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若者と貧困

カテゴリー:社会

著者 湯浅 誠・富樫 匡孝ほか、 出版 明石書店
 年末年始の日比谷公園での「年越し派遣村」は、今の日本に貧困が誰の目にも見える形で存在することを強く印象づけました。
 ところが、このとき、派遣切りにあった若者だけでなく、前からいるホームレスまで対象としたことについて文句を言った人がいたのだそうです。なんと了見の狭い人でしょうか。ホームレスは自己責任の問題であって、単に努力の足りない連中が好きでやっているのだという、冷めた見方をする人が意外に多いような気がします。
 後期高齢者医療制度も同じです。
ターゲットになった75歳以上の人たちは、早めに死ねというのかと反発し、政府の意図を敏感に感じ取る。しかし、対象以外の人々は、他人事(ひとごと)としか思わず、かえって、対象者層が反発するのを見て、被害妄想・わがまま・身勝手とうつる。誰でも、結局は後期高齢者になるわけですが、そこまで思いが至らないのですよね。
 高いリスクを背負った若者を大量に生産し続けると、いずれはそうした感覚を持つ30代、40代を増やしつづけることになる。結局、それは社会統合、国民統合の基盤を掘り崩すことにほかならない。いや、実は、すでにかなり掘り崩してしまっている。いやはや、実にそうですね、としか言いようがありません。
 一人息子が親からの自立を図るときに母親に言ったコトバを紹介します。
「ぼくとあなたは、今後は他人だ。たとえぼくが野たれ死んでも、関知しなくて良い。たとえあなたが死んでも、ぼくに知らせてくれる必要はない。いままで、ありがとう」
 むむむ、これって、実に悲しい、寒々としたコトバですよね。
 親にできうる最大のことは、求められない限りはできるだけ、手も口も出さずに、肯定的に見守ることではないか。
 干渉を受け、守られる状態から、見守られながら自分で挑戦をし、段階的に自分のやり方、信念、アイデンティティを見つけていく。それが大人になるということではないか。
 いまは「もやい」にお世話になっている若者が、ホームレスになるまでの過程を紹介しています。それを読むと、家庭がよりどころとならず、学校からも社会からも受け入れてもらえないとき、ホームレスへの道しかないということが実感として伝わってきます。
 日本の社会ってそれほど冷たいものなんですね……。
 派遣切りにあったとき、不正受給を防止するという大義名分から、失業保険をすぐに受給できないことが問題とされています。なるほど、そうですよね。失業したときに備えて掛け金を支払っていても、いざ本当に失業してもすぐにはもらえない失業保険制度って、仕組みそのものが間違っている気がしてなりません。ヨーロッパでは、失業保険を1年も2年ももらえ、その間にきちんとした職業訓練をじっくり受けられるといいます。日本も、本当に若者を大切にするのなら、そのように改めるべきです。
 ゼロゼロ物件、貧困ビジネスのしくみをやっと理解しました。ここでは、通常の賃貸借契約ではないのですね。施設付き鍵利用契約というのだそうです。貸借権はないから、居住権や営業権は発生しないと契約書に明記されているとのこと。鍵を貸しているということは、ホテルみたいなもので、家賃を一日でも遅れると、部屋はロックアウトされる。鍵が変えられているから入れない。入るためには、再契約料3万円を別に支払わなければいけない。
 うへーっ、すごいことですね。
 その後、1年間の定期借家契約に切り替えられたとのこと。「頭の良い人」はいるものです。でも、貧困者を食い物にするビジネスって、暴力団と同じですよね。
 東京で、首都圏青年ユニオンががんばっています。ユニオンって何かというと、要するに労働組合のことです。でも、ネーミングから変えないと若者が近寄らないわけです。そして、会議や集会のときにはまずみんな食事することからはじめるというのです。
 一人暮らしをしている組合員も少なくなく、みんなで料理をし、食事をすることが喜びになる。若者に居場所を提供することからユニオンは始めるわけです。
 若者とは、不安や戸惑いに翻弄されながらも、これから始まる人生をいかようにも形造ることができる希望にみちた存在である。
 これが、これまで長い間の若者のイメージだった。しかし、今は違う。仕事が切られるとともに住む場所を奪われて、路上に放り出される存在が今の若者の現実である。
 うひょー、そ、そうなんですね……。
 しっかり、現実の若者と向き合って考えて行くしかありません。
 「派遣村」の村長だった湯浅誠さんが、このたび内閣府参与として政府のなかに入って活動されています。大いに期待しています。皮肉ではありません。本心です。
 庭仕事に精を出しています。庭がすっきりするのが楽しみです。球根から芽がぐんぐん伸びています。いつものことながら、水仙が一番伸びが早いですね。
(2009年2月刊。1600円+税)

事実の治癒力

カテゴリー:司法

著者 神谷 信行、 出版 金剛出版
 大変勉強になりました。こんないい本に出会うと、心も清められる気がします。もう一度、初心に返って真面目に事件に取り組んでみようという気になりました。いえ、今でもそれなりに真面目に真剣にはやっているつもりなんです……。誤解されないようにお願いします。
 この本には弁護士会館の地下書店で出会いました。私は弁護士の書いた本はつとめて読むようにしています。といっても、法律注釈書でしたら全文通読することなんて絶対にありません。必要なところを拾い読みするだけです。でも、この手の本や随想、弁護士の体験記などは全文通して読みます。すると、いつも大いに得るものがあるのです。
 私が本を探すのは、基本は新聞の書評です。しかし、つとめて書店の店頭にも足を運びます。そうすると、本のタイトルが光っていることがあるのです。私の本を読んで、読まないと損するよ、読んだらきっといいことがあるよ、そんなメッセージが伝わって来ます。そこで手に取ってパラパラとページをめくってみるのです。すると、たいていは当たります。この本が、まさにあたりの本でした。
 離婚や子の親権が争われる事案において、弁護士が依頼者と「共依存」し、互いの「影」(ユングのいう、生きてこなかった半面の自分。日頃は隠している自分の否定的部分)を共有し、その影を相手方当事者や代理人に「投影」させて攻撃しているとみられるケースが少なくない。
その弁護士は闘争的な態度をとったが、その中に、その弁護士自身の「影」があらわれている。弁護士の数が幾何級数的に増加しているなかで、依頼者と「影の共有」に陥る弁護士が多く生まれることを私はひそかに恐れている。
 カウンセラーには「スーパーバイズ」のシステムがあり、自分の担当しているケースをスーパーバイザーに語るなかで、自分とクライアントとの関係を客観視するプロセスがある。クライアントとの「影の共有」に陥っていると、そのことをスーパーバイザーが指摘する。
 なーるほどなるほど、なんだか思い当たる節のある若手弁護士にあたったことがあります。むやみに戦闘的にくってかかってきて、私の証人尋問について「異議」を乱発するのです。どちらにも言い分のある一般事件でしたので、私は面喰ってしまいました。
 多動な子は「身体」の面だけでなく、「観念の多動」といって、物事を考えるときにも同じことを何度も繰り返し考えたり、考えも目まぐるしく動くことがある。教示を受けて、拘置所で脅迫的とも言えるような深刻な反省の弁を繰り返し口にしたり、手紙に書いてきたりするのは、「観念の多動」のあらわれてあり、内省の変化を示すものではない。
 ふむふむ、そういうことなんですか……。
 日常生活の中で傷を負った子どもたちは、やっぱり暮らしの中で少しずついやしていくのが一番無理がなくていい。
 一緒に暮らすなかで、子ども自身が見失いかけている自尊心、棄てかけている自尊心にノックしつづけることでもある。
 厳罰主義を唱える人は、一見すると被害者に同情する正義の人とみられがちだ。しかし、その内実は、次の被害者の再生産に無意識に加担している。
 被害者の保護は充実させていかなければならない。しかし、社会に戻った元加害者が立ち直る道もまた確保されなければならない。被害者保護と元加害者の更生は、二律背反のものではなく、双方同時に実現されなければならない。
 なるほどですね。でも、これって口で言うほど簡単なことではないでしょうね。
 虐待被害を受けた子どもは、自分の体験を他人事(ひとごと)のように淡々と話すことが多い。その感情をともなわない語り口に接すると、「本当に虐待を受けたのだろうか」という疑問を抱くことさえある。しかしこれは虐待被害の痛みを解離させ、自分を守っていることによるもので、淡々とした口調の奥にあるものを聞きとらなくてはならない。
 少年Aの治療にかかわった医療少年院のスタッフの話も紹介されています。なるほどなるほどと思いました。人間の罪の深さと同時に、人間は変わることができること、しかしそのためには並々ならぬ努力の積み重ねが必要であることがひしひしと伝わって来ます。
 治療教育の目標は、信じることの回復にある。この作業に携わる人は次の3つの心得を無条件で受け入れられる人でなければならない。それを納得できない人は、矯正の仕事に関わってはならない。
 第一、人は誰でも学んで変わる可能性を持っている。
 第二、人はその信頼するものからのみ学ぶことができる。
 第三、人は誰かに気にかけてもらっており、期待されており、大切に思われているという実感がないと安定していられないものである。
 ふむふむ確かに、そのとおりだろうというものばかりです。
 私も山本周五郎の本は本当に読みふけったものです。著者は、その山本周五郎の本には読むべき順序があるといいます。『さぶ』『樅の木は残った』『虚空遍歴』『小説日本婦道記』『青べか物語』『季節のない街』『赤ひげ診療譚』です。この順番には意味があるそうです。そう言われると、もう一度、私も読んでみましょう。
 人間の洞察力に富む、とてもいい本だと感嘆しました。
 木曜日の東京はよく晴れていました。日比谷公園に足を踏み入れると、なんとまだコスモス畑がありました。ほんわかした気分になります。ただ、官庁街に近い通路を歩いて行くと、立ち入り禁止のロープのはられていない空き地にダンボールハウスを2つ発見してしまいました。今年は日比谷公園での「年越し派遣村」の再現はないようにしようと政府は考え、ハローワークで受け付けるようです。でも、これだけ不況が深刻化し、大企業がどんどんリストラ・派遣切りをしている状況では、本当に心配です。
 弁護士会館に近い出入口のあたりに、噴水が勢いよく吹き上げる池があります。モミジが見事です。銀杏の黄色とすっきりした青空とによく映えていました。
 夕方、会議を抜け出すと、もう空高く半月が見えました。まだ4時40分です。福岡より30分以上は暗くなるのが早いですね。
 
(2008年3月刊。2800円+税)

捜査官

カテゴリー:警察

著者 本浦 広海、 出版 講談社
 退職した警察官が再就職する先として、警備保障業界はその代表である。警備保障業の所轄官庁が警察庁なのだから、これは腐れ縁としか言いようがない。どこの省庁でも裏事情は変わらず、自分たちが所管する企業に天下っていく。
警備保障業界と警察組織の間では、現場の警察官が再就職しやすい仕組みも作られている。その例が「指導教育責任者資格」だ。警備業法により、警備保障会社の各事業所内には、その資格を持つ者を置くことが義務付けられている。
 この資格を獲得するには、現場での経験年数が決められており、警察官経験者ならそれを簡単にクリアできる。
 なーるほど、よくできた仕組みですね。さすがに知恵者がいるものです。
 原子力発電所をめぐる紛争を舞台にした警察小説です。ええっ、こんなことあり、かな・・・・・・と思うところもあります。推理小説の類なので、これ以上の筋の紹介は控えておきます。
 原発を推進する側の企業(福岡で言うと九電のような立場にある企業です)が、反対運動のなかにスパイを潜りこませているというのは、まさしく現実のものだろうと思いました。大企業は手段を選ばないのですから……。
 そして、暴力団は地元住民の反対運動を暴力的に圧殺しようとします。もちろん、簡単にうまくいくわけではありません。
 それにしても、かつての過激派活動家が、今や原発推進の側にいて立派な接待を受けているとは……。団塊世代の悪しき変身ぶりを反映したストーリーになっています。同じ世代としては残念でなりません。
(2009年9月刊。1500円+税)

建具職人の干太郎

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:岩崎京子、出版社:くもん出版
 江戸時代、子どもたちは幼いころから家を出されて見習い丁稚(でっち)として奉公させられていました。
 主人公の干太郎は、わずか7歳で建具屋に奉公に出されたのです。友だちと遊んでいたいさかりなのに、学校(寺子屋)に行くこともなく、親の勝手から泣く泣く建具職人への道を歩みはじめるのです。
 干太郎は先に奉公にきている姉に叱咤激励され、家に帰ることもかなわないまま、建具屋での奉公を続けざるをえません。帰るべき実家に親はいても、そこでは満足にメシを食べさせてもらいないのですから、仕方ないのです。
 丁稚小僧(でっちこぞう)というのは今ではまったく聞きませんが、私の幼いころ(小学生のころ)、親が脱サラして小売酒店を始めたとき、住み込みの姉さんがいました(長続きはしませんでしたが・・・)。また、定時制高校に通う人が住み込みではありませんでしたが、丁稚のようにして店で働いていました。配達・集金など、よく働いていて、私たち子どもの面倒も見てくれていました。昔は住み込みで働くということが、どこでもあたりまえのようにありました。そこで難しい人間関係を乗り切りつつ、腕(技術)を身につけていくわけです。なかなか大変なことだと思いますが、丁稚小僧というのはすごく身近な存在でした。今ではあまり見かけないように思いますが、どうなのでしょうか。たとえば、海苔作業のため、そのシーズンになると長崎の五島列島から大勢の男女が出稼ぎに来て、泊まり込んでいたと聞きます。一台何千万もする全自動の海苔機械が出来てからはみかけなくなった光景です。
 この本は児童文学書として、その7歳で丁稚小僧になった干太郎の身になって物語が展開していきますので、職人の大変さもよく分かります。
 こんな職業教育も必要なのでしょうね、きっと・・・。
 そして、あとがきに、小説ではあるけれど、19世紀はじめころに実在した建具職人の記録をもとにしたと書かれています。作家の想像力と取材とは大したものです。
(2009年6月刊。1300円+税)

朝鮮王妃殺害と日本人

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:金 文子、出版社:高文研
 日清戦争のあと、1895年10月8日早朝、日本軍は突如として朝鮮王宮に乱入し、王妃を斬殺して死体を焼滅させた。
 この事件が世界各国から非難を浴びたため日本政府は8人の軍人と48人の非軍人を収監して取り調べたが、3ヶ月後、全員が無罪放免した。いやはや、ひどいものです。
 被害者の王后は明成皇后と呼ばれるが、日本では 閔妃(ミンピ)として知られている。
 1851年生まれの王妃は、まだ45歳であり、「女性として実に珍しい才のある、えらい人であった」(三浦梧楼)。事実上の朝鮮国王でもあった。
 ところが、この王妃がロシアと結んで日本に対抗する姿勢を見せていたため、日本政府は、これを力づくで除去し、親日政権の確立を目ざし、京城守備隊という日本の軍隊をつかって朝鮮王宮内のクーデターに見せかけようとした謀略事件である。
 この無法な殺害事件に星亨がかかわっていたというのに驚きました。星亨は弁護士でもあり、自由党員として自由民権運動にかかわっていたのですが、他国の自由民権運動を圧殺するのに狂奔していたとは、驚きです。
 星亨がこうなったのも、たび重なる選挙で無理をして、巨額の借金をかかえて破産状態になっていたからでした。それを見かねた陸奥宗光(外務大臣)が井上馨(朝鮮公使)外交機密費を流用して星亨を救済しようとしていたというのです。そして、事件後、星亨は駐米公使に任命されています。体よく日本を追放され、口を封じられたわけです。
 結局、この事件は、当時の大本営上席参謀川上操六と朝鮮公使の三浦梧楼が画策したものであることを本書は明らかにしています。
 そして、この事件を知った明治天皇の言葉が三浦梧楼の回顧録に紹介されています。
 「いや、お上(かみ)は、あの事件をお耳に入れたとき、やるときにはやるな、というお言葉であった」
 こうなると、明治天皇の意向を受けて隣国の皇后を日本軍が惨殺したと言っても過言ではないことになります。
 このような重大な恥部を日本政府は隠し通してきました。もちろん、許されることではありません。過去を真正面から見つめることは、決して自虐史観というものではありません。
 よくぞ調べていただきました。著者に感謝します。
(2009年2月刊。2800円+税)

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