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ヤメ検

カテゴリー:司法

著者:森 功、 発行:新潮社
 ヤメ検という言葉は、「正義の味方」が、「悪の擁護者」へと転落・腐敗したというイメージを伴って語られることが多いのです。いえ、元検察官で今は弁護士として素晴らしい活躍している人が私の身近に何人もいます。ただ、悪徳ヤメ検がごく一部でも生まれると、悪いイメージが拡大再生産して、独り歩きしてしまうのです。
 つい先日も、ヤメ検の弁護士が国選弁護人としての被告人への面会回数を水増ししたということが大きく報道されていました。たかだか数万円から20万円ほどの悪さを働いたわけですが、弁護士全体の社会的評価を著しく下落させてしまいました。 
 ヤメ検弁護士とは、文字通り検事をやめた検察官OBの弁護士の俗称である。昨今話題になった大事件では、必ず大物のヤメ検弁護士が被告人に寄り添い、後ろ盾になっている。
 緒方重威は、仙台と広島の高等検察庁の検事長をつとめた元エリート検事である。公安調査庁の長官もつとめた。その父親は、満州国最高検の検事であった。緒方は、若いころ、法務省の営繕課長をつとめた。このポストは目立たないが、全国に影響力がある。
 防衛庁汚職の山田洋行の法律顧問は豊島秀直弁護士。同じく、高松と福岡の高検検事長をつとめた。
 東京高検の検事長をつとめていた則定衛は、検事総長まちがいなしとされていた。ところが、女性スキャンダルを朝日新聞が一面トップで報道したため、辞職せざるを得なかった。そして、この則定弁護士は、サラ金「武富士」の弁護士をし、JALの顧問弁護士として活躍している。
 大物ヤメ検弁護士の報酬は高い。8000万円から1億円するのも珍しくない。
 大阪の加納駿亮弁護士は、大阪府の裏金調査委員会のメンバーとなったが、本人は検察庁の裏金事件の当事者でもあった。最近まで福岡高検の検事長をしていたので、福岡の弁護士にも顔が知られている人です。
 刑事事件専門のヤメ検弁護士は、用心棒のようなもの。
 検察庁をやめたばかりの無名の弁護士が、先輩のヤメ検弁護士から仕事を紹介してもらうことは多い。先輩にしても、山ほどの依頼が来るから、こなしきれない。それを振り分ける。やがて、ヤメ検弁護士が系列化していく。細かい刑事弁護は、若手に任せてしまう。
 この本の主人公の一人、田中森一について、次のように書かれています。
 もはや田中に司法エリートとしての自信は、みじんも感じられない。転落の最大の要因は、他のヤメ検弁護士と同じく、かつて対峙してきた不正との同化だろう。
不正と対決してきたはずの検察庁のトップが、弁護士になったとたんに、その不正の新玉の弁護人として、マスコミに華々しく登場するというのは、やはり異常なように思いますが、いかがでしょうか。
 この本には、そんな異常事態がゴロゴロしていることが、厭になるほど紹介されています。
(2008年9月刊。1500円+税)

シャドウ・ダイバー(上)

カテゴリー:アメリカ

著者:ロバート・カーソン、 発行:ハヤカワ・ノンフィクション文庫
 水深が20メートルより深くなると、判断力と運動能力が低下する。これは、窒素酔いとよばれている状態だ。深く潜れば、窒素の作用はいっそう顕著になってくる。沈没船のある水深30メートル以上になると、条件は著しく不利になる。
 もし、何かが起きても、ただちに海面へ泳いであがることはできない。深い海で一定の時間を過ごしたダイバーは、水圧に身体を慣らしながら、あらかじめ決められた時間をおいて、徐々に上昇していかなければならない。空気が足りずに窒息することが分かっていても、そうしなければならない。パニックに陥って、「太陽とカモメ」を目ざして一目散に浮上するダイバーは、ベンズとも呼ばれる減圧症を発症する危険がある。重症のベンズでは、身体に障害が一生残ったり、麻痺したり、死に至ることもある。重症のベンズの苦痛にもだえ苦しみ、悲鳴を上げる患者を目にしたことのあるダイバーは、長時間のディープ・ダイビングのあとで減圧せずに浮上するよりは、いっそ海底で窒息して死ぬ方がましだと口をそろえて言う。
 水深40メートルでは5気圧となり、ほとんどのダイバーの頭は正常には働かない。手先がぎこちなくなり、紐を結ぶといった簡単な作業にも苦労する。知っていることでも、苦労して思い出さなくてはいけない。
 さらに、50〜55メートルに降りると、幻覚を見ることもある。
 水深60メートル以上になると、窒素酔いによって、恐怖、喜び、悲しみ、興奮、失望などの感情を、いつものようにうまく処理できない。
 急速に浮上すると、気圧は急激に下がる。それによって、組織に蓄積した窒素ガスは、ソーダのボトルのふたをポンと開けたときのように、大量の大きな泡となる。この窒素の大きな泡が、ディープ・ダイバーの憎き敵である。血流の外側で大きな泡が生まれれば、それが組織を圧迫して、血液循環を妨げる。関節内部や神経のそばなら激痛を引き起こし、痛みは数週間、悪くすれば終生つづく。脊髄や脳で発生した泡は、身体の麻痺や致命的な発作の原因となりかねない。大量の大きな泡が肺に流れ込むと、肺機能が停止してチョークスと呼ばれる障害が起き、呼吸が停止する恐れがある。大量の大きな泡が動脈系に入り込むと、空気塞栓症という肺気圧障害を陽子お越し、卒中、失明、意識不明もしくは死に至ることもある。
 水深60メートルに25分間もぐったダイバーは、1時間かけて海面へ浮上する。まず水深12メートルで5分間停止し、ゆっくり9メートルまで上がって、そこで10分間待ち、そのあと6メートルで14分、3メートルで25分を費やす。減圧のための時間は、もぐった深さと時間で決まる。時間が長くなるほど、水深が深くなるほど、減圧停止の時間は長くなる。2時間もぐったとすると、なんと9時間もの減圧が必要になる。
 うひゃーっ、す、すごーいですね。ダイビングってこんなに危険な行為なのですね。そういえばスキューバダイビングを趣味とする私の姪っ子が沖縄に飛行機で行ったら、その日は海中に潜れないって言ってました。
沈没船を見つけて、そこに入り込んだダイバーは、死の危険と隣りあわせだ。出口を見つけられなかったら溺れて死ぬ。出口を見つけても、それまでに空気を使い果たしたら、適切な減圧をするための空気がもはやないことになる。
大西洋の沖の海底でドイツ軍のUボートを発見したダイバーの話です。ダイビングって、こんなに死の危険と隣り合わせのものだということを知って、大変驚いてしまいました。
 
(2008年7月刊。700円+税)

加害者は変われるか?

カテゴリー:司法

著者:信田さよ子、 発行:筑摩書房
 過去に例を見ない貧困層の発生、不況脱出の掛け声とはうらはらな格差社会の進行。増え続ける子どもの虐待は、そこを行き続ける若者の希望のなさを知らないと、理解不能だ。
 なーるほど、ですね。これって鋭い指摘だと私は思います。でも、日本経団連も、自民・公明の政権も、それでよしとするのです。格差があって何が悪い。格差の存在こそ、社会発展のバネだというのです。先日、新聞を読んでいましたら、アメリカのAIGグループが行き詰まったけれど、その社長の月給は、なんと1億円だったというのです。従業員がどうなろうと知ったことじゃない。社長が毎月1億円もらって何が悪いと開き直っているそうです。ひどい経営者です。でも、今の御手洗・日本経団連は、まさにアメリカ式高給優遇の経営者を目ざしています。許せません。労働者を首切って、食うや食わずの状況に追いやっていながら、自分さえ良ければ、というわけです。アメリカも昔はもう少しましでした。経営者が超高給取りになったのは、この20年ほどの現象なのです。
 言葉も持たず、大切にされた経験もなく、ただただ年齢だけ大人になった人々。お金もなく、暴力以外に人に関わるスキルもなく、親から保護を受けた記憶もない。将来、豊かに暮らせる見通しもなく、目先の消費と快楽しか存在しない。
 子どもの虐待は、これまで、世代間で連鎖すると考えられた。しかし、今では虐待は多くの研究から必ずしも連鎖するわけではないことが明らかになっている。世代連鎖が必ず起きるという強迫観念にとらわれることはない。だから、世代連鎖という言葉は慎重に用いるべきだ、と著者は提唱しています。
 もっとも危険な親は、当事者性を持たない、つまり、虐待しているという自覚のない親たちである。子どもを栄養失調で餓死させた虐待事件の親は、口をそろえて「しつけだった」と弁解する。
子どもを殴っているとき、私を見つめる怯えた目の中に、不意に幼い頃の自分の姿を見てしまうことがある。
これは子どもを虐待していた母親がグループ学習のときに発表した言葉。
悪い夫は、良き父親にはなれない。
DV被害者の妻は、夫を許すものかという怒りと、DV被害者と呼ばないでほしいという。私が夫の被害者だなんて、そんなことは認めたくありません。だって、夫に負けたことになるでしょ。このように主張するのだそうです。
 あまりに暴力がひどいので、110番通報した妻が驚くのは、警察官が駆けつけると「妻はいま精神的に不安定でして、ご迷惑をおかけしました」と穏やかな口調で語る夫の姿だ。このようなDV夫に共通して欠けているものは、妻に対する共感と想像力である。
 痴漢常習者は、スイッチが入ってから、計画し遂行するまでのプロセス自体が快楽なのである。それは決して一瞬の気の迷いなどという刹那的とか一時的なものではない。彼らは電車に乗り込むときから、すでにスイッチが入っている。痴漢常習者は、決して対象のほうを見ていない。指と性器に神経を集中させながら、目は吊広告を見たり、電車の窓外の景色を何気なく見るふりをしている。
 うむむ、なるほど、そうなんですか・・・・・・。
(2008年3月刊。1500円+税)

障害者の権利と法的諸問題

カテゴリー:司法

著者:大分県弁護士会、 発行:現代人文社
 10月下旬、別府で開かれたシンポジウムで報告された内容がまとまっている本です。大分県弁護士会はシンポジウムを開いた後に本にするのではなく、その前に本にまとめてシンポジウム当日に発表するのをよき伝統としています。たいしたものです。ただ、シンポジウムでの議論も取り入れたら、もっと素晴らしい本になると私は思います。
 私はシンポジウムの会場でこの本を読みながら、報告とパネリストの発言を聞いていました。障害者自立支援法って、本当にひどい悪法だということをしみじみ実感しました。
 というのも、気持の上でこそ、まだ青年法律家なのですが、現実には還暦を迎えるのもあと1か月あまりに迫ってきているからです。60歳なんて、立派な老人じゃありませんか。
 老人ホームにおいて養護されることは、老人に与えられた権利ではなく、反射的利益にすぎないという判決を今から16年も前に東京高裁の裁判官が出したそうです。その裁判長も、今や、きっと後期高齢者になっているでしょうから、自分の出した判決の誤りを深く反省していることでしょう。誰だって、明日は我が身なのですから。
 憲法25条は、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。ところが、障害者自立支援法は、応益負担制度をとっている。これによると、障害の重い人ほど必要なサービスの量は多くなるので、障害の重い人ほど負担がより大きくなる。
 この法律は、福祉サービスを利用することを「受益」「私益」ととらえ、その利用に対して対価を課している。受益者負担の意味するところは、障害者の自己責任論であって、障害者に対する「差別」にほかならない。障害を持つことを「自己責任」とみなしてしまう。
 そして、応益負担制度は、サービス需要を抑制する有効な装置として機能している。
 「受益者負担」の理論は、本来、社会保障の分野への適用の余地はない。
 この本は、障がい者をめぐる逸失利益についての判例の動向もまとめており、その点も大変に参考となります。
 人間一人の生命の価値を金額ではかるには、障がい者作業所における収入をもって基礎とするのでは、あまりに人間一人(障がい児であろうが、健康児であろうが)の生命の価値をはかる基礎としては低い水準の基礎となり、適切ではない。換言すれば、不法行為によって生命を失われても、その時点で働く能力のない重度の障がい児や重病人であれば、その者の生命の価値をまったく無価値と評価されてしまうことになりかねない。
 施設などのサービスが不足している現状で契約自由の原則を貫徹すると、施設の側が利用者を逆に選択するという心配がある。
 障がい福祉サービス事業全般について、国と地方自治体に整備責任があることを法に明記すべきである。
 応益負担を廃止して、10割給付を実現しなければいけない。今の制度では食べていけるかもしれないけれど、人間らしく生きていくことはできない。たとえば、冠婚葬祭の支出を出す余裕がない。そうすると、交際ができないことになる。それは社会的な孤立化をもたらす。現代日本で餓死者を生み出している原因の一つがこれである。
 自由基底的理論という、私にとっては初めて見る言葉が登場しています。社会保障全般の制度を設計するうえでの根本理念を提供するものだということですが、正直言って、よく分かりませんでした。
 いずれにせよ、障がいのある人々を差別する制度は75歳以上のお年寄りを後期高齢者と勝手に名付けて一くくりにし、保険料を年金から天引きしていくという悪法と同じ発想です。こんなことでは、日本人の老後は安心できません。保険会社に頼るのではなく、国と地方自治体の責任で対処すべき問題です。そのための政治ではありませんか。私は、この本を読んで、ますます今の自公政権の冷たい福祉政策に怒りがわいてきました。プンプンプン。
 連休中にチューリップの球根を植えました。これで400個ほどは植えたと思います。庭のあちこちを掘り返して、整備しなければと思っていますが、一度にはできません。いま、エンゼルストランペットの黄色い花が満艦飾です。これが今年最後の花でしょう。霜が降りると幹から枯れてしまいます。
(2008年11月刊。3200円+税)

アフリカ・レポート

カテゴリー:アフリカ

著者:松本 仁一、 発行:岩波新書
 この本を読むと、アフリカの現状には絶望的な気分に陥ってしまいます。アフリカ解放運動の栄光が地に堕ちてしまったようで、残念でなりません。
 列強の植民地からの脱却を目指した指導者がとてつもなく腐敗し、堕落してしまったというのを知ると、ええっ、どうして・・・・・!?と、つい叫びたくなります。
 まずはジンバブエ。その人口1300万人の4分の1にもあたる300万人が隣国の南アフリカへ越境出国していった。しかも、不法出国者のほとんどが40歳以下の男性。働き盛りが大量出国するようでは国は壊れてしまう。
 ジンバブエのインフレ率は、政府発表でも年率7634%(2007年7月)。それが2008年には16万%という。まるでなんのことやら、わけの分からない数字ですよね、これって。
 かつて、アフリカには希望の星とも言われたルムンバ大統領がいた。1960年6月にベルギーから独立したコンゴ(旧ザイール)の大統領だ。ルムンバは獄中で暗殺される前に遺書を書いた。
 「子どもたちよ、私はもうお前たちに会えないかもしれない。しかし、お前たちに言っておきたい。コンゴの未来は美しい、と」
 しかし、それから半世紀がたった今、コンゴは美しくない。ルムンバ政府をクーデターで倒したモブツ将軍は、独裁者となった。1997年にモブツ政権が崩壊しても、今なお政情は不安定だ。銅、コバルト、そして希少金属に恵まれたアフリカ最大の鉱物資源国でありながら、その富は国家の会計に寄与することなく消えていく。
 1960年代から70年代にかけて、アフリカの国の多くは農業輸出国だった。しかし、腐敗した指導者たちは、農業に関心を払わなかった。その結果、アフリカは農業輸出国から輸入国に落ち込んでしまった。そのマイナスは年間700億ドルにものぼる。
 アフリカのほとんどの国で、指導者は自分の部族に属するもの、地縁、血縁者に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される。指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に蓄財され、国内の市場に出回らない。蓄財したお金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。指導者は「敵」を作り出すことで自分への不満をすりかえる。そして、それは国内の対立を激化させ、国家的統一とは逆の方向へ国民を駆り立てる。
 南アフリカの国民解放組織(ANC)も、政権の座に就くと、幹部たちはあっけなく腐敗しはじめた。その結果、治安が悪化する。マンデラ政権が誕生した1994年に、1ヶ月平均の殺人事件は1400件を超した。1日あたり47人が殺された。警官殺しも月に15件あった。そして、2005年度は、殺人が1万8千件を超し、強盗は20万件に近く、強姦事件は5万件を超す。
いま、アフリカでは、中国が新植民地主義の主役となろうとしている。中国政府がアメリカの石油を持ち出し、中国人商人が安価な中国製品を持ち込んで、その国の市場を占拠しようとしている。そこで、中国人は、ギャングに目を付けられている。アンゴラで中国批判はご法度だ。
 そんな大変なアフリカにおいて、何人かの日本人が国の再建に貢献している話も最後に紹介され、少しだけほっとします。いやあ、ともかく大変すぎる深刻な状況です。南アメリカで進んでいる革新の息吹とは違って、アフリカには残念なことがあまりにも多すぎますね。人間も大変ですけれど、シルバーバックのゴリラなども破滅の危機にあるようで、こちらも心配です。 
(2008年8月刊。700円+税)

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