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ダ・ヴィンチ、天才の仕事

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ドメニコ・ロレンツァ、出版社:二見書房
 すごい本です。ダ・ヴィンチのスケッチを立体的な模型をつくって再現してみせてくれます。いかにも精巧な仕組みを目のあたりにすると、ダ・ヴィンチが文句なしに天才であることが、よくよく分かります。
 ダ・ヴィンチは1487年から1519年に死ぬまで、ノートにいろんなスケッチと解説を書きしるした。それをコンピューター・グラフィック(CG)で、ことこまかに再現したのが、この本です。機械仕掛けの翼、空気スクリュー、飛行機があります。
 ダ・ヴィンチはドビウオに着目した。水中でも自由自在に動き飛べるから。この法則をつかみ、それを生かせば、人間も空を飛べるはずだと考えて研究を重ねたのです。ダ・ヴィンチの構想が、こんなに細かく精密なものだったとは知りませんでした。
 ダ・ヴィンチは、武器の開発にも乗り出しています。大砲、多銃身砲、連射式大砲、回転式大砲、防御壁、戦闘馬車、装甲車、要塞などです。
 ダ・ヴィンチの描いたスケッチをもとに、その小さな部品まで全てがことこまかに図解され、再現されています。ただただ驚くしかありません。
 ダ・ヴィンチは後年になって、戦争を「残虐非道な狂気」と呼びましたが、突起のついた車輪など、大量殺戮兵器をいくつも考案して、領主に提案しました。
 ダ・ヴィンチはイタリアで生まれましたが、晩年はフランスのロワール川沿いのアンボワーズで暮らしていました。私も2年前にロワール川のお城めぐりをしたときに、ダ・ヴィンチの遺品を展示した博物館に入ったことがあります。
 ダ・ヴィンチの天才的な創意・工夫のすごさを視覚的に知ることのできる本でした。
 日曜日の午後から、福岡の大学で仏検(一級)を受けました。難しすぎて話になりません。一問目の名詞に換えて同旨の文章につくり変えるのは5問とも全滅でした。二問目の動詞もまったく思いつかないものばかりです。三問目、四問目も厳しく、壊滅状態。長文読解で、ようやく息をつき、仏作文は、それらしい文章にするのに四苦八苦しました。それでも私が一級を受け続けているのは、書き取り試験が7割ほど点がとれるからです。長くフランス語を勉強していますので、耳で聞きとるのだけは、前よりずっと出来るようになりました。自動車を運転しながらシャンソンを聞くのが楽しみです。
 いま、わが家の庭にはグラジオラス(白やピンクの花を咲かせています)、カンナ(斑入りの黄花で、見ると爽やかな風を胸のうちに吹かせてくれます)、そして橙色のノウゼンカズラがフェンスを飾っています。初夏の到来です。

刑務所改革

カテゴリー:司法

著者:菊田幸一、出版社:日本評論社
 日本の刑務所の現状と問題点について多角的に検討した本です。とても勉強になりました。
 最近、山口県で民営刑務所がオープンしました。PFI方式というそうです。法律が改正されないままに、このような刑務所民営化がすすむことに重大な疑問が投げかけられています。なるほど、そうですよね。その最大の問題は電子監視システムによって、職員と被収容者との対話によって処遇するという理念に反すること、人と人との信頼感を前提とするのではなく、警備的発想にもとづくシステムでいいのか、ということです。
 PFI方式と民営化とで異なるのは、PFI方式は、あくまで管理者は公共部門だということです。アメリカなどで、このPFI方式による刑務所が先行していますが、そこでは、企業の営利追求のあまり、民間職員が十分な装備も訓練も受けず、矯正に関してまったくの素人であり、ひたすら被収容者が満員であり続けることしか願っていないため、逃走事件までひき起こしているということです。それは職員全体の処遇を悪化させ、職員のやる気を失っていく心配があります。営利本位と矯正教育との両立は難しいのではないでしょうか。もっとも、フランスではうまくいっているという報告もあります。
 海外視察をした人が日本の刑務所を見ると、次のような感想を述べるそうです。
 日本の受刑者には表情がまったくない。つまり、暗い。能面のような顔をしている。外国の刑務所では、受刑者の表情が非常に豊かだ。訪問者に対して「こんにちわ」と挨拶もする。日本では考えられもしない。日本の収容者は、刑務所内ではまるでロボットだ。一列に並ばされ、軍隊式の行進を強制している。
 アメリカの多くの刑務所は、食事の場所こそ異なるが、受刑者の調理した同じものを職員も受刑者も食する。受刑者の大きな関心事である食事から人権尊重の姿勢を示そうということ。アメリカでは、受刑者が自分で調理しているという本も読みました。
 フランスでは収容者は私服を着ている。イギリスは制服だが、ジャケットをはおることができる。スイスは官給であっても、当局がいろんな服を買い集めて、支給している。
 日本では、刑務所内で作業しても、一人平均月4050円にしかならない。これは、就業に対する対価ではなく、恩恵として支給するものである。
 刑務所に入っているあいだ選挙権を奪うという現行法についての疑問も提起されています。自由を奪うだけでいいではないか、あくまで主権者の一人ではないか、ということです。アメリカやヨーロッパでは、受刑者にも選挙権が認められていて、不在者投票できるそうです。知りませんでした。
 刑務所内にいると、住民票がとれなくなることの不合理さの指摘もなるほど、と思いました。出所後、住民票がないことから生活保護が受けられず、ホームレスになるしかなくなるからです。このところ、無銭飲食事件を国選弁護人として担当することが何件もあります。前科者というレッテルを貼られると、社会内での更生はなかなか難しい現実があります。収容者はいずれ社会復帰するのだという視点から、刑務所内の処遇を考え直す必要があると、私はつくづく思います。だって、あなたの隣人になるかもしれないのです。社会全体がもっと温かく受け入れる姿勢を示さないと、報復と憎悪にみちみちたままかもしれないのですから・・・。

そのとき、赤ん坊が私の手の中に

カテゴリー:アメリカ

著者:アレン・ネルソン、出版社:K9MPなんで、なんで、ブックレット
 私と同世代の元アメリカ海兵隊員の体験談を本にしたものです。何の体験記かというと、私たちが20歳前後ころにあっていたベトナム戦争の体験談です。この本を読むと、戦場の悲惨さがかなりの実感をもって想像することができます。若い人たちにぜひ読んでもらいたい本です。
 沖縄で小学4年生の子がこんな質問をしました。大人はしない質問です。
 ジャングルで、トイレに行くときは怖くなかったの?
 戦争映画にカッコいい主人公がトイレに出かけることはまずない。
 私は二度ほど、トイレに腰かけるシーンのある映画を見た覚えがあります。でも、それは基地の中のトイレでした。ドラム缶にたまったものを重油をかけて焼かされる兵隊を描いた場面も見たことがあります。でも、ジャングルの中ではありません。著者は次のように答えました。
 そう。戦場でトイレに行くときほど恐ろしい瞬間はない。仲間の兵士と離れてジャングルに入って、そこで武器を降ろし、ズボンをおろす。これほど心細い瞬間はない。
 昨年暮れにベトナムへ行ったとき、ホーチミン市(旧サイゴン)の郊外にあるクチへベトナム戦争のときの状況を見学に行ったことがあります。まさにジャングルのなかで、アメリカ兵をだまし打ちにして殺す仕掛けをいくつも見ました。
 著者は海兵隊員として、13ヶ月のあいだベトナムのジャングルで戦闘に従事しました。敵のベトナム人を大勢殺し、また、仲間の海兵隊員が殺されて死んでいくのを見た。そこで思い知ったことは、本当の戦争は、映画の中の戦争とは、まったく別のものだということ。カッコいい主人公なんかいない。正々堂々ということもない。戦場で女性や子どもを助けることもない。本当の戦争にはルールなんか何もなく、敵と思えば、見つけ次第に殺すだけ。食事中であっても、トイレしていても、その格好のまま撃ち殺してしまう。
 殺したら終わりではない。死体を集めて、数をかぞえなければいけない。ジャングルの中にある死体探しも仕事のひとつ。その方法は二つある。その一つは、ジャングルの中に入って、ハエのとぶ羽音に聞き耳をたてること。ブーンというハエの音をたどっていくと、そこに死体がある。
 その二は、鼻でにおいを嗅ぎまわること。死体の腐る臭いが漂っている。腐乱死体の臭いのすさまじさといったら、思わず胃のなかの物がこみ上げてきて、ゲロを吐いてしまうほどひどい。目に涙がたまり、鼻汁がたれ、全身の力が抜けてしまう。それほど強烈だ。
 もし、戦場の臭いをそのまま伝える戦争映画ができたとしたら、観客は二度と戦争映画なんか見ようとは思わなくなるだろう。戦争の臭いとは、死体の腐る臭い、死体の燃える臭い、血の臭い、そして弾薬・硝煙の臭いだ。
 著者は、ベトナムのある村を攻撃し、人家の裏手にある防空壕に入り、ベトナムの若い女性の出産現場に直面してしまいました。思わず両手を差し出したところ、赤ん坊が生まれ落ちたのです。そこで、ベトナム人も同じ人間だと初めて自覚したというのです。
 今の日本は、アメリカの一つの州みたいで、ブッシュ大統領の言いなりになっている。著者はこのように主張します。本当にそうですよね。
 カッコイイ戦場にあこがれている日本の若者に、本当の戦場の様子を自分の体験にもとづき伝えたいという著者は、日本全国を話して歩いています。その講演料は10万円以下だということです。すごい安さです。私の知人はネルソン氏の講演会を企画して本当に良かったと言っていました。
 講演の初めと終わりに、著者はギターでひき語りと歌ってくれるそうです。これも素晴らしいとのことです。ぜひ私も一度、著者の話を聞いてみたいと思いました。

団塊格差

カテゴリー:社会

著者:三浦 展、出版社:文春新書
 団塊世代の私にとって、団塊世代とはどんな人間集団であるのかという本はどうしても目を離すことができません。
 団塊世代の将来は、必ずしも明るいとは言い切れない。「格差」の時代は、団塊世代にも確実に訪れている。
 団塊世代は、数が多いだけでなく、比較的に均質な集団である。ただし、今後も均質であるかどうかは分からない。団塊世代は、高所得が1割、中所得は7割、低所得が2割となっている。
 団塊世代の大学進学率は2割強。45%が高卒で、3割が中卒で就職した。だから、中卒、高卒でも、努力と能力に応じて出世した人も少なくない。
 男性は一度も結婚していない6%、既婚(初婚)80%、再婚7%、離死別7%。女性は未婚6%、既・初婚76%、再婚5%、離死別13%。
 女性のほうが一人暮らしに強い。
 団塊世代は5歳上の世代よりも常に離婚率が高く、かつ、その差がどんどん開いている。
 夫婦別室は、男は20%、女30%、私も、何年か前から別室です。今では、若いときには同じ布団に寝たこともあったのかなあ、という感じです。ぐっすり眠れるほうがいいものですよね、お互いに。ただ、今の話ではありませんが、夜中に何かの発作が起きたときなんかは、一人で寝ていたら手遅れになるということもあるでしょうね。まあ、そんな心配をしはじめたら、キリがありませんけど・・・。
 団塊世代の男性の17%、女性の20%が未婚ないし離別・死別の独身者。実数で
125万人。ええーっ、多いですね。でも、たしかに、私のまわりにもたくさんの独身者がいます。
 団塊世代は、中卒・高卒であれば、自分の意思で就職先や仕事の内容を決めることは、まずなかった。大卒者ですら、理科系なら研究室単位で就職先が決まっていたし、職業人生のパイプラインが確立していた。ほとんどの団塊世代にとっては、実質的に職業選択の自由はなかった。
 なーるほど、そう言われたら、そうなんですかね・・・。私は、苦労したとはいえ、たった一度だけ試験に合格して資格を取得したということで、失業や退職の心配をしなくてすむことに、今、本当にありがたいことだと考えています。いま失業したら、何の技術も持っていない私なんか、どうやって生きていったらいいのか、まるで見当がつきません。ハローワークに行ってパソコンの検索画面の前で途方にくれてしまうのは必至です。

ぼくの南極生活500日

カテゴリー:社会

著者:武田 剛、出版社:フレーベル館
 2003年12月から、2004年2月まで、南極で生活した体験記です。地球温暖化のせいで、南極の氷がどんどん溶けてなくなっている様子も分かります。
 「しらせ」は、昭和基地の目の前にまで難なく接岸できるまでになっています。厚い氷の海がなくなってしまったからです。
 多いときは1000回以上、少ないときでも数百回のチャージングをしてきた過去の航海がウソのようだ。砕氷船「しらせ」は、厚さ1.5メートルまでの氷なら、割りながら止まることなく進むことができる。
 チャージングとは、砕氷船「しらせ」が、全速力で氷の海に体当たりしながら、少しずつ進むことです。
 まあ、そうはいっても南極です。冬にはマイナス60度の世界です。雪上車から出て地面におりたつ。息をすると、肺が冷たい空気でちぢみあがり、苦しくなる。身体中の関節もこおったように固くなり、手や足が自由に動かない。顔をあげると強い風にあたって針で刺されたように痛む。鼻やほおは、またたくまに凍傷になり、真っ黒に変色した。
 うわー、すごーい・・・。私もマイナス20度という冷凍冷蔵庫に入ったことがあります。痛いほどの寒さで、息をするのも大変でした。
 南極では、建物から一歩外に出るときには、天気が急に変わって迷い子になりやすい。必ず無線機やGPS、ライト、食料、水をもって外に出ること。
 静電気のたまった手でパソコンをさわって、こわさないこと。
 昭和基地には50をこえる施設がたちならんでいる。真冬のきびしい寒さにそなえ、マイナス60度、風速毎秒80メートルにも耐えられるよう、壁の厚さは10センチもある。
 隊員が寝るのは、居住棟にある6畳の個室だ。
 ペンギンたちは人間を恐れず、好奇心旺盛に近寄ってくる。しかし、第一次越冬隊は、ペンギンをつかまえて食べた。
 そのペンギンの可愛らしい姿が写真にとられています。でも、写真といえば、真夏の南極では、太陽が沈まない、その様子を連続写真としてコンピューターで合成した写真が圧巻です。
 太陽がのぼっても低いままで、すぐに沈んでしまう冬の極夜になると、体内時計が狂って、体調不良となってしまう。
 基地の生活で出るゴミは、1ヶ月に2トン。燃やして、灰をドラム缶に詰めて日本に持ち帰る。基地全体でつかう氷の量は一日で8トンにもなる。「しらせ」は、毎年600トンもの燃料を運びこむ。バーの倉庫には、2万缶のビールが積んである。
 南極には1961年の南極条約によって、各国の領土権が認められていない。
 南極に行ってみたいという気持ちが全然ないわけではありませんが、寒さに弱い私には、やっぱりとても無理のようです。写真でガマンすることにします。

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