法律相談センター検索 弁護士検索

中国農村の現在

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 田原 文起 、 出版 中公新書
 これは面白い本でした。中国については相当数の本も読み、何回か行ったこともありますので、それなりに分かったつもりでいましたが、実はまったく分かっていないことをこの本を読んで、よくよく自覚しました。
 韓国の、かの有名な「爆弾酒」ほどではありませんが、中国の宴会には酔いつぶれるまで乾杯を繰り返す儀式があります。私はそんなことはしたくありませんので、そんなときは、全然飲めないことにして逃げます。実は少しは飲みたくても、ガマンするのです。
 中国官界の宴会には、表向きの賑(にぎ)やかさの裏に、言外に秘められた意味がある。村幹部を含め、現代の「官場」に生きる人々は腹芸に長(た)けた役者であり、タヌキでもある。つまり派手な宴会にしておいて形式的に歓迎を表明しておくと、相手の本意を察した客人は気持ちよく引き上げてくれるだろうということ。だから、そんな腹芸を知らない、うぶな日本人は宴会の翌日、みんなが歓迎してくれていると思っていると、あわわ、まだここにいたの…という反応に出会うというのです。こんなこと、日本では考えられませんよね…。
 農村地帯に住む人々は、大都市の住民と自分たちを比べることはしない。あくまで身近な村人とのあいだで比べて競争する。なので、4階建の家が村のあちこちに次々に建つ。1階は物置きにして、2階に住む。3階と4階は、子どもたちが戻ってきたら、そこに住まわせる。それまでは内装せず、コンクリート打ち放しのまま。
 家は巨大であり、勇壮であり、豪華なものでなければいけない。周囲が4階建の家なのに、自分のところは3階建てというのは「面子(めんつ)を失う」ことになる。こうやって、村から大勢の人々が都会に出稼ぎに出ているところでは、次々に4階建の家が立ち並んでいく。
 中国で分家になるのは、日本と違って、本家が優位に立つことはない。あくまで兄弟間の徹底的な平等の関係が前提であり、兄弟は親の財産を公平に分配する。
 中国では古い古い昔から戦乱の時代が続いたため、非常に流動性の高い社会であった。ここが、日本社会と決定的に違います。日本には地縁的なムラ社会が古くからありましたが、戦乱に明け暮れた中国には、そんなものはありません。では何があるかというと、血縁。安全保障の最後のよりどころは血縁だったのです。すると、どうなるのかというと、血族の中の誰かが出世すると、その人は一族を援助する「道徳的義務」を負うのです。
 もちろん、これは日本にもないわけではありません。でも、韓国や中国ほど一族(血縁関係)に尽くすということはないように思います(私個人もそうですし、私の周囲にも見当たりません)。
 若い農村出身者にとって、大都市は憧れの対象ではあっても、自身との「引き比べ」の対象ではない。都市は働くだけの場所でしかない。
 伝統的な中国の農村には「村八分」はなかった。血縁にもとづく実力関係のほうが大事であり、地縁的な共同体が存在しなかったので、「村八分」というのは村民の行動を制御する力にはなりえなかった。
自分に関係のない人間と付きあうのは面倒くさい。これが家族主義者である中国村民の心情を的確に代弁している。
 中国の農村地帯に入り込んで聴き取りすることの難しさがひしひしと伝わってくる本でもありました。
(2024年2月刊。960円+税)

チャップリンとアヴァンギャルド

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 青土社
 さすがチャップリン研究最高峰の著者だけあります。知識の広さと分析の深さについ、うなり声をあげてしまいました。とても面白く興味深い本です。チャップリンに関心のある人には欠かせない本だと思います。
 チャップリンのもっている杖、あのよくしなる杖は日本の竹なんですね…。チャップリンの杖は、滋賀県の根竹。体を支えるためのものではなく、いろんなものの代用品となる。
 チャップリンの傑作の一つ、「街の灯」は、戦前の日本で新作の歌舞伎として演じられ、またチャップリンの遺族の了解を得て、最近、再演されたそうです。「街の灯」を歌舞伎で演じるなんて、想像もできませんでした。
映画「街の灯」が日本で初上映されたのは1934(昭和9)年のこと。アメリカでは1931年1月30日に上映された。ところが、日本ではなんとなんと、映画より3年も早く1931年8月に歌舞伎座で上演されたというのです。ただし、タイトルは「蝙蝠(こうもり)の安さん」。
 しかも、それより早く、1931年5月には東京の新歌舞伎座で辰巳柳太郎主演の「チャップリン」なる演劇が新国劇として上演されていたのでした。いやあ、すごいです。
 映画「移民」に出てくる揺れる船のシーン。実は、カメラに振り子をつけて画面のほうを揺らして撮影したというのです。つまり、船の甲板は水平のままなので、滑ることはない。そこで、チャップリンは、片足で立ったまま小刻みに足を動かして移動して、揺れる甲板の上を滑っているように見せている。いやあ、まいりましたね、そんなことまでチャップリンは出来たし、したのですね。身体能力の高さの極致です。
 チャップリンは1932年5月に日本に来ています。危く五・一五事件に巻き込まれそうになったのでした。このとき、チャップリンは歌舞伎座を訪れ、初代の中村吉右衛門とも話しています。チャップリンには日本人秘書(高野虎市)もいて、大の日本びいきでした。
 チャップリンは日本では、インテリ層には芸術哲学者として、一般庶民にはドタバタ喜劇の人気スターコメディアンとして幅広い層から圧倒的な人気・支持を受けていたのです。なにしろ、チャップリンが東京駅に来ると分かって、日本人が4万人も押し寄せたというのです。東京駅の入場券がこの日だけで8千枚も売れたというのですから、恐ろしい。
そして、2019年12月、再び国立劇場で『蝙蝠の安さん』が88年ぶりに再演された。それをチャップリンの息子が鑑賞して絶賛したというのです。うれしいことですね。
 チャップリンのトレードマークであるよちよち歩きは、両足のかかとをつけたまま、左右の爪先を外側に開いた状態で歩いていくもの。これはバレエの足の形で「1番」のポジションで動いているということ。しかも、歩くとき、上半身を決して左右に揺らさない。体幹をまっすぐに保ったまま歩く。これはバレエに通じるもの。というのも、チャップリンは俳優である前に、9歳のときから舞台に立ったダンサーだった。すごいですよね。
 チャップリンの「独裁者」が世界中でヒットしてから、ヒトラーは、大勢の群衆の前での演説をやらなくなった。チャップリンに笑い物にされたことで、ヒトラーの最大の武器が奪われた。いやはや、言葉の力は、スクリーン上の表現とあわせて、かくも偉大なんですね。
 チャップリンは反共の嵐の中、アメリカから追い立てられるようにして立ち去ります。その前にチャップリンが言ったコトバは、「私は共産主義者ではありません。平和の扇動者です」というものでした。チャップリンの究極の目的は世界中の人を笑わせること。
私は40年近く、毎年、市民向けの法律講座を開いていますが、初めのころはチャップリンの短編映画を毎回上映していました。ドタバタ喜劇ではありますが、単なるナンセンスものというのでもなく、少しホロリとさせたりして、一味ちがっています。
 チャップリンの天才ぶりを改めて認識させられました。
(2024年1月刊。2400円+税)

大インダス世界への旅

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 船尾 修 、 出版 彩流社
 世界各地を自由気ままに旅行し、写真を撮ってまわっている著者の旅行体験記です。
 カン・リンポチェは、日本人はカイラス山と呼び、チベット人仏教徒にとっては、一生に一度は巡礼したいと願う、聖なる山。
 今では、チベット旅行は自由には出来なくなっている。寺院の周囲を時計まわりにぐるぐる歩いて巡礼することをコルラという。
 チベットの飲むバター茶。バター茶は、バターとタンチャという茶葉を固めたものに熱湯を加えて撹拌(かくはん)した飲みもので、お茶というよりはスープ。初めはそんなにうまいとは思えず、飲み干すのに苦労する。ところが、慣れてくると、こんなにうまい飲みものはないと思うようになる。チベット人は、これを1日に何十杯も飲む。チベットは内陸の高原なため、空気がすごく乾燥している。だから、肌がすぐにガサガサになる。それで、バター茶を飲むことによって、皮膚を保湿する効果がある。そして、栄養価も高い。
 チベット人は日本のことを「ニホン」と呼ぶ。「ジャパン」ではなく、「ニホン」と呼ぶのは、世界中、チベット人だけ。
 チベット人の数字の読み方は、日本によく似ている。チィ、ニィ、スン、シ、ンゴ、ルック、ドゥン、ゲェ、ク、ヂュウ。いやあ、たしかにこれはよく似ていそうです。
 五体投地の方法でカン・リンチュを一周するには3~4週間かかる。
 うひゃひゃ、ですよね。とてもそんな気の遠くなるようなことは出来ません。
アルプスでの登山ポーターは割りのいい仕事だ。10日間から14日間ほどの行程で、1万ルピー(万6000円)ほどの収入になる。物価は日本に比べて大変安い。
(2022年11月刊。2700円+税)

関白秀吉の九州一統

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 中野 等 、 出版 吉川弘文館
 織田信長が本能寺の変で倒れたあと、天下人となった秀吉はその実力(軍事力)だけで全国を統一したのではなかったことがよく分かる本でした。
 九州における戦闘を止めるように秀吉が促すとき、それは「叡慮(えいりょ)」、つまり天皇の意向だからとするのです。
秀吉は、くどいほど天皇の存在に言及する。関白となった羽柴秀吉は、天皇の権威に依拠しつつ、国内静謐(せいひつ)を実現しようとした。
 秀吉は、九州において頑強に抵抗する薩摩の島津勢に対して自らが総大将となって九州にやってきて、ついに島津義久の降伏によって、「九州平定」を達した。ところが、これで「九州仕置き」が完了したのではなかった。肥後や日向そして肥前などで反乱や内紛が起きて、それを片付けるのにも苦労した。
そのうえ、秀吉は、その前から「唐(から)入り」を宣言していて、対馬藩を通じて朝鮮国王に服従を迫っていた。国内では、「伴天連追放令」を発し、また、「刀狩り」も発している。
この本では、「九州統一」ではなく「九州一統」となっています。「統一」というと、どこかの国に一つにまとめられたというイメージですが、強固な島津勢がいる一方で、それに反対する大友などの勢力もいるわけなので、「統一」というのはふさわしくないのでしょうね…。
 秀吉による「九州平定」作戦が遂行されていくときに見落とせないのが、イエズス会の軍事力と、九州各地のキリシタン大名の動きです。イエズス会は、長崎港と茂木港を大村純忠(バルトロメオ)から寄進を受けました。そして、この二つの港を軍事要塞化していったのです。
 この本によると、秀吉は石川数正の調略(引き込み)に成功したあと、家康討伐を決意したとのこと。たしかに、徳川家康にとって、長年の忠臣が突然、秀吉のほうに寝返りするなんて、とても信じられない思いだったと思います。自らの手の内が全部、「敵」に筒抜けになるという恐怖はきわめて大きかったことでしょう。
 ところが、秀吉が家康討伐を決意した直後の天正14年11月29日夜、大地震が発生して、それどころではなくなって、信長と家康の激突は避けられたのです。
 秀吉は文書を発行するとき、「判物」と「朱印状」とを使い分けている。判物は、大友義統や龍造寺政家そして、上杉景勝や徳川家康など…。そうでない人々は、朱印状ではなく、花押をすえた判物を発給している。私には、この使い分けの意味が理解できませんでした。
 秀吉が島津勢を討伐するために九州に大軍を率いて実際にやってきたのを「九州御動座」と呼ぶのですね…。
 秀吉は島津勢の領域としては、川内(せんだい)の泰平寺までで、それ以上は南下しませんでした。
 秀吉の「伴天連」追放令は、伴天連による仏法・排撃を禁じたもので、無条件に退去せよというものではなかった。
 秀吉から肥後をまかされた佐々成政は結局、切腹させられた。
 島津勢といっても、決して一枚岩ではなく、秀吉に屈服しないとして抵抗を続けた勢力もいたのです。島津にとっても領国運営は大変だったのです。大変勉強になる本でした。
(2024年3月刊。2500円+税)

四日目の裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 加藤 新太郎 、 出版 岩波書店
 この不思議なタイトルは、この本を読んで氷解しました。
裁判官になって良かったかと訊かれると、著者は、こう答える。
 「裁判官はよい仕事で、3日やったら辞められない。でも、4日目には辞めたくなったりして…」
私は弁護士になったことを後悔したことは一度もありません。それどころか、天職と考えています。おかげで日本全国47都道府県、行ってないところがありません。そして、歴史に登場してくる遺跡もかなりのところに足を運ぶことが出来ました。本当にありがたいことです。
 著者は裁判官40年、弁護士10年というキャリアです。「自由な精神空間を持つ仕事、それが裁判官」だとします。でも、私にはいささか違和感があります。その「自由」には、「権力からの自由」が含まれていると本当に言えるのでしょうか…。
 沖縄の国と県の訴訟は、いつもいつも「国の勝ち」です。それこそ、まともな理由もなく、行政のやることに間違いはないという一刀両断。同じことは、安保法制違憲訴訟についても言えます。まともに証人調べをしない。せっかく学者証人を調べても、その証言を生かすことはない。残念ながら、そんな裁判官ばかりです。たまに良心を守っている(と思える)裁判官にあたると、ほっとしますが…。
 青法協会員の裁判官を追放(「ブルーパージ」と呼ばれます)してから、気骨のある裁判官には滅多に出会えません。本当に悲しくなる現実です。
判決次第で、その後の経歴が左右されると裁判官が信じたら、委縮効果が及ぶ可能性がある。
 著者は、これをまったくの誤解だと言いたいようです。でも、弁護士生活50年の私に言わせたら、決して誤解なんかではありません。厳然たる事実です。著者のような「主流」を歩いてきた裁判官には「見えない」のか、「自覚がない」だけのことだと私は思います。
 私も、30億円というムダづかいをした地方自治体(市長)の責任を追及した住民訴訟で勝訴間違いなしとマスコミともども確信していたのに、敗訴判決をもらったことがあります。住民勝訴の判決を書いたときの反響の大きさに恐れをなして担当裁判官たちは住民を敗訴させたとしか思えませんでした。まあ、それが、至ってフツーの裁判官なんだと思います。
 著者は、和解について、こう書いていますが、この点はまったく同感です。
 裁判官が自ら案件を解決するという気迫を示せば、代理人・当事者もそれなりに意気を感じてくれる。そうなんです。裁判官が自分の心証を示して、これで解決したらどうかと言えば、かなりの確率で和解は成立するものです。ところが、自分の考えをはっきり言わないまま、「足して二で割る方式」の和解案を示す裁判官が、今も昔も少なくありません。
 著者は司法研修所の教官そして事務局長をつとめていますが、その経歴を詳しくみると、高裁長官から最高裁判事という超エリートコースに乗っていたのではないようですね。この点は、裁判官の思考法を知る点でも、勉強になりました。すっかり誤解していました。
 裁判官の思考法を知る点でも、勉強になりました。
(2024年4月刊。2300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.