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回復力、失敗からの復活

カテゴリー:社会

著者 畑村 洋太郎、 出版 講談社現代新書
 自滅パターンにはまりこんだ人には、ある共通点がある。それは、人は弱いという認識が欠けていること。窮地に追い込まれて大変な状況のときに心がけるべきことは、自分の出来ることをただ淡々とやり続けること。ただ、それがまた難しいのですね。心が乱れていますから……。
 組織運営に外部の人間を参画させると、硬直した雰囲気を壊すひとつの有効な手段になりうる。内部の人間だけだと、どうしても客観性に乏しい。社会とズレた見方になってしまう。そうなんです。私の参加する会議の一つに、たまらなく暗くてかたい雰囲気のものがあります。お互い、けなしあうだけで、相手の成果を認めようとしないのです。いるだけで、くたびれる会議です。出なくて済むときには、心底ほっとします。
 ピンチのときのポイントは、ひとりだけで荷物を背負ってはいけないということ。
 私は、やったー、失敗したー……というときには、それを誰か、気の置けない友人に話して吐き出してしまうようにしています。自分のうちにうつうつと籠らせないようにするのです。
 自分のやっていることに自信を持つ。自信のない人は、ちょっと困難なことがあると、すぐに撤退してしまうので、結局は目標を達成できない。自信をもっていると、ちょっとくらいの困難ではめげないで、再チャレンジする。その差が、最後に結果として現れる。そして、この自信は根拠がなくてもかまわない。
 大切なことは、失敗を前にして、自分が何をどう考えて、どう行動したかを後々までしっかり覚えておくこと。それが出来たら、自分の判断や考え方、それにもとづいた行動がどんなふうに間違っていたか、後で確認することができる。これは失敗を正しく理解するための基本である。そのようなことのできる人のみが、失敗に学ぶことができる。
 手助けを受けられるのは、おそらく日ごろから愚直かつ丁寧に努力を続けている人である。うむむ、けだし至言だと思います。何事も謙虚であり、持続したいものです。
 失敗なんかで死んではいけない。まさしく至言です。いい本に出会いました。
(2009年1月刊。720円+税)

ミレニアム2 火と戯れる女(上・下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 スティーグ・ラーソン、 出版 早川書房
 スウェーデンの暗部をえぐり取る画期的なミステリー小説です。すでにスウェーデンでは第1部が映画化されているそうですので、一日も早く日本でも上映してほしいものです。上下巻の2巻を3日間、片時も離さず読みふけった、と言いたいところですが、そうもいきませんでした。それでも、3日間、片道1時間の電車がいつもよりずい分と早く目的地に着いてしまったと思わせるほど、本の世界にのめりこんでいて、時のたつのを忘れていました。目的地に着いて、なお読み終わっていないのです。そのまま喫茶店に入って、好きなカフェラテでも味わいながら、じっくり読みふけりたかったのですが、そうもいきません。何しろ、メシの種である裁判を放っぽらかすわけにもいきませんでしたし、主宰すべき会議もあったのです。それで、泣く泣くカバンの底に本を沈めて、真心を入れ替えて正業に就いたのでした。トホホ・・・男はやっぱりつらい。
 開巻有得(かいかんゆうとく)
 本を読めば、得るところがある。確かに、この本を読んで小説とはかくあるべしと思いました。いたるところに張られている伏線が、次々に生きて動きだし、話に膨らみを持たせるのです。
 容貌魁偉(ようぼうかいい)
 顔つきが大きく、立派なさま。この本でも、金髪の巨人、という男性が登場します。
 勇猛果敢(ゆうもうかかん)
 猛猛しく、大胆に事を行うさま。主人公の一人として名探偵カッレくんが登場し、大胆に犯人捜しにふみこみ、危険にさらされます。
 駑馬十駕(どばじゅうが)
 才能の乏しいものも、努力を怠らなければ、才能あるものと同じ実績をあげることができる。惜しくも若くして死んでしまった著者の才能は、まさしく天才的なものがあります。複雑に入り組んだ謎をひとつひとつ、無理なく、しかもスピード感たっぷりに解明していくのです。次の頁をめくるのがもどかしくなったほどです。私には、とてもこんな才能はありませんが、それでも、目下挑戦中の小説については、この様式を取り入れるべく、必死に挑戦しているところです。
 嚝日弥久(こうじつびきゅう)
 無駄に日をすごすこと。私も還暦を迎えた身ですので、これからは一日一日を大切にして、無駄に日をすごすことのないようにしたいと考えています。もちろん、たまに息抜きするのは当然のことです。それって、決してムダな時間の使い方ではありませんからね。
 スリラーものの性格上、この本のアラスジを書くわけにもいきませんでしたので、手元にあって日頃あまり使っていない『四字熟語辞典』をパラパラとめくり、目についたものを引用してみました。今年最大の収穫となりそうな本に出会った気がします。
 火曜日午後、一泊の人間ドッグを終えて雨の中を帰宅していると、あちこちで田植えそして田のすき起こし作業がすすんでいました。今年は雨が少なくてカラ梅雨になるのかなと心配していましたが、久しぶりに雨らしい雨が降ってくれました。
 雨に打たれて一段と美しく映えるのがアガパンサスの青い花火のような花です。紫陽花の花とは少し趣が違って、うっとうしい梅雨を心軽やかにしてくれる大好きな花です。
 
(2009年5月刊。1619円+税)

アイヒマン調書

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ヨッヘン・フォン・ラング、 出版 岩波書店
 ナチス・ドイツが何百万人ものユダヤ人を強制収容所へ連行して、ガス室などで抹殺していった過程で、アイヒマンは実務的な官僚としてそれに深く関わり、遂行していた。
 アイヒマンは、アウシュヴィッツとマイダネック強制収容所を視察し、そこでのユダヤ人抹殺工程を考えだした人物である。ただし、アイヒマンは他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。
 アイヒマンは、ほとんど事務所の中で自らの仕事に専念し、結果として数百万の人間を死に追いやった。一官僚として、アイヒマンは死に追いやられる人間の苦痛に対して、何の感情も想像力も有してはいなかった。
 アイヒマンはドイツの敗戦後、1950年春まで偽名と偽の身分証明書でドイツ国内に潜伏していた。アメリカ軍の捕虜となったこともあったが、2度も逃走に成功した。逃亡資金を貯め、バチカンルートでアルゼンチンへ逃亡した。バチカンのカトリック関係者によって元ナチ戦犯の海外逃亡支援が行われていたのだ。多くの元ナチ親衛隊員がこれによって旅券の交付を受けた。アイヒマンを支援したのは、ローマのカトリック司祭、アントン・ヴェーバーだった。1950年から、アイヒマンはアルゼンチンに居住し、偽名で働いていた。そこでは、ユダヤ人の大家に助けられていた。なんという皮肉でしょうか……。
 1960年5月。アイヒマンはイスラエルのモサドの手によって、イスラエルへ連行され、警察による取り調べが始まった。このとき取り調べにあたった警察官の第一印象は、次のようなものでした。
 目の前に現れた人物は、自分より少し背が高いだけの、細身というよりやせぎすで、頭の禿げあがった平凡な男に過ぎなかった。フランケンシュタインでも、角の生えたびっこの悪魔でもなかった。外見だけでなく、そのきわめて事務的な供述は、事前に抱いていたイメージとかけ離れたものだった。
 アイヒマンにはユーモアが完全に欠如していた。その薄い唇に何回か笑いが浮かんだことはあったが、目は決して笑わない。その眼は、いつも嘲笑的で、同時に攻撃的だった。
 とくに印象的だったのは、アイヒマンが自分の犯した凄惨な罪に対して明らかに何の感情も持っておらず、まったく悔恨の情を示さないことだった。自分のなした行為について、まったく鈍感だった。ふむふむ、ユダヤ人を大量殺害する機構の歯車は、こんな人物だったのですね。ということは、隣人がいつ大量殺人鬼になるかもしれないということです。
 アイヒマンは、取調の途中、いつも食欲旺盛だった。アイヒマンは、ヒトラーの主張に賛成はしていたが、『わが闘争』を通読したことは一度もなかった。実のところ、アイヒマンは読書をしない人間だった。犯罪小説も恋愛小説も読んだことがなかった。
 アイヒマンは、自分はユダヤ人の殺害とは何の関係もない、一人のユダヤ人も殺していない。ただ、ユダヤ人の移送に関与していただけだと言い張った。アイヒマンは、ユダヤ人を安住の地へと移住させることに専念していたと何度となく主張した。
 実際には、アイヒマンは当時30代であり、非常に活動的でエネルギッシュな人物だった、ユダヤ人絶滅のために常に新しい計画を考案し、方法の改良に熱意を示した極めて勤勉な男だった。アイヒマンは、ユダヤ人問題の最終解決に関する命令を受けていた。
アイヒマンの尋問はすべて録音され、その反訳調書は本人がチェックして間違いないことを確認した。275時間、3564枚の調書がある。その一部が再現されていて、大変興味深い内容となっています。日本でも、戦犯に対しこのような責任追及がきちんとなされたのか、心配になりました。
 
(2009年3月刊。3400円+税)

裁判員制度と報道

カテゴリー:司法

著者 土屋 美明、 出版 花伝社
 ジャーナリストの立場で、一貫して裁判員制度に関わってきた著者が、自戒の念をこめて報道の在り方について整理し問題提起しています。次々と出版していく著者のバイタリティーには改めて感銘を受けました。
 国民が司法に参加する意味は主として三つある。第一に、国民の間に主権者としての意識が育っていくこと。第二に、自ら犯罪を裁くという体験を通じて国民に法的な意識が高まることが期待できること。第三に、これまでプロの法曹によって動かされてきた司法に国民の常識・感覚が生かされ、司法が国民に身近な存在に変わること。
 アメリカの新聞社では、経営権と編集権は区別され、経営者は編集に口出しできない慣行がある。しかし、日本では編集権は経営権に従属している。取締役会など、経営管理者の意向に従わなければならない構造ができている。それで、日本には自由なジャーナリストとしての職業観が育たず、また、現場記者の発言権が弱い状況を生み出している。
 日本には、EUから強く廃止を求められている記者クラブという制度があり、その結果、日本の新聞はどれをを読んでも変わり映えのしない記事が載っていて、画一性が強すぎる。記者クラブも最近は、かなり開放度がすすんだとは思いますが…。
 そして、メディア・スクラム(集団的過熱取材)という現象がある。大きな事件や事故が起きると、その当事者や関係者のもとへ多数のメディアが殺到し、それらの人々のプライバシーを不当に侵害し、社会生活を妨げ、あるいは多大な苦痛を与える状況を作り出してしまう。そうなんです。しかも、一過性の集中豪雨型の報道です。後追いの報道がサッパリありません。
 アメリカには、国民の中に、刑事裁判は常に正しいとは限らず、不公正なものでもあり得るという一種の皮膚感覚がある。アメリカの陪審制度は、国家権力は時に市民的自由を侵す危険性があるという裁判への不信感を背景にもっている。では、日本では、どうか?
 マスコミは、事件についての加害者報道に関し、前科・前歴は抑制的に扱う、事件や疑惑との極めて密接な関連性、読者の理解に不可欠で報道すべき特段の事情がある、必要最小限度の範囲という条件を課している。
 具体的には、情報の出所を示す。弁護側への取材につとめ、その言い分を報道し、できるだけ対等な報道を心がける。被疑者・弁護側の言い分を安易に批判・弾劾しない。しかし、弁護士のなかにも、情報提供に消極的な姿勢を見せる人がかなりいる。ただ、これには法律改正によって、開示証拠の目的外使用を処罰する規定が置かれたことも影響している。
 著者は、メディアも『真相解明幻想』から卒業することを提唱しています。
刑事事件の捜査・裁判は、刑事訴訟法のルールに従い、その限りで被疑者・被告人の犯行を立証する手続にすぎない。刑事裁判には、もともと限界がある。捜査当局による真相解明に期待しすぎると、かえって検察主導の司法を容認することになりかねない。かといって、裁判官の訴訟指揮による真相解明を期待するのも、被告人の起訴事実の有無を判断するという刑事訴訟法本来の趣旨から少し外れてしまう。真相解明は、刑事事件の法廷とは別の場で行うものと考えるべきではないか。
 著者の最後の指摘が私には強く印象に残りました。ともあれ、マスコミ報道の洪水のなかで、市民参加型の裁判員裁判がやがて実際にスタートします。私は、ぜひ成功させ、刑事手続きの画期的改善につなげていきたいと考えています。たとえば、被疑者段階の取り調べ過程を全部、録画するのです。これによって、弁護人は無用の争点にしばられることが少なくなると思います。司法改革が全面的改悪だというのは、いくらなんでも大げさすぎると私は考えています。
(2009年5月刊。2000円+税)

不屈、瀬長亀次郎日記

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 瀬長亀次郎、 出版 琉球新報社
 読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばし、襟を正して、真面目に生きていこう、元気に生き抜くんだ、そんな力の湧いてくる不思議な本です。
 カメジローの日記です。私も、若いころに一度くらい本人の演説を聞いたような気はするのですが、たしかではありません。雄弁というより、とつとつとした語りだったという印象をもっていたのですが、この本を読むと訂正しなくてはいけないようです。
 カメジローは、49歳のとき、当時、沖縄にあった地域政党である人民党(のちに共産党と合流しました)公認として那覇市長選に立候補し、保守が分裂していたこともあって、見事に当選しました。しかし、野党が圧倒的多数を占める那覇市議会は、アメリカ軍政府の強力な指示をうけて、「共産主義者」カメジロー追い落としを図ります。しかし、カメジローは粘りに粘り、ついに市議会のほうを解散し、市議会選挙で多数はとれなかったものの、大きく前進しました。
 アメリカ軍政府はやきもきしたあげく、ついに民主的に選挙で選ばれたカメジロー市長を一片の指令で追放してしまいます。このあたりの経緯が、当の本人のカメジローの日記、そして、情報公開制度で明らかになったアメリカ政府の動きをふまえて詳しく解説されています。ですから、当時の行き詰る状況が手に取るようによく分かります。沖縄そして日本を知るために、本当にいい本が出版されたと思いました。
 カメジローの演説。
 異民族の奴隷への道、西へ進むのか、祖国への道、東へ進むのか、の分かれ道に立っている。市民よ。死への道ではなく、日本国民の独立と平和と民主主義の繁栄を保証される道を進もうではないか。
 つい最近、赤嶺代議士(共産党)が国会で、アメリカ兵が飲酒運転して事故を起こしても、公務遂行中だとして日本に裁判権がないのはおかしいと追及していました。このことを河野代議士(自民党)が、そのとおりだとブログで紹介しているそうです。
 カメジローは、1万6591票を得て、対立候補に1964票差で那覇市長に当選したのです。すごいことですよね、これって。ワシントンのアメリカ国防当局は驚き、重大な関心を示し、ただちにカメジロー落としを指令したのでした。
 沖縄の銀行は、市にお金を出さない。アメリカ軍は市に水道を供給しない。まさしく、「火攻め」「水攻め」です。
 カメジローの演説。
 私は神を信じない。人民の力を信じている。神様は天には居ない。人民の中に、人間の心の中にいる神は、いかなる権力でも粉砕することはできない。
 市会議員選挙の演説会は深夜に及んだ。午後8時に始まり、終了したのはなんと午前1時過ぎ。うへーっ、そ、そんな演説会があったなんて、まるで、まったく信じられません。トホホの熱気ですね。沖縄県民の底力は、恐るべきものです。
 アメリカの報告書には、瀬長派の選挙活動は57回の政治集会に4万5000人も動員した。反瀬長派は、24回の集会でわずか1万人にとどまった。いやはや、なんともすごいものです。
 演説会会場は民主主義実践の場であった。瀬長派は人々の共感を集め、幅広い支持を取り付けることに成功した。
アメリカは、小さなハエをやっつけようとしては失敗する大男のようだ。大男が腕を振り回して失敗すればするほど、こっけいに見える。これはアメリカの新聞に載ったレポートです。
 カメジロー市長の在任期間は11ヶ月でしかありませんでした。しかし、大変なインパクトがありました。カメジロー市長の後任の市長を決める市長選挙でも、結局、カメジローの応援した候補が当選したのです。このときの立会演説会には、10万人が集まったのですから、まさに圧巻です。この本に掲載されている写真を見ても、それが嘘でないことはよく分かります。
 私が大学生のころ、沖縄を返せという歌をよく歌っていました。福岡の全司法の人たちが作った歌だということでした。オレたちが作ったんだという書記官が福岡におられました。
(2009年4月刊。2190円+税)

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