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永遠の都6(炎都)

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 加賀 乙彦  、 出版 新潮文庫
 戦前の帝大セツルメントが紹介されています。著者はセツルメント活動をしていたのです。
 帝大セツルメントは関東大震災後に生まれた学生救護団を母体にして、大正13年に帝大セツルメントのハウスが柳島元町に落成して始まった。次第に、託児所、診療所、法律相談部、市民教育部、図書部、調査部と活動範囲を広げていった。
東大本郷の五月祭のセツルメント展示場に制服の女学生が数人立ち止まった。いずれも良家のお嬢さんらしく、アイロンの掛かった白の上着に、紺のスカートを着て、作りたての人形のような、ほつれ毛一本ない三つ編みを垂れている。聖心女学院の学生たちだった。
 まさか来るとは思わず誘ったら、そのうちの一人が本当にセツルのハウスにやって来た。
ハウスは2階建ての洋館で、下に医務室、託児所、図書室、食堂、台所、小使室、浴室があり、上は法律相談室、調査室、教室、物置、そして10のレジデント室があった。
この法律相談室には、民法の大家としてあまりにも著名な末弘厳太郎そして我妻栄も週に1回やってきて、市民からの相談を学生と一緒に対応していました。
 聖心の女学生は、ハウス付近のスラム街を案内された。戸口がなく、すだれを垂らしただけで内部がまる見えのあばら屋では、病人が臥(ふ)せっているそばで赤ん坊が泣いている。軒が傾いた屋では、破れ障子の奥で老婆たちが手内職をしている。運河の岸に鋳物や紡績の町工場が並び、排水で水は黒く、酒瓶、紙屑、猫の死骸、野菜屑が悪臭を立てている。吾嬬(あずま)町の皮革工場に近づくと特有の糞臭が漂い、ドブ川は何とも形容できない醜悪な色をなして、淀んでいる。そして、このスラム街の向こうには、赤い連子窓の並ぶ色町がある。
それを全部見てまわったあと、聖心の女学生はセツルに入りたいと言って、セツラーの一人になった。
私も大学に入った4月に川崎セツルメントに入りました。幸区古市場です。そこはスラム街ではなく、大小町工場で働く労働者の街です。いわゆる民間アパートが至るところにありました。
まだまだ娯楽の少ない時代でしたから、青年労働者たちと早朝ボーリング大会、オールナイト、スケートそしてハイキングやキャンプを企画すると参加してくれました。もちろん、アカ攻撃もかかってきました。大企業の労務管理としてZD運動などが盛んなころのことです。女子学生もいろんな大学から参加していました。津田塾大学、東京学芸大学、栄養短大などです。
 日本が戦争に近づこうとしているころ、日本に長く住む神父がこう言った。
 「これから日本がどうなるかは分からない。しかし、満州事変以来、軍部が武力拡張政策で国を引っぱって行く方向では平和な未来は来ないだろう。戦争というのは、一度、火がつくと、どんどん燃え広がって、収拾がつかなくなる。そうならないことを祈るより仕方がない」
いやあ、まるで、いまの日本にぴったりあてはまる言葉ではありませんか…。「台湾危機」などをあおり立てて、軍備大拡張、そして敗戦記念日に広島で臆面もなく、「核抑止力」をふりかざす日本の首相。狂っています。声を大にして批判することが必要なときです。
(1997年7月刊。629円+税)

物語青年運動史(戦前編)

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 吉村 金之助 、 出版 日本青年出版社
 いま昭和の初期(2年から9年までの7年間)、東京で生活していた亡父のことを調べて書いています。
 東京に地下鉄が出来たのは1927年12月30日でした。当初は、上野と浅草のあいだ、わずか10分ほどを走っていました。10銭硬貨を入れると、棒がまわって入れるもので、まだ切符ではありませんでした。ところが、紙の切符を女性が売る形式に変わりました。地下の売り場に、朝6時から夜中までいなくてはなりません。汚れた空気と、ガンガンひびく、ものすごい電車の音に耐えなければいけなかったのです。
 そして、日給が男子は1円15銭なのに女子は70銭でした。そこで、従業員は会社にバレないように労働組合をつくり、ついにストライキに突入しました。会社自体が新しいのですから従業員は、16歳から28歳と、みな若い。運転手は男子で、女子は切符売りなどです。
 ストに突入したのは1932(昭和7)年3月20日の夜。
 しかし、いきなり争議に入ったのではありません。まずは軍資金の確保です。みんなでお金を出しあって、1000円を集め、それで食糧を買い込みました。パン600斥(64円しました)。砂糖1俵、醤油3升、梅干したる、かつお節30本、みかん1箱など…。地下にみんなで1ヶ月間は籠城する覚悟でした。電車4台を地下に留め置き、警官と会社が運び出さないよう、鉄条網を張って、900ボルトの電流を流し、「されると死ぬぞ」と大書したのです。そのため警官隊は地下に突入できませんでした。
 結局、ストライキは3日間で終わりました。会社側が労働者の要求の多くを受け入れたのです。神田と浅草駅には便所をつくり、詰所にはオゾン発生器をつける。女子の最賃は90銭、出札手当、トンネル手当各2円を支給するなど、です。
 ところが、警察はストライキ終結して、1ヶ月後の4月18日に、主要メンバー46人を検挙して弾圧しました。
 それでも、このような壮大なストライキが戦前の東京地下鉄であったことを知っておいた方がいいと思います。どうせ弾圧されてしまったんだから、むなしい…なんて思わず、納得できないことは、「はて」と疑問を口にして声を上げるのは、やはり大切なことなのです。
(1968年2月刊。420円)

明治維新という時代

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 深草 徹 、 出版 花伝社
 明治維新の大立て者の西郷隆盛とは、いったい、いかなる人物だったのか…。大変興味深いテーマです。
 西郷隆盛は一般に征韓論を唱えて、それが敗れて下野したとされています。それが事実だとすると、帝国主義的野望をもった政治家だったことになります。
 本書で、著者は西郷は武力で朝鮮を威嚇し、また屈服させるという征韓論をとっていなかったとしています。朝鮮に行く使節は兵を率いることなく、烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)の正装を着し、礼を厚くして行くべきだと主張しました。自ら朝鮮に行く使節になると名乗り出たのも、軍事制圧をしようとしている副島種臣を使節にしないための方策だったというのです。つまり、西郷の唱えた使節派遣論は、無用な戦争を防ぐことを目的としたものだとしています。
岩倉具視や伊藤博文らの欧州視察団が出かけていって日本を留守したあいだ、日本政府は西郷や江藤新平(佐賀)が牛耳っていた。その江藤は長洲藩出身者を厳しく追及していた。帰国してきた伊藤博文は長州藩出身者たちの復権を目ざし、江藤そして、それを支えている西郷に対して激しい敵愾(てきがい)心をもって追い落としを図った。その結果、江藤新平は佐賀の乱(佐賀戦争)で敗死し、大久保利通から即座に処刑されてしまいました。
 このとき岩倉具視が江藤や西郷の正論を問答無用と切り捨てたと著者はしています。いったい、なぜ岩倉にそれほどの力があったのか、その背景にはどんな状況があったというのか…、私は疑問を感じました。いずれにしても、明治6年の政変によって、西郷や江藤政権から遂われ、有司専制と言われる大久保政権が確立します。
 そして、この政変からまもなく、日本は朝鮮ではなく台湾に出兵して、そこを支配するのです。それまで大久保や伊藤たちは、「内治優先・戦争回避」を唱えていたはずなのに…。
 そして、著者は、西郷が西南戦争に踏み切ったころ、「護衛」という名の監視下に置かれていた、つまり決起した鹿児島士族の虜囚にしか過ぎなかったとしています。この点は、果たしてどうなのでしょうか…。西南戦争が西郷の真意ではなかったというのは本当なのでしょうか。
 著者は私と同じ団塊世代(私より少し年長)ですが、今から6年も前に早々に弁護士をリタイアして歴史研究にいそしんでいるようです。いかにも刺激的な本でした。
(2024年5月刊。2200円+税)

母、アンナ

カテゴリー:ロシア

(霧山昴)
著者 ヴェーラ・ポリトコフスカヤ 、 出版 NHK出版
 2006年10月7日、ロシアの気骨あるジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された。著者は、その娘で、同じくジャーナリストの道を歩いています。
国内の支持率が80%というプーチン大統領ですが、その権威に反抗して真実を語ろうとするジャーナリストや政治家は次々に凶弾に倒れています。いわば暗黒政治のなかにロシアは置かれています。
 ジャーナリストとしてのアンナは、ペレストロイカの時代に形成された。このゴルバチョフ大統領の下で始められたペレストロイカの時代にはメディアが自由化され、ジャーナリストが伸びのびと活動できた。ソ連(ソビエト連邦)が崩壊したのは1991年夏のこと。そうなんですね、もう33年も昔のことになりました。なので、今の若い人にはソ連と言っても、まったくピンと来ないはずです。
ロシアがウクライナに突然侵攻したのは、2022年2月24日のこと。それからもう2年半も戦争が続いています。大勢の若者が、ロシア側もウクライナ側も亡くなり、また傷ついています。一刻も早く戦争を止めてほしいです。
日本政府はNATOを通じてウクライナに武器を送ろうとしていますが、戦争に加担するのは止めないといけません。それより、真剣に外交交渉で停戦、そして終戦の道を探り、働きがけるべきです。この点でも、日本はアメリカの言いなりにしか動かない(動けない)という岸田政権の姿はまったく情ないことです。
 ロシア国内では、戦争反対の声を上げたら、すぐに犯罪者として検挙され、弾圧されるようです。ロシアのジャーナリストはプーチン政権にがっちり抑え込まれていて、自由な言論はないようです。それでも戦争反対の声を上げたロシア国民はいるわけで、そのため科せられた罰金の総額は2億5千万ルーブルに達しているとのこと。日本円では、いったい、いくらになるのでしょうか…。
 アンナが暗殺されたあと、2009年1月には、モスクワの中心部でスタニスラフ・アルケロフという人権派弁護士も殺害されている。そして、著者が娘を連れてロシアから脱出したあと、2022年5月6日、著者の別荘が放火されて全焼した。
 2023年6月、プーチンに反抗したブリコジンもジェット機墜落で死亡した。
ウクライナはいったん降伏して戦争を止めたらどうかと提案する日本の真面目な弁護士がいます。もちろん、ウクライナが決めることですが、一刻も早く戦争状態を解消することを国際社会はもっと真剣に考え、声を上げ、行動すべきだと痛感しています。前線に武器が足りないから武器をもっと送る。そんなことは少なくとも平和憲法をもつ日本がやるべきことではないと私は確信しています。
(2023年11月刊。1900円+税)

中国拘束2279日

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 鈴木 英司 、 出版 毎日新聞出版
 公安調査庁のスパイとして中国で逮捕され、6年という実刑判決を受けた著者による体験記です。著者は公安調査庁には中国に内通している大物スパイがいて、今も活動していると推察しています。
 日本の公安調査庁は、オウム真理教のおかげで生きのびている、盲腸のような存在だとみられてきましたので、中国側の認定は誇大視だと思うのですが…。
この本で、中国の刑事司法手続の一端を知ることができました。
 その一が、居住監視。逮捕ではないけれど、拘束されます。その実態は監禁そのもの。3ヶ月間という制限があるが、延長が許されている。そして、この期間は、法律援助(扶助)制度による弁護人は付けられない(付かない)。
著者が居住監視生活に入ったのは2016年7月15日。正式に逮捕されたのは2017年2月。そして、同年5月に起訴され、2020年11月にスパイ罪で懲役6年の実刑判決が確定し、刑務所に収監された。著者が日本に帰国したのは、2022年10月11日。したがって、6年以上、中国で監禁、拘束されたわけです。
 著者に付いた弁護士は、著者からすると、「まったく期待外れだった」。著者が無罪を主張すると言っても、「それはやめよう、罪の軽減をめざしてがんばる」というだけ。著者の主張を否定も肯定もせず、応援することもなかった。「何もありません」「特にありません」としか言わなかった。スパイ罪の裁判だったからでしょうか。裁判は非公開。2回目の公判で判決が下された。
 中国には、「認罪認罰制度」というのがあり、罪を認めて謝罪したら、法律によって刑期が短くなる。しかし、著者はあくまで無罪を主張した。
 ちなみに、弁護士を依頼したら、40万元(820万円)かかるだろうとのこと。これはまた、べらぼうな金額ですね…。
裁判官、しかも最高人民法院の裁判官だった人が著者と拘置所で同室だったそうです。汚職で逮捕された元裁判官です。その元判事によると、中国の「依法治国」は、まったくのインチキ。そんなことは中国では不可能。中国に人権なんてない」とのこと。そして、中国の裁判官は最高人民法院の院長をはじめ、裁判官の全員が賄賂(わいろ)をもらっているとのこと。恐るべきことです。
かなり以前の韓国でも、弁護士が裁判官を接待するのが常識でした。今ではもうそんなことはないでしょうね…。でも、中国では、どうやら、今も、続いているようです。
 アメリカ人(アメリカ国籍を有する人)が中国で逮捕・監禁・拘留されることはないとのことですが、日本人はときどき拘束されています。2015年5月から少なくとも17人の日本人が拘束され、うち5人は起訴されずに帰国した。10人は起訴され懲役3~15年の実刑判決が確定し、3人が服役中、1人は死亡、6人が刑期満了で日本に帰国した。
 日本政府も、大使館、領事館も、日本人保護のためには何もやってくれない。日本人としては寂しい現実です。
(2023年5月刊。1600円+税)

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