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平頂山事件とは何だったのか

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:平頂山事件訴訟弁護団、 発行:高文研
 わずか180頁の薄い本ですし、1400円ですので、多くの人に買ってぜひ読んでほしいと思いました。日本人として知っておくべき事実がこの本には書かれています。私もなんとなく知ったつもりになっていましたが、平頂山事件についての正確な事実経過とことの本質を知っていませんでした。
 1932年(昭和7年)9月16日、当時、満州(今の中国東北部)の撫順に駐屯していた日本軍が、平頂山地区の住民3000人を崖下の平地に追い立て、一斉機銃掃射を浴びせかけ、その遺体はガソリンがかけられて燃やされたうえ、ダイナマイトで崖を爆破して土砂によって完全に隠蔽した。
 1932年というと、日本で5.15事件が起きた年です。軍部の横暴・独走がますますひどくなっていたころ、中国で日本軍はとんでもない大虐殺事件を起こしていたのです。被害者は何の罪もない労働者とその家族です。国民党軍でも八路軍でもありません。
 平頂山事件の起きた1930年代の撫順には、日本人が1万8000人も住んでいた。ちなみに、朝鮮人は4000人、中国人は44万5000人。日本人のうち1万人は、日本の国策会社である満鉄の社員とその家族である。
 撫順炭鉱は満鉄が管理していた。石炭埋蔵量は9億5000万トンといわれ、世界有数の規模を誇っていた。撫順炭鉱は、関東軍によって厳重警備されていたが、抗日義勇軍(大刀会)が撫順炭鉱を襲撃した。そこで、日本軍の守備隊は、平頂山の村民が抗日義勇軍に加担したとみて、今後の見せしめのためにも、徹底的に殺しつくし、焼き尽くすという方針に出た。村民をだますために、記念写真を撮るとか、適当な嘘を言い募って住民を集合させ、重軽機関銃で一斉掃射した。
 ところが、当時の日本政府の見解は、不正規軍や共産党員の男たち2000人からなる部隊捜索のために村に入ったところ、日本軍が攻撃されたために戦闘となり、戦闘中にその場所の大半が焼けて壊滅したが、住民虐殺はなかったというもの。
 そして、この日本政府の見解は、今もなお、正式に改められてはいない。そして、日本では今も平頂山事件そのものがまったく知られていない。まったく、そのとおりです。
 この平頂山事件でも生き残りの人々がいました。(幸存者と呼ばれています)。幸存者の人々が日本政府を被告として訴えを起こしたのです。
 ところが、日本政府は「国家無答責」という論理を使って、責任を認めようとしません。これは、国の権力的行為によって生じた損害については、国は賠償責任を負わないという考え方です。なぜ権力的行為なら賠償責任を負わないでいいというのか、私には理解できません。
 「国家無答責」というのは、明治憲法下において、判例の積み重ねによって徐々に形成されていった法理論のようです。しかし、日本国憲法下の裁判所が戦前の法理論に拘束されるというのは、おかしな話です。なのに、現代日本の裁判所はそれを認めた判決を次々に下しています。
 学者は次のように解説します。国家無答責(無責任)の法理が認められるのは、たとえば強制執行処分、徴税処分、印鑑証明の発布、特許の付与といった国の権力的公務が法律によって許されている場合に限られるし、そもそも外国人には適用されない。平頂山事件は1932年の事件であって、いわゆる日中戦争のさなかの事件(行為)ではなく、平和に暮らしていた中国の一般市民を突然に、日本軍が残虐の限りを尽くして虐殺した事件であるので、国家無答責の法理は適用されるべきではない。
 なるほど、そう、そうですよね。ところが、残念なことに、日本の裁判所は一審も二審もそして最高裁も、幸存者の請求を認めませんでした。残念ですし、中国人の被害者・遺族の方々に申し訳ないと思います。
 被害者の要求は3つです。第一に、日本政府が平頂山事件の事実と責任を認め、幸存者と遺族に対して公式に謝罪すること。第二に、謝罪の証として、日本政府の費用で謝罪の碑を建て、被害者の供養のための陵苑を設置し警備すること。第三に、平頂山事件の悲劇を再び繰り返さないため、政府は事実を究明しその教訓を後世に伝えること。
 いやあ、どれもごくごく当然の要求ですよね。一刻も早く日本政府がこれらの要求を受け入れることを私も強く望みます。
 ところで、この3つの要求には金銭賠償が含まれていません。いろいろの議論があったようですが、その点も当然考えられるべきものと私は思います。
 それにしても、この困難な裁判を日本で起こし、遂行していった日本の弁護士の皆さんの労苦にも感謝したいと私は思います。
 ちなみに、私も「すおぺい」ニュースを読んでいます。 
(2008年8月刊。1400円+税)

筑豊の近代化遺産

カテゴリー:社会

著者:筑豊近代化遺産研究会、 発行:弦書房
 嘉穂劇場での年に一回の全国座長大会を見てきました。初めのショータイムは、あまりのボリュームに、演歌もカラオケも嫌いな私には少々きつい思いがありました。スピーカーの音質も良くないように思いましたが、これって私だけだったのでしょうか。それにしても、役者の首に万札のレイが次々にかかるのには驚きました。噂には聞いていましたが、追っかけおばちゃんたちの気前の良さには呆れるばかりです。この座長大会も30年間続いているそうですが、ほとんど満席でした。狭い座敷にぎっしり詰め込まれます。
筑豊で炭鉱全盛期のころには、筑豊だけで50もの芝居小屋があったそうです。熊本・山鹿の八千代座も残っていますが、残念ながら外からしか見たことはありません。来年は9月12日に座長大会が開かれるということでしたが、早速、申し込んだ人もきっと多いことでしょうね。
 ショーのあと、芝居「一本刀土俵入り」を久しぶりに見ました。私も、小学校に入る前に父に連れられて、近くにあった芝居小屋にお芝居を見に行ったことを覚えています。チャンバラ芝居で、観客席は満員でした。なにしろ、映画館なんて、町のいたるところにあった時代です。いま、私の住む町には映画館はひとつもありません。残念です。やっぱり映画は大きなスクリーンで見たいものです。
 芝居が終わって、伊藤伝右衛門邸を見学してきました。筑豊の炭鉱王の一人ですが、むしろ柳原白蓮の公開絶縁状によって世間的には有名でしょう。
 屋敷内を見て回りましたが、廊下は板張りではなく、すべて畳敷きになっていました。
 九州で初めてという水洗トイレもちらっと見かけました。これだけの豪邸を作れたというのは、それだけ多くの炭鉱労働者の犠牲の上に成り立っているのでしょうね。
 筑豊の炭鉱で災害死した人は、公式統計に現れただけで5万人いるとのこと。実際には10万人はいるだろうということです。私も一度だけ、炭鉱の坑内に下がったことがあります。労働現場として、これほど過酷なところはないと実感しました。地底深く、漆黒の闇の中へ入っていくときの恐怖感というのは、言葉で表しにくいものです。身体が無意識のうちに拒否反応を起こします。
 筑豊の炭鉱の実情も聞きましたが、頭領や納屋制度で炭鉱労働者はがんじがらめに縛られていたようです。それでも、それを少しずつはねのけていったのです。大変な苦労があったことだろうと思います。
 カラー写真もたくさんあって、筑豊のことを知るのに良い事典だと思います。 
 富山で美味しいワインと食事の店に入りました。こじゃれた小さな店です。カウンターがあって、テーブルはいくつかしかありません。ワインはテーブルワインが主です。まずはキールロワイヤル。シャンパンに甘いカシスを入れます。ロゼより少しだけ赤い、甘くさっぱりしたのどごしで、食欲をそそります。はじめは地元でとれた新鮮な魚のカルパッチョ。フグ皿のような見事な盛り付けで、こりこりした魚の刺身をいただきます。そして白エビの甘酢漬け。ジャガイモをサイコロのようにカットして、軽くローストしたもの、また、ジャガイモを潰してゴルゴンゾーラチーズと一緒にしたものが出てきました。ブルーチーズのような大人の味わいです。まいたけも入った野菜の天ぷら、そして、地元鶏の照り焼き。小さな皿に少しずつ、いかにも心のこもった料理が次々に出てきました。ワインは初め軽いブルゴーニュの赤、そして次は重みを感じさせるイタリア・ワインの赤です。飲むほどにだんだんワインが舌になじみ、料理にぴったりマッチして、美味しく、味わい深くなっていきます。
 最後のデザートは、レモンのシャーベットとアイスクリーム。シャーベットは口の中を改めてさっぱりさせ、アイスクリームはくるみの粒入りで、しっとりとした甘さです。これで、前の晩に食事した居酒屋と同じ料金でした。
 ANAホテルの並びにあり、夫婦で深夜までやっているお店です。
(2008年9月刊。2200円+税)

競争社会に向き合う自己肯定感

カテゴリー:社会

著者:高垣 忠一郎、 発行:新日本出版社
いろんな内的資産に恵まれ、その土台の上に順調に努力して競争にも勝って成功して「勝ち組」になれる人と、さまざまな負の内的資産を負わされ、それが重すぎて持てる力を発揮できず、その結果、「負け組」になってしまう人との間には、目に見える形で努力をしたか、しなかったかというだけでは捉えきれない目に見えない条件の格差がある。
 たとえば、鬱病にかかった人はがんばりたくてもがんばれない。がんばろうとすればするほど、がんばれない自分を責めて余計にしんどくなる。
 このように、格差については、目に見えない内的資産をも思いやらなければ、本当につらい人たちを支えることはできない。
 がんばればなんとかなる、という「勝ち組」の人にはそれなりに通用するメッセージを、がんばってもどうしようもない人々や、がんばろうと思ってもがんばれない人々に与えることは、ひとりよがりのメッセージでしかない。それは、自分の経験からしかものを見ていない。痛めつけられ、自己否定の心を背負わされた人々を支えるために、提供できるメッセージは、ダメなあんたでもエエねんで、でしかない。それは、ダメなところを肯定するのではない。ダメなところを抱えながら、一生懸命に生きている自分を受け入れ、肯定することである。
 いま、子供たちは、心の奥深くに、かつて人類が経験したことのないような深い不安を抱きながら生きているのではないか…。
 信じて、任せて、待つ。
 何を、か。子供が立ち上がっていく力、自己回復していく力、成長していく力を信じるということ。
 今の日本の社会は、ノウハウを習って効率的に事を処理するという生き方がのさばっている。自分を差し出して「相手」と向き合い、その中で「相手」に耳を傾け、分かろうとするコミュニケーション能力が衰えている。「相手」とじっくり向き合う力が衰退している。そこに、「愛」がない。
 カウンセリングは、「わたしはダメだ、ダメだ」という自己否定の「悪夢」から目を覚ましてもらうこと、これが最大の眼目である。その「悪夢」から目を覚まさない限り、生命の働きは活性化されず、生命は輝かない。
 ふむふむ、なるほど、なるほど、大事な指摘です。大切なことを思い知らされました。 
(2008年5月刊。740円+税)

ドット・コム・ラヴァーズ

カテゴリー:アメリカ

著者:吉原 真里、 発行:中公新書
 いやあ、団塊世代であり、インターネットと日頃とんと無縁な私にとっては、とてもショッキングな本でした。
 この本のサブタイトルは、ネットで出会うアメリカの女と男です。オビに書かれているフレーズは、「インターネットは愛の救世主か?!」です。もっというと、アメリカ男たちとオンライン・デーティング。大手サイトに登録した著者は、ニューヨーク、そしてハワイで、さまざまなアメリカ男たちと「デート」する。メールのやりとり、対面。交際、そして別れの中から、人間臭いアメリカが見えてくる――。
 40歳の東大卒で、ハワイ大学教授の独身女性が良き伴侶を求めるうえで、ハードルが高いことは、それなりに想像できます。この本は、そんな経歴の著者が活路をインターネットに求めて格闘した人生の日々を、かなり赤裸々に語りつづったものです。
 うむむ、知りませんでしたね。アメリカでこれほどインターネットが出会いの場として活用されているとは。日本でも出会い系サイトで知り合ったという弁護士を知っていましたが・・・。
 オンライン・デーティングというのは、要するにインターネット上のサイトを使ってデートの相手を探すこと。2006年度の業界の総売上は6億4900万ドル。現在、有料で合法なインターネット・サービスの中で最高の収益をあげている。アメリカでは、オンライン・デーティングはすっかりメインストリームになっている。主流として定着している。ええーっ、そ、そうなんですか…。
 登録料は、月に20ドル(2000円ほど)。あるサイトは、ここを介して出会った男女1万組が結婚している実績を誇っている。
 ストレートの女性がゲイの男性に惹かれる理由はいくつかある。さまざまな困難の中で、あえて自分に正直に生きる選択をしているゲイの男性は、人間関係において非常に真面目であることが多い。友達を大切にし、まめに連絡をとり、よく話をするし、こまめに気をつかう。一般的に言うと、ゲイの男性は平均的なストレートの男性に比べて、人間関係に意識的な努力を払う人が多い。そして、話を良く聞いてくれる。ゲイの男性は、おしゃれや身だしなみ、インテリアにこだわる人が多い。
 ところが、ゲイの世界のインターネットの勧誘サイトでは、あまりに性的露出度が高い。つまり、ペニスのアップ写真などがこれでもかとばかりに載っている。ひえーっ、これって信じられませんね。
 オンライン・デーティングでは、多くの人は同時進行的に複数の相手とデートを重ねており、そのこと自体に腹を立てる筋合いはない。ううむ、そういうことなんですね。
 著者の相手になった男性には、ユダヤ系の人が多かったのですが、それは、会話や議論が好きで、感情表現が豊かであり、濃厚に人間臭いやりとりができるからでした。
 アジア人女性(もちろん日本人女性も含みます)は、アメリカ人女性よりも性的に奔放である、というのは嘘ではないようだ、とも書かれています。うーん、そうなんでしょうか。
 著者は、この本によると、10人以上もの男性との出会いをそれなりに「楽しんだ」ようです。そして、月20ドルの料金は十分に元が取れた、と考えています。
 オンライン・デーティングでは、安全のために、本人同士が連絡を取り合って相手に知らせない限り、本名やメールアドレスは分からないようになっている。なーるほど、ですよね。むやみに変な人に知れたら、面倒ですからね。
 ベッドの中での行動やセックスについての態度には、その人の人間性がよく現れるから、相手のことを良く知るためには性的関係を持つのが大事だとも思う。むむむ、このセリフは、なかなか簡単にはいえませんよね。
 いやあ、世の中はこうなっているんだな、と改めて認識を新たにしたところです。こんな本を書くと、ますます男性の多くは引けてしまうと思います。でも、子供好きだということですから、ぜひ良き伴侶を見つけて子供をもうけてくださいね。 
(2008年6月刊。780円+税)

がん、最良の治療選択

カテゴリー:人間

渡辺 亨  エビデンス社
  胃ガンになっていったんは治癒したものの、何年かして転移した肺ガンで父を亡くした私にとって、やはりがんは気になる病気です。
 この本を読むと、がんが今や決して不治の病ではないことを実感します。あのエイズ(HIV)も治療薬の開発が進み、今では40年生存も可能になってきているという記事が先日の新聞に載っていました。40年生存といったら、私なんか100歳にもなってしまいます。そんな高望みなど決して致しません。年に一回は海外旅行(できたらフランスへ)できるほどの身体と経済事情が保持できたら、と思います。
 乳ガンの10年生存率は75%で、比較的治りやすい。ただ、10年を超えても再発することがある。再発・転移したがんは治ることがない。ただ、悪性度が低いときには、薬でコントロールしやすい。ホルモン剤だけでがんをコントロールすることが出来る。乳がんが再発・転移したときは、残念ながら完治させるのは非常に困難だ。
 がんの進行や再発に伴い、血液中の特殊なたんぱく質の量が増えることがあり、これを進行や治療効果を知る目安として利用するのが腫瘍マーカーである。血液を採るだけで簡単に検査できるため、広く実施されている。ただし、腫瘍マーカーはがん細胞が増えていなくても高い数値が出たり、数値が低くても進行しているときもあるので、万能ではない。とくに早期発見にはほとんど役立たない。
 煙草によるがん発生の危険率は、1日の平均本数×喫煙年数で表す。これが400以上なら危険群で、600以上なら高危険群だ。
 煙草は、肺がんだけでなく、咽頭がん、食道がん、膀胱がん、腎がん、膵がんなどの発生に関与している。煙草をなくせたら、がん患者を毎年9万人減らせる。禁煙して10年たつと、もともと煙草を吸わない人に近い危険率に戻る。
 肺がん死亡率は、喫煙者は非喫煙者の4.5倍。喫煙者は手術後に肺炎などの合併症を起こしやすい。せきやたんが1ヶ月以上も続くときは、肺がんの疑いがある。
 血の混じっている血たんが出たら要注意。血たんの出た人の10人に1人は肺がんとみられる。せき、たん、血たんの段階で見つかった肺がんは、比較的進行速度が早いものの、治る可能性は十分にある。
日本では、毎年1万人以上が食道がんにかかる。その頻度は胃がんの8分の1だが、50歳代以降、年を取るにつれ急激に増加する。アルコールや熱い食べ物、飲料が食堂粘膜を傷つけることによる。毎日飲酒している人が食道がんになるリスクは、飲まない人に比べて2倍以上も高い。飲酒量が増えるほど、リスクも高くなる傾向がある。アルコールを飲まず、煙草も吸わない人が食道がんになることはとてもまれなこと。
 食道がんの初期症状として代表的なものは、食べ物を飲み込んだとき、胸の奥がチクチク痛んだり、しみるように感じるということ。食道がんの手術は、しばしば後遺症を伴う。しかも、一般に予後が悪い。
 子宮筋腫は、子宮に出来る腫瘍の中でもっとも頻度の高い良性の腫瘍である。40歳代の女性の3分の1は筋腫を持っている。
 今や、がんの診断を患者本人に説明するのは当たり前の時代である。告知は、「がん」という病名を伝えるだけでなく、病気の状態やその後の経過などをどのように告知するか、その後の経過などは自分の生死に関わる治療選択を自分自身で行うことができるようになる。
 腎臓がんには抗がん剤の治療効果はあまり期待できない。全身療法の免疫療法が主体となる。インターフェロンの自己注射は保険が効いて、3割負担でも月7万円ほどの自己負担となる。
 がんの治療法もどんどん進化しているようです。今後とも大いに研究を進めて欲しいと思います。
 ニースでは毎日、雨の心配をしたことがありません。エクサンプロヴァンスでも、夏に雨が降るなんて考えたことがありません。それでも、町のあちこちに泉があり、とうとうと水が流れています。そのすぐ側で食事できるところがいくつもあります。ところが、今回、アヴィニヨンで一晩激しく雨が降りました。あわててベトナム料理の店に入り、珍しく室内で食事をとりました。アルルとカルカッソンヌでも通り雨にあいました。ただし、いずれもやがて晴れ上がり、雨が降ったなんて嘘のようでした。夏の南フランスを旅行するのが楽しい理由に、雨が降らないこと、夜9時まで昼間のように明るいことが上げられます。一日がとても長いのです。傘の心配をせずに自由に歩きまわれるって、楽しいですよ。
(2008年5月刊。740円+税)

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