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趙紫陽、極秘回想録

カテゴリー:中国

著者:趙紫陽、出版社:光文社
 天安門事件のときに中国共産党のトップ、総書記だった著者が鄧小平によって権力の座から追われ、北京の自宅に亡くなるまでの16年間の軟禁生活を余儀なくされました。
 その軟禁生活のなかで著者は、60分テープ30本に回想録を吹き込んでいました。それが2005年に著者が亡くなったあと、文書化されたものが本書です。
 趙紫陽は、広東省の党委員会第一書記に1965年、46歳という若さで就任した。しかし、やがて文化大革命によって失脚し、湖南省の機械工場で組立工として働かされた。ところが、1971年に突如として復活した。その行政手腕を周恩来に見込まれたことによる。
 胡耀邦と趙紫陽の違いは、胡のほうは政治生活の大半を中央で送ってきた。そのため、中央に多数の後援者や親しい関係者がいた。それに対して趙のほうは、中央ではなく地方の省党委員会で働いていたので、中央には鄧小平以外の後援者はいなかった。
 趙紫陽が中国について、結論としてどのようにみていたか、それを紹介したいと思います。驚きました。
 われわれ社会主義国家の民主主義は、すべて表面的なものにすぎない。国民が主役の制度ではなく、国民がひとにぎりの、あるいはたった一人の人間に支配されている制度だ。国家の近代化を望むなら、市場経済を導入するだけでなく、政治体制として議会制民主主義を採用すべきだ。
 そのためには、複数政党制と報道の自由を認めることだ。
 人民解放軍の国軍化という問題もあるが、それよりも重要な、法制度の改革と司法の独立を優先すべきである。
 すごいことですよね。中国のトップ(だった人)がここまで考えていたというのは信じられません。
 鄧小平は、中国共産党のなかで特別の存在であった。重要な事柄については、すべて鄧小平に助言を求めなければならないということが、正式な党機関で決められた。
 まさに、一党ではなく、一人独裁です。信じられない馬鹿げた決定ですよね。
 鄧小平は、西側の三権分立を絶対に取り入れてはならないと叫んでいた。
 さまざまな制限、そして抑制と均衡がなく、権力が極度に集中している体制はあらゆる時点で優れている。鄧小平は、このように考えていた。
 鄧小平は、国民が街頭デモや嘆願書や抗議行動を通じて意見を表明することをひどく嫌った。それどころか、そのような活動を禁じる法律をつくるべきだと考えた。抗議運動が発生するたび、強圧的な手段をつかって鎮圧せよと命令した。鄧小平は、スターリンや毛沢東の晩年から、あるいは文化大革命時代の自分の経営から苦い教訓を学んだ。
 党内と社会の民主化拡大、家長制の廃止などの問題を完全に解決するためには、政治体制における過度の権力集中を改める必要がある。しかし、鄧小平は、権力集中と独裁政治を非常に重視して、それを保持すべきだと考えていた。
 中国共産党の最上層にいる指導者たちの、実にドロドロした複雑な人間関係、そして泥沼のなかでの息詰まる権力抗争が実に生き生きと描かれています。
 一読の価値ある本ですが、惜しむらくは2冊買うと5200円プラス消費税と高価なことです。
(2010年1月刊。2600円+税)

時間はなぜ取り戻せないのか

カテゴリー:宇宙

著者 橋元 淳一郎、 出版 PHPサイエンスワールド新書
 実は大変難しい内容で、私なんかとてもとても理解したとは言えません。でも、難解なことに挑戦するのも刺激があって、迫りくるボケの防止に役にいくらかは立つのではないかしらん。そう思って読みなおしてみました。
著者は私と同じ団塊世代です。京大の理学部物理学科の卒業ですから、話が難しいのも当然です。まあ読んでみてくださいな。
重力は感じる力ではなく、見える力なのである。私たちの生身の身体は、決して重力を感じることはできない。
 万有引力とて遠隔力ではなく、光速で伝わる場の振動が重力や電磁気力の正体である。
 色は物理的実在ではない。物理的に存在するのは、さまざまな波長の電磁波だけである。可視領域にある電磁波が網膜細胞に電位を生じさせそれが脳を処理する結果、私たちは色を認識する。赤外線や紫外線など可視領域以外の電磁波は私たちの網膜細胞に電位を生じさせない。その結果、赤外線や紫外線が目に入っても私たちは色を見ない。
 わたしたちは物体に色がついているものと見ていますが、実は、その色は実体がないのですね。ホント、不思議なことですよね。モノに色がないなんて……。
 モンシロチョウの網膜は、可視領域より少し波長の短い紫外線に対して反応する。それゆえ、モンシロチョウのオスはメスの羽に紫外線の色を見る。
 電磁波は、空間を伝播する波動であり、原子は狭い一点に存在する粒子である。本当にそういうものが実在するかと言うと、現在物理学はノーと見ている。唯一、確実に言えることは、観測装置との相互作用の結果、電磁波や原子のようにみえる「何か」が存在するだけである。
 光合成は1万近い化学反応の組み合わせであり、それらの化学反応のすべてが解明されたら、人工的な光合成システムが作られるかもしれない。生命が進化の過程で生み出した驚くべき能力の一つである。
相対論では、物体が速く動けば動くほど、空間はますます縮まり、時間はますます遅れる。もし物体が光と同じ秒速30万メートルで動くと、ありそうにないことが起こる。そのような物体に乗った人から見た空間は、完全にぺしゃんこであり、宇宙の果てまでの距離がゼロとなる。また、時間もまったく止まってしまう。このとき物体の質量は無限大となる。質量無限大の物体などありえないから、物体は光速と同じ秒速30万キロメートルにまで加速することは原理的に不可能なわけである。
 光は物質と違い、秒速30万キロメートルで飛ぶにもかかわらず、質量はない。これは光の特異な性質である。光の立場からみる宇宙はぺしゃんこ、時間は止まったまま、そんな奇妙な世界、時空が縮退した状態である。
 私たちは現在見ている外界の光景を現在の光景だと思っているが、それはすべて過去の光景である。1メートル眼前の恋人の姿は10億分の1秒前の恋人の姿であり、大空を飛ぶ飛行機は10万分の1秒前の飛行機であり、眩しい太陽は8分前の太陽であり、望遠鏡にかすかに浮かぶアンドロメダ銀河の姿は230万年昔の姿である。それらが1本の光の世界線として現在の「私」に届いている。現在の「私」が目にしている光景は、このように、すべて過去である。
 生命は空間的にはシステムであり、時間的には主体的意思である。時間は内観であり、空間として姿を現さない。
生命は秩序であるが、それは無秩序と常に戦う、もろい秩序である。このもろさが主体的意思を生む。なぜなら、もろいがゆえにもろさを補って、秩序を確実なものにするために、生きる意思が必要になるからである。
 みなさん、理解できましたでしょうか?私は理解できないながらも分かった気になったというより、大事なことが解明されつつあるんだなという気になりました。いかがでしょうか……?
 
(2010年1月刊。800円+税)

センゴク兄弟

カテゴリー:日本史(戦国)

著者 東郷 隆、 出版 講談社
 ときは戦国時代。信長、秀吉につかえて、四国讃岐10万石の領主となった。失態があって浪人。後に戦功をたてて信州小諸5万石の主に返り咲いた。江戸時代になって兵庫県出石5万8千石の領主になるも、江戸末期に仙石騒動という有名な家督争いがあって、3万石に減封された。
 青年漫画誌ヤングマガジン掲載の、「センゴク」シリーズの原作本です。
 よく出来ています。よく調べています。感嘆しながら、どんどん読み進めました。
 越前の一乗谷が出てきます。私も一度だけ行ったことがあります。古い小京都といった趣があります。織田信長がまだ天下を取る前の時代です。美濃には、斉藤道三ががんばっていました。
 仙石兄弟が初陣に出かけるとき、旗持ち1人、長柄が6人、弓2人。兵糧運びの軍夫3人、馬上の武者2人。長柄は軍役規程によって2間半が4本、1間半の短槍2本。いずれも穂の長い直槍で、持ち手は自前の具足を身につけているものの、その形は鎧の袖がなかったり、脛当てがなかったりだった……。
 桔梗一揆。これは武士団の団結した姿を示すもの。
 着到(ちゃくとう)。国主からの催促状を差し出して名簿に記入すること。炭鉱で坑内に入る(下がる)前に点呼を受けるのも、同じく着到と呼んでいました。
 詞戦(ことばいくさ)は、慣れたものでなければつとまらない。少しでも言葉に詰まれば、敵味方の笑いものとなり、二度と立ち直れないほどの恥辱となる。これは、単なる悪口合戦ではなく、言葉によって相手を屈服させる呪詛(じゅそ)なのだ。
江戸期と異なり、戦国時代の百姓身分は帯刀が許されていた。
 物揃え(ものぞろえ)。軍役ほどおおげさなものではないが、近隣で不意の小競り合いがあったときに備えての予備動員のこと。
 懸銭(かけぜに)とは、畑に対する賦課額。
 秋成(あきなり)とは、秋の収穫高。
巻数(かんじゅ)とは、年末の特別な祈祷札のこと。
 公界人(くがいにん)とは、乞食のこと。浮浪者が多かった。公界人は神の子。これを守るのは神仏を尊ぶものの務めである。
 御発(ごはっこう)は出陣。山入りでは大事な家財を村の城に運び込んでいた。
 戦国時代について、よくよくイメージの湧いてくる本でした。ところが、参考文献に『武功夜話』が紹介されていますが、これは偽作だと私も思っています。ですから、引用するときには、せめて偽作とも指摘されているくらいのことは触れるべきでしょう。
 
(2009年12月刊。1600円+税)

親鸞(上・下)

カテゴリー:日本史(鎌倉)

著者  五木寛之 、 出版 講談社
  
 浄土真宗の開祖、親鸞の青年時代の状況が活写されています。作家の想像力のすごさには感嘆するばかりです。こんなストーリーをどうやって思いつくのでしょうか…。モノカキ志向の私は見習いたいと切実に願います。
六波羅ワッパ。ロッパラワッパ。六波羅(ろくはら)という土地は、平家一族の集い住むところであり、平清盛公の邸(やしき)を中心にして出来あがった軍事と政治の本当の舞台である。
六波羅殿といえば、平氏一門を意味し、また平清盛公その人をさす言葉でもあった。
 その平清盛公が、みずから京の町に放った手の者たちが、六波羅童(ろっぱらわっぱ)である。すべて14歳から16歳までの少年たちである。その全員に赤い垂直(ひたたれ)を着せ、髪を禿(かぶろ)に切りそろえさせ、手に鞭(むち)をもたせた。総勢300人ほどの数らしい。このロッパラワッパが活躍する京の町で若き親鸞は修行していきます。誘惑も大きい都です。
牛飼童(うしかいわらわ)、神人(じにん)、悪僧。盗人(ぬすっと)、放免(ほうめん)、船頭、車借(しゃしゃく)、狩人(かりうど)、武者(むさ)など、不善の輩(やから)をあつめて、隻六博打(すごろくばくち)を開帳している人間も登場します。
後白河法皇が異例の大法会を催す仏前の大歌合わせである。
表白(ひょうびゃく)願文(がんもん)、讃嘆(さんたん)、読経(どくきょう)、梵唄(ぼんばい)、和讃(わさん)、唱導、教化(きょうげ)、そのほか、あらゆるうたいものをうたい競わせようというもの。
 身分の高い僧には、僧網(そうごう)と有識(うしき)とがある。僧網には、僧正、僧都、律師などの位があり、さらに、法印、法眼(ほうげん)、法橋(ほっきょう)などの官職もある。
また、有識のほうには、己講(いこう)、内供(ないじ)、阿闍梨(あじゃり)の職がある。
 その他の僧は、凡僧(ぼんそう)と呼ばれていた。
このほか学生(がくしょう)、堂衆、堂僧のほか、稚児(ちご)、童子、寺人(じにん)、商人、傭兵、落人(おちうど)、職人、芸人など、雑学な人々がお山にむらがり住んでいた。したがって、比叡山は、ただの聖域ではない。
親鸞の師であった法然上人が登場します。
本願ぼこりとは、どのような悪人であろうとも、必ず阿弥陀仏は救ってくださるという、おどろくべき考えから生まれてきた異端の信心である。
悪人なおもて救われるという親鸞の教えは、なかなか意味深いものがあります。私は高校生のころにこのフレーズを聞いて、驚き、疑いました。
(2010年1月刊。 1500円+税)

城と隠物の戦国誌

カテゴリー:日本史(戦国)

著者 藤木 久志、 出版 朝日新聞出版
 和田竜『のぼうの城』(小学館)は大変面白い小説でしたが、その素材となった「忍城戦記」が紹介されています。「忍城戦記」は『埼玉叢書』(国書刊行会)にのっているそうです。それによると、忍城に領域の村人がやって来て籠城した様子が、次のように紹介されています。
 長野口持ち 足軽30人 農人300人
 北谷口持ち 足軽30人 農人200人
 佐久間口持ち 足軽40人 農人・商夫430人
 忍口持ち  足軽100人 町人670人
 行田口持ち 足軽420人 百姓・町人500人
 皿尾口持ち 足軽25人 百姓・町人150人
 持田口持ち 足軽420人 百姓・町人2627人
 15歳以下の童部など1113人、男女都合3740人立て籠るなり。
 忍城に緊急避難した周辺の人々のうち、75%ほどの百姓・町人が戦闘要員として諸口に配置された。
 そして、石田三成側の水責め工事の土木労働に雇われた周辺民衆の動向についても書かれている。このとき、石田三成は、土木工事の労働の報酬として、賃金(米銭)を「昼の労働には一人当たり永楽銭60文と米一升」「夜の労働には、永楽銭100文と米一升」と、かなりの高額を公約したので、「近隣・近国」の村や町は、ほとんど築堤ラッシュの状況を引き起こした。このころは、一日に米4升が相場たった。水責め工事が1週間で完成したのはそのせいである。
 落城したあと、秀吉が石田三成に対して、「避難民を殺したら、隣郷がみな荒廃するだろう。だから助けてやれ」と指示していた。
 戦国時代のお城と民衆とのさまざまな関係を実証的に究明している、面白い本でした。
(2009年12月刊。1300円+税)

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