法律相談センター検索 弁護士検索

「絶対帰還」

カテゴリー:宇宙

著者:クリス・ジョーンズ、 発行:光文社
 人間にとっての宇宙飛行の危険な実情をいまさらながら知ることができます。アメリカの宇宙ステーションの危機を救ったのが、人命尊重第一のロシアの宇宙船だったという話は笑えない現実です。アメリカの人道主義も意外に底が浅いんですね。
スペースシャトルの85%が燃料である。液体酸素54万リットルと液体水素14万リットルが入っている。これらがエンジン点火と同時に二つの予備燃焼室で混合されて高圧ガスを発生させ、シャトルの3基の主エンジンに燃料を供給するターボポンプを駆動する。その後、ガスは主燃焼室で燃やされ、その温度は3316度にまで達する。
 宇宙服が明るいオレンジ色をしているのは、万一の場合に備えてのこと。オレンジ色は目立つので、海に落下したときに宇宙飛行士(またはその遺体)を発見しやすい。
 スペースシャトルの飛行士は、まずフライト用おむつと上下つなぎの長い下着を着用する。その上に完全防水耐寒スーツ(与圧服)、パラシュート、ハーネス、浮揚装置のついたスーツを着る。
 ソ連の宇宙飛行士は、アメリカの飛行士と違って、飛行中におむつを着用するのを断固拒否した。おむつをあてられるより、打ち上げ前の数日間絶食をして、氷水の浣腸を受けた方がましだ。いやあ、す、すごーい、ことです。
 トイレに行くという行為は、宇宙旅行においては、元来つねに大きな危険を伴うものの一つである。男子の排尿は、ホースと吸引装置の助けがあれば容易だ。大変なのは、排便のほう。新人飛行士はまず間違いなく、やんちゃな排泄物を相手に悪戦苦闘させられる。地球周回軌道上における排便行為は、決して受動的運動ではない。
いやあ、これって想像するだけでも大変なことですよね。これを読んでいる人が食事中だったら申し訳ありませんが、狭い宇宙船内で「やんちゃな排泄物」と格闘させられるなんて、考えてみただけでゾっとしますよね。
宇宙飛行士は食べ物の味があまり感じられなくなる。無重力の影響による鬱血のため、体液が下に下がらず顔がはれたようになり、鼻づまりを起こしてしまう。
 しかし、宇宙ステーションに閉じ込められている宇宙飛行士にとって、食べ物の選択はきわめて重要だ。避けがたい身体的な衰弱と戦うためにも、食欲を失うわけにはいかない。選択肢は限られている。毎日、メニューに従って食事をこなしていくしかない。一日3食、一定の栄養が含まれた食事をとり、間食もたっぷり食べなければならない。厳選されたメニューを8日で一巡させるのが決まりである。やっぱり美味しいものを、バラエティーに富んで、ゆっくり味わいたいものですよね。
 眠るときには、枕に頭を縛り付ける。そうしないと枕の柔らかい感触が楽しめない。ときどき腕がひとりでに宙に浮いてしまい、まるで溺れかけている船乗りのようになってしまう。
 吐き気がおさまるまでに何日もかかる飛行士もいる。その間、ずっとフェネルガンという制吐剤を自分で注射し続けなければならない。うむむ、これも大変なことです。
 一掴みのアスピリンを口に放り込んで、足や背骨の痛みと戦う飛行士もいる。重力によって狭まっていた骨と骨との間隔が無重力状態では3センチも広がってしまうからだ。
 310日間、宇宙に滞在したソ連の宇宙飛行士は、毎日2時間、ランニングマシンで鍛錬を欠かさなかったのに、歩くことも立つこともできなくなっていた。椅子に座らされ、そのままテントに運ばれた。宇宙で、骨は急激に衰え始めるのだ。そ、そうなんですか。宇宙って、やはり苛酷な環境なんですね。
 ロシアのソユーズは、登場から40年たった今でも現役の宇宙船として使われている。スペースシャトルよりかなり小さい機体だが、人員往復がその目的であるため、信頼は非常に高い。2003年にアメリカの宇宙ステーションの3人の飛行士が地球に帰れなくなった時、救助で使われたのはこのロシアのソユーズだった。
 話があっちこっちに行きつ戻りつしますので、読みにくい本ですが、宇宙飛行士の置かれる大変厳しい状況がよく伝わってきます。私は宇宙飛行士になる勇気なんて、とてもとても、まったく持ち合わせていません。私なんか、我が家のベランダから望遠鏡で月世界を眺めるだけで十分です。 
 庭の秋明菊が少しピンクの入った真っ白で上品な花を咲かせています。
(2008年7月刊。2300円+税)

ベルリン終戦日記

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:アントニー・ビーヴァー、 発行:白水社
 1945年4月、ドイツの首都ベルリンにいた34歳の女性ジャーナリストの書いた日記です。ニセモノ説もあったようですが、ホンモノだと判定されています。この本を読むと、ニセモノ説があったなんてとても信じられません。きわめて具体的でまさに迫真そのものです。ジューコフ元帥の率いるベロルシア方面軍150万の赤軍兵団がベルリンを占領し、至るところでドイツ女性を強姦するのです。その状況が被害者として生々しく語られます。
 日記は、1945年4月20日から6月22日までの2ヶ月分です。この間に、米英の空軍機による空襲、ソ連赤軍による地上砲撃、市街戦、ヒトラーの自殺(4月30日)、ドイツ軍の降伏(5月2日)、連合軍のベルリン占領があった。
 1945年にレイプ被害にあったドイツ人女性は、200万人と見られている。ベルリンでは10万人から13万人とされている。
 第一段階はソ連兵士による復讐と憎悪によるもの。多くの兵士は戦争の4年間に自国の将校や政治委員たちによってひどい屈辱を受けていたので、この屈辱を何としても埋め合わせねばと感じていた。ドイツの女たちは、そのもっとも簡単なターゲットだった。
 第2段階では、赤軍兵士はその犠牲者を選ぶにあたってより慎重になり、防空壕や地下室の女たちの顔に懐中電灯の灯を当て、一番魅力的な女を選ぼうとした。
 第3段階では、ドイツの女たちが特別な兵士あるいは将校と非公式の合意を結び、男たちは別の強姦者から彼女たちの身を守り、性的服従の見返りに食料をもたらした。
 ソ連軍が占領する前、ある夫人が叫んだ。
 頭上のアメ公より、腹の上の露助のほうが、まだましだわ。
 赤軍兵士は、まず問いかける。「結婚しているのか?」 もし、そうだと答えれば、次には夫はどこにいるのか、と問う。もし、いいえと答えれば、ロシア人と「結婚する」つもりはないかと問う。それに続いて妙になれなれしい態度をとる。
 彼らは太った女を捜していた。おデブちゃん、すなわち美人。その方が女らしいのだ。男の身体とは全然違っているから。
 (強姦されているとき)私の自我は身体を慰みものにされた哀れな体をあっさり見捨てようとしている。それから、遊離して、漂いながら白い彼方へと無垢なまま向かおうとしている。こんな目にあったのが私の「自我」であってはならない。嫌なことは何もかも追っ払ってしまわなければ。頭がおかしくなっているのだろうか。
 強い狼を連れてきて、他の狼どもが私に近づけないようにするしかない。将校、階級は高ければ高いほどいい。司令官、将軍、手の届くものであれば、なんでもいい。
 シュナップス(アルコール)は、男を興奮させ、性的衝動をひどく亢進させる。赤軍兵士が見つけた大量のアルコールがなければ、強姦事件だって半分ですんだはずだ。兵士たちはカサノヴァではない。自分で景気をつけないと大胆な行動には出られない。酒で洗い流さなければならないのだ。だからこそ、連中は必死に飲むのだ。
 それなのに、ナチス・ドイツはアルコールを貯めていた。それを飲んだら行動が鈍るだろうと、間違った予測を立てていた。
 著者の生理も乱れてしまったようです。医者に診てもらうと、「食事のせいです。体が出血をおさえようとしているのです。あなたの体がまた太ってくれば、周期にも問題がなくなりますよ」といわれたとのこと。
 『ベルリン陥落』(白水社)に描かれていた状況を、一女性の立場で生々しく告発しています。
 
(2008年6月刊。2600円+税)

アテネ最期の輝き

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:澤田 典子、 発行:岩波新書
 アレキサンダー大王(この本ではアレクサンドロス大王)が活躍していた当時、アテネの民主政がギリシア最期の民主政として輝いていたということを初めて認識しました。
 紀元前338年、フィリポス2世の率いるマケドニア軍とアテネ・テーベを中心とするギリシア連合軍とが激突した。カイロネイアの戦いである。このとき、マケドニア軍が圧勝した。
 フィリポスは、自らが率いる右翼の歩兵部隊を後退させ、対峙するアテネ軍がこれを追って前進した。偽装退却と反転攻撃を組み合わせ、敵の戦列を撹乱して撃破するというフィリポスお得意の戦法にアテネ軍はひっかかってしまった。
 ところが、この敗戦のあと、フィリポス2世は寛大な講和条件を示した。領土の没収も賠償金の支払いも求められず、アテネにマケドニア軍が駐留することもなかった。さらに、アテネの捕虜全員を無償で釈放した。このことによって、アテネでは、10数年間の「平和と繁栄」の時代が到来した。
 アテネ民主制で重要な役割を果たしたのは、民会と500人評議会、そして民衆法廷である。市民の総会である民会は、アテネの最高評議機関だった。成年男子市民の誰もが民会に出席して発言する権利を持ち、平等の重さの一票を投じることができた。行政・立法・軍事・外交・財政など、ポリスに関わるあらゆる案件が年に40回開催された定例の民会で市民の多数決によって決められた。
 民会は1万7000人を収容するディオニュソス劇場などで開催されていた。その審議を円滑にするため、民会の審議事項を先議したのが500人評議会である。評議員は、30歳以上の市民から抽選で選ばれ、1年任期だった。
 民衆法廷のほうも、抽選で選出された。30歳以上の市民6000人が任期1年の陪審員として登録される。そのなかから、裁判の性格や規模に応じて、201人とか501人といった陪審員が選ばれて個々の法廷を構成した。判決は、陪審員の秘密投票による多数決で決まった。
 このころ活躍したデモステネスは、弁論術の習得のため、血のにじむような努力を重ねた。たとえば、口の中にいくつかの小石を入れたまま演説の練習をして不明瞭な発音を直そうとした。坂を上りながら演説を一息で朗唱する。海岸で波に向かって大声で叫んで息や声量を鍛えた。役者から演技の指導を受け、大きな鏡の前で演説の練習をした。
 だから、反対派は「デモステネスの議論はランプの臭いがする」と嘲笑した。夜通しの苦労がありありと分かるとケチをつけたわけである。いやあ、すごいですね。これから裁判員裁判が始まろうとしていますので、日本の弁護士も演技指導を受ける必要が出てきました。
マケドニアの王フィリポス2世は、ギリシア世界の王者として華々しい祝典を執り行っている会場で、衆人環視の中で暗殺された。暗殺者は、なんと若い側近の護衛官だった。フィリポスはまだ46歳であった。
 このときアレキサンダーは20歳になったばかりだが、王位に就くことができた。
アテネで市民権を喪失すると、市民身分にともなって発生する公私の諸権利を喪失する。民会への参加、裁判を起こすこと、一定の公職に就くことが禁止され、また神域やアゴラへの出入りも禁じられる。
 兵役を忌避した者、両親を虐待した者、姦通した妻を離縁しなかった者、国庫に借財を負っている者、偽証罪などで三度も有罪になった者は市民権を全面的に喪失する。
 アテネの公的裁判は私訴が1日に複数の裁判が行われるのに対して、1日1件のみ。1件当たり6時間半もの時間が保障された。原告・被告の双方とも、弁論の持ち時間は2時間半前後だった。
 再びアテネがマケドニア軍に敗北したとき(前322年)、マケドニアは参政権について一定の財産を持つ上層市民に制限するという寡頭政をアテネに押し付けた。参政権の財産資格は、2000ドラクマであった。これによって、1万2000人の成年男子市民が参政権を失った。財政の多寡に関わらずすべての市民が平等に政治に携わることを原則としていたアテネ民主政は、カイロネイアの戦いから16年たったクランノンの戦いでギリシア連合軍が敗北して終焉を迎えた。
しかしながら、アテネは前338年に独立国家としての地位は失ったものの、その民主政は前322年に突然終止符が打たれるまで強靭な生命力を持ってたくましく行き続けた。
 アテネ民主政の様子を知ることができました。それにしても、小泉流のごまかしに民衆が踊らされることもあったようです。総選挙が近づいていますが、今度こそはその場限りの甘い言葉にごまかされないようにしたいものですね。 
(2008年3月刊。2800円+税)

東京の俳優

カテゴリー:社会

著者:柄本 明、 発行:集英社
私と全く同世代の、今をときめく俳優さんです。二枚目俳優というより、いわゆる性格俳優と言ったらいいんでしょうか。西田敏行のような、どっしりした存在感があります。役者生活も30年以上なので、その語り口は大変ソフトですが、内容にはすごく重みがあります。
 母親は東京・中野で箱屋の娘だった。箱屋とは、芸者の身支度から送り迎え、玉代(ぎょくだい)の集金などをする、今風に言うとマネージャーみたいな仕事をする人のこと。母親の父は、見番(けんばん)を勤めていた。見番とは、花街の事務所のようなもの。
 家にテレビが入ったのは小学5年生のころ。ええーっ、これって私と同じじゃないのかしらん。工学高校を卒業して、会社に入り、営業マンとして社会人の生活を始めた。そして、会社勤めの2回目の冬、仕事の帰りに早稲田小劇場の芝居を見に行った。それがとてもおかしくて、笑った、笑った。そんな経験をしたら、会社勤めが厭になって、入社2年目、20歳のとき、つとめていた会社を辞めてしまった。
 そして、アルバイトをして生活するようになった。「紅白歌合戦」にも大道具係として関わった。昼間は映画なんかを見て、それでも月15万円の給料がもらえた。うーん、古き良き時代です。
 劇団員募集に応募したけれど、すごいコンプレックスを感じていた。自分だけが、みんなから、どうしようもなく遅れているって……。
 はっきり言って、観客は敵である。なぜなら、観客は必ず何かを舞台から見つける。そういう目で舞台を見ている。あっ、いま、間違った。こっちはいいけど、あっちは下手だな、とか…。
 俳優という名の「檻」に入ってしまったら最後、人に見られることを常に意識し、それを一生の仕事にすることになる。俳優は、人間が「檻」のなかにいて、いつも人目にさらされている。しかも、「檻」の中にいる以上は、生(ナマ)の人間であってはいけない。名優と呼ばれる人は、「檻」があるのを分かって、「檻」から出たり入ったり、自由なのだ。
偉い役者は、演技はしているが、演技なんてしていないように見える。その人物になりきっている。自然な行為の中の不自然、不自然ななかの自然である。
 俳優に向かない人は、いない。誰だって、俳優になろうとすれば、なれる。
 ただ、恥ずかしがる子には、俳優としての未来がある。
 中村勘三郎、藤山直美など、名優は観客と決して仲良くなってはいけない。
 勘九郎が落ち込んでいる著者に向かって、こう言った。
 柄本さん、毎日、いい芝居なんかできるもんじゃないですよ……。
 すごく味わい深い、演劇に関する分かりやすい本でした。 
 毎朝のようにたくさんの小鳥たちが近くでかまびすしく鳴き交わしています。ヒヨドリも騒々しいのですが、20羽ほどもいるのを見ましたので違うでしょう。ムクドリかと思いますが、よく分かりません。百舌鳥はキーッ、キーッと甲高い声で鳴きますし、カササギのつがいはカシャッカシャッと機械音みたいな独特の声で鳴き交わします。
 山のふとも近くに住んでいますので、朝早くから小鳥たちのうるさくもありますがにぎやかで楽しそうな声が聞けて幸せです。
(2008年6月刊。700円+税)

タンクバトル

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:斎木 伸生、 発行:光人社
 第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツ軍とソ連軍とのあいだで戦われたクルスク大戦車戦というものに関心があったので読みました。この本のオビには、「独ソ戦車戦のクライマックス」と書かれています。ドイツのティーガー戦車が「活躍」するわけですが、実際には戦局を転換するほどのものではなかったようです。ソ連のT34戦車が次々に撃破されてしまうのが哀れです。祖国を守るため死を恐れず勇敢にドイツ大型戦車に突撃していくソ連軍戦車の勇士を褒め称えたくなります。
 図と絵と写真入りで、要領よく個々の戦闘経過がまとめられています。深い分析はなされていませんが、非情な戦車戦の実情が伝わってくる本です。
 10月初めに富山で行われた人権擁護大会で、米田さんという新聞記者が、防衛白書に「脅威」という言葉はなくなっていると指摘していたのにハッとさせられました。それに代わる言葉として、「不安定要因」と書かれているそうです。軍隊は「敵」の存在を不可欠とするものです。「敵の脅威」があるからこそ、軍備を強化する必要があるということになるわけですが、なんとそれがないというわけです。
 では一体、防衛省そして自衛隊は何のために存在しているのでしょうか。米田さんは、自衛隊を海外にも派遣できる災害救助隊とすること、そして、現在、国内各地にある基地を整理統合し、5兆円にのぼる軍事費を削減して他に回したら良いという趣旨の提起もされ、なるほどと思ったことです。
 さらに、「脅威」がないという点で、日本に「攻め込む」可能性がある国として、ロシア、中国、北朝鮮がよくあげられるけれど、ロシアと中国については、その能力はあるけれど、意思が全く認められない。北朝鮮には能力も意思もないとキッパリ断言されたことがとても印象的でした。
 むしろ、アメリカは、中国を潜在的脅威と見ていること、また、台湾を手放すつもりがないことから来る紛争の可能性がないわけではなく、そのとき、日本がアメリカと一体となると中国が見ていること、つまり、中国にとって日本こそ脅威になっていると見られていることの重大性の指摘もあり、考えさせられたことでした。
 イラクのサマワに派遣された自衛隊の旭川師団が、イラクから帰還したあと、旭川の町で集団暴行事件を起こしたそうです。それまでは市民を守るべき存在として教育が徹底してなされてきた。ところが、イラクに行ってそのタガが外れてしまったようだ、というのです。
 イラクでオレたちは生命をかけて国を守るために苦労してきた。それなのにおまえらは平和な日本でぬくぬく、のほほんとして、許せない…。血がたぎったまま平和な日本に帰国してきた隊員の、そんな鬱憤が集団暴行事件に繋がったようです。怖い話です。 
(2008年9月刊。2300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.