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大腸菌

カテゴリー:人間

著者 カール・ジンマー、 出版 NHK出版
 この本では大腸菌はE・コリと呼ばれています。
 E・コリのほとんどは無害。人間の腸内には何億というE・コリがいて、平和に暮らしている。腸以外のところにも何億といるし。E・コリは川や湖に、森にも庭にも棲んでいる。
 そうなんですね。このありふれたE・コリは研究の対象となって大いに人間に役立ってくれます。
 E・コリはDNAを折りたたんで数百の輪にして、ピンセットのようなもので固定している。その輪はねじれているが、ほどけて広がるのをピンセットが防いでいる。
 E・コリは増殖するとき、つまり細胞分裂するとき、DNAの複製を作らなければならない。全DNA鎖を両端まで引き離し、半分に分かれる。E・コリはそれを20分で完璧に正確にやり遂げる。DNA複製のエラーが起きるのは、100億基につきたった一つという優秀さだ。
 一人の人間の腸内に共存する微生物種は、1000種類。人間は人生のどの時点でも、体内に30種類のE・コリ株を棲まわせている。E・コリに棲みつかれていない人間は、いない。人間の方も、腸内微生物のジャングルに頼っている。食べる炭水化物の多くは、消化するのに細菌の助けを借りなければならない。腸内細菌は人間の身体に必要なビタミンやアミノ酸を合成してくれる。食物から身体組織へと移行するカロリーをコントロールする役も担っている。だから、腸内細菌は、人間を病気から守っている。医師が早産児に病気予防のためのE・コリ株を与えるのは、このためだ。つまり、人間とE・コリは共同体のメンバーなのである。
 ウィルスは、かつて取るに足りない寄生体だと思われていた。しかし、今ではウィルスは地球上でもっとも豊かな生命体の形態で、その個体数は10億×10億×1兆と見積もられている。生命体の遺伝子情報の多様性のカギは、ウィルスのゲノムが握っている。
 人間の腸内には、1000種のウィルスがいる。ウィルスが宿主の遺伝子を拾って別の宿主に挿入するとき、それは種から種へとDNAを行き来させる進化上の基礎を作り上げる。海洋にいるウィルスは、新しい宿主に毎秒2000兆回、遺伝子を移動させている。このように、ウィルスは進化に重要な役割を演じている。
 微生物の生産するインスリン「ヒューミソン」は1983年に発売され、世界中で400万人がお世話になっている。E・コリはビタミンやアミノ酸まで生み出している。
 チーズはウシの胃で産出されるレンネットという酵素で乳を凝固させて作られてきた。今日では、E・コリ製レンネットからチーズが作られている。
 すごいですね、大腸菌って、汚い・怖い存在というより、必要であり、かつ有用な存在なのですね。最後まで知らないことだらけで、面白く読みとおしました。
 
(2009年11月刊。2100円+税)
 3月5日の朝日新聞夕刊で、このブログを大きく紹介してもらいました。取材していただいた山本亮介記者に対して心よりお礼申し上げます、おすすめしている本の中には、まだ紹介していないものもありました。なるべく早くアップしますので今しばらくお待ちください。
 この「弁護士会の書評」がたくさんの方々にもっと広くお読みいただけることを願っています。

からだと心を鍛える

カテゴリー:社会

著者  宇都宮 英人  明永 利雄 、 出版  日の里空手スクール
空手の達人であり、畏友の弁護士より贈呈された本です。熊本高校(クマタカ)空手道部
主将であり、京都大学でも空手道部主将であった宇都宮弁護士は、本業のかたわら子どもたちに空手を教える日の里空手スクールの主将としてがんばってきました。達士7段・師範といいますからすごいものです。私も何度かその型を見せてもらいましたが、それはそれは見事なものでした。
 この本にある、日の里空手スクールから巣立っていった子供たちの手記が心を打ちます。他人から自分の尊厳を脅かされない。自分が他人の尊厳を脅かさない。自分が自分の尊厳を脅かさないというのがモットーである。それが護身なのだ。
なるほど、と思いました。
 日の里空手スクールは、大人と子どもとが空手を媒介として集う広場としての機能を持っている。そこに多様なおとながはいることで子どもたちは、コミュニケーションの仕方を学んでいく。包み込まれつつ鍛えられていく。
 子どもたちが空手の練習を重ねるなかで、強くなっているのを認めると、その成長をはっきり子どもに伝える。上手になっている、強くなっている、と声を出す鏡のようなもの。そのことで子どもは、自分の成長を確認できるし、自体を深めていく。小さな成功物語を集積する。
 子どもたちが、身体を動かす機会が少なくなっている。ましてや、身体をぶつけあう機会は非常に少ない。そこで、意識的にそんな機会をつくり出していくことが必要なのである。
なるほど、と思います。これからも一層のご健闘を期待します。
 ありがとうございました。
(2009年12月刊。非売品)

知の現場

カテゴリー:社会

著者 知的生産の技術研究会、 出版 東洋経済新報社
 あるモノカキの人は、毎日、規則正しく朝9時に書き始め夕方6時には終了する。1日に5000字のノルマを書いたら、そこで打ち止めする。
 うまくいかないときでも、書くしかないのでとにかく書く。書くときには、NHKラジオの外国語講座を聞き流す。静かだと眠たくなる。意味が分からないところがいい。素晴らしい音楽だと、そちらに気を取られてしまう。書けないときでも、なんとか書いていると、いつのまにか乗ってきて書けるようになる。
 ほんとなんですよね。私も、ともかくひたすら書く派です。
 アウトプットするコツは、なんでもいいからとにかく書くこと。本を書くときの一番の妨げは、自分が書いていることをつまらないと思ってしまうこと。人間タイプライターになったと思って、ひたすら書くしかない。
 いやあ、まったくそうなんですよね。でも、ときどき、こんなことしてていいのかしらんとつい思ってしまい、悩むのです。凡人の辛いところです。
 文章が説教臭くならないように、また読み手に伝わるように、できるだけ感動的な実際のエピソードをオブラートに包んで、思いを心に届けるようにする。
 知を生産するためには、日頃から書物だけに頼らず、人に会うことが大切だ。
 しかし、そうはいっても主たる情報源はやっぱり本である。
 団塊世代は、自分たちの経験や体験を世代を超えて次の世代に継承するよう働きかけるべきだ。そして若い人たちをもっと褒めてほしい。なーるほど、痛いところを突かれました。
 長く仕事をしていても自分を飽きさせないために、自分はすごいものを書いている、オレは天才だ、誰も書いていないようなことを書いている、誰も気の付いていないことを書いている、このように自分自身に思わせるようにしている。ふむふむ、私もやってみます。
 書くテクニックを使いこなすためには、練習を重ねること、他人の作品をたくさん見ること。まさにその通りです。書くのには、すごいエネルギーを要します。
 作家活動にとって一番大切なのは健康だ。
 時間管理が下手な人のなかで偉くなった人はいない。
 文章を書こうというときには、まず自分が書きたいことを書く。駄文でもいいからと割り切って、まずは文章を書き始めることが大切だ。書いた文章の断片を後から編集する。編集するときには、執筆者としてではなく、編集者として文章を客観的に眺めるようにする。
 読んだ人が楽しい気持ちになる、勇気づけられることを考えて書く。
一つのパラグラフを5行以内にするなど、レイアウトを工夫する。見た瞬間に字がありすぎると読みづらい。一つの章を30分で読めるようにする。
 もっとも大切なのはタイトル。タイトルができてから本の執筆に入る。日本語に気をつけ、誰が見ても傷つかない、不快に感じない、誤解されない表現を選ぶ。これは私のモットーでもあります。
 モノへのこだわりを無くすため、愛用品をつくらない。愛用品を持つと、それがなくなったらストレスになる。いかにストレスをためないようにするか、その発想で行動する。
 本を書くのに喫茶店はいい。他人の視線があるから、ちょっとした緊張感が生まれ、原稿がすすむ。いやはや、私も同じです。あまりに騒々しい店は困りますが、近くでおばさんたちの世間話があっていても書けるようにはなりました。
 テレビは大嫌いだ。視覚情報は具体的すぎるので、意識して遠ざけている。ヒヤヒヤ。大賛成です。
 パソコンのような便利な道具に頼りすぎるのは、知的活動を道具に束縛されること。
 ブログは忘却のためのすばらしいツールだ。書いたら、もう脳に残しておく必要はない。
 その道のプロは、その場に必要な何かがないことが分かるかどうかということ。ムムム、この指摘は鋭いですよね。
 人間は『生産』はできないが、『編集』はできる。これが能力だ。
 私にとって大変役に立つと同時に、共鳴できるところの多い本でした。
 
(2010年1月刊。1600円+税)

チャップリンの影

カテゴリー:アメリカ

著者 大野 裕之、 出版 講談社
 チャップリンを支え、全面的に信頼されていた秘書は、なんと日本人だったのです。そして、チャップリンは来日したとき、5.15事件で犬養首相とともに暗殺されようとしたのを危機一髪で免れました。そのとき高野秘書が苦労していたのでした。
 日本人の多くがこよなく愛しているチャップリンと、日本人秘書・高野(こうの)虎市との、うるわしき関係が明らかにされ、感動を呼びます。そして、スパイの濡れ衣を晴らした後の晩年の高野元秘書の悲惨な生きざまも語られています。
 天才チャップリンのすぐそばにいて、大変だったことでしょうが、高野秘書はきわめてもっとも充実した人生を過ごしたと言えると思います。
 広島生まれの高野虎市は、名家出身ではあったが、身内を頼りにして15歳のとき単身アメリカに渡った。そして、苦労して働きながらも、アメリカの学校に通い、英語を身に付けた。いったん日本に戻って結婚し、アメリカに戻って妻とともに生活した。高野の夢は、飛行機のパイロットになること。今でいえば、宇宙飛行士になる夢に匹敵するものでしょうね。
 ところが、夢破れて、当時は珍しい自動車の運転手になったのです。そのとき、チャップリンに出会い、その運転手になりました。チャップリンは既に週給1万ドルという最高の大スターでした。チャップリン27歳、高野31歳の出会いです。やがて、高野の妻も、チャップリン家の料理係として雇われます。
 高野の長男は、チャップリンからスペンサーというチャップリンのミドルネームをもらって名づけられた。そして、高野はチャップリンの兄が住んでいた建物を与えられて、住むことになった。それほど信頼されていたのですね。
 高野は、チャップリンのプライベートな部分に関する秘書だった。チャップリンは高野に全幅の信頼を置き、自分の代わりに小切手に「チャップリン」とサインする権限も与えていた。運転手から秘書に昇格したわけである。
 チャップリンが『黄金狂時代』を作ったころ、高野はチャップリンの右腕として絶大な権力をもっていた。チャップリンに近づきたい映画監督や俳優たちは、みな高野に近づいた。
 1926年ころ、チャップリン家の使用人はみな日本人だった。多いときには17人もいた。
 チャップリンは、勤勉な日本人を大いに気に入った。
 チャップリンは、使用人に対して本当に優しく、公平に、友人として接した。
 チャップリンはユダヤ人ではない。しかし、ナチス・ドイツはチャップリンをユダヤ人の軽業師だと紹介した。チャップリンは「残念なことにユダヤ人であるという幸運に恵まれていない」と言っていた。「愛国心と言うのは、かつて世界に存在した最大の狂気だ」というチャップリンの言葉を、イギリスのマスコミは徹底的に叩いた。
 チャップリンが東京駅に着いたとき、一目でも見ようと日本人が3万人も駅に押し寄せた。いやはや、日本人の熱狂ぶりはすごいものです。
 チャップリンの秘書だった日本人男性を通じて、チャップリンの偉大な人柄も知ることのできる本でした。いい本です。一読の価値があります。
 
(2009年12月刊。1900円+税)
 朝、ウグイスが大きな声で元気よく鳴いていました。ずいぶんと上手くなりました。春告げ鳥です。
 近くの電線に鴉が止まって、ゴミ袋を狙っています。
 ハクモクレンがシャンデリアのような白い花をたくさん見事に咲かせています。
 チューリップの咲くのももうすぐです。
 庭のジャーマンアイリスを整理して、球根を久留米や福岡の地人におすそ分けしました。6月が楽しみです。

「村長ありき」

カテゴリー:社会

著者 及川 和男 、 出版 新潮社
 映画『いのちの山河』をみました。泣けて泣けて仕方ありませんでした。コンクリートより人間。いまの民主党政権はそれをスローガンに大きく掲げて国民の支持を得たと思うのですが、政権に就くと、かなり後退してしまったようで残念無念です。
この映画は「日本の青空Ⅱ」として日本国憲法、とりわけ25条の意義を具体的に明らかにしています。
 すべて国民は健康で文化的な最低限の文化を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
岩手県の山奥、貧しい沢内(さわうち)村の深沢村長は次のように語りました。
人命の格差は絶対に許せない。生命・健康に関する限り、国家ないし自治体は格差なく平等に全住民に対し責任を持つべきである。
本来は、国民の生命を守るのは国の責任です。しかし、国がやらないのなら、私がやりましょう。国は後からついてきます。
生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません。政治の中心が生命の尊厳・尊重にあることを再確認し、生命尊重のために経済開発も社会開発も必要なんだという政治原則を再確認すべきであります。
うむむ、すごい語りですね。鳩山首相にぜひ聞いてもらいたい、この映画を見て貰いたいものだ、と思いました。
半年間は雪に埋もれてしまう沢内村。冬のあいだでもバスを通すために深沢村長は、村の予算規模4千万円のところ、6トンのブルドーザー1台500万円の購入を決定した。
ところが、中古のブルドーザーはすぐに故障して使いものにならなくなった。そこで、さらに10トンのブルドーザー550万円を2年払いで買った。だから、深沢村長はブルドーザー村長と名づけられた。雪国の暮らしの大変さが伝わってきます。
沢内村の乳児死亡率は70.5(出生1000人比)。これは岩手県の平均66.4、全国平均40.7の2倍という全国最悪だった。
これに深沢村長は取り組んだ。保健婦を2人採用し、苦闘の末、病院に東北大学から優秀な若手医師を派遣してもらい、村内に保健委員会をつくり上げ、ついに乳児死亡ゼロを達成した。これは全国の自治体でも初めての偉業だった。いやはや、本当にすごいことです。涙なくして見られません。
深沢村長は、次に老人医療費の10割負担を打ち出した。岩手県は当初それを違法だと指導した。しかし、ついには折れて協力するようになった。村議会でも、はじめのうちこそ反対意見が出たが、とうとう全会一致で10割負担を成立させた。たいしたものですね。反対派も黙り込んでしまったのです。
 70歳以上の年寄りに「長寿の証」を贈り、年1200円を毎年支給した。該当者220人を公民館に集めて、一人ひとりに深沢村長みずから手渡していった。 
 そんな深沢村長に対して、反対派は沢内村のカマド返しと悪罵し、村長選で林業組合長を立てた。投票率90%、第1回開票結果では、実は対立候補がリードしていた。しかし、2回目に逆転して、300票というきわどい差で再選を勝ち取った。
ところが、そのように村民の健康福祉行動に身を捧げた深沢村長自身は大の医者嫌い。大腸癌が発見されたときには手遅れで、59歳で亡くなりました。その遺体が雪の中、村に帰ってきたときには6000人の村民のうち2000人が迎えたといいます。映画のなかでも、実に感動的なシーンでした。
悲しみの雪は、全村を深く覆って降りに降った。
 いま、老人医療費は当然のように有料。わずかな年金から介護保険料さえ天引きされる。国民年金をもらえない人、国民健康保険すらもたない国民が日本全国に満ち満ちています。どこかが間違っています。いえ、日本の国にお金がないわけではないのです。
 だって大赤字必至の九州新幹線、赤字を出し続けている佐賀空港など、大型公共工事にまわすお金はあっても、人間を大切にするための福祉にまわすお金がないのが日本の政治です。こんな政治が依然として続いています。
 このおかしな状況をぜひ変えたい。そのために私ももうひとがんばりしたいという気になりました。いい本、いい映画です。ぜひ、読んで、見てください。
(1984年3月刊。1100円+税)

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