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ヒトラーとは何者だったのか?

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:阿部良男、出版社:学研M文庫
 文庫本なのに、700頁もあります。ナチス・ヒトラーについて書かれた本を3000冊以上も読んだ人が、そのうちの220冊を厳選して要旨を紹介した本です。なんと、学者ではありません。銀行に勤めながら、長いあいだ、ヒトラー関連の文献を集めたというのです。私も、この220冊のうち、かなりの本は読んでいますが、負けました。といっても、私も、ナチス・ヒトラーに関連する本は300冊は読んでいると思います。
 ある分野について一応読んだと言えるためには最低300冊は読了することが必要だという説を読んだことがあるからです。ですから、私の書庫も、同じテーマのものは、集中しておくようにしています。そのテーマで書くときに必要な文献を、すぐに取り出せるようにするためです。私は、ヒトラーと同じように、ソ連とスターリンについても多くの本を読んでいます。
 ヒトラーは臆病で、総統などという柄じゃない。優柔不断で、考えがぐらつき、人の意見に左右される。いま誰かと話すと、そのたびにころっと意見が変わる。だが、抜け目がなく、立ち回りはうまいし、気の弱い人間に限ってそうなのだが、残忍なところがある。
 これはヒトラーと同時代の人の評価です。なるほど、と思います。ヒトラーは単純な精神異常者ではありませんでした。
 ヒトラーは、暴力行為がもっとも効果的な政治の手段であることはよく理解して実行していた。その効果は噂と恐怖の拡大現象で増殖し、次第に民衆の独立的な抵抗意識を奪っていった。
 アメリカのフォードは、ユダヤ人嫌いで、ドイツに輸出した自動車の売り上げから、ヒトラーに資金援助した。
 ナチス突撃隊(SA)のレームは、資本家と決別することをヒトラーに要求した。それは旧体制との妥協を考えているヒトラーには同意できないことだった。
 ヒトラーが1934年6月にSA隊長レームなど89人を粛清したことからナチ党の腐敗に対する断固たる処置としてヒトラーを高く評価し、神話が生まれた。
 ナチス・ヒトラーは、生きるに値しない障害者を計画的に抹殺した。精神障害者、結核患者、知的障害者など20万人がドイツ内の6施設で薬物やガスで殺された。
 この本で私が初めて知ったのは、アメリカ軍が200万人のドイツ兵を捕虜としたのに、通常の捕虜(POW)として扱わず、扶養する義務のない「新しい身分の捕虜」(DEF)と扱ったことから、100万人ものドイツ人が消えて(死んで)いったということです。アイゼンハワー元帥の考えによるものでした。
 「水晶の夜」の真相は、ゲッペルス宣伝大臣がチェコ人女優と恋に落ちて結婚を望み、宣伝大臣の辞任と日本大使を希望したのに対してヒトラーが怒ったことから、ゲッペルスが名誉挽回を図ったものだというのです。ひどーい話です。
 ホロコーストは、並の人間の想像力をはるかに超えていた。だからこそ、ホロコーストを否定する人々は、現在に至るまで、そんなことはウソだと言いはることができた。ナチ犯罪はあまりにも特異で、容易には理解しがたいものであるからこそ、これを否定しようとする、よどんだうねりは絶えることがなかった。
 それでも、ウソはウソなのです。日本軍が南京で大虐殺をしたことが事実であるのに、あたかもウソであるかのようにいいつのる日本人が絶えないのが悲しい日本の現実です。 1944年7月のヒトラー暗殺計画に直接加担したのは200人近い。21人の将軍、33人の将校、2人の大使、7人の外交官が含まれていた。処刑されたのは年内に5764人、年が明けてさらに5684人だった。ヒトラー最大の危機だったのですね。
 ヒトラーは、人種的観点からはむしろ問題の多い日本人との同盟を拒否はしなかったが、日本との対決を遠い将来に覚悟していた。ヒトラーは、日本が話題になるたびに、いわゆる黄色人種と手を握ったことを残念がる口ぶりを示した。
 ヒトラーは黄色人種、つまり日本人も蔑視していました。ヒトラーの言葉が紹介されています。
 白色人種の国々が結束していれば、極東を手に入れて、日本がこれほどのさばることもなかったはずだ。
 ヒトラーと妻エヴァの遺体は、埋葬場所を転々と変え、1970年4月、ソ連のアンドロポフKGB議長が最終処分を指示した。遺体は火葬され、灰はエルベ川支流に捨てられた。
 ヒトラーについて、その全体像を知る手がかりを与えてくれる本です。
 昨日は絶好の春うららかな日和でした。車で山間部の支部まで出かけました。桜の花がハラハラと散っています。ナシの白い花が満開です。民家の庭先に咲くハナズオウの赤紫色の花があでやかに輝いていました。レンゲ畑となっていた田んぼにトラクターが入って、すきおこしをしています。
 わが家のチューリップは今400本咲いています。いまが真っ盛りで、写真でお見せできないのが残念です。
(2008年1月刊。1300円+税)

仲間を信じて

カテゴリー:社会

著者:小林明吉、出版社:つむぎ出版
 面白くて、とても勉強になる本です。読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばして襟を正し、粛然とさせられます。でも、決してお固い本ではありません。
 大阪そして奈良で労働運動一筋に生きてきた著者を弁護士たちが何十回もインタビューし、苦労して一つの物語にまとめた本です。ですから、まるで落語の原作本を読んでいる軽快さもあります。
 著者は今年、満77歳の喜寿を迎え、今なお労働分野の第一線で活動しています。同じ年に生まれた、私の敬愛する大阪の石川元也弁護士から贈呈された本です。一気に読みあげてしまいました。
 労働組合運動の活性化を志すすべての人に、そして労働事件に関わる多くの弁護士に読んでほしいという石川弁護士の求めにこたえて、私はとりあえず5冊を注文しました。本が届いたら、身近な弁護士と労働運動の第一線でがんばっている人に届けて読んでもらうつもりです。
 著者は初め、大阪でタクシーの運転手として働きました。当時、ゲンコツというシステムがあったとのこと。水揚げの一部を会社に納めず、自分のものにしていたのです。
 制服の右ポケットは会社への納金用、左ポケットはゲンコツ用。会社に納金するよりもゲンコツの方が倍くらい多いこともあった。雨が降ったり、風が吹いたりすると、もっと多かった。いやあ、ひどい話ですね。まるで信じられない牧歌的な時代があったのですね。
 タクシーの世界は奥が深い。客と知りあって出世した人も多い。信用が大切で、ついに証券屋になった運転手もいる。当時のタクシー運転手は、よく稼げた。しかも、それも調子のいいときだけ。事故にあったりしたら、もうどうしようもない。そこで労働組合をつくらなアカンという話になった。20代の著者もその中心人物の一人になった。
 組合を結成した。1960年ころは、1年半のうちに22回も、全国統一行動に参加していた。苦しくてヒマだったから。毎日が退屈で仕方なかった。だから、今日は統一行動だというと、みんな目が輝いた。デモ行進で、往復8キロ歩いても平気だった。
 著者は1967年3月、警察に逮捕されます。ちょうど、私が大学に入る年のことです。会社の労務係をケガさせたというのです。石川弁護士らの奮闘で一審は完全無罪となります。この裁判闘争のとき、裁判所前に長さ25メートルもの横断幕をかかげたというのです。無罪判決を求める運動のすごさですね。6年間の裁判闘争でした。今も福岡地裁の前に横断幕をときどき見かけますが、そんなに大きいのは見たことがありません。
 著者は全自交大阪地連組織争議対策部長として、丸善タクシー事件に関わります。社長が夜逃げしたため、残された従業員が自主管理したのです。そのとき社会保険について、労働者負担分はちゃんと納付したものの、企業負担分は、保留しておいたのです。それが、なんと数千万円にもたまり、結局、争議の解決金として組合側がもらえたというのです。すごい発想です。
 オリオンタクシー事件のときは、会社が倒産したと聞いたニッサンはまだ従業員がつかっているのに、車を差押さえて執行のシールを車に貼っていった。トヨタはそんなことはしない。執行官から、車に貼ったシールをはがすと犯罪になると警告された。さあ、どうするか。運転手たちは車を一生懸命に洗ってピカピカにみがいたのです。ホースで水をかけてモップで洗っているうちに、なぜかシールは自然にはがれていく・・・。うむむ、おぬし、やるな、という感じです。
 著者は、大阪から奈良へ活動の舞台を移します。奈良のタクシー会社に労働組合をつくるために大阪から派遣されたのです。大阪の組合がずっと著者の給料を出したというのですから、えらいものです。いま、東京でフリーターの若者を労働組合に加入してもらおうという動きがあります(首都圏青年ユニオン)。それに弁護士もカンパしていますが、同じような発想です。
 労働基準法違反のひどい会社に対して正当な要求をつきつけたところ、会社は労基法は守る。その代わりに残業は一切させないと対応してきました。残業できなかったら、労働者にとって一大事です。でも、これくらいでヘコむようでは組合活動なんてできない。労基署に要請行動すると、署長は「組合に要求を突きつけられて残業させないのは違法だ」と明快な回答。そして、会社に対して是正指導した。ひゃあ、これってすごいことです。当時はホネのある労基署幹部がいたのですね。
 納金ストをしたという話が出てきます。初めて聞く言葉です。つまり、会社に納金せず、組合が料金を保管するのです。下手すると業務上横領という刑事事件になりかねない行為です。だから、組合はきっちり現金を管理しなければいけない。売上は組合の名前で銀行に預け、売上日計表をつくって会社に通知しておく。な、なーるほど、ですね・・・。
 労働組合の団結にも、強・弱と、上・中・下がある。 組合ができるときは、緊張と興奮が続き、感情が高ぶり、感情的団結がうまれる。社長はけしからん。賃金が低い。労働時間が長い。このような興奮状態から生まれる団結水準。しかし、いつまでも感情的であってはいけない。組合も時間の経過にともなって成長していく。勉強を積み上げてだんだんに意識が向上していく。つまり、努力次第で、意識的団結へと成長する。ところが、意識的団結に高まっても、何かの事情で勉強回数を減らしたり、止めたり、リードする幹部がいなくなると、その団結が揺らぎ出す。
 したがって、労働組合が目ざすべき団結は、思想的団結である。幹部は目的意識的に一般組合員との人間関係を大切にしなければならない。そして、幹部は人間としても信頼されなければならない。礼儀・恩義に無頓着、金銭にルーズ、サラ金の常連というのでは困る。労働態度(働き方)も大切。職場の模範である必要がある。
 孫子の兵法に学べ。著者はこのように言います。有利、有理、有節。有利とは、その要求と闘いに利益があるかどうか。有理とは、理屈と根拠が正当か。有節とは、要求が正当でも、社会的に支持されるものかどうか。
 私が弁護士になって2年目のときでした。日本のほとんどの交通機関で1週間ストライキが続きました。スト権ストです。当時、横浜方面に住んでいた私は、いつもより何時間もかけて苦労して出社しました。それ以来、日本ではストライキが死語同然になってしまいました。最近やっとマックの店長は労働者かということで労働基準法が脚光をあびるようになりましたが、まだ労組法は死んだも同然です。やはり日本でも労働者が大切にされる国づくりを目ざすべきだとつくづく思います。
 石川先生、すばらしい本をご紹介いただいてありがとうございました。元気をもらいました。
(2008年3月刊。1600円+税)

物語が生きる力を育てる

カテゴリー:社会

著者:脇 明子、出版社:岩波書店
 私と同世代の女性の書いた本ですが、すごいなあ、なるほどそうだなあと、同感の思いを抱きつつ読みすすめていきました。
 子どもがちゃんと育つために必要なのは、一にも二にも実体験だ。言葉という道具を身につけて、それでコミュニケーションを行うというものではない。まわりの人たちを相手に、音声や表情や動作のキャッチボールをたっぷり行うことこそが、生きるために不可欠な対人関係を育て、言葉をつかう力を育てる。
 赤ちゃんに必要なのは、全身をつかって可能な限り世界を探索し、それを通じて五感を発達させ、運動能力を高めていくこと。
 幼児には、喜んで耳を傾けてくれる人、この人に伝えたいと思える人が近くにいることが必要だ。子どもの発達にとって不可欠な二つのこと、すなわち身体をつかって世界を探索することと、まわりの人たちとコミュニケーションをとることは、密接にかかわりあっており、その両方が保証されてはじめて人間的知性が身についてくる。
 問題は、これほどまでに大切な実体験が、いま子どもたちから奪い去られつつあること。その元凶は、何よりもまず、近年大発展をとげた電子メディアにある。テレビ、ビデオ、DVD、ゲーム、インターネット、ケータイが子どもの成長発達を脅かしている。
 ところで、子どもの成長には、実体験が何より大切だが、物語による仮想体験にも、場合によっては、実体験では不足するものを補う大きな力がある。
 人間には、「物語」をもっているというユニークさがある。五感で世界をとらえただけでは、物語は生まれてこない。物語が生まれるのは、語感でとらえた事実と事実とのあいだに、目で見ることも耳で聞くこともできないつながりが感じられたとき。そのつながりは、語感でとらえた世界に実在するわけではなく、いわば人間の脳のなかにだけある。
 ヨーロッパの昔話の主人公は一般に若く、日本では、じいさんばあさんの話が主流だ。
 日本の昔話に目立つのは、花咲かじい、こぶ取りじいのように、2人のじいさんを対比させる。ヨーロッパでは、3人姉妹や3人兄弟だらけ。まず長男が失敗し、次男も失敗し、最後に末っ子が成功する。ところが、日本の昔話では、まず最初のじいさんが幸運に恵まれ、それをまねた2人目のじいさんが失敗して終わる。序列がまるで逆だ。
 うへえ、そんな違いがあるのですか・・・。
 子どもは残酷性に強い。幼児期の子どもは、まずは動物として生きる力を身につけようとしていると考えられる。私たちは、人間として育つと同時に、動物としてもしっかり育たねばならず、動物の部分を切り捨てようとすると、基礎工事を手抜きした建物のように不安定になる恐れがある。
 赤ちゃんとテレビのあいだには親密な交流は生じない。人間なら、赤ちゃんが笑えば自分もうれしくなって笑顔を返し、声をかけたり身体をゆすったりして、うれしさをさらに増やそうとする。そうされると赤ちゃんは、自分の感情を肯定されていると感じ、養育者との情緒的なつながりを強めると同時に、自信をもって感情を動かせるようになっていく。
 ところが、テレビが相手だと、赤ちゃんの感情に同調してくれないし、身体的な働きかけもしてくれない。それでは、赤ちゃんはあやふやな感情しかもてないし、他者の感情を推しはかる力をうまく身につかない。
 不快感情の体験にかぎっては、物語で味わうほうがいい部分もある。子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら、多様な体験ができるから。
 筋だけを追う読書では、情景や心情を想像してみるヒマなどないから、想像力が育たない。思考力も記憶力も育たない。想像力を働かさなければ、感情体験や五感体験はできない。ましてや、心の居場所など、見つかるはずもない。
 これは速読術への批判です。私も本を読むのは早いわけですが、なるべく、情感を味わうようにはしています。それで、どれだけ思考力が身についたのかと問われると心もとないのですが・・・。
 早くも、1本だけですが、ジャーマンアイリスが咲きました。ビロードのようなフサフサをつけた、気品のあるライトブルーの花です。ジャーマンアイリスを植えかえようかと思っていたのですが、しないうちにぐんぐん葉が伸びて、ついに花が咲いてしまったので、なりゆきにまかせることにしました。あちこちに株分けしていますので、それらに再会するのも楽しみです。福岡の弁護士会館の裏口あたりにもあります。
 チューリップは7〜8割方は咲きました。毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。チューリップの赤や黄色そしてピンクなど、色とりどり、また形もさまざまの花を眺めていると心がすーっと軽くなります。
(2008年1月刊。1600円+税)

ハイチ、いのちとの闘い

カテゴリー:アメリカ

著者:山本太郎、出版社:昭和堂
 2003年7月27日、ハイチの首都ポートプランス空港におり立ち、2004年3月10日、ハイチからニューヨークへ身ひとつで脱出した日本人医師の体験記です。
 ハイチの失業率は70%をこえ、国民の3分の2以上が1日2米ドル以下という貧困生活を送っている。国民一人あたりの国内総生産は400ドル。これは日本人一人あたりのそれの70分の1にすぎない。
 面積2万8千平方キロに860万人の人口。国民の90%が黒人、10%が黒人と白人の混血のムラトー。雨が多く、本来は緑豊かな島国だが、長年の森林の無秩序な伐採によって、国土の森林面積の90%を失い、いまや薄赤茶けた肌が露出する山々だけが無惨な姿をさらしている。
 ハイチの隣にドミニカ共和国がある。東側3分の2を占める。人口800万人の国。ハイチから1844年に独立した。ドミニカ側の山には緑が残っている。ドミニカの方が物価が安く、ハイチの3分の2程度。
 大半の住民はクレオールしか話さず、フランス語を話すのは人口の10%程度、エリートに限られている。クレオールは、ピジンと違って、それ自身が文法的にも表現能力としても充実した土地の言語である。クレオールはハイチだけでなく、世界各地でつかわれている。マルチニク、グアトルループなど・・・。
 NHKラジオのフランス語講座でハイチが取りあげられて勉強したことがあります。
 ハイチは、独立して200年間、独裁と政治的混乱を繰り返してきた。
 ハイチでは、ハイチ・ドルという実体のない、つまり紙幣やコインのない仮想通貨が日常的につかわれている。正式な流通通貨であるグルドでいうと、5グルドが1ハイチ・ドルということになる。10ハイチ・ドルは50グルドで、これは1.25米ドル。
 ハイチでは何ごとも交渉によって値段が決まる。 ハイチに住む日本人は18人ほど。
 ハイチの成人人口の5〜10%がHIVに感染している。エイズ治療薬は、かつて年間1万2000米ドル(144万円)かかるといわれていたが、今では300米ドル(3万6000円)にまで低下した。
 ハイチに暮らす860万人に対して、島の外、海外に150万人のハイチ人が住んでいる。
 デュバリエ独裁時代は恐怖の中での秩序があった。自由と競争が、ある面で、社会を壊していく。アメリカがそうだし、自由のない社会での秩序は、それ以上に恐ろしいものである。これは、あるハイチ人の言葉です。
 著者は長崎大学の医学部を1990年に卒業した若手の医師です。アフリカ諸国でも活躍されています。このような日本人がいるおかげで、日本人に対する海外の評価は高いのですよね。頭の下がる思いをしながら読みました。
(2008年1月刊。2400円+税)

ビルマとミャンマーのあいだ

カテゴリー:アジア

著者:瀬川正仁、出版社:凱風社
 正直言って、この本を読む前には、ちっとも期待していませんでした。また、どうせ観光案内に毛のはえた程度のおじさんの探訪体験記くらいになめてかかっていたのです。ところが、どうして、どうして、ふむふむ、なるほどなるほど、そうだったのか、とうなずきながら興味深く一気に読みすすめてしまいました。
 ビルマには2つの顔がある。一つは、人々をトリコ(虜)にする微笑(ほほえみ)の国・ビルマ、底知れぬ優しさにあふれた顔。もう一つは、軍隊や秘密警察が生活の隅々まで目を光らせている軍事独裁国家・ミャンマーという顔だ。
 ただし、ツァー旅行に参加して、お寺めぐりと川下りだけを楽しんでいるだけでは、この現実は体感できないだろう。この本を読むと、そのことが実感として伝わってきます。
 バーマもミャンマーも、もともとは同じ意味の言葉だ。バーマは口語的で、ミャンマーは文語的だというだけのこと。
 首都だったラングーン(ヤンゴン)は、人口600万人。2006年、突然、首都はネピドーに移された。ヤンゴンは、ビルマ語で戦争の終わりを意味する。1757年、長年の宿敵モン族に打ち勝ってビルマを統一したアラニパヤ王によって名づけられた。
 ラングーン市の中心部に高さ98メートルの黄金の仏塔シュエダゴン・パゴタがある。仏塔の全面に張りめぐらせてある金箔の総量は10トン以上。これは、イギリス統治時代の大英帝国が保有する金の総量を上回っていた。仏塔の上部に埋め込まれているダイヤは2000カラットをこえる。ルビーやサファイヤなどもあり、お金に換算したら、ビルマの全国民を30年間養えるほどの額になる。
 ビルマでは、その昔、1週間を8日ごとに区切る8曜日となっていた。今は、もちろん7曜日。だから、水曜日を午前と午後とで分けている。
 ビルマ人は、とても読書好きだ。慢性の電力不足のため、テレビはあまり普及していないし、政府系のテレビ局しかないからだ。
 ビルマ政府は外国人を絶対に立ち入らせないブラック・エリアのほか、許可をもらって初めて行けるブラウン・エリア、誰でも自由に行けるホワイト・エリアの3つに分けている。
 ビルマでは、輪廻転生(りんねてんしょう)を信じている人が多い。教養ある女性が次のように言った。あの人たち(政府高官)は、前世で立派な行いをしていたのでしょう。だから、現世では、いい暮らしができるのよ。でも、来世はないわね。地獄におちるか、虫けらに生まれるわ。
 かつて覇権を争ったビルマ民族は今3000万人。モン民族はわずかに100万人(ただし、モン民族によると400万人)。
 しかし、ビルマ民族にとって、モン民族は煙たい存在だ。タトン王宮、シュエダゴン・パゴタなど、有名な遺跡は、ほとんどモン民族の文化遺産なのである。
 行ってみたいような、行くのが怖いようなビルマ・ミャンマーです。
(2007年10月刊。2000円+税)

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