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俺は、中小企業のおやじ

カテゴリー:社会

著者 鈴木 修、 出版 日本経済新聞出版社
 かなり骨っ柱の強い、ガンコおやじだな、そんな印象を受けました。労働組合も、ストライキも、なんのその、ヘッチャラだ。そんなところは感心できませんが、トヨタやニッサンなどの大手メーカーのはざまで健闘しているスズキの経営者の苦労話ですので、とても面白く、また、ためになりました。
 企業は一時的に順調でも、いつまでも順風満帆で成長していけるものではない。だいたい25年くらいの周期で危機に襲われる。企業にも寿命があるんですよね。
 スズキのアルトは、全国統一価格で47万円で売り出した。全国ネットのテレビコマーシャルで47万円で売り出したのは初めてのこと。それまでは、地方ごとに値段が違っていた。うへーっ、そうなんですか……。一物一価ではなかったのですね。
 アルトは商用車。これで税金が安くなる。あるときはレジャーに、あるときは通勤に、また、あるときは買い物に使える。あると便利な車、それがアルトです。
 まるでダジャレのような命名法ですね、これって。チョイノリ・バイクも同じ発想でした。
 飛行機手形とは、期日が来るたびに書き換えられて飛んでばかり、落ちることがない。台風手形とは、210日、つまり7か月たってやっと支払われる手形のこと。
 私は弁護士になって35年以上になりますが、この20年間ほど手形訴訟を扱ったことがありません。不渡りを心配していた零細企業の経営者に対しては、手形を切ることを止めなさいと口を酸っぱくして忠告しています。私は、手形って、商売には不要のように思います。手形を落とすことにあまりに目が向きすぎ、本業がおろそかになってしまうからです。
 スズキで工場を新設したときのこと。どうもうまくない。こんなとき、社長は、どうすべきか。
 設備を入れたばかりだから、もったいない。そんな遠慮は無用。効率の悪い工場は、おカネをかけてでも一刻も早く手直しするべき。手直しするための予算には、制約をもうけない。
 すごいですね。よくも、ここまで言い切りました。しかし、この見切りが経営者には肝心なのですね。
 著者は、アメリカで苦しい状況に陥ったとき、優秀な弁護士たちに救われたことを教訓として、次のように言っています。
 弁護士にはカネを惜しむな。ケチケチせずに最高の人材を雇えば、その見返りは大きい。
 なるほど、なーるほど、そのとおりだと私も思います。しかし、えてして金持ちほど弁護士報酬を値切ろうとしてきます。やる気を殺がれる話です。安かろう、悪かろうではお互いに困るのですが……スーパーのタイムセールと同じように考える安直な発想にとらわれている経営者には困ったものです。
 スズキは、インドにいち早く進出して成功した。1台の単価は安くても、50%をこえる高いシェアをもつと、それなりの収益をあげてくれる。なるほど、ですね。
 インドのスズキの工場には、幹部用の個室はなく、社員と一緒に働く。社員食堂があり、そこで幹部もヒラの社員と同じように並ぶ。カースト制は無視して、日本流でやって成功している。すごい自信です。これだけの確信がないとやっていけないのですね。
 スズキは、ワゴンRを1993年に発売しはじめ、2008年12月までに、日本国内で310万台を売った。これは、日本一である。すごいです。これで、スズキが、そこで働く労働者を大切にしていれば文句なしですね。その点はとうなんでしょうか。あの、日本一のトヨタなんて最低ですよ。もうけが減りそうだというだけで、率先して首切り台宣言をして、日本の大不況をもたらしたのですからね。これで日本を代表するメーカーと威張っているのですから、日本の信義も地に堕ちたとしか言いようがありません。
(2009年3月刊。1700円+税)

ノグンリ虐殺事件

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 鄭 殷溶、 出版 寿郎社
 朝鮮戦争勃発直後、アメリカ軍による避難民「皆殺し」に巻き込まれ、家族が犠牲になった著者が、自らの苦悩と向き合いながら残虐な戦争犯罪を初めて告発した衝撃のノンフィクション。
 これは、この本のオビに書かれている言葉です。
 朝鮮戦争が始まったのは、1950年6月25日のこと。金日成の命令で、10万人の人民軍が一斉に韓国に侵入して、韓国軍とアメリカ軍は後退の一途をたどっていた。
 7月20日、アメリカ軍第24師団長のディーン少将は戦死し、大田は陥落した。
 7月末の時点では、韓国軍とアメリカ軍を中心とする国連軍は、防衛線を釜山を中心とする広い地域に定めつつあった。そして、ノグンリ虐殺事件が起きたのは、7月26日から29日までのこと。
 「大田で難民たちに仮装した人民軍に、私たちアメリカ軍はひどくやられた。したがって、疑わしい避難民はすべて殺せという上部の厳命があった……」
 避難民を鉄道の上にあがらせ、戦闘機を呼び、空と地上と合同で避難民を殺傷した。
 鉄道上の爆撃で生き残った人々は、鉄道下の大きな双子トンネルの中に、あるいは爆撃現場下の小さなトンネルの中に身を隠した。ところが、アメリカ兵たちは、この小トンネルの中にいる人々に向けて銃を乱射しながら引っぱり出し、大きな双子トンネルの中に押し込んだ。立錐の余地もない双子トンネルの中の人々に対して、アメリカ兵は、7月26日午後3時ごろから、機関銃射撃を加えはじめた。夜になっても射撃は止まなかった。アメリカ兵たちは、老人、婦女子、子どもたちであることを知りつつ、避難民を機関銃で撃った。
 彼ら避難民は、山の中で何の問題も起こすことなく過ごしていたのに、アメリカ軍が引っ張り出して危険地帯に入らせたうえで殺傷したのだった。
 この虐殺をしたアメリカ兵は、大田で人民軍に敗北した24師団ではなく、24師団から陣地を引き継いだ第一騎兵師団の部隊であった。
 仁川上陸作戦が開始されたのは9月15日のこと。
 アメリカ政府は、国連軍が朝鮮半島から撤退せざるを得ないときには、政府と韓国軍60万人をニュージーランドによって統治されている西サモア群島のサバイ島とウポル島へ避難させる計画を立てていた。これは韓国政府にも秘密にしていた。
その前、1950年8月の時点でも、アメリカは、韓国政府と韓国軍2個師団そして民間人10万人だけをグアムやハワイに移して、アメリカ軍はひとまず朝鮮半島から撤退する計画も検討していた。
 うむむ、さすがアメリカです。自分たちのことしか考えていないことがよく分かります。
このノグンリ事件については、2004年2月に特別法が制定され、犠牲者235人に対しての審査が実施されました。民間人の執念が実ったわけです。お疲れ様でした。
 
(2008年12月刊。3000円+税)

略奪的金融の暴走

カテゴリー:社会

著者 鳥畑 与一、 出版 学習の友社
 世界の金融資産規模は、この12年間に4倍以上に増大し、2007年末には230兆ドルとなり、それは実体経済の4.2倍となった。マネーの膨張は、マネーの運動を投資中心から投機中心へと、まさに「量から質へ」の変化を生みだし、略奪的金融の暴走をもたらした。
 2006年末の機関投資家の運用資産62兆ドルのうち、半分の32兆ドルがアメリカに集中している。運用資産100万ドル以上の富裕層950万人が37兆ドルの金融資産を保有しているが、その3分の2はアメリカとヨーロッパに集中している。
 日本は、長年の貿易収支黒字にもとづく対外資本輸出の累積の結果、世界一の純資産大国となった。世界一の借金国アメリカは、302兆円もの債務超過であるが、日本は第2位の純資産大国ドイツの106兆円の2倍以上である250兆円の対外純資産を抱えている。なんとなんと、日本は超大金持ちの国なんですね。ところが、国民に対しては、お金がないから年金や福祉予算を削るしかないと高言して、国民をだまし続けています。
 日本は、2007年の貿易収支12兆円に対して、所得収支は16兆円となっている。つまり、日本は「貿易大国」から「投資大国」に変わりつつある。
 アメリカでは、サブプライムローンによって、1998年から2006年の間に236万軒の住宅が差し押さえられた。今後5年間で、さらに600万軒の住宅差し押さえが発生するものとみられている。
 つい最近までのアメリカでは、ハイリスク層への高金利による貸し出し拡大は、「信用の民主化」として賛美され、上限金利撤廃やARMなどの貸出手法拡大などの金融自由化は、低所得者層やマイノリティのアメリカン・ドリーム(マイホームの実現)を促進するものと考えられていた。
 しかし、今日では、サブプライムローンの拡大は、持続性のある住宅保有基盤を破壊することで、低所得者マイノリティの住宅保有増大に貢献するどころか、既存の住宅を大量に奪う役割を果たしている。
 アメリカでは、カードローンの借入れ残高が1990年の2386億ドルから、2007年には9375億ドルにまで拡大した。自己破産した個人も、1990年の78万件から、2005年には208万件と増大した。
 アメリカでも、規制緩和・自由化が進んでいるが、それによってカードローンでは上位10社で91%、JP・モルガンチェース銀行、シティ銀行、バンクオブアメリカの3行で62%を占めている。
 私には、ちょっと難しすぎるところもありましたが、アメリカの金融危機の解説と日本への波及効果についての予測は参考になりました。
 小雨のパラつくなかを山を降りていたとき麓にある昔ながらの古い民家の石垣の上に小さな可憐な花が咲いているのに目が留まりました。今まで見たこともないような、はっとするほどの美しさです。白い小さな花に、ピンクで縁どりをしていて、絶妙なる美の組み合わせです。家に帰って図鑑で調べてみると、ユキノシタという花だということが分かりました。山野草として名前だけは知っていましたが、実に素敵な花で、つい妙齢の女性にささげたくなりました。
 きれいな声で歌っているスズメほどの大きさの小鳥についても鳥の図鑑で調べたところ、シジュウカラだということが分かりました。澄んだ声を頭上高く響かせていましたが、いろいろと鳴き声を変えて楽しむ小鳥だということです。
 
(2009年2月刊。2000円+税)

風の中のマリア

カテゴリー:生物

著者 百田 尚樹、 出版 講談社
 オオスズメバチの30日という短い一生をたどった物語です。知識としては知っていましたが、読み物仕立てになったストーリー展開は見事なものです。一気に読み上げ、オオスズメバチの雄々しくも(実のところ、戦士はメスたちばかりなのですが…)短い一生を知って、感慨深い余韻がありました。
 オオスズメバチは、最大のスズメバチである。女王バチは50ミリほど、ハタラキバチは40ミリ以下、オスバチは40ミリ前後もある。非常に獰猛(どうもう)で、攻撃力も極めて高く、他の昆虫を襲って幼虫のエサにする。
 大アゴの力は強力で、固い甲虫類の甲殻も噛み砕いてしまう。太い針から噴出する毒液は、大型の哺乳動物も殺傷する力がある。秋の繁殖期には、ミツバチや他のスズメバチの巣を集団で襲い、サナギと幼虫を奪い取る。
 オオスズメバチは幼虫時代は肉食だが、成虫になると、逆に肉などの固形物は一切食べない。そのため、樹液や花密が食物の代わりとなる。最高の栄養源は、幼虫の出す唾液だ。そこには特殊なアミノ酸化化合物が含まれていて、そのおかげでオオスズメバチのワーカーは体内の脂肪を直接燃やしてエネルギーに変換できる。
 脂肪を直接燃やすことのできるオオスズメバチは、体内に乳酸を発生させないので、どれほど運動しても、ほとんど筋肉疲労を起こさない。オオスズメバチが一日に100キロ以上も飛べる驚異的な運動量を誇る秘密は、そこにある。
 ミツバチはエサ場を見つけると巣に戻って尻振りダンスで仲間にその場所を知らせる。オオスズメバチは、フェロモンで仲間をあつめる。フェロモンを察知して集まったワーカーは、3頭以上になると行動を一変させ、殺りくに終始する。飛来してくるワーカーの中には、仲間に栄養を補給するものもいる。戦場から巣にもどるときには、殺した敵の肉だけでなく、死んだ仲間の肉も持ち帰る。
 攻撃は、たいてい一日で終わるが、ときに2~3日もかかる。集団攻撃を受けたスズメバチ類は、ほとんど全滅してしまう。
 ニホンミツバチは、オオスズメバチの偵察ワーカーが分泌する「エサ場マークフェロモン」に反応して「蜂球」行動に移る。つまり、ニホンミツバチは、オオスズメバチがやってくると、大勢で取り囲んで、蜂球をつくる。そのなかは、摂氏46度まで上がる。オオスズメバチは、46度を超える高温にさらされると死んでしまうのだ。ニホンミツバチは46度までは耐えられる。その差が彼らの死生を分ける。
 女王バチ、兵隊バチ、そしてオスバチなどがそれぞれ書き分けられていますし、隣接するハチなどが襲われていく状況などは憐れみも誘います。でも、そうしないとオオスズメバチは生き残れないのです。
 自然界の過酷な生存競争について考えさせる面白い小説でした。
 連休中、久しぶりに近くの小山へハイキングに出かけました。昼から雨はあがるという天気予報を信じて、小雨が少しぱらついていましたが、おにぎり弁当をもって小さなリュックを背負って出かけました。
 土手には野アザミが一面に咲いていました。すっくと伸び立つ紫色のアザミの花は気品を感じさせます。山のふもとにあるミカン畑では、白いミカンの花が満艦飾でした。隣にビワ畑もあり、こちらは袋かけがおわっています。
 ポツポツ降っている小雨が止みそうもありませんでしたので、頂上まで行くのは断念し、見晴らしのいい丘で腰をおろして弁当開きとしました。ウグイスやら名前のわからない小鳥がきれいな声でさえずってくれるなかで、おにぎりを美味しくいただきました。
 なかなか晴れ上がってくれないなと思いながら帰路に着きました。家に戻って休んでいると、やがて雨は本格的に降り出し、天気予報もあてにはならないと思ったことでした。
(2009年3月刊。1500円+税)

すごい空の見つけかた

カテゴリー:宇宙

著者 武田 康男、 出版 草思社
 年齢(とし)をとったせいでしょうか、空に雲がながれていくのを飽きることなく見ていることがあります。とりわけ、近くの小山にのぼって、頂上で上半身裸になって汗をふき、下着をとりかえたあと、ひなたぼっこしながら、はるか上空を漂い、流れていく雲をじっと眺めていると、地球と一体になった気がして、心に安らぎを覚えます。
 この本は、空と雲を取り続けてきたプロ写真家の解説つきの写真集です。空のこと、そして、写真のとりかたの双方を深く知ることができます。
 わたしのカメラは、まだ基本的にフィルム・カメラです。ブログ用にデジカメもつかいますが、長年愛着のあるフィルム・カメラをポイ捨てする気にはなれません。でも、そのうち、フィルム・カメラはきっと使わなくなるでしょうね。だって、フィルムがいつまで売られていることでしょうか……。カセットテープがなくなり、8ミリビデオがなくなったので、全部、CDやDVDに変換してしまいました。
 日の出を見るなら、50分ほど前から空を見ること。空の色は、虹と同じような色の変化が、上から下に連なる。低い空ほど、太陽光があたる大気が濃くなり、赤っぽい色の光しか通り抜けられなくなるからだ。
 空が青いのは、空気分子による散乱のため。青っぽい光は散乱されやすいので、空に散らばり、とくに太陽から90度の方向からは、散乱された光のうち、青い光ばかりが目に飛び込んでくるので、濃い青色になる。
 夕陽が赤いのは、厚い大気を通り抜けるあいだに青っぽい光が散らばってなくなってしまい、赤っぽい光だけになってしまうから。太陽だけでなく、まわりの空も赤いのは、空気の中の雲やチリなどに赤い光が当たるため。
 夕陽が消える瞬間に緑色の光点が印象的に残ることがある。これをグリーンフラッシュという。ふむふむ、そういうものがあるのですね。でも、私は、残念ながらまだ見たことがありません。
 雲が美しく虹色に染まる現象を、彩雲という。すごく綺麗な雲の色です。ええーーっ、こんな雲って見たことないよー…、と叫んでしまいました。
 大気は、朝方より夕方のほうが温度が高く、水蒸気量や浮遊物質も多い傾向にある。だから、朝日は橙色でまぶしく、夕日は赤みが強くて輝きが弱い。
 朝焼け雲は澄んだ色合いで雲の輝きが強く、夕焼け雲は赤みが強くて雲がやや暗い。青い空に美しく色づいた朝焼け雲は、空気の澄んだ朝ならではの光景だ。
 いやあ、空をもう一度よく見てみましょう。そして、その色の移りかわりを体感することにします。澄み切った青空に高くのぼりつめた白い雲を見ると、学生時代、奥那須の山奥で見た入道雲を思い出します。セツルメント活動に夢中だったころのことです。夏合宿の思い出は今なお強烈です。夜にはきゃん分ファイヤーをしました。火を囲んで肩を組んでうたう歌声が心を揺さぶりました。恋い焦がれる思いで異性と話し込み、夜を徹して語り明かしたものです。青空を見るたびに40年前に戻りたい衝動に駆られます。
 
(2009年4月刊。1600円+税)

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