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朝鮮王妃殺害と日本人

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:金 文子、出版社:高文研
 日清戦争のあと、1895年10月8日早朝、日本軍は突如として朝鮮王宮に乱入し、王妃を斬殺して死体を焼滅させた。
 この事件が世界各国から非難を浴びたため日本政府は8人の軍人と48人の非軍人を収監して取り調べたが、3ヶ月後、全員が無罪放免した。いやはや、ひどいものです。
 被害者の王后は明成皇后と呼ばれるが、日本では 閔妃(ミンピ)として知られている。
 1851年生まれの王妃は、まだ45歳であり、「女性として実に珍しい才のある、えらい人であった」(三浦梧楼)。事実上の朝鮮国王でもあった。
 ところが、この王妃がロシアと結んで日本に対抗する姿勢を見せていたため、日本政府は、これを力づくで除去し、親日政権の確立を目ざし、京城守備隊という日本の軍隊をつかって朝鮮王宮内のクーデターに見せかけようとした謀略事件である。
 この無法な殺害事件に星亨がかかわっていたというのに驚きました。星亨は弁護士でもあり、自由党員として自由民権運動にかかわっていたのですが、他国の自由民権運動を圧殺するのに狂奔していたとは、驚きです。
 星亨がこうなったのも、たび重なる選挙で無理をして、巨額の借金をかかえて破産状態になっていたからでした。それを見かねた陸奥宗光(外務大臣)が井上馨(朝鮮公使)外交機密費を流用して星亨を救済しようとしていたというのです。そして、事件後、星亨は駐米公使に任命されています。体よく日本を追放され、口を封じられたわけです。
 結局、この事件は、当時の大本営上席参謀川上操六と朝鮮公使の三浦梧楼が画策したものであることを本書は明らかにしています。
 そして、この事件を知った明治天皇の言葉が三浦梧楼の回顧録に紹介されています。
 「いや、お上(かみ)は、あの事件をお耳に入れたとき、やるときにはやるな、というお言葉であった」
 こうなると、明治天皇の意向を受けて隣国の皇后を日本軍が惨殺したと言っても過言ではないことになります。
 このような重大な恥部を日本政府は隠し通してきました。もちろん、許されることではありません。過去を真正面から見つめることは、決して自虐史観というものではありません。
 よくぞ調べていただきました。著者に感謝します。
(2009年2月刊。2800円+税)

自民崩壊の300日

カテゴリー:社会

著者 読売新聞政治部、 出版 新潮社
 私は戦後ながく続いた自民党政治が消え去ったことを心から喜んでいます。金権腐敗、汚職まみれの大型公共土木工事優先で福祉切り捨て、そして憲法改正とアメリカ追随。こんな自民党政治のイメージに、うんざりしていました。どうして日本人はもっと怒らないのだろうかと不思議でなりませんでした。
 その自民党政治に終止符を打った今回の総選挙は、民主党政権への期待というより、国民の積年の怒りがついに形になってあらわれたものと考えています。
 この本は、自民党政権が崩壊していった300日間をたどっています。別に目新しいことが書かれているわけではありませんが、ともかく、同じ日本人であることにこちらが恥ずかしくなるような人物が日本国の首相でありつづけたこと、そんな政治はやっぱり長続きしないことが改めてよく分かる本です。
 麻生政権の後半は、麻生太郎首相の「盟友」を自称する面々が、次々と麻生のもとを離れていく展開となった。ある者は自滅し、そしてある者は麻生に失望して……。
 麻生が権力の座に近づきはじめたころから、急速に麻生の「側近」然とする取り巻きが増え始めた。もともと自民党内でも弱小派しか率いることのできなかった麻生が、急に人望を集めたわけではない。幸運なめぐり合わせで麻生が首相のイスに座ることができたのは、党内で敵の多かった麻生を見捨てず、支えてきた古くからの友人の存在があったから。しかし、麻生は彼らの助言よりも、にわかに麻生にすり寄って甘言をささやく「盟友」の言葉を信じ、政局判断を誤り、決断の機会を逃していった。麻生は、宰相としての日々を「どす黒い孤独に耐える日々」だと言ったが、麻生を利用することばかり考える「側近」が麻生政権を蝕み、麻生をいよいよ孤立させていった。
 そうなんですよね。私は今回の自民党政権打倒の最大の功労者は、麻生首相その人だと考えています。なぜなら、麻生政権誕生と同時に解散・総選挙が行われていたら、今回のような民主党圧勝という選挙結果になったはずはないからです。麻生首相が、もう少しテコ入れしたら、もう少し支持を回復できると解散を先送りしていってくれたことが、結果として重大な判断の誤りにつながったと思うのです。
 自民党の役割について、加藤紘一元幹事長は、冷戦時代の東アジアで共産勢力の拡張を防ぐ西側の橋頭堡としての役割があったが、冷戦終結とともにその使命は終わったと分析している。
 KY首相。空気が読めない。漢字が読めない。解散も読めない。経済も読めない。国民感情も読めない。
 本当に最低最悪の首相でしたが、政権交代の促進役として偉大な功績があります。なにより、日本国民に投票によって政治が変わることを実感させてくれたことの意義は、特筆すべきだと思います。
 
(2009年10月刊。1400円+税)

キャパになれなかったカメラマン(上)

カテゴリー:アジア

著者 平敷 安常、 出版 講談社
 ベトナム戦争が激しくたたかれていたころ、アメリカ軍と一緒に戦場カメラマンとして駆け回っていた人の体験記です。よくぞ死ななかったものだと思いました。戦場では常に死と隣り合わせだったのですね。そして、その戦争の不条理さが戦場の硝煙ととともにひしひしと伝わってきます。
 いま考えて、ベトナムの地へアメリカ軍が出かけて行って、「ベトコン」と戦い、5万人以上ものアメリカの青年が戦死したことにどんな意味があったというのでしょうか。亡くなられたベトナム人民とアメリカの青年にはまことに申し訳ありませんが、まことに壮大なゼロとしか言いようがありません。すべてはアメリカの支配層の間違った判断によるものだと私は確信しています。
 真面目に間違うと恐ろしい結果をもたらすという典型が、このアメリカによるベトナム侵略戦争だったと思います。いままた、同じ間違いをアメリカは、イラクそしてアフガニスタンで起こしています。アメリカが最終的に勝利するはずがありません。イラクだって、アメリカ兵が撤退したところにやっと平和が訪れているというではありませんか。
 ジャングルの中の行進のとき。小休止したときに、塩の粒を2つ、口に含んで水と一緒に飲む。これは、熱さにやられたり日射病にかかりそうになったときに飲むと効果がある。米粒の2倍くらいの大きさの塩の粒が、50個ほど詰まった小瓶が売られている。
 熱いベトナムでは水を飲み出したらきりがない。少々の水では喉の渇きは止まらないので、なるべく飲まないようにした。水より熱いお茶のほうが、喉の渇きに良い。
 前線で兵士にものをねだるのはタブーで、絶対にしてはいけないことの一つ。食べ物や水、煙草もねだってはいけない。ただし、煙草はくれたらもらって一緒に吸ってもいいらしい。そして、ジャングルの戦場に出かけるとき、食料持参を忘れて、丸1日半、水だけで頑張った。こんなに酷く腹を空かせた経験はなかった。兵士たちが食事をする光景を見なくて済むように、目を閉じて居眠りするふりをしていた。しかし、実に難しかった。そんなとき、黒人兵士が缶詰を一缶、分けてくれた。そこで、記者と2人で一缶にみたない中身を分けて食べた。
 飢餓状態にある著者たちに十分な量ではなかった。しかし、不思議なことに、あれほど強烈に襲っていた飢餓感が消えていた。前夜からこの日昼まで続いた、狂おしいまでの食べ物への欲望がどこかへ消えてしまった。この経験のあとは、何を食べても文句は言わなくなった。
 1968年当時、ベトナムには50万人ものアメリカ兵がいて、多いときには週に500人も戦死していた。うへーっ、ウソでしょ、と言いたくなる数字です。
 この本に登場してくるジャーナリストの多くが「戦死」しています。戦場でたたかう兵士を密着取材するのです。その数字が写真で紹介されていますが、大きなテレビカメラをかかえて現場で取材している様子は、こりゃあ大変だと思わせます。改めて、ベトナム戦争の実相を知り、その意味のなさに怒りすら感じてしまいました。多くのベトナムの人々、そしてアメリカの青年が無残に殺されてしまいました。人命をあまりにも粗末にした戦争でした。
 松山に行ってきました。坊ちゃんとマドンナの町ですが、今やすっかり『坂の上の雲』の街になってしまいました。ただ、市長さんの挨拶のなかではNHKテレビがこの11月末から3年間にわたって放映されるけど、それが決まる前、10年前から市として取り組んできたとのことです。
 松山城に登ってみました。先日は和歌山城によりましたが、同じ平山城です。松山常の天守閣から見た松山市街のほうが和歌山市がいより大きい気がしたのは気のせいでしょうか。
 弁護士業務改革シンポに、一度もエスケープすることなく朝から晩までずっと参加していました。珍しいことですが、それにはわけがあります。私の事務所も法人化して支店展開しようとしているからです。「共同事務所経営のノウハウを探る」というテーマでは聞き逃すわけにはいきません。共同の目標になるものを書面にしておく必要があるなど、いろいろ本当に勉強になりました。
 他の分科会の報告を聞くと、日本の判例は0.32%しか公開されていないとのこと。外国では100%公開なのに対して、あまりに立ち遅れており、これでは憲法に定めた「裁判の公開」が鳴くとの指摘があって、なるほどと思いました。すべての判決が公開されると、裁判官の評価もさらに具体的に議論できることでしょう。直ちに改められるべきものです。
 
(2009年6月刊。2400円+税)

イルカ

カテゴリー:生物

著者:村山 司、出版社:中公新書
 イルカという名称は生物学・分類学上の正式なものではなく、あくまでも便宜的な呼び名に過ぎない。
 口のなかにヒゲ板があるのがクジラ、口のなかに歯があり、からだの小さいのがイルカである。
 イルカはクジラと違って、それほど大きな回遊はしない。
いったん陸に上がった動物のなかで、イルカやクジラの祖先は今から6500万年前に再び海に戻っていった。それは、大規模な地殻変動によって陸地が動き、その結果、イルカやクジラの祖先は海に追いやられたからだという有力な学説もある。
 イルカは弾力的な皮膚をもっているため、渦流が生じず、抵抗が少ない。イルカの皮膚は、2時間ごとに垢となって落ちていく。これも余分は抵抗を減らすのに有効なのだろう。
 イルカやクジラには、胃が4つある。体温は37度ほど。
 イルカの胸ビレのなかには、5本の指の骨が今も存在する。
 イルカは数分間、呼吸しなくても平気。時速30キロで泳げる。イルカは水中で呼吸しない。急な潜りと浮上をくり返しても、潜水病に苦しむことはない。イルカの肺は非常に強く、肺胞がつぶれても肺自体が破裂することはない。肋骨も間接が柔らかいため、折れることはない。
イルカは海水を直接のむことはしない。餌のなかにふくまれる脂肪を分解するときにつくり出される水を利用する。
 イルカは半球ずつ眠る半球睡眠をしている。
 イルカの子育てはメスだけがする。そして集団で行う。集団のなかで、子イルカを群れの真ん中に位置させ、敵から子どもを守る。ゾウに似ている。そして、乳母役のイルカがいる。母親のほかに、出産経験のあるメスや年配メスのイルカが子イルカの面倒をみる。
 イルカは優れた聴覚をもっている。イルカはホイッスルを用いて、お互いに交信している。そして、イルカは人間と遊ぶことが大好きである。
 イルカのことがとても分かりやすく紹介されている本でした。
 天草ではイルカがたくさん泳いでいるのを見れるようです。ぜひ行ってみたいと思います。
 和歌山の白浜温泉では、バブルの象徴ともいうべき「ホテルK」を実見してきました。ともかくすごい。想像を絶する豪華さです。マダガスカルと南アフリカにしか生えていないバオバブの木の一木彫りの大きな扉が南紀白浜にあるだなんて、信じられません。
 門をはいると、貴族の十蛇の服装をしたボーイさんが2人出迎えてくれます。エントランスから建物に入ると、広い広いホールです。高くて見上げると首が痛くなる天井は、金箔がはられています。大きくて太いエンタシスの柱は、いかにも高価そうな大理石です。
 一泊50万円の部屋を見学させていただきました。一体誰が泊まるのか、不思議でなりませんでしたが、それでも、泊まる人はいるようです。といっても、楽天で予約すると、かなり割安で予約できるということです。確かに白浜の海に面した部屋で、気持よく過ごすのもいいかもしれません。
 大阪の佐伯照道弁護士の『なぜ弁護士は嘘を見破れるのか』に紹介されているホテルです。こちらの本も読んでみてください。勉強になります。
(2009年8月刊。740円+税)

蘭陵王

カテゴリー:中国

著者:田中芳樹、出版社:文藝春秋
 時代は中国の6世紀後半、南北朝のころです。随が中国を統一する少し前のことになります。
 中国の歴史書である『資治通鑑』に「北斉の蘭陵王・長恭(ちょうきょう)は、才たけくして、貌(かんばせ)美しく、常に仮面をつけ、もって敵に対す」とあることをもとにした小説です。
 同じく中国の歴史小説を得意とする宮城谷昌光と似てはいますが、文体が少し異なります。何がどう違うのか、私の貧弱な言葉では言い表しにくいのですが、宮城谷昌光のほうが一日の長があって話の深みが優っている気がします。かといって、著者の本がダメということでは決してありません。よくぞここまで調べあげ、また、想像力をたくましくしたものだと感心しながら読みすすめました。
 「蘭陵王」というのは日本でも広く知られていて、古典的な舞楽として、国立劇場で上演されているとのことです。恥ずかしながら、私は知りませんでした。
 勇壮華麗で人気の高い作品なんだそうです。知っている人には申し訳ありません。
  蘭陵王は実在の人物であり、『アジア歴史事典』にも登場する。「蘭陵王高長恭、中国は北斉の皇族。文襄帝の第4子。容貌は柔和であったが、精神は勇敢で、武成帝、後主のもとで、しばしば戦功をたてた。北周の軍が洛陽を攻囲したとき、大将軍斛律光とともにこれを救い、邙山で激戦し、500騎を率いて2度までも北周軍に突入して、ついに金墉の城壁下に達したが、城上の斉兵は高長恭であることを知らず、彼は甲を脱いで顔を示し、城中に迎え入れられた。こうして周軍は囲みをといて退走したので、北斉の将士らは、蘭陵王入陣楽なるものを作って、その勇武を歌った。
 戦功により世の威望高く、ために後主の嫌疑を受け、ついに毒薬を賜り、没した」
 この本には、皇帝が疑心暗鬼となっていて、武勲大なる功臣を次々に謀殺していく情景が描かれています。きのうまで栄華の席にあった皇族や功臣が、たちまち逆賊として殺害されていったのでした。まことに封建主義、皇帝独裁制というのは怖いものです。
 著者は熊本県生まれで、私より少しだけ年下です。これまでも中国史関連の本をたくさん書いているようですが、私は初めて読むような気がします。
(2009年9月刊。1500円+税)

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