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維持可能な社会に向かって

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著者:宮本憲一、出版社:岩波書店
 この本でもっとも驚き、かつ深刻だと思ったのは次の一文です。
 2005年6月のクボタ・ショックのとき、現場を訪れたのは高齢の学者のみで、学生や若い研究者は誰も来なかった。これが十数年前なら、若い研究者や学生がたくさん押しかけてきて、調査し、運動を手伝ってくれたことだろう。えーっ、そうなの・・・、それは大変だ。私は心底から、そう思いました。
 環境問題は、地球に優しい、というのが商品のコピーにはなっても、運動に参加する人は、むしろ激減しているというのです。そう言えば、私の身のまわりでも環境保護運動に力をいれているのは、むかし若かったという人ばかりで、20代、30代という若い人はほとんど見かけません。本当に残念なことです。
 「環境と公害」(かつての「公害研究」)は、発行部数は3分の1にまで減っている。環境問題はますます深刻化しているのに、影響力は落ちているのだ。
 沖縄はアメリカの植民地であり、日本は、かつてのソ連の衛星国の東ドイツと同じようにアメリカ帝国の衛星国である。いったい、日本人はドイツ人がベルリンの壁をこわしたように沖縄の基地を撤去できないのか。アメリカ軍への思いやり予算をやめ、アメリカ軍基地の公害をなくし、正当な賠償をもとめるべきだ。これは、日米安保条約の存廃とはかかわりなく取りくめること。このような常識的なことさえ日本政府が実行できないと言うのなら、まさしく日本はアメリカの衛星国にほかならない。私も、まさしく、そのとおりだと思います。
 アメリカではアスベスト訴訟が再び増加している。1990年代に沈静化するかにみえたアスベスト訴訟は1999年以降再燃している。2000年段階で、5万9000件の訴訟が起きている。被告8400企業、原告60万人の訴訟となっている。被告となっているのは、アスベストを直接製造した企業だけではなく、間接的な企業もふくまれる。これまでアスベスト関連で保険会社などが支払った賠償額は650億ドル。これは、9.11テロやハリケーンの被害を足したものより大きい。すでに73の企業が倒産した。
 日本人は日本病にかかっている。日本病とは、第一に長時間労働による余暇の貧困。
1987年の年間総労働時間は、フランス1643時間、西ドイツ1659時間、日本は2168時間。日本人は60日も多く働いていた。
 第二に住宅の貧困。うさぎ小屋と言われても仕方がない。第三に、深刻な公害・環境破壊。第四に、医療・福祉・教育などの施設・サービスの貧困。第五に、都市と農村の双方の危機。
 市町村合併は、区域が広がりすぎて、中心部をのぞいて周辺は衰退していく。高齢社会になるほど、コミュニティの存続のための狭域行政が必要だ。
 九州は道州制に熱心だと報道されていますが、私にはとても信じられません。大きいことはいいこと、では決してありません。役所が身近な存在でなくなるのは本当に困ります。歩いていけるところに福祉担当者がいる。そんな社会にしたいものですよね。むやみに公務員を減らしたら絶対いけないのです。もっとゆとりをもちたいものです。

がんに負けない、あきらめないコツ

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著者:鎌田 實、出版社:朝日新聞社
 著者は私と同じ、団塊世代。学生時代には全共闘の活動家としてヘルメットをかぶって暴れていたそうですが、ほのぼのとした心温まる今の文章からは想像できません。
 この本は、乳がんの患者だった40代の女性との往復書簡が中心となっています。本当に残念なのですが、この女性は51歳で亡くなられました。抗がん剤の限界のようです。
 毎年60万人の日本人が新しいがんにかかり、毎年30万人ががんで死ぬ。3人に1人ががんで死んでいる。日本全国に今300万人の人ががんにかかって生きている現実がある。そう言えば、私の依頼者にも、自分はがんだと言っている人が両手の数以上おられます。いくつものがんと共存している人も少なくありません。
 この本には信用できる抗がんサプリメントがあるかということも紹介されています。アガリクスもメシマコブもヤマブシタケも、みんな星一つでしかない。茶カテキン、イチョウ葉エキス、ポリフェノール、プロポリス、サメ軟骨エキスも、みんな星一つ。
 高麗人参は星一・五で、少し評価が高い。私は、実は、この高麗人参をかなり前から愛用しています。星一・五は、ほかに、リコピン、ビタミンC、E、コエンザイムQ10。
 星二つは、なんと、豆腐・みそ・納豆などの大豆製品。三つ星の抗がんサプリはない。
 抗がんサプリを盲信しないようにしよう。抗がんサプリは使い方を間違えると、かえって体を悪くすることがある。
 がんを予防できると明確に証明された食べ物はまだない。しかし、野菜や果物をたくさん食べることがよいことは、研究者の誰もが認めている。これを食べていればがんにならないという食べ物や栄養素は今のところない。
 お茶を丸ごとたべることを勧めていた広告塔のKさんは44歳のとき、がんで死んだ。アガリクスの広告塔だったMさんは69歳で、大豆を食べれば万病解決と説いていたOさんは65歳で、いずれもがんで死んだ。これを食べれば万全と信じている人に反面教師になる。そうだったんですか。広告塔だった人が死んだことは、やっぱり知らされないものなんですね。あたりまえのことでしょうが・・・。
 日中はがんばって仕事をし、夜は疲れてグッスリ休む。これが、交感神経と副交感神経のバランスがとれているときのリズムだ。無理が続いたり、心配ごとをかかえて苦悩する緊張状態が長く続くと自律神経のバランスが崩れる。心筋梗塞や脳卒中は、がんばりすぎて交感神経の緊張が重なったときに起きる。
 なるようにしかならないよ。ケセラセラ、なんていいながら、がんばらないほうが、結果的にがんと闘える。悪循環を断ち切って、がんばらない勇気をもったほうがよい。
 がんばらないというのは、副交感神経を刺激すること。あきらめないというのは、副交感神経を大事にしながらも、交感神経を少し刺激して、無理しない程度にがんばるということ。このがんばらない、とあきらめないのバランスは、自律神経のバランスとも一致している。
 著者は爪もみ療法を紹介しています。ちょっと痛い程度に爪の横を押す。すると、身体はびっくりして、血流を増やして刺激を洗い流そうと、副交感反射を起こす。体を温かい状態にするのは、とても身体に良い。体を冷やしてはいけない。冷房は発がんの原因になっている。私は、昔から冷房が苦手です。ですから、真夏でも背広姿がいいのです。

華族事件録

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著者:千田 稔、出版社:新人物往来社
 実は、この本は何年か前に買って(2002年7月発行)、どうせキワモノだろうとそのまま棚ざらしにしていたのです。でも、華族について別の本(「華族」、中公新書)を読んだこともあって読みはじめたところ、案外に真面目な本で面白く読めました。偉人の子孫たちが親の威光の重さに耐えかねて自沈していったケースのなんと多いことか、驚くほどです。
 最後の将軍徳川慶喜の子孫は事件や問題を起こす者が少なくなかった。四男厚は自動車でひき逃げ事件をおこし、弟は自殺し、厚の次男の妻は不貞事件で世間を騒がした。これは慶喜の子が多かったことにもよる。正妻との4人の子は死んでしまったが、2人の側室には、それぞれ6人の子どもをもうけた。
 西郷隆盛の子寅太郎は侯爵となった。その妻が大散財をして、家屋敷は成金へ9万円で売却された。昭和43年の佐藤内閣で法務大臣となった西郷吉之助は寅太郎の三男である。
 岩倉具視のあとは公爵家となって、公家華族の筆頭だった。しかし、家計のほうは火の車だった。具視の孫の具張(ともはる)は300万円という巨額の借金をかかえてしまい、行方不明になった。
 東郷平八郎の孫娘が家出をして、浅草雷門の喫茶店で女給として働くようになった。新聞に知られて大騒ぎになり、客から問いつめられて本人が実家に戻った。
 北里柴三郎の長男俊太郎は赤坂芸者と心中を図った。
 勝海舟は明治20年に伯爵になり、明治32年に徳川慶喜の10男精(くわし)を長男の長女の婿として養嗣子として、家督を相続させた。ところが、この精が昭和7年に自殺してしまった。その生前、華族くらい馬鹿らしいものはないと友人に言っていた。
 華族の子弟に赤化した者が少なくないのを知って驚きました。こんなにもいたのですね。
 大河内子爵の嗣子正敏の長男信威は18歳ころから左翼芸術に関心をもち、昭和3年に、全日本無産者芸術連盟(ナップ)の書記となる。昭和5年、父の正敏は貴族院議院を辞任した。この信威については、真面目な華族だから、社会問題に関心をもった、と書かれています。
 八条隆正子爵の次男隆孟(たかなが)は、東京帝大を卒業して日本興業銀行に入った。ところが、隆孟は、帝大時代から読書会、反帝同盟、新聞班などで左翼活動を始めていた。昭和6年10月、帝大前にいた学習院の在学生、卒業生を組織して弾圧下の日本共産党の資金源をつくる責任者となり、銀座の喫茶店で資金を共産党に渡していた。隆孟がとりこんだ学習院在学の華族とは、子爵松本貞宗の長男従五位直次、男爵山田貞春、男爵久本道秋の次男道春らである。女子学習院では、公爵岩倉具栄の妹靖子が含まれ、爵位をもたない者をふくめると男女30人あまりになる。たいしたものです。
 子爵森俊成の一子森俊守は明治42年生まれ。これは私の亡父と同じ生年です。東京帝大を卒業した。「資本論」読書会に入り、月3円を提供する共産党シンパとなり、赤旗などの共産党印刷物を配布していた。特別資金局の学習院班を結成し、ザーリヤの第二分隊長になる。昭和7年7月には、学習院班を片瀬、鎌倉、軽井沢、東京の四班に分けた。四班に分けることのできるほどの人数を獲得していたわけなんですね。
 公爵岩倉具春(ともはる)の三女靖子は学習院から日本女子大の英文科にすすんだ。純粋なクリスチャンだったのが、マルクス主義に傾斜し、ついに地下に潜った。靖子は共産党シンパとなり、資金を集め始める。上村従義男爵の嗣子邦之丞らと突撃隊を組織し、女子学習院の責任者となる。警察に検挙されたあと、転向したが、保釈されて実家に戻って自殺した。
 伯爵土方久敬(ひじかたひさよし)は左翼演劇活動にうちこみ、ペンネーム与志(よし)として、小山内薫らと築地小劇場をつくり、日本社会の現実を批判的にとりあげるプロレタリア演劇運動にすすむ。日本を抜け出し、パリ経由でモスクワに到着し、ソヴィエト作家同盟の大会で演説した。昭和8年には、共産党に6千円もの大金をカンパしている。これに対して宮内省は爵位返上の処分をした。戦後釈放されるまで与志は転向せず、戦後も劇場の演出家として活躍した。
 いやあ、すごいものです。華族の子弟にまで日本社会の悲惨な現実が見えていたことを意味すると思います。今の日本ではどうなんでしょうか。財界の大物や社長族の子弟に社会の現実は見えているのでしょうか。社会奉仕のボランティア活動をふくめて、社会改革の運動に身を置いている若者はどれだけいるのでしょうか。私は大学生のとき、セツルメント活動に4年近くいそしみました。地域の現実を見て、足を地に着けた活動の大切さを学ぶことができました。弁護士活動の原点として、今も忘れていません。

異端の大義(上)

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著者:楡 周平,出版社:毎日新聞社
 組合の執行部に選出される社員は,選挙で選ばれることになっているが,候補者については前任者から事前に人事部の了解を取り付けることになっている。何しろ組合執行部には,表にできない会社の秘密といえる情報を見せることになるからね。とくに,委員長・書記長・賃金部長といった団交前の事前交渉の席に着く三役は,将来の幹部候補生と目される人間があたることになっている。
 組合執行部の役職にある者には,それぞれに自由裁量でつかえる予算枠が認められている。書記長は2000万円,賃金部長は500万円。教宣部長でも400万円。
 組合との団交は出来レースということ。団交なんて、儀式。ベースアップやボーナスの額は三役と人事との間の非公式の事前交渉で、おおよその落としどころが決まる。あとは、連中の面子を立ててやるような形を整えてやればいい。なにしろ,事務・技術職からは月5000円,一般職からは月3000円の組合費を徴収している。シビアな交渉の末に,少しでも要求に近い条件を勝ちとったということにせんと,格好がつかんからね。
 日本の企業内組合のほとんどがこのような実情にあるようです。これが,結局のところ,会社執行部の独走を許し,無法地帯を会社につくってしまったように思います。少数・異端者に対して排除の論理でのぞんでいると、結局のところ、日産のように最後には企業そのものの存立が危うくなってしまうのだと私は思います。最近発覚したトヨタの欠陥車隠しも同じことだと思います。
 日本の労働組合に存在感がなくなってもう20年以上になります。30年前の国鉄のスト権以来,日本ではストライキが死語になってしまいました。私にはそれでよいとはとても思えません。非正規労働者の増大は企業にとっても本当に喜んでいていいのですか。職場の団結力と活力を阻害しているのではありませんか。
 余人をもって代えがたい仕事なんて,どこの会社にもあらへんよ。誰かがいなくなれば,その後を継ぐ者が出てくるもんや。私も,そのとおりだと思います。ポストにすわると,たいていの人はポストにふさわしい活動をするものなのです。私も実例をたくさん見ています。
 有力取引先からの縁故入社は,いわば人質。業務のうえで戦力にならなくても,別の点で会社の業績に貢献することは事実。この典型があの有名な電通だということは前に紹介しました。
 田舎では高校時代に成績のいい者の多くは,一番近くにある国立大学の教育学部を選ぶ。東京の名だたる一流校に入る実力があるのに。そして,大学を卒業すると,大企業への就職など念頭になく,故郷に戻って教員か役場の職員を目ざす。なぜなら、企業に入って夢をかなえられるのは,ほんの一握りでしかない。少ない可能性に賭けるより,確実かつ安定した道を選ぶ。
 組織に身を置く者の一人として会社側に立つのか,あるいは苦楽を共にしてきた仲間の側に立つのか自分の立場を明確にして事にあたらないと,苦しい思いをするだけでなく,双方に無用の混乱をもたらす。
 会社のなかには,常に理不尽ともいえる決断を迫られ,それを実行することを命じられている人間がいるものだ。それを乗り切れなければ,次に切られるのはあなただ。
 会社の方針にしたがって東北の工場を閉鎖する任務を命じられたエリート社員の苦悩が伝わってくる本です。

父の国、ドイツ・プロイセン

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著者:ヴィプケ・ブルーンス、慧文社
 ヒトラー暗殺計画に連座して処刑されたドイツ国防将校の娘によって、父親の日記がよみがえります。
 子どもというのは、あえて言うなら、親には、いわば供給源としてしか興味をいだかない。関係は自己中心的。どれだけ自分を守ってくれるか、世話をやいてくれるか、支えてくれるか。両親がどういう人間で、どんなことを感じ、幸せであるかどうかということは子どもの前を素通りする。
 本当にそうなんですよね。私は大学生のときまで、自分が大きくなったのは自分ひとりの力だとまるで錯覚していました。思えば恥ずかしいことなのですが、本当のことなので仕方ありません。親をバカにしきっていたものです。さすがに弁護士になって私も少し考えを改め、さらに親の一生をそれぞれ本にまとめてみて、親にも素晴らしい劇的な人生があったんだと気づかされたのです。父親のときには死んでから、母親のときにはボケはじめてからのことです。一冊の本にまとめる過程で、やっと親と対話することができました。
 プロイセン・ドイツでは、女性の左側を歩くのは、その女性に敬意を表し、慣例に従って礼儀正しく、距離を保っていることを示す。右側を歩くのは夫。右側は所有のあかしであった。
 1934年。ヒトラーがSAのムーム以下を射殺した事件が起きました。母親の日記には、こう書いてあります。
 ヒトラーがSAと党の内部で血を流しての大掃除をやった。きっとしようがなかったのでしょうけど、こんなふうにやるのは、これが最後であってほしい・・・。
 もちろん、これが最後ではありませんでした。夫も、ヒトラーによって処刑されてしまうのです。
 1934年8月。ヒンデンブルクが86歳で亡くなったあと、ヒトラーはドイツ国の大統領と首相を兼務した。ドイツ軍人は全土で新たな宣誓をさせられた。もはや憲法とか祖国ではなく、ドイツ国と民族の総統アドルフ・ヒトラー国防軍最高司令官に無条件に服従し、勇敢なる軍人として、いかなるときにも命を賭ける用意がある、と。
 この年、ドイツでは国民投票が行われました。ヒトラー賛成票が3800万票。反対票は430万票。無効票90万票。このように1割の反対が出た。しかし、ドイツ国民の大多数はヒトラー当選を祝ってお祭り騒ぎした。
 1936〜37年のドイツ経済はうまくいっていると思われました。なにしろ失業者が600万人から50万人に減ったのです。ドイツの輸出は活気を呈していました。
 父親のH・G・クラムロート少佐は身内のベルンハルト中佐(32歳)がヒトラー暗殺のための爆弾を調達しているのを知って黙っていました。ドイツ国防軍の司令官以下、参謀本部員は、党(ナチス)とSSの暴徒とは一切かかわりあいをもとうとしなかった。ナチ党でないもので固めるという人事がおこなわれていた。だから将校仲間では、転覆計画がおおっぴらに語られていた。
 1944年8月15日、2人は絞首刑を宣告された。ベルンハルトは爆薬調達のかどで、クラムロートはベルンハルトたちを密告しなかったことで有罪とされた。
 ヒトラーは既に判決を下していました。
 まともな弾丸など使うまでもない。その辺の裏切り者と同じ絞首刑だ。執行は判決言い渡し後2時間以内。即刻吊せ。あわれみなどいらん。家畜のように吊せ。
 両親の日記が残っていて、それを娘の目で再現していくというのは、スリリングな作業だということがよく分かる本です。
 最近、ドイツのノーベル文学賞までもらった高名な作家が17歳のときナチスに入党していたことを自伝で初めて告白して話題となっています。ドイツでは今もナチスの負の遺産の清算を真正面から議論していることが分かります。それにひきかえ,日本では東条英機の孫娘が戦犯として処刑された父親を神とあがめたてまつり,父親は悪くなかったと堂々と開き直り、それをマスコミはそのまま黙認して批判すらしませんでした。日本では,今もって負の遺産を清算しようとしていないことを意味しています。日本が侵略戦争を起こした事実をきちんと認め,その反省から戦後日本の平和が守られてきたことを私たちは思い起こすべきだと思います。

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