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アメリカの眩暈(めまい)

カテゴリー:アメリカ

著者 ベルナール・アンリ・レヴィ、 出版 早川書房
 私と同世代のフランス人哲学者がアメリカを駆け巡って考察した本です。200年前にもフランスのトクヴィルが同じようなことをしました。
 今回はアメリカを車で2万5000キロも移動しながら見聞したのでした。売春宿も刑務所も訪れています。しかし、ウォールストリートもシリコンバレーも見ていないじゃないか、と批判されています。
 ケネディ神話は、もはや神話ではない。ジャッキーとの幸福な家庭生活の光景は、宣伝用につくられたイメージだった。日焼けした若きヒーローが、実はテストステロン剤(男性ホルモン剤)とコーチゾン剤(副腎皮質ホルモン治療剤)を常用する重病人で、そのバイタリティあふれる外観はまやかしだった。
 イラクの平和化を先導するはずのアメリカ軍は、平凡で素人っぽく、装備も悪く、訓練もきちんとされていない。イラク派遣部隊は、半分は星条旗の下で参戦すれば帰化手続きが早まるのを見込んだ非アメリカ人で構成されている。もっとも難しい任務、たとえば政府施設やアメリカ大使館の警護は、民間警備会社が雇った傭兵がしている。これで本当に近代の帝国軍隊なのか……?
 奇妙な転移現象がみられる。伝統的な生産活動の大半が第三国に移転されている。銀行、政府、企業、つまり国の年金や健康保険など原則的に支配国家のものであるはずのものが、巨額の対外債務に依存している。これ自体が原則として被支配国家の経済、とくに、インド、ロシア、日本、中国の資本によって資金を供給されている。
 アメリカには、公式に3700万人の貧困者がいるにもかかわらず、アメリカ国民は自らを「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を運命づけられた巨大な中流階級と思い続けている。
アメリカの浮浪者は、退去命令に従うとか逃げる手立てさえないので、町の廃墟に閉じ込められている。
アメリカの真実を、フランスの哲学者が鋭く暴いています。
(2006年12月刊。1600円+税)

関ヶ原前夜

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 光成 準治、 出版 NHKブックス
 関ヶ原合戦については、二項対立的にとらえられてきた。たとえば、北政所派に対する淀殿派。また、武功派に対する吏僚派など。しかし、北政所と淀殿は実際には連携していた。さらに、武功派と吏僚派という単純な対立図式は成り立たない。
 実際には、これらの対立軸は複雑に絡み合い、また、血縁・姻戚関係や地理的要因にも左右され、諸大名は自らの進退を決した。うーん、たしかにそうなんだと思います。
 前田利家が死去した直後、石田三成は加藤清正や福島正則たち七将に襲われ、伏見にあった家康邸に逃げ込んだ、という見解は誤りであって、三成は伏見城内にあった自邸(曲輪)に入った。この点は、たしかに実証されています。
 毛利輝元は、西軍の総大将格に祭り上げられたが、積極的に戦闘には参加しなかったという通説見解にも疑問がある。むしろ輝元は、あらかじめ奉行衆や安国寺と決起のタイミングについて打合せ、諸準備を整えたうえで、上坂要請という大義名分を得て迅速に行動した。
 毛利軍は、最前線に兵力を投入することには消極的だが、それ以外の東軍参加大名の所領を侵食することには積極的だった。関ヶ原合戦のとき、輝元は、岐阜城の落城や伊勢や大津での苦戦、家康の西上に不安を感じていただろうが、他方、石田三成との絆も完全に崩壊はしていない。また、西軍の総大将格としての矜持も失っていない。そこで、吉川広家ルートによって万一、西軍が敗戦したときの自己保身を図る一方、南宮山の布陣は削がず、西軍有利と見れば下山して東軍を叩きつぶす。弱気と強気の交錯した感情のなかで、輝元は、どちらにも対応できる策をとったものと思われる。
 さまざまな思惑謀略の渦巻く中、関ヶ原は戦場と化していった。
 なーるほど、日和見というか、毛利輝元のずる賢さというか…ですね。
 毛利輝元は、大坂の陣に際し、表面的には家康に従い、豊臣秀頼攻撃軍に兵を送る一方で、毛利元就の曾孫にあたる内藤元盛を佐野道可と改名させたうえで、兵を与えて大坂城に送りこんだ。秀頼軍は秀頼の直臣ほかは、関ヶ原合戦後に浪人となった者で構成されており、佐野道可のように主君の密命を帯びて秀頼に加担した例は他にない。
 このように、毛利輝元の人物像は、非常に野心に満ちたものといえる。
 関ヶ原合戦で、仮に西軍が勝ったとしても、秀吉が健在だったころの豊臣家を唯一の武家頂点とする国家体制が復活したとは考えられない。西の毛利、北の上杉に加え、宇喜多や島津、佐竹などが地域国家として分立し、形式上の最高指導者である秀頼の下、石田三成ら豊臣奉行人と地域国家指導者との合議によって、日本全体の国家を運営していくという複合国家体制が成立していたであろう。
 なーるほど、そうなんでしょうね……。
 私は関ヶ原の古戦場跡には2回行ったことがあります。徳川家康は決して自信満々で関ヶ原決戦にのぞんだのではないことを知って、現場で感慨を深くしました。知れば知るほど歴史は面白くなります。
 
(2009年7月刊。1160円+税)

現代の傭兵たち

カテゴリー:アメリカ

著者 ロバート・ヤング・ペルトン、 出版 原書房
 イラクで2006年春までに死亡した民間軍事要員は314人と発表されている。しかし、民間軍事要員の死亡がすべて報道されているわけではない。アメリカ政府もイラク政府も、死亡した民間軍事要員の数を公式に数えていない。それも当然で、交戦地域で現在稼働している民間警備会社の数も、その社員の数も把握していないからだ。
2006年春、イラク政府だけでも、730個の身辺警護隊を必要としていた。イラク民間警備会社協会なる組織が設立されて、企業の合法化に取り組み、モグリの企業を取り締まる法案づくりを働きかけた。だが、イラク政府は民間請負会社を取り締まる能力も意思もなかった。
 武装した身辺警護隊で働いているイラク人のうち、1万4000人が未登録になっている。
 1万9120人の外国人警備員を加えると、合計3万3720人をこえる人間がイラクで殺しのライセンスを支えられていることになる。
 西洋人の警備要員が日常的にイラク人の車や車内に向けて弾丸を浴びせている。
 民間軍事要員による発砲事件で市民が死傷した重大事件400件を分析すると、バクダッドの民間警備要員は、この9ヶ月間で61台の車両に発砲した。そのなかで、相手が発砲や暴力、危険な行為で反撃してきた例は、たったの7件。そして、ほとんどのケースで、警備要員は事件の直後に現場から遁走している。警備要員は、年がら年中、人に向けて銃を撃っているが、死人やけが人が出たかどうか、いちいち止まって確かめたりはしない。
 2006年春の時点で、民間軍事(警備)要員がイラクで犯した罪で、告訴された例は一つもない。その一方、何百人という兵士が、軍の軽い規則違反から殺人にいたるまで、さまざまな罪で裁かれている。
 軍事要員の故意または不注意による市民に対する攻撃が、たまたま明るみになったとしても、どのような法的手段をつかって犯人の責任を追及するのかも定まっていない。
 交戦地域や高度危険地域での民間警備会社の台頭は、新種の民兵や武装した傭兵、警備要員や企業体を生み出した。彼らは攻撃されたら全力をあげて反撃するライセンスを与えられている。いわば、あいまいな法規制のもとで活動する傭兵階級予備軍だ。
 ロシア人が退くと、ジハードの戦士は職を失った。故国に帰った者もいたが、多くはアルカイダに加わるか、他のイスラム武装勢力とともに戦う道を選んだ。
治安の悪い場所で働き、殺しのライセンスを与えられるなどというと、ぞっとする人もいるだろう。ただ、これが病みつきになって、アドレナリンが体内を駆け巡るという人種もいる。雇用の水源が枯れあがったとき、現在、イラクで働いている何千人という警備要員のうち、どれだけの人間がふつうの市民生活に戻れるかは見当もつかない。
 警備事業は、既成の企業や政府の顧客のしがらみから解放されると、即座に物騒な方向に走り出すだろう。なにしろ、傭兵は、儲け第一主義の個人事業主なのだ。
 いやはや、とんだことです。イラクの「安定」は世界中に不幸をもたらす「不安定」につながりかねませんね。これもアメリカのイラク侵略によって引き起こされた悲惨な事態としか言いようがありません。今年11月、アメリカ軍はイラクから撤退するということです。遅きに失しました。しかし、今度はアフガニスタンへ進駐(増派)するといいます。ますます世界の不安定要因(危険)が増大してしまいます。
 
(2009年12月刊。2200円+税)

天下りの研究

カテゴリー:社会

著者 中野 雅至、 出版 明石書店
530頁を超える大部な研究書です。この本を読んで、まず驚いたことは、天下りという言葉が最近のものであって、戦前にはなく、その定義も一定していないということです。民間の大企業でも関連会社への天下りがありますから、なるほど定義するのは難しいと思いました。
「広辞苑」に天下りが初めて登場するのは1979年だというのです。その前の1955年版には、「天降り」という言葉でした。ただ、天下りは日本だけではなく、私の愛するフランスはもっとすごいようです。フランスでは、製造業の会社のトップ15位のうち、12社までが官界から来た人間によって経営されています。官僚が企業トップに転身するのが当たり前になっているのです。これらの官僚は、グランゼコルというスーパー大学院の卒業生です。
「天下り」に否定的なニュアンスがあるのは、本来、天下りする者には相当の実力があり、天下る先の様相を大きく変えるような存在でなければいけないが、現実には、まったくこれと異なっている現実があるからだ。
国家公務員については、離職後2年間は営利企業への再就職が国家公務員法103条によって規制されている。しかし、地方公務員法には同様の規定はなく、私企業への再就職についての規制はない。
天下りは必ずしも高級官僚に限定されない。ノンキャリア企業の民間企業への天下りが、相当露骨に行われている、
天下り人の再就職は一度では終わらない。二度目、三度目の天下りが行われるのが一般的であり、「わたり」などと呼ばれる。
平成になってからは、天下り批判を避けるため、緊急避難的に用意されている座布団機関を経由する再就職も多い。
防衛省は豊富な天下り先を持っている。平成19年に退職した制服組155人のうち、再就職した148人について見てみると、顧問として40人、嘱託として36人いる。これは、経営中枢というより、防衛省と何らかのコネクションを期待しているもの。
アメリカの軍需産業は、政界中枢と癒着して、アメリカの政治を動かしていると言われていますが、日本でもアメリカほどではないとしても同じ構図です。
事務次官経験者の多くが非営利法人に天下る。それは傷つかない、社会的地位があるという基準にもとづく。つまり、個々人の能力を再利用しようという能力本位の視点からではない。
JAF自身は否定しているが、JAFには全額出資した子会社があり、監督官庁である警察庁・運輸省の天下り官僚が子会社の役員を兼任することで、二重に報酬を受け取っているとみられている。
天下り先における給料は、原給保証である。つまり、辞めたときを上回るようになっている。また、同窓会相場というのもある。東大法学部卒で民間企業に就職した同窓生の収入相場を、東大法学部卒の多い官僚の収入が下回らないようにしている。
審議会委員の報酬のもっとも高いのは、自給換算で43万7000円となっている。日本は必ずしも公務員が多いわけではなく、むしろ先進国では最も少ない。
1000人あたりの公務員はフランスが1位で87.1人、2位のイギリス79.1人、3位のアメリカ78人、4位のドイツ54.9人。これに対して日本は32.5人でしかない。
天下りを受け入れる側にとってのメリットは情報の入手とコネクションの形成にある。退職公務員の知識・能力ではなく、その培った役所内での人間関係を利用できること。中央官庁だと、その仕事の幅の広さにある。
人事課長よりも上のポストである事務局次官や局長については、官房長が扱い、課長クラスのキャリア退職者は官房人事課長が扱い、ノンキャリアは官房人事課の職員や原局の人事担当者が扱うというような役割分担がある。
大蔵省OBは大蔵同友会に入るが、大蔵同友会の人事も現役人事と一緒に組織的に決定している。同友会の会員は1人3回は天下り先を斡旋される。叙勲の対象となる70歳をゴールとするのが目安。1カ所5年として、55歳から50歳まで15年だから、都合3回となる。
なるほど、官僚の天下りというのはこんな仕組みになっているのかと認識することができました。大変に貴重な労作として紹介します。
(2009年10月刊。2800円+税)

今日の日米同盟

カテゴリー:アメリカ

著者 安保破棄中央実行委員会、 出版 同左
 今年は2010年です。ということは、1960年安保改定の年から50年たったということなんですね。日本人の多くはなんとなく、アメリカが日本を守ってくれていると思っています。しかし、本当にそうなのでしょうか。今こそ、日米安保条約って、本当に、今の日本に必要なものなのかどうか、よくよく考えなおしてみる価値があります。
 この60頁ほどの薄っぺらなパンフレットは、そんな日本人の漠然とした思いが幻想にすぎず、まったく根拠のない間違いだということを明らかにしています。
 いえ、私は何もアメリカとケンカしろというのではありません。日本が独立国家だったら、もう少しまともに対等にアメリカと付き合うべきだと言いたいだけです。
 私の憧れの国であるフランスは、いま保守のサルコジ大統領ですが、パリにアメリカ軍の基地なんてありませんし、そんなことフランス人が右も左も許すはずもありません。日本人の方が異常なのです。
 いま日本全国にアメリカ軍の基地が134か所もあり、五万人のアメリカ兵と1万8000人の家族が居住している。これらのアメリカ軍基地の土地使用料はタダ。基地の中では税金はすべて免除され、消費税もかからない。
 アメリカ兵が基地の外で犯罪を犯しても、基地の中に逃げ込んでしまえば、日本の警察はアメリカ軍の許可なしには捜査も逮捕もできない。日本の領土でありながら、アメリカ軍の基地には国民主権は及ばない。
では、アメリカ軍は日本を守る軍隊なのか?
 アメリカ政府と軍の高官は次のように発言している。
 ジョンソン国務次官補……日本の防衛に直接に関係する兵力は、陸軍にしろ海軍にしろ、日本には持っていない。駐留アメリカ軍の多くは、直接、日本および日本周辺の安全と結びついてはいない(1970年1月)。
 マッギー在日アメリカ軍司令官……日本に駐留するアメリカ軍は、第一義的に日本本土の直接的防衛のためにいるのではない(1970年1月)。
 ワインバーガー国防長官……アメリカは、日本防衛だけに専念するいかなる部隊も日本においていない(1983年)。
 この点は、自衛隊トップも同じです。
 冨沢元陸上自衛隊幕僚長……在日アメリカ軍基地は、日本防衛のためにあるのではなく、アメリカ中心の世界秩序の維持存続のためにある。
 日本にあるアメリカ軍基地は、世界中にあるアメリカ軍基地に比べても異常な存在です。第一に、アメリカの空母の母港があるのは日本だけ。横須賀基地が母港となっている。第二に、アメリカ軍の突撃部隊である海兵隊の前進基地が海外におかれているのも日本だけ。第三に、首都東京に広大なアメリカ軍基地があるのも日本だけ。いやはや、とんでもないことです。
 そして、日米地位協定です。お話にならないほど、ひどい不平等な内容です。アメリカ軍基地の使用料は、すべてタダ。基地内の地主へ支払う地代は、日本政府が代わって支払っている。
 もっぱらアメリカ兵に責任がある事件・事故であっても、その補償金や見舞金の25%は日本政府が負担する。
 アメリカ軍の基地内で土壌汚染や重金属汚染などが発生しても、アメリカ軍は責任を負わない。
日本政府は福祉予算を大幅に削っていますが、アメリカ軍には気前よく大盤振る舞いし続けています。
 アメリカ軍の駐留費のうち、日本の分担金は6300億円。国有地の借り上げ料は1600億円。基地内の土地所有者へ支払う地代は900億円。基地周辺対策費は500億円。
 1978年に始まったアメリカ軍へのおもいやり予算は、2083億円(2008年)。こんなに便利なところからアメリカ軍が黙って出ていくはずはありません。だって、タダでぬくぬくしていられるのですからね。
 たとえば、アメリカ軍の司令官住宅は日本国民の税金で作られたものですが、ベッドルーム4部屋、浴室が3つ、リビングルームはなんと32畳敷。ダイニングルームにしても18畳敷というのです。毎日、運動会をやれるようなスペースの家に、タダで住んでいるのです。
 ここに、日本人のホームレスを何人収容できるでしょうか……。沖縄にあるアメリカ軍基地は、かつてのフィリピンと同じように、無条件で即時なくしたほうがいいと思います。
 ところで、このパンフレットによると、日本政府はアメリカ軍のイラク・アフガニスタン戦費も支えているというのです。これまた、とんでもないことです。
アメリカ政府の発行する国債残高は10兆7000億ドル。いまやアメリカ政府は借金まみれだ。アメリカは、この国債のうち45%を海外に売却している。第1位は中国で7274億ドル。第2位が日本である。それは6260億ドル(62兆円)にのぼり、全体の20%を占める。
 アメリカは、もっと日本に感謝すべきなのです。それにしては、いつも偉そうな口のきき方ですね。その尊大のものの言い方は、いつ聞いても嫌やになります。大変勉強になりました。
 
(2009年6月刊。400円+税)

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