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赤ちゃん学を知っていますか?

カテゴリー:未分類

著者:産経新聞取材班、出版社:新潮文庫
 赤ちゃんの目の前に二つの皿がある。一つは赤ちゃんの大好物なクラッカーが山盛り。もう一つは大の苦手な生のブロッコリー。そして大人が、赤ちゃんの目の前でクラッカーの入っている皿から一つを取り出して「うわっ、まずい」と顔をしかめる。続いて、ブロッコリーを取り、「おいしーい」と顔をほころばせて大喜びで食べる。そのあと、赤ちゃんに、「ひとつ、ちょうだい」と、その大人が手を出す。さあ、赤ちゃんは、どうするか?
 1歳2ヶ月の赤ちゃんは、迷わず自分の大好きなクラッカーを取って差し出す。1歳半の赤ちゃんは、自分は大嫌いなブロッコリーに手を出して大人に差し出した。1歳半になると、自分はクラッカーが大好きだけど、目の前の大人はブロッコリーが好きだと理解している。1歳半未満だと、自分と他社の区別がつけられない。だから、自分の好きなものを他人にも渡す。ところが、1歳半になると、自分と他者がそれぞれ別の欲求をもっていることが分かる。ひゃあー、そうなんですか。私もぜひ実験してみたいのですが、子どもたちには赤ちゃんがまだ生まれそうもありません(結婚もしていません)。残念です。
 ベビーサインをつかった子どもには、つかわない子どもに比べて、会話能力が4ヶ月半ほど進んでいる。ベビーサインというのも、かなり意味があるようですね。
 ヒトは、他の動物に比べて、おっぱいの出具合が悪い。生存という観点からみると、できるだけ連続して吸ったほうが効率がいいはずだが、これも言葉を習得するための本能的行動だという。赤ちゃんが吸うのを休むと、母親は、「よし、よし」と揺する。そして、赤ちゃんは、再び自分からおっぱいを吸いこむ。
 ヒトの赤ちゃんは、あおむけの姿勢をとることで、早い時期から両手を自由に動かせるようになった。あおむけやおすわりという姿勢こそ、ヒトがヒトになるカギを握っている。
 言葉の意味を解さない赤ちゃんにとって、大人の語りかけは、あなたに興味がある、私を見てくれるとうれしい、というメッセージなのだ。赤ちゃんの行動やしぐさ、音に丁寧に応じることの積み重ねで、赤ちゃんに、自分のやることは相手に反応をさせる効果があると思わせる。つまり、自分が主人公なのだ、と。その自己肯定の感覚が自信や意欲につながり、言葉を伸ばす。うむむ、なるほど、そうなんですか。
 面倒くさがって、赤ちゃんに言葉を記憶させるためにテレビをつかってはダメ。親がそばにいて、きちんと相手をしてあげないと効果がない。赤ちゃんがおとなしくテレビの画面を見ていることは、決して集中力がついたわけではない。
 乳幼児にテレビを見せるとき、巻き戻して見ない、一回に30分、終わったらスイッチを消す、誰かと一緒に見る、見終わったら同じ時間だけ外で遊ぶ。これが大切。
 赤ちゃんにとってテレビは百害あって一利なし。テレビに子守りをさせたら、親子間のふれあいがもてない。
 母乳は赤ちゃんが欲しがるあいだ、欲しがるように与えればよい。断乳すると、赤ちゃんは一番大好きなお母さんに裏切られたと思ってしまう。母親にとっても、乳房を吸われることによって、分泌されるホルモンは母親の下腹部やお尻の脂肪を母乳の脂肪に変える。長く母乳を与えると、母親は美しいプロポーションになれる。
 赤ちゃんって、ヒトがヒトになる前の大切な一時期だということがよく分かる本です。身近なわが家にいないのが、残念でたまりません。
 黄金色の稲穂が垂れ下がり、そばに紅い曼珠沙華が咲いています。百舌鳥の甲高い声も聞かれ、一気に秋の気配となりました。暑い、暑いと言っていたのが嘘のようです。

トンデモない生き物たち

カテゴリー:未分類

著者:白石 拓、出版社:宝島社
 カモノハシは単孔類というほ乳類の仲間。電気を感じる力がある。電気センサーはくちばしにあり、表面上はただの小さな孔に見える。しかし、その奥には電気感覚をもった神経がずらりと並んだ部分があり、高感度な電気を感じる器となっている。カモノハシは、生き物が出す生体電気を探査していて、それを手がかりに、小エビやザリガニ、水生昆虫などを食べている。
 シロアリはアリとはまったくかけ離れた虫で、どちらかというとゴキブリに近い。ムヘイシロアリは敵が来ると、自分の腹部を爆発させ、体に含まれる有毒物質などをぶちまけて敵に浴びせる。まさに自爆攻撃だ。
 ザゼンソウという植物がある。むかし、尾瀬あたりで見たような気がします。ザゼンソウは、自分で積極的に初熱し、恒温動物のように一定温度に調節する。周囲が氷点下に下がっても、20度の体温を維持することができる。
 クモの糸は紫外線を吸収しやすい素材でつくられている。紫外線は昆虫類にはよく見える。そのため、紫外線を反射しにくいクモの巣は昆虫にはとても見えにくい。
 ウズグモの糸には静電気があるので、近づいた昆虫を引き寄せる。
 ウミホタルは、敵に襲われると、体内の分泌線からルシフェリンとルシフェラーゼを別々に、だけど同時に海中に吐き出す。そして、その二つが混ざると、両者の作用で青く発光する。体外発光する。
 ペンギンは、水中で翼を上げるときも下げるときも前進できる。ふつうは下げるときだけなのに。ペンギンは潜水する深さを計算して息を吸うときの空気量を調節する。浅くもぐるときはちょっと吸い、深いときはたくさん吸う。これは浮力とのかねあい。深いところでは体内の空気が圧縮されて浮力が減るため。浮力と重力がつりあい自由に泳ぎやすくなる。また、ペンギンはもぐっているあいだは、脳以外の臓器への血流を止めてしまう。翼の筋肉にも血液が行かない。筋肉は無酸素で動けるだけ動くのだ。ええーっ、そうなんだ・・・。信じられないことです。
 植物体内にも光をつかった高速通信システムがある。光が植物体内をかけめぐっている。この光は可視光ではなく赤外線。光ファイバーと違って、光が通路すすみながら、少しずつもれている。これは、植物体内に光が供給されていることも意味する。
 わが家にも夜になるとヤモリがよく登場します。窓ガラスにペタリと貼りついて動きません。このヤモリの足の裏は、1本あたり50万本もの繊毛におおわれている。この毛の先端とガラス物質との間に分子レベルの引力がはたらき、接着力のもととなっている。ファンデルワース力という。計算上は、ヤモリ一匹で40キロの重さを支えられるという。たいていの大人は、私ももちろん、天井のヤモリ2匹をつかんだらぶら下がれることになる。本当なんでしょうか・・・。実験したら面白いでしょうね。

君を乗せる舟

カテゴリー:未分類

著者:宇江佐真理、出版社:文藝春秋
 サブタイトルに髪結い伊三次捕物余話とあります。いつものことながらたっぷり江戸情緒を味わうことができました。
 函館に生まれた著者は団塊世代。今も函館に住んでおられるようです。
 はいはいができるようになった幼女が脇役として登場し、話の展開にふくらみをもたせています。このあたりの情景描写も心憎いものがあります。
 髪結い伊三次の裏の仕事は同心の小者。北町奉行所、定廻り同心の不破友之進の配下にある小者として探索に歩き、事件を解決していきます。若者愚連隊(旗本の二男・三男が主力)を取り締まろうと苦労し、また、若い女性の誘拐事件を鮮やかに解決します。
 漢字をたくさん知ることができます。木場(きば)。贔屓(ひいき)。丁場(ちょうば。得意先)。熨斗目(のしめ)。銀杏髷(いちょうまげ)。月代(さかやき)。仕舞屋(しもたや)。束脩(そくしゅう。謝礼)。例繰方(れいくりかた)。紙魚(しみ)。胡散臭い(うさんくさい)。
 江戸情緒にどっぷり浸るには、これらの小難しい漢字が読めて、意味が分かる必要があります。私の娘が漢検に挑戦中ですが、私も、いずれは受けようと思っています。やはり日本人なのですから、日本語を知る必要がありますので・・・。

1968年、世界が揺れた年(後編)

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著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
 1960年代後半になって、フランスは消費社会に変わった。突然、フランス人は車を持つようになり、家庭に屋内トイレが設けられるようになった。とはいえ、1968年までに屋内トイレを設けた家庭は、パリの半数にすぎなかった。
 1958年、フランスは17万5000人の大学生がいたが、1968年には53万人と、イギリスの倍になっていた。ところが、フランスの学生は4分の3が落第して退学したため、学位取得者はイギリスの大学の半数でしかなかった。だからこそ、ドゴールは最初のうち学生運動を歯牙にもかけていなかった。ドゴールは、運動に関わる学生は単に目前の試験を恐れているのだと考えていた。大学には学生たちが溢れ、パリ大学だけで16万人の学生を抱えていた。学生がデモを始めれば、その大義に共感したデモ参加者が数えきれないほどに膨れあがることになった。
 フランス共産党は、初めから学生たちのすることすべてに反対していた。そんな偽りの革命家どもは正体を暴かれてしかるべきだ、ジョルジュ・マルシェ書記長はこう言った。労働組合も同調しなかった。労働者もドゴール政権に怒りをつのらせていた。だけど労働者は革命を望んでいなかったし、ドゴール政権を転覆させることには関心があったが、それ以外の学生たちの問題については、どうでもよかった。労働者が望んでいたのは、労働環境の改善であり、給料値上げであり、有給休暇を増やすことだった。労働者と学生は、別々の運動だった。労働者が望んだのは、賃金や工場の抜本的改革。学生が望んだのは、生活の抜本的な改革だった。
 学生運動の高名な指導者であるコーン・ベンディッドはユダヤ系だった。左翼運動には多くのユダヤ系が参加していた。
 68年6月23日、ドゴール支持者は43%の票を勝ちとり、国民議会での絶対多数を獲得した。左派は国民議会の半数を失い、ニューレフトの学生は議席を得ることができなかった。
 1968年秋、ビートルズは最初の自主制作レコードをリリースした。片面がレボリューション、もう片面がヘイ・ジュードだった。
 アメリカで黒人暴動が起こるたびに、法と秩序を指示する白人有権者が増え、黒人とその権利にうんざりする人が増えた。人種差別撤廃運動に対する白人側の巻き返しは、一般にホワイト・バックラッシュと呼ばれた。ニクソンは、このバックラッシュ票をかき集めた。
 1968年の1年間のうちに1万4589人のアメリカ兵がベトナムで戦死し、アメリカ人戦死者の総数はそれまでの2倍となった。1968年は、もっとも犠牲の多い年だった。ひどい一年の締めくくりがリチャード・ニクソン大統領の誕生だった。
 この年、ビアフラで100万人が飢えに苦しみ、ポーランドとチェコスロバキアで理想主義が叩きつぶされ、メキシコで大虐殺が起こり、世界じゅうの反体制派が殴られたり無惨な目にあわされた。そして誰よりも世界に希望を与えた二人のアメリカ人が暗殺された。
 クリスマスの日、3人の宇宙飛行士が月面から100キロの軌道を周回し、上空から月面が灰色の荒涼としたでこぼこであることを明らかにした。
 1968年。私は大学2年生でした。6月から学園紛争が始まりました。いえ、他人事(ひとごと)のような紛争という言葉をつかいたくはありません。それに一兵卒としてかかわったものとしては、やはり学園闘争と呼びたいのです。大学がもっと学生の叫びと要求を真剣に受けとめてくれるものになってほしいと心から願っていました。ただ矛盾するようですが、もう一方では、勉強したくないという気持ちも強くありました。大学受験のような、押しきせの講義に対して反発していたのです。もちろん、好奇心の方は人一倍ありました。まったく矛盾する存在であり、行動でした。まさに20歳前後の分別のない年頃だったのです。この年に体験したことは貴重な青春のひとこまとして、今でも私の原点となっています。

1968、世界が揺れた年(前編)

カテゴリー:未分類

著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
 60年代後半の学生は、60年代前半の学生にはない体験をした。そのひとつが徴兵である。徴兵によって学生たちは、何千人というアメリカ兵が殺し殺されている戦争にいやでも駆り出される。
 もっと重要なのは、残酷で無意味な暴力に溢れた戦争そのものの様子が毎晩テレビに流れ、どんなに非難しても、こうした学生たちには戦いを止める力はなかったということだ。18歳で徴兵されるのに、21歳未満では選挙権すら与えられていないのだ。
 アメリカの選抜・徴兵局は、ひと月に4万人の若者を徴兵する計画だったが、その数は4万8千人となった。ジョンソン政権は研究課程の学生に対する徴兵免除を廃止し、7月に始まる会計年度のあいだに15万人の大学院生を徴兵すると発表した。この政策は、大学院への進学を考えていた若者たちに大きな衝撃を与えた。ローズ奨学金を受けてオックスフォード大学の大学院へ進学することになっていた、ジョージタウン大学政治学部4年のビル・クリントンもそのひとりである。大きな衝撃を受けたのは大学院にとっても同じこと。一年生として入ってくる20万人の新入生を奪われてしまうと訴えた。
 マーティン・ルーサー・キングは、アトランタの有名な聖職者の裕福な家庭に育った。FBIはキングの行動を執拗に追跡した。写真をとったり、周辺に情報提供者を送りこんだり、会話を録音して監視した。
 フーバー長官はキングと共産主義者とのつながりを暴くという名目をたてていたが、実際はまったくつながりがなかった。FBIが握った動かぬ証拠は、キングが日頃から何人もの女性と性的関係をもっていることを裏づけるものだった。キングは、セックスはストレス解消法だと言っていた。公民権活動家の多くもセックスにふけっていたから、キングを批判できなかった。キングが女性を追いまわしていたのではない。行く先々で女性に追いまわされていたのである。
 FBIはキングの情事に関する写真などを目ぼしいジャーナリストに提供した。しかし、それを報道しようとする者はいなかった。60年代には、この手の話題はジャーナリストの品位と倫理に関わるものとみなされていたからだ。
 キングが40歳にならないうちに白人脱獄囚に暗殺されたというニュースが広がると、たちまち暴動がアメリカ全土ではじまった。暴力事件は120都市の黒人居住地区で起きた。殺された黒人はワシントンDCだけでも12人にのぼった。
 この年、私は大学2年生でした。本当に世界が揺れた年です。日本は大変好景気が続いていましたが、学生は街頭デモをくり返していました。私も、銀座の大通りを何度もフランスデモで行進しました。深夜のことですが、壮観でした。なんだか世界を支配したかのような気分で,とても爽快でした。同じときにアメリカの青年は徴兵制のもとでベトナムの戦場へ狩りたてられていたのです。同世代の日本人青年がアメリカに行っているときに徴兵されてベトナムに送られ、日本に帰ってきたときに亡命を表明するということもありました。

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