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偽装請負

カテゴリー:社会

著者:朝日新聞特別報道チーム、出版社:朝日選書
 偽装請負の実態は、労働者派遣そのもの。しかし、請負契約を装っているので、労働者派遣法の制約は、すべて無視する。たとえば、派遣労働者だったら、一定の年限がきたら直接雇用の申し込み義務が発生するが、請負なので申し込まずに、同じ労働者を何年も都合良くつかうことができる。
 製造請負を管轄する役所がないので、偽装請負は野放しで増え続けた。仕事がヒマになれば、請負契約を打ち切って、一度にごそっと労働者のクビを切れる。不要の労働者を名指しでクビにする指名解雇も簡単。請負会社に一言、あいつを代えて、と言えば、次の日には別の労働者に変わっている。メーカーの正社員と会社が結んだ残業時間の協定にもしばられない。
 生産量にあわせて、労働力を増やしたり減らしたりできる偽装請負は、メーカーにとって麻薬のように危険で魅惑的だった。いったん使うと、中毒を起こし、手放せなくなる。
 健康管理や安全管理のほとんどを請負会社まかせにできるのも、メーカーにとって、ありがたい。自分の工場内で起きた労災事故であっても、その処理一切を請負会社がするものだから、メーカーの負担はない。
 日本経団連の御手洗会長はキャノン。キャノンはひどい偽装請負を続けて恥じない。大分キャノンで違法な偽装請負が行われていたことが、2005年、労働局の調査で発覚した。請負会社は、本来、独力で生産できる自前の設備やノウハウをもたなけらばならない。メーカーから、生産設備をタダで借りることは、モノづくりの能力を偽装するのと同じこと。適正な請負であれば、製品の出来高に応じて請負会社に代金を支払う。しかし、大分キャノンでは、実際に働いた人数と時間で支払額を決めるという契約だった。
 大分キャノンでは、朝日新聞の指摘したあとも請負労働者が増え続けた。2006年12月末、はたらく労働者は7000人。半年で1000人増えた。しかし、その大半が請負労働者だった。7000人のうち、7割の5000人が請負会社に雇われ、キャノンのために働いている。
 御手洗会長は、会長になる前、キャノンは人間尊重主義をとると高言しました。
 私は企業には社会的責任があると思う。人類との共生が企業の理念だ。人を大事にしろということ。キャノンは終身雇用という人事制度をとっている。
 御手洗がキャノンの経営者として終身雇用、人間尊重主義を説くことと、請負労働者を出来高払いで「採用」し、使い捨ての労働者を「雇う」のは矛盾しないか。
 御手洗は、その点を質問され、「全然、矛盾しない」と答えた。問題の労働者は、「うちの社員じゃないから」という理由だ。しかし、偽装請負は、れっきとした犯罪行為である。単なる企業倫理の問題ではない。
 ところで、製造工程のラインごとに指揮命令のできない一群の作業員がいて、本当に高い品質の製品をつくれるのか、はなはだ疑わしい。
 御手洗は、経済財政諮問会議で、請負法制には無理がありすぎるから改正すべきだという趣旨の発言しました。自ら違法行為をしておきながら、法律のほうを変えればいいんだというのです。まさに開き直りです。およよっ、と驚いてしまいました。人間尊重のカケラもそこにはありません。大企業の利益こそ万能であり、最優先すべきだというのです。
 こんな人が財界トップというのでは、日本の将来は、お先まっ暗です。アメリカに長く住んで大変苦労したと聞いていましたし、人間尊重・終身雇用を守るというので期待していたのですが、まったく裏切られてしまいました。私も、まだまだ人を見る目がなかったようですね。トホホ・・・。
 わが家のすぐ下の田圃では黄金の稲穂が頭を垂れはじめています。収穫の秋は、もうすぐです。庭に鮮やかな紅色の曼珠沙華が咲いています。酔芙蓉の花もようやく咲きはじめました。道端に白い見事なススキの穂を見かけました。昼には真夏の暑さが残っていますが、朝夕はめっきり涼しくなりました。子どもたちの運動会のシーズンが近づいています。
(2007年5月刊。700円+税)

加賀屋の流儀

カテゴリー:社会

著者:細井 勝、出版社:PHP研究所
 プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で、26年間にわたって総合1位を獲得しているという旅館があります。石川県の和倉温泉にある加賀屋です。
 私も、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。昨年秋、加賀屋そのものではなく、その系列の「あえの風」旅館に泊まり、夕方、加賀屋を見学に行ってきました。木造の日本式家屋を想像していたのですが、実際には鉄筋コンクリート造りの高層旅館でした。泊まったわけではなく、せいぜい館内の土産品店をのぞいて少々の買い物をした程度で退散したのですが、人気ナンバーワンの香りだけはかいだ気がしました。
 加賀屋に行くのは決して簡単なことではありません。石川県能登半島の東側にある七尾市に和倉温泉はあります。はっきり言って、とってもへんぴな場所にある旅館です。ところが、年間の宿泊者はグループ2館で33万人。246の客室の稼働率が80%を上まわるというのですから、すごいものです。
 和倉温泉に来るお客は年間100万人。そのうち加賀屋グループ2館に3分の1の33万人が泊まる。和倉温泉の他の旅館は閑古鳥が泣き、地元商店街は閉店に追いこまれているという話を地元の弁護士から聞きました。加賀屋の繁栄は和倉温泉全体の底上げにはつながっていないようです。難しいところですね。
 客室係はマニュアルどおりに動くのではない。彼女たちは、お客を大浴場など館内を説明しながら客室に案内するまでに一人ひとりの客の背丈や身幅をそれとなく目測し、5センチきざみでそろえてある浴衣のなかからピタリと客の体にあうサイズの浴衣を選んで部屋へもってくる。
 加賀屋の客室係は165人。加賀屋に泊まると、夫婦2人だと10万円を見込む必要がある。だからこそ、求められるサービスの質は高く、サービスの種類も大きくなる。
 なーるほど、ですね。
 加賀屋は巨大旅館です。そのピーク時には一晩で1000食を調理し、供給する。そこで、料理のロボット搬送システムがあって、間違わない仕組みが出来あがっている。
 1500人ほどの収容能力をもつ加賀屋敷蒲団は3000枚。冬用と夏用がそれぞれいるので、常時6000枚という蒲団が必要。冬用の座蒲団は3000枚。夏用が1500枚。宴会場でつかう座蒲団が1000枚。ひえーっ、いずれもケタ違いです。
 土産物を売る売店が扱う商品は2100。旅館の売上げも全国ナンバーワン。加賀屋は、年に5回、3種類ずつ、部屋に出すお菓子を季節ごとに変えている。物販課のオリジナル商品だ。これは、すごーい。だから、土産物を売る店の実績単価は1人4000円を下回らない。うむむ、なんということ。これも、すごい、すごーい。
 一人ひとりのお客を大切にするという加賀屋は、実は、従業員をとても大切にしていると書いてあります。それが本当なら、すごくいいことですよね。そこで働く人が気持ちよく働いていれば、迎えられるお客も心が安まる空間が自然にできあがることでしょう。
 従業員のサービスがいかにもマニュアルどおりというホテルにぶつかると、いやなものです。私の定宿の一つとしている大きな外資系ホテルは、それこそ20年以上も通っていて、そこのゴールドカード会員になっているのに、このところホテルでチェックインするたびに、クレジットカードの呈示を求められます。まさしくマニュアルどおりです。誰でも一律にマニュアルを適用されると不愉快ですよね。それでも私がそこに泊まり続けるのは、朝6時からプールで泳げるからです。なぜか私の知る限り、内資系ホテルで、そんなに朝早くから泳げるところはありません。
(2006年9月刊。1680円)

キノコを育てるアリ

カテゴリー:未分類

著者:高家博成、出版社:新日本出版社
 葉を丸く切り、それを日傘のようにかかげて巣に運ぶアリの行列。この葉は、キノコを育てるための肥料として使われる。アリの巣のなかにはキノコを育てるための農園(菌園)がつくられている。
 アリが育てている菌はアリタケというキノコ。アリタケはハキリアリの巣の中以外からは見つかっていない。アリはアリタケの胞子から大切な栄養分である糖分をもらっている。
 このハキリアリは、中南米に200種ほど分布している。中南米で、ハキリアリは農作物に害を与えるということで、大変嫌われている。だから、日本にハキリアリを輸入するのには特別な許可がいる。多摩動物園は、しっかり管理できる部屋をつくって2002年10月に、ハキリアリを迎え入れ、展示している。
 ハキリアリの働いている様子がたくさんの写真によって刻明に紹介されています。自分たちが生きるために農園を経営するアリがいるって、ホント、不思議ですよね。
 ハキリアリが好む植物をテストしたところ、ソメイヨシノ、バラなどがありました。これは困りますね。
 導入して3年たつと、数万匹にもふえた推測されています。これは本当に大変なことです。すごい、すごーいと、手放しで感心しているわけにはいかなくなります。
 自然の不思議を写真で実感しました。
(2007年2月刊。1400円+税)

多賀城、焼けた瓦の謎

カテゴリー:日本史(古代史)

著者:石森愛彦、出版社:文藝春秋
 アテルイが活躍していた時代の様子が絵で再現されています。イメージを豊にふくらませることができました。
 奈良時代の780年、伊治公呰麻呂(これはりのきみまろ)が朝廷に対して反乱を起こした。按察使(あぜち。長官)の紀広純(きのひろずみ)を取り囲んで殺害した。
 645年の大化の改新のあと、東北地方にも奈良朝廷の勢力が次第に拡幅していった。現在の新潟県の阿賀野川の河口に渟足柵(ぬたりのさく)がつくられ、次第に北上していった。今の仙台に近い多賀城がつくられたのは724年、秋田城は733年、伊治(これはり)城は767年。
 この朝廷の柵より北側に住む人々を「蝦夷」(えみし)と呼んだ。この蝦夷を中央集権国家に組み込むため、城柵(じょうさく)をつくった。だから、城柵には三つの役目があった。饗給(きょうきゅう)、斥候、征討というもの。饗給とは、物資や位を与え、朝廷へ恭順させること。
 このころ東北地方で砂金がとれるようになって、奈良の大仏を金で飾ることができた。金のとれる東北地方に朝廷はますます目を向けた。
 朝廷は蝦夷を征服すると、全国へ強制的に移住させた。九州にも776年に400人近くの蝦夷が送られている。ひゃあ、そうなんですか。九州にも蝦夷の血が混じっている人がいるのですね。
 圧迫され、隷従を強いられた蝦夷たちが反乱にたちあがり、多賀城が焼きうちされた。その後、なんと25年間も争いが続いた。
 789年3月、5万の朝廷軍が蝦夷を攻めた。ところが、アテルイやモレたちの反撃によって朝廷軍は大敗した。
 794年、今度は坂上田村麻呂は10万の兵とともに進撃し、ついにアテルイたち蝦夷軍をうち破った。アテルイとモレは降伏し、京都に送られた。坂上田村麻呂は助命を願ったが、2人は斬首されてしまった。
 『火怨』(高橋克彦。講談社)に描かれたアテルイの知略にみちた戦いを思い出しました。
 焼き討ちにあった多賀城の焼けた瓦が最近になって発掘されたのです。この本は、その発掘調査をふまえて、つくられました。
(2007年7月刊。1429円+税)

コウモリのふしぎ

カテゴリー:未分類

著者:船越公威、出版社:技術評論社
 ワルガキのころ、夕闇のなかでコウモリが飛びはじめると、物干竿をふりまわしてコウモリをたたき落として遊んだ覚えがあります。そのころは、家の近くにそれほどたくさんのコウモリが飛んでいました。いま、山の麓に近いわが家には夕方になってもコウモリの姿を見かけることはまずありません。いったいコウモリはどこへ消えてなくなったのでしょうか・・・。
 この本には、たくさんの種類のコウモリの写真が紹介されています。コウモリの顔は見れば見るほど不細工で、グロテスクです。まさに魔界から地上へ派遣された使者という雰囲気です。そんなコウモリを真剣に研究する学者がいるなんて・・・。
 でも、実は、コウモリが空中を飛ぶ秘訣を究明すると、人類にとっても大いに役立つことなのです。
 コウモリは、哺乳類のなかで、唯ひとつ、飛翔に適応した。コウモリの種は1100種をこえる。哺乳類が5400種なので、その2割を占めている。ネズミ類の次に多い。
 飛べない鳥がいるが、コウモリはすべての種に翼があり、飛翔できる。コウモリは南極と北極を除く世界中に広い分布している。
 コウモリの70%は食虫性だが、植物を食べるもの、動物や魚を食べるものもいる。血液を食物とするチスイコウモリもいる。コウモリの顔は鼻と耳に特徴がある。
 コウモリはメスの方がオスよりわずかに大きい。コウモリは自分の体重の10〜40%という重たい赤ん坊を出産する。
 母親コウモリは、幼獣を母乳で育てる。コウモリは年に2回以上の出産が可能。
 コウモリの寿命は、体サイズから推測されるよりも3倍も長生きする。その寿命は5〜15年ほど。30年以上も生きたコウモリ、41歳のコウモリもいる。
 コウモリは、生物の老化の謎を解き明かすための鍵となる生物として注目されている。
 コウモリの発声は110デシベル以上であり、電車のガード下の騒音よりも大きい。
 コウモリは、一夫一婦、一妻多夫、一夫多妻、多夫多妻もある。
 コウモリは、なぜ逆さまにぶら下がるのか。ぶら下がっていたら、すぐに飛びたつことができる。捕食者にも気づかれにくい。そして威嚇の効果もある。コウモリの祖先は、樹上生活のなかで、まず逆さにぶら下がることによって、前肢を四足移動から開放し、翼の機能を獲得した可能性がある。なーるほど、そうでしたか・・・。
 ジャワに棲む世界最大のコウモリは、翼を広げると2メートル近い。コウモリは逆さまでも排泄することは可能。コウモリは糞尿の頻度が高い。
 コウモリのことが初心者にもかなり詳しく分かりました。
(2007年7月刊。1580円+税)

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