは、せいぜい米のとぎ汁くらいだったので問題とならなかった。
 江戸時代の人々の生活に改めて目を開かせる本でした。

霞っ子クラブ

カテゴリー:未分類

著者:高橋ユキ、出版社:新潮社
 人気ブログが単行本になったものです。手軽に、さっと読めます。中味は裁判ウォッチングです。平均年齢27歳の4人娘による裁判傍聴記なのです。
 副裁判官という言葉にぶつかり、えーっと、思いました。裁判長の左右にいる人を指しているようです。でも、副裁判官というと、なんだか準裁判官っていう感じですよね。実は、私の業界では副裁判官という呼び方はしません。
 スーパーで1394円の万引きをして正式裁判になった事件が紹介されています。本当にそんな事件があるんです。しかも、少なくないんです。そして、結果は懲役1年前後の実刑になってしまうことが多いんです。なぜかって言うと、たいてい常習だからです。所持金8000あって、600円の梨を万引きしようとして、求刑が懲役5年というケースにもぶつかっています。何億円も業務上横領した会社トップは大弁護団をかかえて争い、無罪になったりします。ホント、矛盾を感じますよね。
 裁判所や弁護士会館の地下にある食堂も紹介され、4人娘のコメントがのっています。私の大好物でもある弁護士会館地下のソバ屋のごまだれせいろウドンも紹介されています。これって、安い(580円)うえに本当に美味しいんです。ぜひ一度、食べてみてください。そして、農水省の地下食堂と売店もおすすめです。ここも安くて美味しいのです。
 法廷における裁判官、検察官そして弁護士たちの、あっ、もちろん被告人も、彼らの生態がきわめてリアルに、かつ情け容赦もなく、こと細かに紹介されています。こんな女性たちが傍聴席にいたら、気になって仕方がないでしょう。
 実際の裁判はどう進行しているのか、それを知るために役に立つ本です。

山の学校の子どもたち

カテゴリー:未分類

著者:長倉洋海、出版社:偕成社
 アフガニスタン北部のパンシール峡谷にある小さな山の学校の子どもたちが生き生きと学んでいる様子を紹介した写真集です。1980年からアフガニスタンを撮りつづけている写真家が標高3000メートルの山村に暮らす子どもたちの素顔を撮りました。どの子の顔も、実に生き生きと輝いています。はじける笑顔に圧倒されそうです。
 家から学校までは平均1時間。なかには2時間かけてやってくる子もいます。上流と下流の10の集落から170人ほどの子どもたちが毎日通ってきます。
 早朝の仕事を終え、朝食をとったあと、子どもたちは学校へ出かける。お母さんは、子どもと交代で放牧に行った。学校はお昼で終わる。そのあとは、放牧の仕事につく。
 朝8時から授業が始まる。校舎には窓ガラスも扉もない。たまに放牧中の牛が入ってくると、授業は中断する。教科書が足りないから、一緒に見る。椅子がないから、石を並べてすわる。
 休み時間になると、男の子たちはサッカーに打ち興じる。女の子たちは縄飛びをする。まるで日本の子どもたちを同じです。
 昼食は家からもってきたナンを食べる。学校のそばを流れる用水路の冷たい水を飲む。家で刈り入れが忙しいときには、子どもたちは学校を休んで仕事を手伝う。子どもたちも貴重な労働力なのだ。
 夕方、放牧から戻り、家畜を家に入れると、一日が終わる。
 山の学校の校舎は、戦争中は、難民の避難所としてつかわれ、学校は閉鎖されていた。この学校の机と椅子は、日本人がプレゼントしたもの。日本人のボランティアがここでも活動しているんですね。
 パンシール峡谷というと、ソ連軍がアフガン・ゲリラによって待ち伏せ攻撃などを受けて苦戦したところ、というイメージがあります。写真でみると、パンシール峡谷って本当に美しい地方のようです。でも、戦争のため、子どもたちの身内の多くが殺されているという現実もあります。
 アフガニスタンの山に住む子どもたちの様子を知ることができる素晴らしい写真が沢山あります。

生者の側

カテゴリー:未分類

著者:高岩 震、出版社:影書房
 「ベトナム・解放30年の現在(いま)」というサブ・タイトルのついた写真集です。
 著者が1993年から2002年にかけてベトナムで撮った写真が紹介されています。10年のあいだに計6回、のべ5ヶ月ほどベトナムに通ったというわけですから、ベトナムの庶民の暮らしぶりがよく分かります。
 元ホーチミンルートの村にも入っています。そこには鉄屑回収業者がトラックで村にやってくるのです。250キロ爆弾を1つ見つけると、1万円。これは農家の年収近くになります。戦後20年たっても、これだけの鉄が回収されています。なにしろ、アメリカ軍は、ベトナム戦争のとき、第二次大戦中に全世界でつかった砲爆弾の3倍を、狭いベトナムの国土に叩き込んだのです。今でも、人の足が入っていないヤブのなかに入ったら地雷の心配があるといいます。
 枯れ葉剤によって出来上がった禿山が延々とつらなっている光景は、見る者の心を寒々とさせます。
 自転車に乗って通学途上の女子高生たちの写真があります。みんな純白のアオザイ姿です。その凛々しさに目が魅かれます。
 大学生たちが休日に海水浴へ出かけます。ところが、あいにく海が荒れていて遊泳禁止。そこで、砂浜で、人間綱引きをしました。綱はつかわず、前の人の腰に両手をあてて、二手に分かれて引っぱりあうのです。
 ベトナムの娘さんと結婚する日本人の商社マンも紹介されています。ふっくらした美人の花嫁さんです。どうぞ、末永くお幸せに。
 ベトナムの人々は商売上手で有名です。中国人(華僑)にも負けないようです。
 ベトナムの最近の様子を紹介する綺麗な写真集です。

ドイツ病に学べ

カテゴリー:未分類

著者:熊谷 徹、出版社:新潮選書
 ドイツは世界最大の輸出国。EUのなかでも最大のパワーを誇っている。ユーロは、今やドルと円に並ぶ第三の基軸通貨としての地位を確立した。2005年以降は、中国や中東、日本の機関投資家がドル偏重を改めて、ポートフォリオの多角化を図るために、ユーロを積極的に買っている。
 ドイツからの輸出の44%はユーロ圏向け。ユーロ導入によって為替リスクを減らし、域内での競争を高めるので、ドイツ企業に利益をもたらす。今後、ユーロ圏が拡大すればするほど、最大の輸出国ドイツにとっては有利になる。
 ドイツの2004年の自動車生産台数は557万台で、アメリカ、日本に次いで世界第3位。ドイツ企業の強みは、プラントや工作機械、環境関連技術の輸出である。
 ドイツの電球は寿命が長いので有名だし、ドイツの平気は今も外国に人気がある。
 2005年には、ドイツのGNPの成長率は、わずか0.9%。日本は2.7%だった。
 ドイツの財政赤字は2002年から4年連続してGDPの3%をこえ、基準違反国となった。ドイツの失業率は12.7%、失業者は529万人。1994年以降、失業率が10%をこえる状態が12年間も続いている。
 国土の面積は日本と同じくらいで、人口は日本より35%少ない。旧ドイツの人口は、統一からこれまでに150万人も減っている。12年間でも120万人減っている。2005年ころから、国内で仕事が見つからないので、スイス、オーストリア、オランダ、デンマークなどへ移住するドイツ人が急増している。
 ドイツはストライキが最も少ない国として有名だった。労働者に強い発言権を与える制度が、労使間の情報交換とコンセンサスにもとづく決定を促進し、ストライキによって労働時間が失われるのを防いできた。
 離婚件数は1991年に14万件だったのが、2003年には57%も増えて21万件となった。
 1900年に制定された閉店法が今も生きている。ただし、今では平日は夜8時、土曜日も夕方6時まで買い物できる。もっとも、日曜日は、今でもパン屋やガソリンスタンドを除くと原則として禁止されている。
 ドイツでは、売春も合法的なビジネスとして認められている。売春婦には、年金、失業保険、健康保険などの社会保険の対象とする法律がある。つまり、売春婦も社会保険料や税金を払わなくてはならないかわりに、失業したら別の仕事につくための職業訓練を受けられる。
 ドイツのホームレスは、2002年に37〜45万人いる。貧困層は1,100万人。
 自己破産は、2005年に4万9000件。2006年には6万6000件。その主な理由は、失業、クレジットカードのつかい過ぎ、離婚。300万世帯が債務超過に陥っているとみられている。ドイツの自殺者は1万2000人。日本は3万人で、人口10万人あたりにすると23.6人。これに対してドイツは14.5人。
 年収1億4000万円をこえる市民が1万2400人いる。国民の0.02%。日本は、140万人で、国民の1.1%。所得格差は、日本の方が格段に大きい。
 この本は、日本とドイツの社会の状況を大変よく分析していると思いましたが、NHK記者だったせいでしょうか。今の日本のマスコミ論調とまったく同じで、何でも自由化を礼賛し、労働者保護の諸立法を経済発展の障害とみる傾向が強すぎます。私には、それがいささか気になりました。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.