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2011年、新聞・テレビ消滅

カテゴリー:社会

著者 佐々木 俊尚、 出版 文春新書
 ショッキングなタイトルの本です。ええっ、まさか……と思いましたが、テレビ記者に聞くと、テレビ業界に将来はないと思うので、真剣に転職を考えていると言います。小学生のころからテレビとともに育ってきた私ですが、大学に入ってからほとんどテレビは見なくなりました。今では、せいぜい週に30分間、野生動物の紹介番組を見るぐらい(それもビデオで)です。
 新聞を読む人々は年々激しい勢いで減り、雑誌は休刊のオンパレードだ。かつてみんなが見ていたテレビも、今では「下流の娯楽」「富裕層は見ない」と言われ、都会では人々の日常の話題にさえ上らなくなった。なぜ、そうなったのか?
 テレビは馬鹿しか見ない。あるいは、馬鹿になったときしか見ない。深い意味のない、人々の記憶や心に残らない番組を作ることこそ、「テレビ屋」としての誇りがある。うえーっ、なんだか逆説的ですね。
 アメリカを代表する高級紙、ニューヨークタイムズが、今や、破たんの一歩手前にある。日本のテレビ業界は、ちょうど3年遅れでアメリカの後を追っている。テレビの前に座っているのはネコだけ。それが視聴率の実態だ。
 テレビ番組の制作会社によると、年収400万円ほどの人たちが今のテレビを作っている。不景気のため、制作費がカットされている。テレビの制作会社の給料は、良くて年収500万円、ひどいところは300万円にしかならない。しかも、年をとっても給料は上がらない。40代も半ばになって、すっかりくたびれてしまった中年ディレクターが今のテレビを作っている。
 この本を読むと、新聞だけでなく、テレビもいずれ消え去ることは間違いないようです。
 テレビ業界の監督官庁である総務省は、2010年に情報通信法を制定して、2011年に施行を予定している。この法律は、テレビは放送法、電波やネットは電気通信事業法というように分かれているのを一本化した。
 テレビの成り立ちと現状、そして将来展望のなさをしっかり勉強することができる本です。
 28日(金)夜6時からアクロス福岡の国際会議場で、テレビ報道の現状を考えるシンポジウムがあります。高橋哲哉東大教授の講演のあと、パネルディスカッションがあります。前にもご紹介しましたが、ぜひ、ご参加ください。
 サンモリッツからポストバスに乗りました。一日一本だけ出る長距離バスです。途中イタリアに入国して、またスイスに戻り、ルガーノという駅まで4時間かけて走ります。
 サンモリッツを昼12時20分に帝国で出発しました。ゆったりした観光バスで、日本人は私たち夫婦だけ。ポストバスは事前に予約が必要です。バスの運転手が運転しながらガイドもしてくれるのですが、残念なことにドイツ語ですので、チンプンカンプンです。
 サンモリッツの湖を左手に見ていましたが、しばらく行くとまた湖があります。ヨットを浮かべている人もいます。遠くの山にはロープウェーがのぼっていて、山頂には白いものが見えます。万年雪なのでしょうか。
 さらに進んでいくと、バスは山を一気に下りて行きます。そうなんです。サンモリッツが涼しいのは、高い所にあるからなのでした。九十九折りの道をぐんぐん降りて行きます。ところが、そこを逆に自転車で登ってくる人たちがいるのです。すごいです。驚きます。
 ようやく、山のふもとの平坦な土地に出ました。小さな村の中をぬけます。青の洞門のような狭いトンネルをくぐり、村の広場に出ます。
 さらに進むと、イタリア領に入りますが、検問所の係員がパスポートを改めるのかと思うと、何もせず見送ります。
 バスはまだまだ山野中を降りて行き、やがて、キアヴェンナという駅に着きます。ここで、20分の休憩をとります。ここまででちょうど2時間、半分になりました。(続く)
(2009年7月刊。750円+税)

知将・毛利元就

カテゴリー:日本史(戦国)

著者 池 享、 出版 新日本出版社
 中世の日本社会は自力救済の社会だった。
 この指摘には改めて眼を開かせられる思いでした。なるほど、現代社会と違って、全国に通用する裁判所とか国家警察はなかったわけです。
 中世の社会には、人々の権利を守り、安全を保障する国家=公権力は存在しなかった。国家の大切な役割の一つに、裁判などを通じた紛争の解決があるが、中世は紛争を私的実力により解決する自力救済の社会だった。
 私人間の紛争の場合、民事訴訟で判決が下されても、裁許状と呼ばれる判決文が出されるだけで、その執行は当事者に任されていた。ただ、これは鎌倉時代の話で、南北朝室町時代になると、使節遵行(じゅんぎょう)といって、守護などが判決の執行にあたった。そこで、私戦と呼ばれる実力行使が盛んに行われていた。
 室町幕府は、私戦を取り締まるために「故戦防戦法」という法律を定めた。「故戦」とは、私戦を仕掛けること。「防戦」とは、それに応じることを意味する。
 「喧嘩両成敗」というのは、紛争の解決において私的実力を行使した者は、理由の如何に関わらず死刑に処すというもの。こうやって私戦を禁止し、紛争解決は大名の裁判に委ねさせようとした。こうやって喧嘩両成敗法は社会に受け入れられて、天下の大法として定着していった。
 秀吉は、「惣無事」を打ちだした。「惣無事」とは全面的平和という意味である。秀吉は、「惣無事」の名のもとに大名間の領土紛争に介入し、秀吉の裁定に従うよう命じた。これに応じない者は「征伐」の対象となった。これによって薩摩の島津氏は降伏を余儀なくされ、小田原の北条氏は滅亡に追い込まれた。
中世の一揆の特徴は、参加者が主従のような上下関係ではなく、対等な関係にあること。カラカサ連判状の意味は、そこにもあったのですね……。
 毛利元就は筆マメで、100通以上の自筆書状が残っている。これらの手紙からは、その被害者意識の強さ、執念深さが浮かび上がってくる。他人を信用しない猜疑心の強さが示されている。
 家督の決定が家老たちの合議で決まるというのは、当時、珍しいことではなかった。家臣の意向は無視できなかった。家老たちが家督後継者を決めるときに最大の判断基準としたのは、器量だった。器量とは、才能のこと。それは、地域の平和と秩序を維持する能力だった。
 守護と国人領主との間は、ゆるやかな双務的契約関係だった。だから、状況によって寝返るのは、それほど悪いこととは考えられていなかった。交渉のとき、「現形」(げんぎょう)という、今で言うと裏切りに近い意味の言葉が平気でつかわれていた。
 家来(けらい)と家臣とは少し違う。家臣は従者一般の意味だが、そのなかに家人と家来という区別があった。家人は、主人の家に従属し、主人と命運を共にする存在である。家来は、将軍の御家人のように独自の「家」をもつ自律的存在をさす言葉である。
 元就は、家中統制を目ざし、自律的家臣であった井上衆を誅罰した。時代の流れが、従来の方式での秩序維持を困難にしていたからである。
 このころ、押し買いの禁止というのがあった。押し買いとは、価格交渉の途中で、買い手の側が勝手に安値で買い取ろうとする行為のこと。新聞の「押し紙」を思い出しました。
 戦闘者としての武士身分にとって、合戦の持つ意味は、手柄を立てて恩賞、とりわけ領地を獲得すること。これがないと戦闘意欲が出てこない。この「ごほうび」があるべきところ、上様が怠ったときには、年寄中が上申した。
 毛利元就は、大名領国を作り出した。大名領国を統合することによって(複合国家)、全国統一政権支配が確立した。
 毛利元就が中国地方でのし上がっていく過程を実証的に知ることのできる面白い本でした。
 
(2009年2月刊。2000円+税)

ジャーナリズムの思想

カテゴリー:社会

著者 原 寿雄、 出版 岩波新書
 テレビは最初から「茶の間劇場」としてスタートしたメディアである。
 「現状」をそのまま報道しようとするテレビで、事象の本質を的確にとらえるのはずっとむずかしい。
 事件、事故の結果は、そのまま絵になるが、原因を映像にすることは至難の業である。現代世界の実相を映像の具象性でとらえることが出来ると考えるのは、幻想にすぎない。真実は具象的にはとらえられない。事象の意味は絵にならない。
 映像によりかかり過ぎる「映像至上主義」は、やはり批判されるべきだろう。
 テレビの潜在的可能性は、4~5割くらい未開発のままである。
 先進国で、日本ほど組織的自己検閲がされている国はない。
 選挙で棄権が多いのは、誰が選ばれても変わらないという安心感と絶望感が反映している。マスコミが「不偏不党」に縛られ過ぎ、政党や候補者の公約と実績を具体的に点検し、報道評論しようとしない消極的な態度も大きな要因だろう。
 政治家蔑視が政治蔑視を生み、アパシー(政治的無関心)を強める。その陰で、政治はひと握りの政治家たちの勝手な振る舞いを許してしまう。
 権力者の「大悪」より、か弱い市井の庶民の「小悪」に矛先が向きやすい。
 テレビの潜在的可能性は、たしかに高いと私も思うのですが、それにしても郵政民営化、政権交代と単純2分論をあおり立てる豪雨型の報道はいかがなものでしょうか……。
 前にも紹介しましたが、28日(金)6時から、天神のアクロス国際会議場で、著者もパネリストの一人として参加されるパネルディスカッションがあります。弁護士会主催のシンポジウムです。ぜひご参加ください。
 サンモリッツからベルニナ特急に乗りました。片道2時間半ほどの旅です。イタリアのティラノという町が終点で、そこで2時間半あまり昼食をとって休憩し、夕方5時過ぎにサンモリッツに戻ります。
 ベルニナ特急は、スイスの山岳地帯を走りますので、広々と空いた車窓からの眺めはまさに絶景です。遠くに氷河を眺めたり、大きなループ橋があったり、楽しい旅となります。
 このベルニナ特急で、2組の日本人夫妻と一緒になりました。
 行きに出会ったご夫妻は、ベルニナ特急のリピーターだそうで、途中下車して山歩きを楽しむということでした。
 帰りにご一緒した夫妻は千葉出身で、地元名物という堅くて美味しいおせんべいをいただきました。ベルニナ特急から見える山の頂付近を、パラグライダーが飛んでいましたが、ご夫妻も筑波山あたりでハングライダーを楽しんでいるとのことでした。
 ベルニナ特急のあとはパリに一週間ほど滞在する計画だそうで、私もそれくらいゆっくりしたいものだとうらやましく思ったことでした。
 デジカメとビデオを夫婦して撮っておられました。
 
(2007年7月刊。700円+税)

カラシニコフ銃 AK47の歴史

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 マイケル・ホッジズ、 出版 河出書房新社
 ロシアで開発されたAK47を「世界でもっとも愛された民衆の武器」と言っていいものかどうか、私には疑問ですし、ためらいがあります。いわゆる大量破壊兵器ではありませんが、大量殺戮兵器であることには間違いないからです。
 AK47の特徴は、ずば抜けた単純さにある。取り外しのできる部分は8つしかなく、つくるのにも安上がりで、使うのも簡単。あまりに簡単なので、大人だろうと子どもだろうと、非常に基礎的な訓練を受けただけで、毎分600発という膨大な弾丸を発射できるようになる。ほとんどどんな気象条件でも、ものの1分もあれば分解掃除ができる。どんな銃よりも故障が少ない。
 いま全世界に7000万挺のカラシニコフ(AK47)が存在し、使われている。実は、それよりさらに数百万挺が存在する。
 ロシア製の最新型カラシニコフは1挺500USドルする。ブルガリアでは、それが1挺100USドルで売っている。
ドイツの突撃ライフルとソ連のAK47は、外見こそよく似ているが内部はまったく異なっている。カラシニコフの発射メカニズムは、ドイツよりもアメリカに多くを負っていた。その発射メカニズムは、アメリカのMIライフルに似通っていた。カラシニコフがもっとも重要視したのは、簡単さと頑丈さだった。
 ベトナム戦争において、アメリカ軍兵士はM16よりAK47を好んで使った。だから、同士撃ちすることすらあった。
 1960年代を通じて、中国は数100万挺のカラシニコフを製造してベトナムに与え続けた。1970年代、パレスチナの戦闘的グループが、AK47をつかって、テロリズムを印象付けた。1980年代になると、アフリカなどで少年兵士がAK47をつかっていることが大々的に報道され、AK47のイメージがさらに歪められた。
 カラシニコフは、何百万もの人々に解放ではなく流血をもたらし、1990年代になると、絶望の叫びとなった。
 日本でもAK47が氾濫する時代が到来しないことを願うばかりです。
(2009年2月刊。1600円+税)

社長解任

カテゴリー:司法

著者 大塚 和成・寺田 昌弘、 出版 毎日新聞社
 株主パワーの衝撃、というサブタイトルのついた本です。経験豊富な中堅弁護士による実践を踏まえた解説ですので、面白く読めて大変勉強にもなりました。
 上場企業の社長が、いわゆるモノ言う株主からの圧力によって株主総会の決議でクビになる例が多発している。株主によって社長がクビになる時代が到来した。しかも、投資ファンド株主である。
 なぜ、そんなことが起こるのか?
①大幅な営業不振、②有効な対策を取らない、経営者としての能力の欠如、③株主軽視の姿勢。
 アデランス、シャルレ、すかいらーく、日本精密、テークスグループなどの実例が分析されています。
 株主構成が変化している。不特定多数の株主投資家の手に渡った。投資家の多くは、株式市場から利益(リターン)を挙げることを目的として投資している。だから、もちつもたれつ、お互いさま、という意識に乏しい。ファンド株主は、モノ言う株主である。
 結論として、買収防衛策やホワイトナイト、非上場化には一定の効用はあるものの、社長がクビになることを絶対に防げるわけではない。
 買収防衛策の本来的目的は、時間稼ぎと情報の引き出しにあり、効用もその点に限られる。
 議決権行使書面と委任状とでは、前後を問わず、常に委任状が有効である。
 金券と引き換えに委任状を得ようとする行為は、会社法に反する。会社法120条1項は、株式会社は、何人に対しても、株主の権利の行使に関し、財産上の利益の供与をしてはならないと規定している。
 うーん、ちっとも知りませんでした。少しだけ賢くなりました。
(2009年6月刊。952円+税)

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