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院政期社会の研究

カテゴリー:日本史(中世)

著者 五味 文彦、 出版 山川出版社
 院政期は、腕力こそがものを言った社会であった。しかし、腕力だけがすべてではなかた。常に文書なるものが作成される必要があり、その文書の理が腕力ともども院政期社会を支配していた。
 たとえば、この時期の訴訟は、証文をそえて、その「調度文書理」「次第文書理」に任せて裁可されることを要求するのが通例であった。腕力といえども、この文書の理を真っ向から否定するわけにはいかなかった。
 このように、腕力も文書を必要としていた。謀書といわれる偽文書が多く作成されたのも院政期社会の特徴である。それは、腕力が文書の理を認めざるをえなかったことを物語るものである。すなわち、腕力と文書の理との微妙な共存関係こそが、院政期社会の一つの特徴なのである。武士の腕力は、結局のところ、文書の理と争って、それを退けることになったが、それはその後の武士の発展を暗示するものであった。
 白河、鳥羽、後白河の3上皇の院政の時期を院政期という。
 承久の乱(1221年)は、西国に支配の基盤をもつ院と、東国に政権を樹立した鎌倉幕府(北条義時)との武力衝突であった。鳥羽院は、「朕の生まるるは、人力に非ざるなり」と述べ、天皇家の血統性の故ではなく、直接、神と結ばれている点に自己の権威を位置づけた。
 中世社会において勧進聖人の果たした役割はすこぶる大きかった。東大寺再興に寄与した重源をはじめ、諸大寺の再興・造営の多くは勧進聖人の活動を待たねばならなかったし、港湾の修築、道路や橋梁の修造など、さまざまな土木・建築事業に勧進聖人は多大の貢献をした。
 院政期以来、造寺・造仏・造橋などに勧進聖人は庶民に受け入れられていたが、そのなかでもことに大仏の造営において庶民の熱狂的な歓迎を受けた。東大寺の大仏開眼や大仏殿供養に、庶民は熱狂的に参加した。
 鎌倉の大仏は何度かの造営を繰り返したが、それを可能にしたのは、それを支持する庶民がいたからであった。苦しみにあえぐ人々にとっての救済への願望が大仏に託されていたのだ。なーるほど、そういうことだったのですね。
 悪左府、悪源太、悪僧。これらに共通する「悪」とは、単なる反価値としての悪ではない。地方社会の深部から作り出されたエネルギーが、そこに盛り込まれている。ここでは、悪はアクであってワルではありません。ワルだと少し軽いノリですね。
 中世の裁判制度の歴史をみると、社会の動揺や政治的内紛があるたびに裁判の改革が行われていることが分かる。鎌倉幕府では、承久の乱のあとの評定制、宝治合戦のあとの引付制など、主要な改革は内乱や内紛のあとになされている。朝廷においても、院評定制は宮騒動後に設けられている。さかのぼると、治承・寿永の内乱のあとの記録所や、保元の乱のあとの記録所も同じである。
 これは、裁判制度が、徳政の一環として秩序の維持に重要な役割を果たしていることを為政者が認識していたからである。裁判が秩序維持機能を果たしうるためには、何よりも裁判に公正さが要請される。公正さを欠いた裁判は、むしろ秩序を乱す結果すら生む。鎌倉幕府はつとめて裁判の公正さを保つために心を砕いた。退座規定を設けたり、評定衆から起請文をとって公正を誓わせている。昔から日本人は裁判が嫌いだったなんてとんでもない嘘です。日本人が昔から裁判大好きだったことが、ここにも裏付けられています。
 花押は、個人の表徴として文書に証拠力を与えるものであった。すなわり、花押こそ文書に証拠力を与えたのである。そうはいっても、この花押なるものは、よく読みとれませんよね。英語のサインと同じで、読みとれないから他人が容易にマネできない。だから価値がある、ということなのでしょうか……。
 女院制度が制度的にもっとも充実していたのは院政期だった。源氏は、為義・義朝・頼朝の三代にわたって女院に接近して、政治的進上を果たした。院につかえていた京武者の源氏が「貴種」と呼ばれ、さらに政権をつくるのにあたって、女院の存在はきわめて大きな意義をもっていた。平氏も同じで、平忠盛は待賢門院に仕え、続いて美福門院に接近した。平氏一門が「公達」として高位高官についたのも、また女院の存在なくしては考えられない。
 待賢門院以後の女院は、大規模な荘園をもつ荘園領主として存在し、その女院につかえる女房はそれらの荘園を知行して経済的基盤としていた。しかも、女院領は女院から女院へと伝領され、女房の所領も女房へと伝えられてゆき、そこでは女院・女房が一体となって社会的な影響力を与えていた。
 日本では、昔から女性は政治の舞台でも大いに力を発揮していたというわけです。
 院政期の日本社会の実相を、少しながら知ったように思いました。500頁近い大作ですが、分からないなりに読み通して学者の偉大さを思い知りました。
 昨日(7日)、今年初めてセミの鳴き声を聞きました。歩道わきのビルの壁にセミの抜け殻を見つけたのが先でした。あちこちでヒマワリの花も見かけます。我が家の庭は今年はヒマワリがなぜかとても少なく、寂しい気がします。そして、ヒマワリはまだ花を咲かせてくれません。
 
(2005年12月刊。 円+ 税)

語りえぬ真実

カテゴリー:アメリカ

著者 プリシラ・B・ヘイナー、 出版 平凡社
 ずっしりと重たい本です。500頁近い大作だというだけでは決してありません。書かれている内容があまりにも重たいし、重たすぎるのです。なぜ、どうして、人間って、ここまで残虐なことができるのだろうか。そして、平然とその後の日常生活を何事もなかったかのようにして家族とともに生活できるのでしょうか。不思議というほかありません。
 この本に出てくる大虐殺に、すべてアメリカが関与しているというのではありませんが、たいていアメリカが多かれ少なかれ関わっています。なにしろ世界の憲兵を自称し、世界最強の軍隊を世界中に、いつでもどこでも派遣する能力をもっているわけですからね……。
 裁判と真実委員会とでは、被害者に対する見方の性質と範囲が根本的に異なる。多くの真実委員会は、まず被害者に焦点を合わせる。被害者たちの苦しみの体験を聴く。真実委員会は被害者に「公の声」を与え、彼らの苦しみを多くの人々に伝えようとする。また、被害者や遺族への補償プログラムを計画する。
 真実委員会は、加害者の説明責任を追及する。真実委員会は、個々の加害者の責任を問うだけでなく、公的組織の責任範囲を評価する役割も与えられる。
 アルゼンチンでは、1976年に軍が政権を握ってからの7年間に、破壊活動分子を掃討するという名目で1万人ないし3万人もの人々が行方不明にされた。
 真実委員会は、9か月間に7000件もの証言を聴取し、8960人の行方不明者を記録した。軍による拘禁を生き延びた1500人に対するインタビューによって収容所と拷問の実態が詳しく報告書に記載された。
 チリのピノチュト軍事政権によって拷問を受けて生き延びた人は、5万人から20万人と推定されている。クーデター後の1年間だけで、1200人が殺害された。
 エルサルバドルでは、真実委員会が調査して残虐な事件の責任者を明らかにすると、国会で免責する法律が制定された。そして、30年の任期満了に伴う軍の叙勲を授与されて退役していった。大統領も働きぶりを賞賛するばかりだった。
南アフリカの真実委員会は、300人ものスタッフをかかえ、証言者保護プログラムも作り上げ、年額1800万ドルの予算を確保してスタートした。
 チャドの真実委員会が公表した報告書によると、アメリカ政府が最悪の犯罪人たちに毎月100万円もの資金を援助し、訓練していた。アメリカ以外にも、フランス、エジプト、イラク、ザイールが関与していた。実際、アメリカ人顧問の執務室の近くで、毎日、政治囚が拷問され、殺害されていた。
 真実委員会によらず、裁判で加害者の責任を追及しようとすると、大きな壁にぶつかります。
 加害者に対する裁判が成功しないことには、いくつもの理由がある。ほとんど機能していない司法システム、腐敗し、あるいは妥協した判事や役人、それに具体的な証拠が欠如することも多い。資金不足の司法システムは、証人保護プログラムを欠いており、目撃者の多くは証言することを恐れている。警察や検察は捜査能力を欠いていて、強力な証拠を提示できない。判事・検事への給与の支払いが滞っている。裁判所は乏しい予算とスタッフでやりくりしなければいけない。そのうえ、前体制の加害者らは、政権を離れる前に一括免責を発布しておくことが多い。
 刑事裁判の目的は、真実を明るみに出すことではない。犯罪の証拠が、当該告訴の内容を満たしているか否かが検討されるのである。このプロセスにおいても、ある程度の真実はあらわれるだろう。しかし、そこでは重要な事実がしばしば排除され、結果として、裁判では限られた真実しか表に出てこない。
 このように大きな限界のある裁判とは異なり、どの真実委員会にとっても、一番重要な目的は、暴力と不正の再発を防ぐことにある。かつての敵同士の憎悪と、復讐の連鎖を断ち切ることで、その目的が期待される。
 恐怖を投影し合う理由が歴史の中にたくさんあると感じる対立集団のあいだで和解を促すことになる。
 ほとんどの真実委員会は、軍・警察・司法さらに政治制度を変革するよう勧告する。そのことによって、不正を抑制し、仮にそうしたことが生じた場合に対応するはずのメカニズムを強化することが期待される。
 世界各国の大虐殺について、そこから教訓を引き出し、将来に生かすべきことです。それにしても、人間って、本当に残虐な存在ですね。
 
(2006年10月刊。4800円+税)

ゆびさきの宇宙

カテゴリー:人間

著者 生井 久美子、 出版 岩波書店
 表紙裏に書かれている文章を紹介します。
 目が見えず、耳も聞こえない。ヘレン・ケラーと同じような障害をもつ東大教授・福島 智。羽をもがれるようにして、光と音を失って育つ。3歳で目に異常が見つかり、4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。14歳で右耳、そして18歳ですべての音も奪われ、盲ろう者となる。
 無音漆黒の世界にたった一人。地球からひきはがされ、果てしない宇宙に放り出されたような孤独と不安。それを救ったのが母の考案した指点字と指点字通訳の実践だった。盲ろう者として初めて大学に進学。いくつものバリアを突破してきた。そして、恋も結婚も……。でも、生きること自体が戦いだ。
 いやはや、すさまじい戦いです。私など、ついつい尻ごみしたくなるような障害に、ユーモアたっぷりに挑戦してきたひとがいるのです。人間の能力に限界ってないんだな。心の底から、そのことを確信させてくれる、いつのまにか元気の湧き出る本です。最近ちょっとくたびれたな。そんなときのあなたにぴったりの本です。
さあ、頁をひらいてみましょう。堅苦しさを感じたり、息詰まる思いをさせることのほとんどない本です。ああ、本当に大変な人だな。それでも、なんだ、私なんかとちっとも変らないんだな。そんな思いにしばしば駆られます。
 指点字とは、6つの点で表す点字の仕組みを応用して、盲ろう者の両手の人さし指、中指、薬指の計6本の指先の手の甲側に指先でポンポンと打つもの。本のうしろに図解もありますが、馴れるまでは大変そうです。
 盲ろうの人は、世界に人口1万人に1人の割合以上はいる。日本にも2万人ほどいると推定されている。盲ろうは、感覚器における全身性障害である。盲ろうは、限りなく情報が削り取られた状態である。盲ろう者は、内部で戦場体験をしている。
 弱視のときには、もっと視力が落ちるかもしれない、そのストレスを感じる。しかし、全盲になったら、これ以上悪くなりようがないと心が安定して、明るい人間になる。
 そういうものなんですかね、人間って……。
 自殺を考えたことはない。あわてなくても、いずれ、みんな死ぬんだから。
 いやあ、すごい達観です。これを、まさしく悟りを開いた境地というのでしょうね。
 夫婦げんかも指点字でする。妻は指点字で夫に不満をぶつける。夫は口で言い返す。しかも、口八丁。白を黒と言いくるめることだってできる。妻は泣きながら指点字で応戦する。しかし、その声は夫には聞こえない。指がもつれる。もつれると夫は読みとれなくなり、お互いにイライラして感情的になる。
 うひゃあ、夫婦げんかも手をつなぎながらやるのですね。すごいですよ。
 福島智は、2005年3月、適応障害と診断された。25年間の盲ろうという極限状態のストレスの蓄積からだ。なるほど、そうなんですね。フツーの人だからなったのですね。
 福島が右手をほおに当てるロダンの考える人のポーズをとるときには、誰も僕に指点字を打つなというサインだ。通訳を受けていても、オレが発言するんだというときには、指を丸めて他者の発言を受け付けないポーズをする。
 福島の公式の場での次のスピーチは、笑わせます。こんなことを堂々と言えるなんて、いやはや、なんともたいしたものです。
 9歳で失明し、18歳で聴力を失って、全盲ろうになった。9年ごとに何かを失って……。27歳でビールの飲み過ぎで腹が出てスマートさを、36歳で髪が薄くなってきて若さを失って。でも、45歳で博士号を得て、これからは何かを得ていく人生になるのかなと思っている……。
 福島は、2001年に東大教授となった。2008年5月、学術博士号をとった。福島研究室は、駒場の東大第二キャンパス3号館の5階にある。
 福島が文献の引用箇所を決めるには、全体を読まなくてはいけない。点字は、斜め読み、速読、ざっと内容を掴むことができない。パソコンも一度に一行しか指では読めない。
 点字と指点字をつかう福島にとって、指は目であり耳。過酷な作業のため、腱鞘炎に苦しんだ。うむむ、大変なんですね。速読、いのち。そんな私には、とても想像すらできません。
 障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示すショーウィンドウである。
 まさにそのとおりだと思います。
 
 先週は大雨となり、カラ梅雨にはならなかったようです。雨上がりの朝、ウグイスが澄んだ音色の鳴き声を響かせてくれます。もう一種の小鳥は、さらに甲高く清澄な歌をさえずってくれるのです。オオルリかなと思うのですがはっきりしません。
 アガパンサスの青い花にマルハナバチが頭からもぐりこみ、丸くお尻を見せるのがとてもかわいらしいんです。同じようにグラジオラスの花にも頭を突っ込んでいます。
(2009年4月刊。1800円+税)

司法改革の時代

カテゴリー:司法

著者 但木 敬一、 出版 中公新書ラクレ
 検事総長が語る検察40年。これがサブ・タイトルの本です。
 検事総長にまで上り詰めた著者ですから、きっと幼いころから神童と認められていたと思っていると、本人が書いたところでは、東大に合格できたのも、司法試験に1回落ちただけで受かったのも、周囲は驚き、不思議がったというのです。これって本当でしょうか。
 検察の現場も体験していますが、法務省の立法に関与することが多く、弁護士会とも折衝を重ねて、相互に信頼をかちえていたようです。人柄もあるのでしょうね。
 今も、アメリカからの外弁の完全自由化(たとえば、今は外弁と日本人弁護士との混合法人を認めろと要求されています)が課題となっていますが、ともかく、外国人弁護士が日本でも活動できるような幕開けを認めたのは、著者が法務省の司法法制調査部に在職中のことでした。
 アメリカの外圧はすさまじいので、外国弁護士が認められたのは仕方のないことだと思います。もちろん、なんでもアメリカの言いなりにはなりたくないのは、一日本人として、今も変わりませんが……。
 ハンセン病国賠訴訟で画期的な国敗訴の判決が熊本地裁で出たときには、法務大臣官房長として著者は控訴断念の方向で導いたようです。この決断は、きわめて政治的なものでしたが、これは私も正しかったと思います。
 この本の後半は、江戸時代から今日に至る日本人の法意識に触れる内容となっています。ただ、そのなかで、「島原の乱以降、反乱という名に値するような暴動や内戦は影を潜める。民衆の側は統治には関心をもつこともなく、むしろ生活を楽しみ、文化を発達させる」としているのは、残念ながら著者の勉強不足としか言いようがありません。
 私は、この書評コーナーで何回も紹介していますが、江戸時代の農民は大一揆を全国的に何回も起こしており、それは政権交代を迫るものでもあったのです。まさか一揆を「暴動や内戦」ではないとしているということもないでしょうから、著者は間違っていると言わざるを得ません。残念至極です。
 たとえば、西南戦争そして勝った官軍側に起きた竹橋事件(騒動)を知れば、日本の民衆に権力への異議申立をする伝統が脈々と生き続けていることは明らかです。むしろ、最近の日本で少なくなっているだけだと私は思います。それだって、いつ再燃しないとも限りません。私が大学に入ったころ(もう40年以上前のことですが…)、「最近の学生はおとなし過ぎて、つまらん」とよく言われていました。しかし、その翌年から、全国的に大学紛争(学園闘争)の嵐が吹き荒れたのです。その後、再び沈静化して今日に至っているわけですが…。
 このような弱点はある本ですが、全体として、さすが検事総長として権力機構のトップに立つだけのことはあると思わせる視野の広さを感じさせます。
 
(2009年5月刊。760円+税)

律令期陵墓の成立と都城

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 今尾 文昭、 出版 青木書店
 私は、もちろん奈良に行ったことはありますが、そこに下ツ道、中ツ道などがあるというのは知りませんでしたし、ましてや、そこを歩いたことがありません。ぜひとも、近いうちにこの奈良の古道を歩いてみたいと思っています。
 藤原京の復元案について、1965年来の定説が、最近の発掘の成果として再検討されている。
 江戸時代、元禄期(1700年ころ)、京都所司代は、奈良奉行所を通じて奈良の村々に陵墓の探索を命じた。天皇陵の調査は、江戸時代から始まっていたわけですね。
 天皇(大王)の葬送儀礼は道路、それも交差点(チマタ)で行われることがあった。うひゃあ、そ、そうなんですか……。いわば、大きな広場における大々的な葬式ということなんでしょうね。
 7世紀から8世紀にかけて、八角墳がつくられた。これは、即位した大王や天皇が採用した墳形であったと考えられる。当時、優勢だった大豪族の蘇我氏が、積極的に採用していた大形方墳に代わるものとして新たに作り出されたのが、この八角墳ではなかったか。つまり、八角墳の出現は、この時期に大王が諸豪族に超越した地位を目ざしていたことと不可分の動きなのだ。
 なるほど、ですね。でも、私は、八角墳というものの存在を、この本を読むまで認識していませんでした。
高松塚の古墳の壁画は、中国南朝の塼画塼室の壁面構成の思想が6世紀に朝鮮半島の百済に伝わり、それが温存された後、唐の画風を日本で再現したものと考えられる。
 いやあ、古代日本って今の私たちが想像する以上に、国際交流が盛んだったのですね。著者は、天皇陵だとして宮内庁が厳重に管理して学者の発掘調査を許さないことを厳しく批判していますが、まったく同感です。
 天皇一族の祖先が朝鮮半島からの渡来者であることは間違いないものと私は考えています(それでいいじゃないですか。何にも問題なんてありませんよ……)。そのことが発掘調査で裏付けられたら困るというのが宮内庁の考えのようです。でも、そうだったら、それでいいと思うのです。日本だけが優秀な民族だなんていうのは、誤った狭い考えですよ。
 昔は、朝鮮半島そして中国大陸のほうが日本列島よりはるかに高度に文化が発達していたのは間違いないのですから。
 
(2008年5月刊。5500円+税)

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