法律相談センター検索 弁護士検索

終生、ヒトのオスは飼わず

カテゴリー:生物

著者:米原万里、出版社:文藝春秋
 いかにも著者ごのみのタイトルです。実は、これは、自分で書いた死亡記事のタイトルでした。多くの著名人が自分の死亡記事を書いていて、文春文庫『私の死亡記事』になっています。それによると、著者は2025年に75歳で死んだことになっています。
 この本の大半は、雑誌『ドッグワールド』の2003年5月から2005年12月まで32回にわたって連載されたエッセイがおさめられています。要するに、著者の親愛なる家族たち(犬と猫のことです)の、大変でもあり、愛らしくもある行状記です。いやいや、ペットを飼うというのは大変なことだと思いました。
 猫にミドニングというのがあるのを初めて知りました。
 ミドニングとはトイレの場所を間違えたり、排便しそこねて外にしてしまうというものではなく、きわめてはっきりした行為である。猫はトイレ以外の特定の場所を選び、そこに糞を残すことによって、なわばりの占有・使用・通行などの権利を示そうとする。およそ、前から少し神経質だとか、気の弱い性質の猫が、何らかの大きな変化やチャレンジに遭遇したとき、こうなることが多い。
 著者は飼い猫(龍馬という名前です)をしっかり抱きしめ、そのストレスを軽減させることによって、その症状を半年で完治させたのです。獣医師は感嘆の声を上げました。うむむ、なるほど、ですね。
 著者のペットに対する愛情の深さを示すエピソードを紹介します。飼犬(ゲン)が落雷のあった日に家をとび出して行方不明になってしまいました。そのあと、著者はなんと1年にわたって、4日に一度、近くの動物管理事務所に電話を入れて確認したのです。犬はそこに保護されると5日目には薬殺処理へ回されてしまう。だから、その前日、4日目の午後4時から5時に、動物管理事務所に電話を入れる。それは、日本国内にいようと、アメリカにいたときも、チェコにいたときも、4日に一度の電話を欠かしたことはなかった。そして、それを1年も続けた、というのです。すごーい、頭が下がります。
 犬は、たしかに雷をひどく怖がります。私が子どものころ飼っていたスピッツ犬(ルミという名のオス犬で、座敷犬でした)は、雷鳴を聞くと、家中を走りまわったあげく、押し入れの奥に頭を突っこんで、全身をブルブル震わせていました。哀れなほどです。
 結局、ゲンは出てきませんでした。きっと、どこかの家で飼われたのだろうと思います。なかなか頭の良い犬だったようですから、おおいにありうることと思います。
 私が小学1年生のとき、我が家は大きな引っ越しをしました。同じ市内でしたが、トラックに乗って引っ越したのです。そして、その途中で、飼犬(ペット)がいなくなってしましました。泣き叫んで、親にバカバカ、どうして、どうして、と大声で抗議したことを今もはっきり覚えています。
 猫一般の常識がある。見知らぬ猫であれ、子猫には優しくすることになっているようだ。たとえば子猫が食べ終わってからでないと、大人猫は食べない。同居していた親しい仲間の猫が死んだとき、猫たちはいつもの夕食の催促をせず、ほとんど口をつけなかった。
 真夜中、死んだ猫の周囲にしっかり目を見開いて座り、まんじりともせず夜を明かした。
 ええーっ、これって、まさにお通夜の光景ではありませんか。驚いてしまいます。猫がお通夜をしてるなんて・・・。今では人間社会のお通夜はほとんど形式ばかりになってしまいましたのに・・・。
 共産党の高名な代議士(米原いたる)の長女として生まれた著者は、小学3年生のときチェコスロバキアに両親とともに渡ります。著者の年譜によると、チェコにいたのは5年間ほどのようです。私はもっと長くいたのかと思っていました。
 父の米原いたる代議士も語学の才能があったようです。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語ができたというのです。でしたら、著者の語学力は父親譲りの才能だったのでしょうね。
 何回も繰り返しますが、本当に惜しい人を早々と亡くしてしまいました。75歳まで生きて、大いに世間に対して毒舌もふるってほしかったと思います。残念でなりません。それにしても、ヒトのオスも飼っていてほしかったですね・・・。
 日曜日の朝、異変を感じました。妙に静かすぎるのです。蝉の声がまったくしません。うむむ、これは一体どうしたことだろう。わが家の庭木で鳴かないどころか、近隣でもまったく蝉が鳴いていません。夏の終わりを告げるツクツク法師もクマ蝉も鳴いていないのです。連日の猛暑のために蝉たちも一休みしているのでしょうか・・・。
 蝉の声といえば、10年以上前、南フランスで一夏を過ごしたことがあります。フランスの蝉の鳴き声はジジジジと、とても単調です。しかも、めったにいません。ですから、フランスの夏は、日本と違って基本的に静かです。ついフランスでの夏の朝まで連想してしまいました。また南フランス、プロヴァンスに行きたくなりました。そうなんです。すごく料理が美味しいんです。よーし、来夏は、行ってこようっと・・・。
(2007年5月刊。1381円+税)

千夜千冊、虎の巻

カテゴリー:社会

著者:松岡正剛、出版社:求龍堂
 この「弁護士会の読書」がはじまって何年になるのでしょうか。私が弁護士会で書評をのせはじめたのは、9.11があった年ですから2001年4月のことです。はじめのうちは恐る恐るでしたから、今のように年に365冊というわけではなく、200冊ほどだったのではないかと思います。1年に読んだ本は当時のほうが多かったのですが、書評としては当時のほうがボリュームは小さく、今のほうがたっぷりしています。今は長すぎるので、もっと短くしてほしいという声がありますが、どうなのでしょうか。このところ年間に読む単行本は500冊ほどですので、だいたい7割程度をここで紹介していることになります。私の場合には、書評というより抜粋という感じなので、本を読んだ気になってしまうという反応はうれしいことでもあります。赤エンピツで傍線を引いたところを紹介し、簡単な感想を記すということでやっています。1冊40〜50分ほどかかります。すべて手書きです。モノカキを自負する私にとっての文章訓練にもなっています。模倣は上達の常道だと信じてやっているのです。
 ところで、この本の著者が紹介する1000冊は、ちょっと私とは断然レベルが違う(高い)という感じです。1000冊のうち、私が読んだ本はせいぜい1割もあるでしょうか。うひゃあー、上には上がいるもんだと、つい思ってしまいました。この本自体は、若い女性編集者との対談ですから、読みやすくなっています。でも、紹介されている本はかなり高度です。
 本は、なんでも入る「ドラえもんのポケット」のようなリセプタクル、なんでも乗せられるヴィークルである。
 本は、どんな情報も知識も食べ尽くすどん欲な怪物であり、どんな出来事も意外性も入れられる無限の容器であり、どんな遠い場所にも連れていってくれる魔法の絨毯なのである。ある日、突然、渦中に飛びこんで読みふけることができる。これが読書の戦慄であり、危険であり、また法悦である。
 本は、無理に読む必要はない。気が向けば読む。できるだけ好きなものを読む。それでいい。それが原則。読書は食事なのだ。読書の基本は楽しみ。読書は交際でもある。
 本は、二度読んだほうがいい。そこに読書の醍醐味がいくらでもひそんでいる。2度目は速く読める。
 電車や喫茶店のなかで本がよく読めるのは、他人が一定いる密度環境が箱ごと一定の音響とリズムで走っているためだ。
 たしかに、私の読書は基本的に電車と飛行機のなかです。車内アナウンスはまったく耳に入らないのですが、面白い内容の世間話がそばであっていると、耳がそちらにひきずられ、目のほうが働かなくなってしまいます。その点、飛行機のなかは、そういうことはまずなく、読書に集中できます。
 読書は、リラックスするときも、忙しいときも、疲れきっているときも、すべてがチャンスである。
 私にとって読書は、忙しいときが一番です。一番、よく頭に入ってきます。昼寝したあとなんて、まるでダメです。気がゆるみ過ぎだからです。
 もちろん、本をたくさん読めばいいなんて、私も思っていません。でも、数多くの本を読むと、それこそヒットする確率は高いのです。至福のときを何度も味わうことができます。やっぱり読書は貴重な宝物です。
(2007年6月刊。1680円)

選挙「裏」物語

カテゴリー:社会

著者:井上和子、出版社:双葉社
 公共事業は土建業界のためにある。そして選挙のときに働いてくれた謝礼として大きなハコ物がつくられる。しかし、そこで使われるのは税金だ。公共事業が少なくなると、それに見返りを求めていた人々が選挙運動に熱心ではなくなった。
 選挙は、公共事業を獲得するための選挙が中心になっていた。高速道路などの土木分野にものすごく予算が回されるので、この方面の業界だけは潤っていた。
 国が損したって構わない。オレたちが潤えば、別にそれでいいんだ。
 でも、これではいけない。税金のかたまりである公共事業をエサにして票を集めるというあざとい選挙スタイルは通用しなくなりつつある。
 著者の考えに賛成します。今回の参院選にあらわれているように、自民党ぶっつぶせを叫んで登場した小泉前首相のおかげで、自民党の支持基盤がかなり崩れつつあるのも事実です。それでも、公共事業という巨額の利権にむらがるゼネコンと暴力団、そしてそれを支えながら甘い汁を吸い続けている政治家たちが、相変わらず大きな顔をしている状況は、まだまだ変わっていないように思います。
 筑後平野に新幹線工事がすすんでいます。一見のどかな広大な田圃のなかを延々とコンクリートむき出しの無骨な高架線路が貫いています。寒々とさせる光景です。日本の国土の荒廃を象徴させるものだと感じます。九州新幹線って、黒字になる可能性なんて初めからないのではありませんか。少なくとも私はそう思います。莫大な赤字路線をつくり、税金で穴埋めしていくことになるのは必至です。大型公共事業を中心とする政治を今のまま続けていいことは、何もありません。
 民主党の候補者は、汗水流して下積みの苦労をしていない人が少なくないので、目に見えない心配りや目立たない苦労への理解が足りないケースが多い。このような公募で当選した民主党の政治家のなかには、自民党の公募で落ちたから、仕方なく来たという無節操なタイプがいる。
 もちろん、無節操ではありますが、自民党と民主党とに本質的な違いがないことの反映だというほうが、より正確ではないでしょうか。ただし、参院選のあと、自民党が大敗したことをふまえて民主党は自民党との違いを浮きたたせようと必死です。それが憲法改正に反対する方向であることを私は心から願っています。
 猛暑の毎日です。だから、なのでしょうか。セミの鳴き声がパタリと止んで、勢いがなくなってしまいました。まだツクツク法師は聞かれません。庭に淡いピンク色の芙蓉の花が咲いています。酔芙蓉はまだです。午前中は真白の花なのに、午後から赤味がさしはじめ、夕方にはピンク色になって、酔った状態に変わります。
(2007年6月刊。1400円+税)

グーグル革命の衝撃

カテゴリー:社会

著者:NHK取材班、出版社:NHK出版
 今どきインターネットで検索できないというのも情けない話ですが、残念ながら私は自分では出来ません。いつも秘書にやってもらいます。検索しといてね、と声をかけるだけですみますから、ことは簡単です。でも、現役を引退したときはどうしましょう。そのときには、きっぱりインターネットの世界と縁を切るしかなさそうです。負け惜しみになりますが、あまり未練はありません。
 グーグルは社員が1万2000人。売上高が106億ドル。前年比73%増。時価総額は18兆円。アメリカの1ヶ月間の検索回数は69億回。
 グーグルへの就職希望は月に10万件を超え、人気絶大。グーグルは全米でもっとも働きやすい職場となっている。社内にはスポーツジムがあり、ソフトボールやテニスも自由にできる。食事やクリーニング・マッサージまで、すべてが無料となっている。グーグルで働く日本人も少なくない。
 グーグルには、世界中、25ヶ所に45万台のコンピューターがある。世界中のネット上のホームページは150億以上。300億をこえるという推計もある。
 検索件数は1998年に1日1万件だったのが、1日あたり1800万件になった。
 グーグルの収入の中心は、検索連動型広告「グーグル・アドワーズ」である。
 2000年末に検索件数は1日1億件をこえ、2001年にグーグルは黒字となった。それからは、年々、売上げが倍増していった。
 2005年のネット広告の市場規模は125億ドル(1兆5千億円)で、その4割6千億円が検索連動型広告である。これは、わずか5年で60倍になった。これをターゲット広告ともいう。
 グーグルは、広告の個人化を着実にすすめている。たとえば、次のようになる。
 飛行機でシカゴに着いて、ケータイをオンにする。すると、ケータイの音声が次のように告げる。シカゴに着きました。今はランチタイムです。ピザ屋が左手にあり、ハンバーガー屋は右手にあります。きのうはハンバーガーでしたね。
 ひゃあ、怖いですね。恐ろしいことですよ。ここまで管理されては、たまりません。目の前にいる美人に声もかけられないじゃないですか。これではまるで管理社会ですよ。
 グーグルが先進国で唯一攻略できていない市場。それが日本だ。
 うへーっ、そうなんですか。ヤフー65%、グーグル35%だというんです。そこで、グーグルは日本のすすんだケータイの活用を考えているとのことです。
 最後に、グーグルは知ではない、という小宮山・東大総長の話を紹介します。
 インターネットをつかって情報を簡単に入手できる便利さには落とし穴がある。情報収集にかけた膨大な手間と時間は、ムダなように見えて、決してムダではない。その作業を通じて頭の中で多様な情報が関連づけられ、構造化され、それがヒラメキを生み出す基盤となってきた。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は、「思いつき」を生み出すかもしれないが、ヒラメキを生み出すことはきわめて稀だ。頭のなかに、いかに優れた知の構造をつくり出すことができるか、それが常識を疑うたしかな力を獲得するカギなのだ。
 うむむ、そうなんですよね。この指摘はあたっていると私も思います。ですから私はネット検索できなくても生きていく自信はあるのです。ホント、です。
 コピペという言葉、知ってますか?コピー・アンド・ペーストの略語です。既成の記事をコピーして、そのまま自分の文章に貼りつけていくことです。一昔前のノリとハサミですね。グーグル脳は怖いですよ。多くの若者が、グーグル漬けの状態になっています。これでは、日本と世界の本当の明るい未来はありません。ねっ、そう思うでしょ?

江戸城、大奥の秘密

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:安藤優一郎、出版社:文藝春秋
 大奥は、将軍の正室(御台所)、側室、将軍の子女、そして勤務する女性たち(奥女中)の生活の場である。もちろん、将軍の寝所もある。その面積は6318坪もあり、本丸御殿の半分以上を占める。表向(おもてむき)、中奥(なかおく。将軍が日常生活を送る空間で、居間)をあわせても4688坪に過ぎない。
 大奥というと、男子禁制の空間というイメージが強い。もちろん、将軍は例外だが、実は将軍以外の男性の役人も常時詰めていた。大奥内部は御殿向(ごてんむき)、長局向、広敷向の三つに分けられる。広敷向には、大奥の事務を処理したり、警護の任にあたる広敷役人が詰めていた。大奥といっても、この空間だけは男子禁制ではなかった。長局向と広敷向の境は七ツ口と呼ばれ、大奥に食料品など生活物資を納入する商人が出入りしていた。奥女中も出てきて、くしやかんざし、化粧品などの小間物(生活用品)を注文する。五菜(ごさい)と称する、奥女中に代わって城外での用件を果たす男性使用人(町人)も七ツ口までは出入りしていた。
 奥女中とは、いわば幕府の女性官僚である。下働きの女性をふくめると1000人をこす女性が働いていた。上級の奥女中の収入は500石クラスの中級旗本なみ、年収   1000万円。しかし、つけ届けがあるため、その実収入は相当なものだった。奥女中の蓄財は、1000両は普通で、7000両ということもあった。これは数億円レベル。幕臣に支給される米のうち、最上等の米は奥女中に支給され、それよりも質の下がる米は、権勢のある幕府役人に、何の権勢もない者には最下等の米を渡すのが慣例だった。
 さらに、奥女中のうち年寄と表使(おもてつかい)には、別に町屋敷が与えられた。その土地からあがる収入を自身の手当に充てることが許されていた。年寄の場合、200坪前後の地所を拝領し、労せずして年に8〜9両の地代収入があった。
 また、30年以上、大奥でつとめた者には、サラリーである切米と衣装代である合力金のうち多い方、さらに扶養手当の扶持米も、一生支給する規定が設けられていた。年金のようなものである。
 中臈(ちゅうろう)に与えられていた合力金は40両。しかし、この金額では足りず、実家に無心する女性が多かった。衣類代がかさんでいた。奥女中たちは、衣類をも古着屋に出す。江戸には、古着を扱う商人がなんと3000人ほどもいた。
 将軍の身の回りの世話をするのは、御小姓と御小納戸である。御側御用取次(おそばごようとりつぎ)のような政治職ではないが、ふだんから将軍の身近にいるため、隠然たる実力をもつことがある。
 小姓のほうが小納戸よりも格式は高かったが、その威を誇っていたのは、むしろ小納戸のほうだ。小姓は将軍の身辺を警護する役だが、小納戸は理髪や膳方など、将軍の衣食住の世話を直接する役である。小納戸のほうが、将軍にとっては、より身近な存在だったからだろう。小納戸の頭取職ともなると、将軍の御手許金を管理したり、あるいは将軍が鷹狩りなどで城外に出るときには、その現場責任者をつとめた。御側御用取次よりも格式は低かったが、中野石翁のように、将軍家斉の信任を受け、諸大名に恐れられるほどの実力を誇る者もいた。
 大奥と側近衆は、お互いに利用しあいながら、幕政への発言権を強めていった。
 大奥の経費は年間20万両と言われていた。大奥の経費とは、あくまでも将軍の生活費である。松平定信の寛政の改革は、この大奥経費を3分の1に減らした。だから大奥が反発したことは容易に想像できる。当然の成り行きとして、大奥は定信の前に抵抗勢力として立ちふさがった。改革は挫折に追いこまれた。
 家斉将軍のころ、ある大奥女中は次のように語った。
 自分たち奥女中が、どんなに贅沢な生活を送りたくても、先立つものがなければかなわないこと。しかし、それが可能なのは、幕府役人が頼みもしない賄賂を次から次へと大奥に贈ってくるから。大奥の贅沢な暮らしを止めるためには、幕府役人の賄賂を止めない限り、効果はない。
 なーるほど、ですね。大奥の権力の源泉と、その生活の実情の一端をうかがい知ることができました。
(2007年6月刊。690円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.