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失われた弥勒の手

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:松本 猛・菊池 恩恵、 発行:講談社
安曇野(あずみの)伝統というサブタイトルのついた古代史の謎とロマンを語る現代小説です。
平安時代から鎌倉時代にかけて、弥勒(みろく)仏が盛んにつくられていた。戦乱の余になって、絶望的な末法思想が広がった。民衆はどこかに希望を見出したい。そこに信仰が生まれる。
 弥勒菩薩は、釈尊が亡くなってから56億7千万年後に、この世に訪れて人々を救済すある未来仏だ。弥勒は、仏教の世界観で言うと、與率天(とそつてん)という。まだ修行的な段階なので、苦しくて足を組んでいて手を頬について瞑想にふける姿で表現されることが多い。これが半跏思惟(はんかしい)像だ。
 日本人の中にも渡来人だった人が多く存在する。大和朝廷の中枢にはたくさんの渡来人が居た。秦(はた)、錦織(にしきおり)、綾部(あやべ)、海部(かいふ)というのは、みな渡来系の姓である。
 岩戸山(いわとやま)古墳は、北部九州最大の前方後円墳である。「日本書紀」によると、大和朝廷は、新羅に奪われた仼那を奪還するために、近江毛野臣(おうみのけなのおみ)に6万の軍勢を率いて渡海させることにしたが、新羅は密かに筑紫君磐井(いわい)に賄賂を送って毛野臣の渡海を妨害させようとした。磐井は、肥(佐賀、長崎、熊本)と豊(福岡東部、大分)の2国の勢力で朝廷に立ち向かった。大和朝廷は、物部大連鹿火(もののべのおおむらじのあらかひ)を遣わして討伐した。磐井は継体22年(528年)11月、御井郡において激戦の末に斬られた。
 ところが、「筑後国国土記」には、磐井は、大分県の瀬戸内海に面したあたりに逃れたと記されている。岩戸山にある墓は、磐井が生前に造った寿墓というもの。磐井が逃げて捕まえきれなかった大和朝廷の軍勢が岩戸山の寿墓を壊したのだ。
磐井の乱によって大和王権から北九州を追われ、新羅に伽耶を追われた安曇族のかなりの集団が6世紀に信州(長野県)安曇野に移住してきた。そこには、すでに渡来系の人々の生活基盤があったからだ。このように、福岡・八女と信州・安曇野とが昔、密接な関連があったなどという話に目が開かれる思いでした。
 2世紀から4世紀まで、安曇族は志賀島を本拠地とし、糟屋(かすや)の屯倉(みやけ)をふくむ博多湾周辺を活動の中心地としていた。
 安曇族は、朝鮮半島南部の伽那や筑紫の君、磐井と強い繋がりを持っていた。ところが527年の磐井の乱のとき筑紫の君について負けたために本拠地を失い、各国に散らばっていった。たとえば、滋賀県。ここに志賀町や南志賀という地名がある。安曇と志賀という地名のあるところは、安曇族が転出していったところである。全国に50ヶ所以上もある。
 ふむふむ、日本の古代史も面白いですよね。この本は小説仕立てですから大変読みやすくなっています。
(2008年4月刊。1800円+税)

素行調査官

カテゴリー:警察

著者:笹本 稜平、 発行:光文社
人事一課の監察係は、服務規程違反、つまり警察官の不品行や不公正を取り締まる部署だ。そんな役回りだから、外の部署の連中からは、蛇蝎のごとく嫌がられる。
近ごろ各都道府県警が力を入れている特別捜査官の枠で採用された中途入庁組。
実社会での経験や資格を持つ即戦力を登用するための採用枠で、ハイテク捜査官とも呼ばれるコンピューター犯罪捜査官、税理士などの資格を持つ財務捜査官、鑑識や科学捜査を担う科学捜査官などが知られる。随時、必要な専門分野で、採用試験が行われる。いずれも、着任時点で警部補や巡査部長であり、平の巡査からスタートする一般採用とは待遇に開きがある。
警察官の待遇はいい。一般に安いと見られているが、その給与水準は、今の民間の平均レベルと比べるとむしろ上回る。そして、低家賃の官舎に住め、警察官だけが利用できる低金利の融資制度がある。だから、30代の前半で都内に家が買える。
警視庁を除く道府県警察において、監察を担当するのは警務部署に属する監察官室という部署で、首席監察官が、その室長を兼務することが多い。
監察官は、上にいる連中にとって、署長に出世する前の腰掛け仕事だ。だから、嫌われるような仕事は絶対にしない。首席監察官なんて名ばかりだ。現場は生え抜きの古参たちに牛耳られている。やつらにとって、監察官の椅子は既得権益だ。カラ監察で所轄庁内の各部署に恩を売り、出世レースを盤石にする。いわば、ただで貰える賄賂だよ。
官僚社会というのは、なにごとも減点主義だ。出世するには、仕事上の手柄は特に必要ないが、失態があれば即座にコースからはじき飛ばされる。世間が考えているほど気楽 ではない。まあ、そうなんでしょうね。
気の合う同士が協力し合って互いの実績作りに奔走するのがキャリアと呼ばれる人種のやり方だ。そんな繋がりから派閥が生まれ、下々からは見えない世界で、熾烈な権力闘争が展開される。高いところに登ることしか興味のない猿の同類たちの伏魔殿。それが警察組織というものの正体だ。いやあ、そういうものなんですか・・・。
隣室を盗聴するコンクリート。これは、秋葉原で2万円ほどで買える。そうなんですか・・・。盗聴機器の性能は上がり、価格は遙かに安くなっている。設置もすこぶる容易になった。通信傍受法が制定され、捜査上の必要性が認められたら、司法機関による合法的な盗聴も可能となった。
物腰はすこぶる隠勲だが、それはキャリアの連中にはよくあること。同じ警察組織に属していても、普通採用の警察官と自分たちは別の種族だという過剰な自意識が透けて見える。
いくら出世したとしても、警察官僚の俸給はたかがしれている。しかし、高級官僚には、それを上回る余禄がある。警察に嫌われたくない業種は世間に多い。そういう業界から、栄転のたびに選別や祝い金が送られる。そして、退職後はそうした業界に天下る。東大や京大をトップクラスで卒業した英才たちが、こぞって警察官僚になりたがるのは、そうした余禄があることを熟知しているからなのだ。そうでしょうか。うしろ彼らは強大な権力を行使できることに魅力を感じているのではないでしょうか。
これを読んでオウム真理教と思われる犯人から狙撃されて瀕死の重傷を負った国松警察庁長官(当時)が住んでいた超高級マンションが、まさに警察官僚としての俸給では買えるはずのないものだと指摘されていたことを急に思い出しました。
異色の警察小説だと帯に書かれています。ストーリーの紹介はできませんが、いったいこの話はどう展開するのだろうかと、ハラハラドキドキしながら車中で読みふけりました。
(2008年11月刊。1700円+税)

絵が語る知らなかった江戸のくらし

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:本田 豊、 発行:遊子館
 前に「庶民の巻」というのがあるそうで、この本は「武士の巻」です。豊富な絵によって、ビジュアルなものになっていますので、活字で想像していたものとの異同を味わうことができます。
 隠れキリシタンは全国各地にいた。そして、「踏み絵」は全国どこででも行われていたのではない。実際には、キリスト教徒の多かった九州の天草や、その周辺に限られていた。ええーっ、本当でしょうか?
 隠れキリシタンの多くは非人に紛れ込んだ。鎌倉・由比ヶ浜の長吏頭(ちょうりがしら)のように江戸時代を通して隠れキリシタンだった者もいる。甲州(山梨県)をはじめ、各地の銅や銀山の鉱山労働者の中には、かなりたくさんの隠れキリシタンがいた。うへーっ、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 江戸時代の武家屋敷は、大から小まで、表札は掲げていいなかった。武士は常在戦場を建前としていたからだ。これは前にも聞いたことがあります。時代劇で表札が出ているシーンを見た覚えがありますが、間違いなんですね。
 江戸をはじめ、城下町には必ず武士専門の口入屋(くちいれや)があり、かなり繁盛していた。口入屋には、武士専門の業者と商工業者向けの派遣業者の2種類があった。田舎から出てきた単身赴任の武士は浅黄裏(あさぎうら)と呼ばれて、からかわれた。着物の裏におもに浅黄木綿をつかっていたから。実用的で丈夫ではあったが、野暮天だった。
 この本は、「武士や名主・庄屋といった人たちの間では、離婚はありえなかった」としていますが、これは間違いだと思います。江戸時代の離婚は、上は大名・旗本から、下は町人・庶民にいたるまで、ありふれたことでした。日本は昔から離婚王国の国だったのです。それほど日本の女性の力は偉大でした。この点は、戦国時代の宣教師ルイス・フロイスの観察記にもありますので、間違いないところだと思います。
 江戸時代の出版物には、かなりの影響力があった。たとえ300部しか出版されなかったとしても、繰り返し読まれ、総計では何万人もの人たちがよんでくれる。したがって、出版物に対する幕府による統制は、厳しいものがあった。
 江戸時代の日本人も、けっこう伸び伸びと趣味を楽しんでいたりしていたようです。今の日本と共通するところが多いのは、やはり400年くらいで人間が変わるわけはないということなのでしょうね。
(2008年10月刊。1400円+税)

アメリカ・不服従の伝統

カテゴリー:アメリカ

著者:池上 日出夫、 発行:新日本出版社
 イギリスからアメリカに渡ってきたピューリタンは「天命」の正しさを信じ、おのれの行為の神聖さを疑うことがなかった。だから、インディアンがピューリタンたちの持ち込んだ伝染病で死に、また、病気を恐れて逃亡していくことを見て、「神」がピューリタンにくだされた恵みであると信じた。
 ピューリタンのインディアン討伐の戦術は巧妙で、インディアンのある部族を懐柔して他の部族と戦わせ、そのあとで、その戦いで活躍した勝者の部族を壊滅させるということをした。また、別のところでは、インディアンの戦士を攻撃する代わりに非戦闘員である女や子どもを襲って虐殺した。戦士に恐怖心を起こさせ、戦闘意欲を喪失させることを狙ったのである。
 ピューリタンにおいては、人間的な良識や思想は異端視されることが普通だった。ピューリタンは宗教的・政治的に偏狭で非人間的な世界に生きていた。
 したがって、インディアンの生存権や人格の正当性を認めようとする意志や感情を持たず、ひたすら邪教・異端の野蛮人ばかりの大陸を「約束の地」に変えなければいけない、という「明白な天命」に従う意思だけで生きていた。
 そのなかにあって、ロジャー・ウィリアムズはインディアンがヨーロッパの文明人よりも仲間に対して、また、よそ者に対しても礼儀正しく、人間愛や慈悲の心において優れていることを具体的に明らかにした。
 アメリカの独立宣言(1776年)には、「すべての人間の平等の権利」が明文化されているが、インディアンは「すべての人間」のなかには入っていなかった。インディアンは「無慈悲な野蛮人で、無差別な人殺し」であると規定されていた。
 この規定にもとづき、アメリカ政府は、インディアンの生活圏を一方的な条約や武力をつかって強奪していった。その後は、白人所有の大農園と黒人奴隷制がついていった。
 1831年8月、黒人奴隷ナット・ターナーの反乱が起きた。7人の奴隷が決起し、70人もの参加者を得て60人の白人を殺害したが、すぐに鎮圧された。
 ナット・ターナーを尋問した白人は、黒人に対する偏見の持ち主でありながら、ナット・ターナーについて「生まれながらの聡明さと鋭敏な理解力の持ち主であり、彼よりすぐれた人間にはこれまで会ったことがない」とまで書いたほどだった。
 1832年、ブラックホークはすべてのインディアンに団結を呼びかけ、4ヶ月の間アメリカ軍と戦った。最後に旗を掲げて降伏したのに、アメリカ軍は降伏して無抵抗のインディアン戦士だけでなく、女性も子どもも皆殺しにした。
 ブラック・ホークはアメリカ軍に降伏したとき、次のように述べた。
 「土地を取り上げる白人たちと戦ってきた。白人たちはインディアンを見下し、悪意ある目つきで見る。しかし、インディアンは嘘をつかないし、盗みもしない。インディアンでありながら白人と同じように悪いことをする者は、インディアンの社会では生きていけない」
 アメリカ軍がメキシコに攻めていってテキサスを併合するとき、メキシコの住民はインディアンと大差のない劣等な人種であり、我々がインディアンを根絶させているように、メキシコの住民もまた、より優秀な住民の餌食となって絶滅するだろうと公然と語られていた。それは聖職者も口にしていた言葉であった。
 このメキシコ戦争について、教会の牧師であったパーカーは次のように強い口調で述べている。
「兵隊というのは、人間の飼育することのできる動物のなかで、もっとも無益な動物である。兵隊は鉄道を敷設しない。開墾しない。穀物を作らない。自分の食べるパンをつくることも、自分の靴を直すこともしない。役立たずなのに、費用の多くかかる動物である。
 侵略戦争では、略奪と殺人が規範になり、兵士の栄誉になる。兵士は町を焼き払い、父や息子たちを殺すことを組織的に教え込まれる。そうすることが栄誉であると考えるように教えられる。しかし、これらの『栄誉』に加担した兵士たちは、生まれ育った故郷に帰って来ても市民としての生活に不向きになってしまっている」
 一見して白人ではないオバマ氏がアメリカの大統領に就任することになりましたから、かなりの変化が加速していくことでしょう。しかし、それにしてもアメリカの白人(ピューリタンを含む)の差別意識の強さと、その言動のひどさには、日本人にとって想像を絶するものがあります。 
(2008年5月刊。2200円+税)

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト

カテゴリー:人間

著者:ニール・シュービン、 発行:早川書房
 何十億年にわたって、すべての生物は水中にしかすんでいなかった。そのあと、3億
6500万年前の時点では、生物は陸上にも生息していた。水中と陸上という2つの環境における生活は根本的に異なっている。水中で呼吸するためには、陸上で呼吸するのとは非常に異なった器官を必要とする。排出、摂餌、運動についても同じ。だから、それまでとはまったく違った種類の体を作り出さなければならなかった。
 カエルとヒトのあいだには、並はずれた類似性がある。
 上腕・前腕・手首や掌さえもつ最古の動物は、ウロコと膜を持っていた。そして、その動物は、なんと魚だった。
 歯を知らなくして人体について理解することは、事実上、不可能である。歯を調べるだけで、その動物について多くを知ることができる。歯の隆起、くぼみ、畝(うね)は、歯の持ち主が何を食べていたかを反映している。歯は、動物たちの生活様式をのぞきこめる強力な窓になっている。
 哺乳類が持つ、もっとも際立った特徴のいくつかは耳の内部にある。哺乳類の中耳にある骨は、他のいかなる動物のものとも似ていない。哺乳類は、3つの耳骨をもつが、爬虫類や両生類には一つしかない。魚類は一つももっていない。
 爬虫類のアゴの一部を形成したのと同じ鰓弓(さいきゅう)が、哺乳類の耳小骨を形成していた。内耳は、流動性のあるゲル状のリンパ液で満たされている。このリンパ液のなかに、特殊化した神経細胞が毛のような突起を突き出している。リンパ液が動くと、神経細胞の末端サービサが反応する。頭を傾けると、リンパ液に満たされた袋の上にある小さな耳石が動く。すると、この「袋状のもの」に入っている神経端末の感覚毛が曲がり、それが「あなたの頭は傾いている」と知らせる。
 ヒトの感覚器は、地球の重力化で働くように調整されている。宇宙カプセルの無重力状態で働くようにはなっていない。浮遊しながら、ヒトの眼が視覚的な上下を記録していくと、内耳の感覚器はすっかり混乱してしまい、いとも簡単に気分が悪くなってしまう。宇宙酔いは切実な検討課題である。
 ヒトが酒を飲みすぎると、血液中に大量のアルコールを取り込むことになる。耳の管の内部のリンパ液には、最初のうちはほんのわずかしか含まれない。けれども、時間の経過とともに、アルコールが血中から内耳のリンパ液のなかに拡散していく。アルコールはリンパ液よりも軽いので、アルコールが入ってくるにつれてオリーブ油が対流を起こしてリンパ液が渦を巻く。この対流が酔っぱらいに大混乱を引き起こす。有毛細胞が刺激を受けて、脳は自分が動いているのだと考える。しかs、動いてはいない。人の脳が騙されているだけのこと。
 ヒトの身体の不思議、魚との異同などが語られている面白い本です。
(2008年9月刊。2000円+税)

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