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フランス父親事情

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:浅野素女、出版社:築地書館
 フランスは日本と違って出生率を回復しています。EU諸国の平均が1.5に対して、フランスは2.0です。いろんな出産優遇措置の成果だとされています。
 たとえば、2002年から、父親手帳なるものが誕生し、父親にも2週間の出産休暇が認められました。先の大統領選挙で惜敗した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルが家族・児童担当大臣だったときにスタートした制度です。父親学級だってあります。妻の出産に立ち会うのも、今や普通のことです。私は3人の子どもたちの出産に一度も立ち会ったことがありません。いつも、部屋の外で待っていました。
 フランスでは、2人に1人の子どもが婚姻関係にない父親から生まれる。フランスでは、生まれたときの名前が生涯を通じての正式名であり、日本のように結婚して名前が変わるという制度はない。
 2006年には、100組のカップルのうち42組が離婚する計算となる。カップルの寿命はますます短くなる傾向にある。1990年に共同生活を始めたカップルの15%が5年後に別れ、10年後には30%が別れている。
 中絶権は、女性たちの手にあり、父親の意思が反映される余地はまったくない。
 いまや、世界の真理は女性たちの手に握られている。そして、男たちは表面上は女性に対する理解にあふれている。だが内心、男たちは、戦々恐々、強くなった女性たちに畏れをなしている。
 父親の2週間の出産休暇は、3人に2人が活用している。このとき、給料の8割が保証される。これって、いい制度ですよね。うらやましいですね。
 父親は、子どもの前に、「他者」として立ちはだかる最初の人間だ。一方的に、母親の伴侶としての現実の父親の存在があって、もう一方に、頭の中につくられる父親像がある。むしろ、頭の中でつくりあげられた父親のイメージを通して、息子たちは、今度は自分が父親になるのである。なーるほど、ですね。
 フランスには、パクス(市民連帯契約)という制度があります。
 同性カップル、男女のカップルでも結婚したくないけれど、ある程度の社会的認知や保護がほしいときに有効です。これは結婚とちがって、市役所を通さず、裁判所の書記官を通すこと、ひとりの一方的な決断だけで契約解消できること、双方が自動的な遺産相続人とはならないことが大きな違いです。健康保険や税金面では、婚姻関係にあるカップルと同じ優遇措置が受けられます。
 うむむ、これはすごいですね。日本ではまったく考えられませんよね。日本の少子化を政府が本気で心配するのなら、若い人たちが安心して子どもを産んで育てられる環境をととのえるべきだと思います。その点が今の日本にはまったく欠けています。

選挙戦と無党派

カテゴリー:社会

著者:河崎曽一郎、出版社:NHK出版
 国民は選挙制度の不公平さをもっと怒るべきだと強調しています。本当にそのとおりです。現状は、大きくて強い政党には圧倒的に有利な選挙制度である。これが改革・改善されない限り、選挙は選ぶ側・弱い者の真の味方には、とうていなりえない。そうなんです。
 たとえば、比例代表選挙において、自民党は8議席、民主党は5議席も取りすぎている。その逆に共産党と社民党それぞれ4議席も少ない。プラス・マイナスあわせて26議席も歪んでいる。これは総定数180に対して14%以上も歪んでいることを意味している。これでも比例代表選挙制度だといえるのか、重大な矛盾、疑問を感じる。
 自民党と公明党との選挙協力は、国政選挙だけなく、地方選挙でも確実にその威力を発揮している。むしろ自民党と公明党との選挙協力の歴史は、国政選挙よりも地方選挙のほうがはるかに古く、実績を重ねている。
 自民党にとっては、公明党・創価学会のもつ700万票前後の組織票の全面的な協力が政権維持の絶対的な条件になっている。また、公明党にとっても自民党との選挙協力がなければ、衆議院の小選挙区で議席を獲得するのは至難の業である。公明党は選挙協力によって自民党の第一党としての議席を保証し、下支えすることによって、連立政権での発言力、影響を維持・強化している。
 公明党は、自民党との選挙強力によって、比例代表選挙で少なくとも3〜5議席を上積みしている。単独で選挙をたたかったら20議席とみられる。期日前投票の比率がもっとも高いのは公明党である。
 無党派層は、支持なし層から政治的・社会的に進化した人たちが多い。無党派層の4人に3人は、いつでも特定の政党を支持する用意があり、政党に期待感さえもっている人たち。生涯無党派という人は、5人に1人しかいない。
 無党派が過半数をこえた最大の原因は、政治不信、政党不信だった。無党派の投票行動にもっとも大きな影響を支えるキーワードは、新鮮な魅力である。
 無党派の第一の特徴は、いつも女性のほう男性よりに圧倒的に多いこと。第二に、男女とも青年層(20〜39歳)にもっとも多い。第三に、家庭婦人と勤労者が多いこと。無党派層の政治意識は高く、圧倒的に野党、反・非体制側に投票している。つまり、政治の現状に強い不満・不信感をもち、政治の改革・改善・刷新などを求めている。
 無党派層の要求は、個人的な商売・金もうけ・利益よりも、弱者の立場に立った社会性の強い、まっとうなものが圧倒的に多い。
 無党派層といわれるものの実体がよく分析されていると思いました。それにしても日本の投票率が6割を切るというのは低すぎますよね。フランスの大統領選挙は85%だったと思います。日本人は、選挙権をもっと大切にすべきではないでしょうか。

南方熊楠

カテゴリー:日本史(明治)

著者:飯倉照平、出版社:ミネルヴァ書房
 明治時代の巨人として有名な南方熊楠の伝記です。私はミナカタという読み方をずっと知りませんでした。ナンポウとかミナミカタと読んでいました。この本によると、ミナカタということですが、南方をナンポウと読ませる人もいるそうです。
 信濃守護についていた小笠原家に北方、南方、東方、西方という四家老がいて、その庶出の孫などが各地に分かれて南方を名乗ったということです。明治維新の前はみな小百姓だったが、のちに商家となったものもあり、その一人が父親の婿入りした南方家を起こした。もともと、あまり格の高い家ではない。このように紹介されています。
 熊楠の和歌山中学での成績は、とくに目立つような優等生ではなかったそうです。偉人にも昔から、そういう人っているんですよね。
 熊楠は博覧強記で有名ですが、そのもととなったのが、小学生のころから『和漢三才図会』でした。中学生のとき、原本105巻を借り受けて、最後まで全巻を書き写したというのです。15歳夏に写し終えました。これはすごいことです。さらに、中国の『本草網目』そして、『大和本草』まで書き写したのです。並の人間にはとても出来ません。
 熊楠は和歌山中学を卒業すると、上京して東京大学予備門に入学した。第一高等学校の前身です。明治19年(1886年)から熊楠はアメリカに留学します。
 さらに、イギリスに渡り、1898年12月までの3年半は、大英博物館に通い、さまざまな書籍を書き写しました。大英博物館は、一切が無料公開され、亡命者のたまり場となっていました。不遇な立場にある者や貧しい勉学者にも居心地が良かったようです。
 イギリスで熊楠は中国の孫文とも親しい交流がありました。夏目漱石は熊楠と入れ替わるようにロンドンに留学しています。漱石は国費留学生として月150円が支給されていました。熊楠は、日本の弟からの送金が月80円でしたから、生活は大変だったようです。
 熊楠は1900年(明治33年)10月に14年ぶりに日本に帰国しました。
 熊楠は1911年から1914年まで、大蔵経を抜書する作業に没頭しました。
 4000頁をこえる膨大な量の抜書があるそうです。これだけの努力をするのですから、博識になるのも当然ですよね。
 それにしても私が驚いたのは、大蔵経のなかに、おびただしい数の男女の愛欲や逸脱した性の態様、とくに禁じられた事例としての自慰、不倫、同性愛、近親相姦、獣姦などがあったということです。ええーっ、まさかー・・・とつい唸ってしまいました。経典というから、高邁な理論が述べられているだけと思っていましたが、そうではないのですね。
 熊楠の一世一代の晴れの舞台は、1929年6月に昭和天皇に対して進講したことです。粘菌について話したようです。
 熊楠を知ることのできる伝記でした。

うなぎ丸の航海

カテゴリー:生物

著者:阿井渉介、出版社:講談社文庫
 日本人の食べるウナギの相当量はヨーロッパから輸入される大西洋ウナギだそうですが、この大西洋ウナギの収穫量が激減しているそうです。この本は、日本産ウナギの産地探しの苦労話です。『アフリカにょろり旅』の主人公の先生たちも登場します。ウナギの産卵地調査は、年々減少の一途をたどるウナギ資源の確保のためでもあるのです。
 ヨーロッパウナギそしてアメリカウナギの産卵地が大西洋にあるサルガッソ海の数千メートルの深海であることが突きとめられたのは1922年のこと。
 では、ニホンウナギの産卵地は一体どこなのか。1967年、台湾の南、バミュー海峡でレプトセファルス(ウナギの仔魚)が発見された。1991年、マリアナ諸島の近くで、さらに小さなレプトセファルスが採集された。しかし、それ以上はなかなかつかめなかった。
 ウナギは群れをつくる魚ではない。一尾いっぴきが孤独に旅をして産卵場にたどり着く。
 ウナギの耳石によると、4月から11月、とりわけ6月から7日の新月の夜がウナギの産卵の日。6月の新月以前に到着したウナギは新月を待ち、それに遅れたものは海底の岩穴にひそんで7月の新月を待って、その日に産卵する。これを新月仮説という。
 レプトとして黒潮に乗ったウナギは、沿岸で体長を縮め、薄い葉っぱの形から初めて親と同じ姿になる。形は同じだが、透明なシラスウナギだ。これが河川に遡上すると黒くなる。そして、7月から10年くらいで、体長60から100センチ、銀色の光沢をもつ銀ウナギに成長する。すると眼を胸びれが大きくなって、台風の増水に乗って海に下る。そして黒潮に逆らうか横切るかして、延々数千キロを泳いでいく。海に入ると一切餌をとらず、胃や腸は縮んで消えてしまう。かわりに雌は卵、雄は精子で腹がはちきれそうに膨らむ。
 ただし、黒潮に乗って沿岸に達したウナギたちの中には、河川に遡上せず、一生を海水中に暮らすものもいるようだ。これはウナギの耳石に含まれるストロンチウムの解析から最近になって判明したこと。
 ウナギはなぜ数千キロの旅をして、卵を産みにふるさとに帰るのか。
 ウナギが数千キロを泳いで、この海まで卵を産みに来るのは、1億年もちきたったDNAによる。恐竜がのし歩く白亜紀にウナギの祖先は地上に現れた。現在のボルネオのあたりに。ウナギは熱帯のぬるく浅い水の中で、豊かな餌を食べて繁栄し、分布を広げていった。グアムに近い熱帯の海で産卵し、孵化した卵は、プランクトンとして北赤道海流と黒潮で運ばれつつ成長し、半年して親の姿になったところで接岸、そして河川に遡上、成熟して降海し、生まれ故郷まで、また数千キロの旅をして産卵という大回遊路を生きる形としてつくりあげた。
 すごいウナギの生き方です。これからは心してウナギのカバ焼きをいただくことにします。ハイ。
 いま、わが家の庭には白、黄色、ピンクそして朱色の百合の花が咲いています。まるで空に青い花火をうち上げたようなアガパンサスの花も咲きました。アジサイと同じで、梅雨の雨にうたれる風情がいいのですが、残念なことに今年は雨が少ないようです。田植えの準備がすすみ、あとは雨が降るだけです。

選挙の民族誌

カテゴリー:社会

著者:杉本 仁、出版社:梟社
 実に面白い本です。ええーっ、日本の選挙って、こうなのか、こうだったのかー・・・と、内心さけんでしまいました。甲州選挙という山梨県の選挙ですが、日本全国共通しているところも大いにあるように思います。
 選挙は、なぜかくも人の心をとらえるのか。選挙の当事者とその周囲の人にとって、選挙戦はまさに生きるか死ぬかの戦争だからである。甲州のムラ選挙は、4年に一度の、待ちに待ったムラ祭りの様相を呈する。
 山梨では、家格が重んじられる。家格とは、家の歴史総体への現在的評価である。この家格が視覚的にわかる装置が存在する。寺の本堂に安置されている位牌の場所と大きさが、そのバロメーターになっている。
 ムラの三役は、区長、氏子総代、寺総代。ここから、候補者が決まっていく。
 候補者が決まると、選挙ヒマチ(人寄せ)が始まる。個々人でなく、ムラの組単位ごとに候補者の家に呼ばれる。
 戦後しばらくは、ムラ人は毎日、酒を飲むという習慣はなかった。ところが、選挙のときには、タダ酒がふるまわれた。甲州人はバクチ好きで、有権者は選挙をバクチと見なし、選挙そのものも賭事の対象とした。
 選挙運動の期間となると、ムラ人の手伝いは忙しさを増す。オテンマ(共同作業)にデブソク(出不足)は許されない。
 婿養子が、ムラの実質的構成員として名実ともに一人前として認知されるための近道が選挙だった。ムラ人の手荒い暴れみこしに乗り、散在する選挙こそ、実質的なムラ入りにふさわしいものだった。
 投票当日は、早朝からの狩り出しではじまる。ときには、投票率アップのため、ムラ全体で替玉投票や不正な不在者投票などが行われたりする。
 血縁と地縁の入りまじった言葉として血類(じるい)というものがある。
 政党は無尽(むじん)の集票機能に着目し、候補者は無尽を巧妙に活用した。選挙無尽がいくつもできあがる。無尽は頼母子講とも言われますが、福岡でも今も生きています。それが破綻したときが大変です。ひところ、筑後地方で大量の裁判がありました。
 小佐野賢治も金丸信も、この山梨の出身者である。金丸の家筋は武田信玄につながる名家そのものであった。
 日本的政治風土の基層をなすものが、体験もあわせて、よくよく分析されていると感心しました。選挙って、ホント、ドロドロしたところがあるんですよね。
 今度、山梨の弁護士に最近の実情を聞いてみたいと思いました。

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