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インビクタス

カテゴリー:アフリカ

 著者 ジョン・カーリン 、NHK出版 
 
  映画を見損なってしまったので、せめて原作本でも読もうと思って手にとりました。いつものように列車のなかで読みはじめると、いやあ実に面白い。あまりに面白くて、目的地にいつもより早く着き過ぎたとJRに文句の一つも言いたくなったほどです。
1995年に南アフリカで実際にあった出来事です。ラグビーワールドカップで、南アフリカチームが世界の強豪を相手に互角に戦い、ついに優勝の栄冠を勝ちとったのです。
 この本は、それに至るまでの南アフリカでの反アパルトヘイトの戦い、そしてネルソン・マンデラの不屈の行動を実によく紹介しています。本を読み、感動を味わう醍醐味をじわりじんわり、たっぷり味わうことができました。
 南アフリカでサッカーのワールドカップが開催されます。あんな危険な土地にどんな物好きが出かけるのかと冷ややかにみていましたが、そんな傍観者であってはいけないとも思わず反省させられました。平和も、たたかってこそ、努力して手に入れることが出来るものなのですよね。もちろん、これは、平和を手に入れるために、本物の銃を取れということではありません。もっと知恵を働かせよ、ということです。
マンデラは、1964年、ケープタウン沖に浮かぶロベン島の刑務所に入れられてから、18年間、小さな独房を離れることが許されなかった。その部屋で、マンデラは毎朝1時間、その場かけ足をした。1990年、71歳で釈放されてからは、朝4時半に起床したあと1時間歩いた。すごいことですよね、これって・・・・。
マンデラは刑務所に入って2年間、アフリカーンス語を学んだ。南ア白人の言葉だ。マンデラは、白人看守たちの心を溶かした。その鍵は、敬意、あたりまえの敬意にある。
看守の多くが残酷なのは組織のせいだ。心の底をのぞけば、看守だって弱い人間なのだ。
マンデラは、南アのボタ政権による一般黒人の扱いがひどくなるなかで、独房を出され、ついには広々とした一軒家に住むことを許されるようになった。
ボタは、マンデラに最大限の敬意を表した。その一方で、ボタの了解を得て組織された軍の暗殺隊と警察が、国にとってとりわけ危険とみられる活動家を次々に消していった。 
マンデラは1990年2月、晴れて出所した。そのとき、自分は復讐心を抱いて刑務所から出てきたのではないという強いメッセージを発した。
そうなんです。ここがマンデラの偉いところです。血で血を洗う復讐戦がいまにも始まると心配した多くの白人の心をマンデラはぐっとつかみました。
頭に訴えてはいけない。心に訴えることだ。マンデラは言った。
そして、ほとんど白人ばかりのラグビーチームに対して、きみたちは南アフリカを代表している、祖国に貢献し、国民をひとつにするまたとない機会だと、強く訴えかけたのでした。
この試合の展開はすごいものです。ぜひ映像でたしかめたいと改めて思いました。昨日までお互いを敵とみて殺しあっていた黒人と白人が平和に住める国に作り変えるためには、努力が必要だ。それも並はずれた努力をしないといけない。そのことを、実感をもって伝えてくれる感動の書です。読んで絶対に損をしない本です。一読をおすすめします。
 
(2009年12月刊。2000円+税)

違法捜査

カテゴリー:警察

 著者 梶山 天 、角川学芸 出版   
 
  志布志事件の全貌が、ようやく分かった。この本を読んで、そんな気になりました。まず、登場人物が2頁にわたって紹介されています。逮捕され、結局のところ無罪となった住民のみなさんは実名です。強引な取調をした警察官とそれを支えた検察官たちは、県警本部長や検事正などを除いて大半が仮名です。これは不公平というべきでしょう。だって、警察官にあるまじきことをした人たちは、被害者がマスコミで誤って大々的に報道され、親子断絶にいたった人たちだっているのですから、全員の氏名を明らかにせよなんてことは言いませんが、検事正と県警本部長以外はみな仮名というのは、あまりに不公平だとしか思えません。とりわけ、捜査責任者だった警部と担当検事まで仮名にされているのは納得できないところです。
 事件は2003年4月の統一地方選挙に「発生」しました。現金を住民に配って投票依頼したという公選法違反ですから、事実だとしたら、今どき、とんでもないことで、厳罰に処すべきだと思います。ところが、それがとんだぬれぎぬ、でっちあげだったというのです。ひどい警察があったものです。しかも、これを「摘発」した警察官たちは部内で大々的に表彰され、盛大な祝賀会までやっていたというのです。あきれてしまいます。
 この本は、こんなひどい捜査手法に反発していた警察内部の人から貴重な資料を提供してもらって書かれていますので、弁護士の私にも大変参考になりました。たとえば、事件の構図を描いたチャート図、取り調べの調書の下書きにあたる「取調小票(とりしらべこひょう)」、鹿児島県警と鹿児島地検との裁判対策の協議会議事録などでです。そのコピーがそのまま紹介されています。すごいことです。これを見ただけでも、この本を読んだ意味がありました。
取調小票というのは上司の決裁権もある、ちゃんとした内部文書である。単なる個人的メモではない。
鹿児島県警には、「たたき割り」という取り調べの手法がある。これは、被疑者を押しつけて、大声で怒鳴りながら、相手に威圧感を与えながら自白させるというもの。
 3、4日も取り調べたら、自供なしの手ぶらでは帰さない。結果を出せば評価されるし、ダメなら刑事失格の烙印を押される。自供させられないと、「おまえはダメなヤツだ」と怒鳴られ、転勤か配置換えで飛ばされる。勤務評定に響く。これが鹿児島県警の体質である。志布志事件では、被告人の拘留日数が驚くほど長い。中山信一さんは395日。その奥さんも273日。次いで185日など、大半が100日をこえる。一番短い人でも3ヶ月。保釈申請しても8回も却下された。これでは、裁判所も同罪ですよね。否認したら保釈が認められないのを、私たち弁護士会では「人質司法」と呼んで糾弾しています。
 大原英雄判事と前澤久美子裁判官も検察庁の無謀な起訴に手を貸してしまったと言われても仕方がないように思われます。
 そして、冤罪で逮捕された人たちが弁護人を信じられずに、解任したり、面会を拒んでしまうのです。というのも、弁護人と面会すると、そのあと決まって、弁護士との会話について根掘り葉掘り訊かれて嫌になるのです。弁護人とはいえせいぜい1時間の面会。取調の刑事のほうを、長く接しているうちについつい信用してしまうのでした。被告と弁護人との接見内容を調書にするよう指示したのは、麻生興太郎検事だった。
 うへーっ、ひ、ひどいものですよ、これって・・・・。弁護人は秘密に被告人と交流できないとこを知らないはずはないのに・・・・、ですね。
 接見内容を調書に取られたのは最高17回もあったのでした。許せませんよね。
 現代日本の警察の実態を知るうえで欠かせない本だと思います。とりわけ若い弁護士のみなさんには、ぜひぜひ読んでもらいたいと思いました。 
(2010年2月刊。2000円+税)
 初夏の庭にグラジオラスが次々い咲いてくれます。ピンク、白、黄色と華やかな花々に心が騒ぎます。
 梅雨に入ったので、アガパンサスのブルーの花も開いてくれました。地上に花火が打ち上げられた格好の素敵な花です。
 ちよこさん、私のブログまでご覧いただきありがとうございます。

政党内閣の崩壊と満州事変

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:小林道彦、出版社:ミネルヴァ書房
 戦前、軍部が一枚岩でないどころか、内部では熾烈な抗争が絶え間なかったこと、政党も軍部と結びついていたことなどを知りました。本格的な研究書ですから、理解できるところを拾い読みした感じですが、それでも得るところ大でした。
 これまで上原勇作派の実態は過大評価され、その反対に政党政治の発展に陸軍を適合させていこうとした桂太郎─田中義一─宇垣一成という軍政系軍人の系譜は過小評価されてきた。しかし、政党政治の全盛期には、陸軍すら、政党に順応しようとしていた。
 山県有朋の死後、陸軍では長州閥(田中義一)と上原派との対立が表面化した。
 上原は、陸軍きっての「進歩派」であり、自らもフランス語に堪能だった。つねに列強の近代軍に関する最新の軍事情報の収集に努めていた。上原こそ、陸軍の近代化の急先鋒だった。
 1920年代の日本陸軍では、軍政(陸軍省)優位の陸軍統治が実現しており、参謀本部は事実上、田中―宇垣のコントロール下に置かれていた。
 1921年10月、陸軍省で開かれた会議で議論されたのは、日本の兵器生産能力と戦時40個師団という兵力量とのギャップだった。参謀本部が作戦上の観点から40個師団にこだわっていたのに対して、陸軍省は武器弾薬の補給能力の観点から、それに待ったをかけた。陸軍省の指摘によれば、40個師団という大兵力に満足な武器弾薬を補給するのは、当時の日本の工業能力ではきわめて困難だった。
 これに対して、参謀本部が40個師団にこだわったのは、40個師団あれば、長江流域のある程度、つまり漢口・武昌付近まで手をのばせるからというものだった。
 参謀本部は軍隊の質的向上よりも戦時総兵力の多い方を望み、陸軍省は総兵力を多少削ってでもその質的向上を追及した。作戦計画の立案をつかさどる参謀本部は、運動戦・短期決戦志向が組織原理として刻印されている。政治や経済との接点に位置する陸軍省は、どうしても戦争の長期化を考慮せざるをえない。陸軍省は量より質の軍備整備に傾いていったのは、その組織原理によるものであった。
 陸軍がとくに強い関心を寄せていたのは鉄資源の確保であった。第一次大戦の大量弾薬消費・大量人員殺傷の現実は、田中義一をはじめとする陸軍指導部に衝撃を与えた。その結果、彼らは、揚子江中流域の大冶鉄山からの鉄の安定供給を重視するようになった。ところが、やがて、満州の鞍山が鉄資源供給先として脚光を浴びるようになった。
 1925年(大正14年)4月、田中義一が政友会の総裁に就任した。田中義一は在郷軍人会の創始者として、その300万人会員をあてにできた。また、政友会は、陸軍との間に強力なパイプを確保できる。田中にしてみれば、政党勢力と陸軍を一身でコントロールするという桂太郎はもとより山県有朋や伊藤博文すらも構築できなかった政治権力を自らの手に握ることを意味していた。
 山県は官僚制と陸軍をほぼ完璧に掌握していたが、自ら政党組織に乗り出そうとは思わなかった。伊藤は自ら創設した立憲政友会の運営に苦しみ、ほどなく枢密院に祭り上げられてしまった。また、憲法体制の修正による内閣権限の強化を目ざしたが、山県の反発によって失政に終わった。桂は、新政党を自ら組織して利益誘導型の政党政治を刷新し、山県と陸軍を押さえ込む新たな政治構造を創出しようとしたが、明治天皇の急逝と世論の無理解によって、失意のうちにこの世を去った。
 つまり、日本憲政史上、政党勢力と陸軍を同時に直接コントロールできた権力者は一人もいなかった。田中義一は、自らにならそれは出来るし、機もまた熟していると考えていた。政友会総裁に就任したときの田中義一は、自信と野望にみちあふれていた。
 ところが、田中の政治力は、陸軍方面では比較的に安定していたが、肝腎の政友会方面では、きわめて不安定だった。
 張作霖暗殺のとき、田中義一のやり方に不信感を抱いていた昭和天皇は、田中外交の協調的側面をまったく理解できなかった。天皇は、「支那赤化」の脅威を田中ほど深刻には考えていなかった。
 事件の調査結果について参内し上奏した田中義一は、昭和天皇から、前と内容が変わっていると厳しく叱責され、ついに内閣総辞職に追いこまれた。
 天皇側近は、事態が宮中と陸軍との正面衝突に発展することを危惧していた。
 多年、反政友会勢力の中心に位置していた犬養は、田中義一以上に党内権力基盤は薄弱だった。
 天皇は常日頃から、丹念に新聞を読んでいて、軍政改革問題にはとくに大きな関心を払っていた。
 天皇側近グループ、とりわけ牧野や鈴木、一木らに対する平沼系や皇道派の怒りは深く静かに進行していた。「君側の奸」から「玉」は奪還されねばならない。平沼らのイメージでは、天皇は牧野を中心とする側近グループと民政党によって籠絡されているのだった。
 関東軍は、鉄道沿線を離れては行動できない軍隊だった。後方補給部隊を完全に欠いていた。関東軍は、鉄道輸送に大きく依存した、野戦のできない野戦軍であった。鉄道戦争しかできなかった。
 武器・弾薬の補給も実は十分でなく、第二師団は、しばしば中国側の遺棄兵器を利用して作戦を継続せざるをえなかった。ところが、皮肉にも、その多くは、三八式歩兵銃などの日本製武器だった。
 北満の酷寒に日本馬は適応できず、多くの満州馬を現地調達して作戦をすすめた。
 満州国の成立は、本来、犬養の望むところではなかった。陸軍省では、永田鉄山軍事課長が中心となって、関東軍の独走を阻止しようとしていた。
 上海事変のとき、天皇は心労のあまり動揺はなはだしく、側近の目にも日々憔悴の色を濃くしていた。思いつめた天皇は御前会議を開いて時局を収拾しようと考えた。
 国務と統帥の分裂を眼前にして、肝腎の天皇が精神的に追い詰められてしまった。天皇は上海の戦争を心配するあまり、深夜に鈴木侍従長を宮中に呼び出したり、夜もおちおち眠れないような有様だった。
 戦前の日本の当局内部の実情の一断面が鮮やかに切り取られていて、深い感銘を覚えました。
(2010年2月刊。6500円+税)

孫の力

カテゴリー:人間

 著者 島 泰三、  出版 中公新書
 
 私は、著者の本のうち『安田講堂』を除いて、とても良い本だと、いつも感嘆しながら読んでいます。さすが、サル学とりわけアイアイの権威だと思うばかりです。そんな動物学の権威が人間、それも自分の孫をじっくり観察したとき、どう評価するのか、とても興味があります。
 私自身は、残念なことに子ども3人がいずれも独身であり、まだ孫はいませんので、観察のしようがありません。それにしても、孫はかわいいとよく言いますが、著者はほんとうにもうメロメロ状態です。これでまともな観察記になるのだろうかと、そんな心配をするほどです。まあ、それでも、面白く読ませるところは、さすがに年の功ですね。
 生まれたての赤ん坊は、決してかわいくなんかない。
 実際、私も、我が子を初めてみたときには、そう思いましたね。でも、もちろん、やがて可愛くなってくるのですから不思議です。
赤ん坊の始めてのほほえみには、驚くほどの広さ、深さ、豊かさと、それらを越える衝撃的ななにものかがある。赤ん坊のはじめての頬笑みは、「わたしの喜びはあなたの献身から生まれたのだから、私はあなたへ同じ喜びで必ず報いる」と語る。いやはや、これはまったくそのとおりです。うまく言葉にしたものだと賛嘆しました。
 人は、されたことをするようになる。水を飲ませる。おしめを替える。むずがれば抱き上げる。赤ん坊を扱うのは、心を配る仕事でもある。この時期のことを、赤ん坊は決して覚えていない。覚えているのは、自分が物心がついた字だからなので、あたかも自分は一人で生きてきたかのように思い、ひとにもそう語ることになる。しかし、そうでないことは、自分の子どもが生まれたとき、痛いほど分かることになる。うひゃあ、そうでしょうね……。
 生まれてきた赤ん坊は、胎内のときと同じ程の活発さで脳をつくるから、大量の酸素が必要になる。赤ん坊の脳は体全体が要する酸素量のほぼ半分を使う。つまり、赤ん坊はあくびを繰り返して脳をつくる大量の酸素を補給している。
 ほかの動物と違って、人間の脳は生まれてから発達する。半年で倍に、2歳までに誕生したときの3倍になり、4歳までに4倍になる。
 赤ん坊はまず見知った顔を見分け、その顔に執着し、次に知らない顔に恐怖を示すという順繰りの過程をたどる。
孫が1歳7カ月のとき、言葉を覚える過程、言葉を発する過程がこれほどゆっくりしたものだとは思わなかった。このように著者は書いています。
 2歳前後の子どもほどかわいいものはない。開き始めた花が春風にそよぐように、産まれたばかりの心がどんなものにも反応して、はずんでいる様子は、どこから見てもほほえましい。
 1歳半あたりから、子どもは、それまで見たこともない深い感情表現を示すようになる。それが、両親をさらに子煩悩にする。祖父母には、これまで経験したこともない喜びをもたらす。孫は、祖父母が自分を愛しているひとだと認めている。その感覚は、非常に強く、姿を見ただけで飛んでくるほどだ。この不思議な感情の芽生えは、このときに始まる。それを生むのは、お互いがお互いなしには生きていけないと思うほどの相互関係の感情である。
 ところが、やがて人は反抗することで人格を形成する厄介な動物なのである。
 孫が3歳になるころ、祖父母に出番がやってくる。友だちができるが、もめごとも起きる。自分では解決できないことが多くなってくる。3歳の子は、大人と対等だと思っている。
 新しいことをしたいという気持ちは、これまでの自分を越える行動をしたいということだ。
 なんと!人は日々、自分を越えようとする動物なのだ。
 孫の観察は、人間が作られていく過程をじっくり見極めるものだということがよくよく分かる、実に面白い本です。子、そして孫を持つ人にとって、必読文献だ、と思いました。
(2010年1月刊。780円+税)
 日曜日の午後、仏検(1級)を受けました。いつものことながら緊張しますし、我ながら不出来なのが残念です。予想問題集に取り組み、頭の中をフランス語モードに切り替えるよう努めたのですが、ボロボロと忘れていくことが多くて大変です。自己採点でなんとか4割の得点でした。フランス旅行の楽しみのための苦労と思って辛抱しています。

検察との闘い

カテゴリー:司法

 著者 三井 環 、創出版 
  
  元大阪高検公安部長が飲食代などの32万円の贈賄等の容疑で逮捕され、裁判にかけられて有罪(実刑判決)となり、1年あまり刑務所に入ってから自分の検察官人生を振り返った本です。
著者は、福岡高検の検事長にもなった加納駿亮氏を一生許せないと厳しく糾弾しています。現在は弁護士になっている加納氏を検察庁の諸悪の根源の一つだと言いたいようです。加納氏は福岡にもなじみのある人ですから、一度、加納氏の反論も聞いてみたいと思いました。
 著者は、自分が刑事事件となったのは、検察庁の裏金問題をマスコミに内部告発しようとしたからだと主張します。
 1999年に7億円あった検察庁の裏金(調査活動費)が、内部告発があって問題とされた翌2000年に5億円となり、今では7000万円台になっている。ところが、法務省全体の調査活動費は減っていない。つまり、検察庁のほうが減った分を公安調査庁など法務省の組織内で消化されているというわけです。
著者は懲戒免職処分され、もらえたはずの退職金7000円も受けとれず、弁護士資格もなく被選挙権さえ5年間ありません。
 たしかに、裏金問題を告発しようとしていたテレビ出演の3時間前に逮捕されたというのは、告発者の口封じのためとしか考えられませんよね。警察の裏金問題も、かなりあいまいな決着でしたが、検察庁の裏金については大問題になる前に幕引きとなった感があります。
 検事として、著者はかなりアクの強い、スゴ腕だったようです。こんな豪腕検事と法廷でぶつかりあわなくて良かったなと正直いって思いました。それはともかくとして、検察庁や警察の裏金問題の解明のために、引き続きがんばってほしいと思います。
(2010年5月刊。1400円+税)

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