法律相談センター検索 弁護士検索

ネット・バカ

カテゴリー:人間

 著者 ニコラス・G・カー、 青土社 出版 
 
 漢字のような表語文字言語を書いている人々と、表音文字であるアルファベットを用いた言語を書いている人々とでは、脳内の回路の発達の様子がかなり異なっていることを脳スキャンは明らかにしている。
 そうなんです。日本人が英語を何年も学校で勉強していても得意とする人が少ないのは、ここに大きな原因があるのです。決して学校の授業が悪いというだけではありません。
 2009年までに、アメリカの大人は平均で週に時間をネットに費やしている。2005年の2倍である。そして、20代の著者がネットに費やす時間は週19時間。2歳から11歳までの子どもは週11時間をネットに使っている。2009年、平均的なアメリカのケータイ利用者・は、月400通のメッセージを送受信している。これは2006年の4倍である。
 ネット使用が増えるにつれ、印刷物、新聞や雑誌そして本を読むのにつかれる時間が確実に減少している。ネットの勢力が拡大するにつれ、他のメディアの影響力は縮小していく。グリーティング・カードやハガキの販売枚数は減り、郵便総量が急激に減っている。
 ネットの影響によって、新聞業界ほど動揺した業界はない。大新聞は、どこも青色吐息です。私の長男もネット派で新聞は読んでいません。「疲れる」というのです。信じられません。
ネットは注意をひきつけるが、結局は、それを分散させる。メディアから速射砲のように発射される、競合する情勢や刺激のせいで、注意は結局、散らされる。
 ネットが助長する、絶え間ない時間の注意散漫状態、ネットの有する感覚刺激の不協和音は、意識的志向と無意識的志向の両面を短絡させ、深い志向あるいは創造的思考をさまたげる。脳は単なる信号処理ユニットになり、情報を意識へと導いたり、そこからまた元の場所に戻したりするようになるのだ。ネット使用者の脳が広範に活動することは、深い読みなどの集中を維持する行為が、オンラインでは非常に困難であることの理由にもなっている。
 オンラインで読むとき、深い読みを可能にする機能を犠牲にしている。コンピューターの使用は、読書よりもはるかに強い精神的刺激を提供する。読書が感覚に与える刺激は常に小さい。与える刺激が常に小さいという、まさにそのことが読書を知的な報酬を与えるものとしている。注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮めることで、深い読みは深い思考の一形態となる。熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり騒々しい頭脳ではないのだ。読書する人の目は、文字を追って完璧になめらかに動くわけではない。その焦点は、いくぶん飛躍しながら進んでいく。
オンラインで絶え間なく注意をシフトすることは、マルチタスクに際して脳をより機敏にするかもしれないが、マルチタスク能力を向上させることは、実際のところ、深く思考する能力、クリエイティヴに思考する能力をくじいてしまう。
 記憶には短期記憶と長期記憶がある。長期記憶の貯蔵には、新しいタンパク質を合成する必要がある。短期記憶の貯蔵にこれは必要ない。長期記憶を貯蔵しても、精神力を抑えることにはならない。むしろ、強化する。メモリーが拡張されるにつれ、知性は拡大する。
 ウェブは、個人の記憶を補足するものとして便利かつ魅力的なものであるが、個人的記憶の代替物としてウェブを使い、脳内での固定化のプロセスを省いてしまったら、精神のもつ裏を失う危険がある。神経回路の可塑性のおかげで、ウェブを使えば使うほど、脳を注意散漫の状態にしていく。きわめて高速かつ効率的に情報を処理してはいるけれど、何ら注意力を維持していない状態におく。
 コンピューターから離れているときでさえ、集中するのが難しくなったという人が増えている。脳は忘却が得意になり、記憶が不得意になっている。人間と他の動物とを分けていることのひとつに、人間は自分の注意力を制御できるという点がある。
 注意散漫になればなるほど、人間はもっとも微妙で、もっとも人間独特のものである感情形態、すなわち共感や同情などを経験できなくなっていく。穏やかで注意力ある精神を必要とするのは、深い思考だけではない。共感や同情もそうなのだ。
インターネットは現代に生きる私たちに必要不可欠のものです。でも、それに頼りすぎていると深い思考・創造力や人間らしい共感・感情などを失う危険があるという指摘がなされています。
 鋭い問題提起をいている本です。ぜひ、あなたもご一読ください。 
(2010年9月刊。2200円+税)

赤ちゃんの科学

カテゴリー:人間

 著者 マーク・スローン、 NHK出版 
 
 赤ちゃんが生まれた。わくわくする人生のビッグイベント・出来事です。私の子どもたちも、ずい分と大きくなりましたが、今でも赤ちゃんのころの写真を大きく引き伸ばして部屋に飾って、ときどき眺めています。赤ちゃんのふっくらほっぺ、つぶらな瞳って、いつ見ても心が癒されますよね。
 メスのゴリラは安産の見本のような動物だ。陣痛が始まると、群れから静かに離れ、30分もすると、産み落としたばかりの我が子を抱いて戻ってくる。お産は自分ひとりでして、群れの仲間たちは出産するメスのことを気にも留めない。ゴリラのお産が楽なのは、母親の身体が大きく、胎児が小さいという生体的な特徴のおかげである。
 これに対して、人間は、18時間も苦痛が続き、他人の助けが必要である。どうして人間は、ゴリラのようなお産ができないのか?
 ヒトの胎児は外に出るために、曲がりくねった産道をなんとか通り抜けねばならない。産道の複雑な構造のせいで、ヒトの出産は苦痛にみちたものになる。産道のなかで、胎児は身体を曲げたり、伸ばしたり、回したり、ヒト以外の霊長類には必要のない複雑な動きを駆使したすえ、やっと生まれることができる。
 ヒトの出産は、まず直立歩行に対応するために大きな変化をとげた。ヒトの分娩が危険な営みになったのは、およそ150万年前のこと、胎児の頭は大きくなる一方なのに、メスの骨盤はある一定の大きさで止まってしまった。
 子宮は、どれだけふくらんでも、絶対に破裂しない。胎児の頭蓋骨は、その弾力性を生かして器用に形を変え、骨板が動いて少しずつ重なりあった結果、胎児の頭の幅は4センチも狭くなる。出口が10センチだから、この4センチは、とても大きい。
 そして、赤ちゃんの30人に一人は、肩にある鎖骨が一、二本は折れた状態で生まれてくる。折れた鎖骨はすぐにくっつき、あとで問題になることはない。
 ヒトの妊娠期間は、本来、21ヶ月であるべきなのだ。つまり、ヒトの母親は、本来なら胎児が9キロ(生後12ヶ月の赤ちゃんの体重)になったときに出産すべきなのだ。しかし、そうすると、頭囲は今より30%も大きくなってしまう。これでは出産できませんよね。
胎盤は多様な機能を果たしている。なかでも重要なのは、母体の血液が胎児のときの出した老廃物を受け取り、尿と一緒に排泄かたわら、水分やタンパク質、脂肪分、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養分を母親から胎児へと運び、成長をうながす働きである。胎盤は妊娠中ずっと母体の抗体を胎児に送りつづけ、その抗体が外の世界に出たあとも、赤ちゃんを病原体から守る。
 胎児の構造のなかでも、とりわけ精巧にできているのが心臓の内部である。胎児の肺は空気でなく、羊水でいっぱいである。
 胎児は、なぜオンギャーと泣き叫ぶのか?
 冷たく、びしょぬれの不快な感覚、驚き・・・・。そして、泣くごとに肺のなかにたまった羊水を少しずつ追い出して、肺胞を開いていく。
健康な妊婦は、経膣分娩のあいだ、酸化ストレスを抑制する高酸化物質ダルタチオンを大量に分泌し、胎児の身体に送り込む。ところが、ストレスの少ない帝王切開分娩の場合、胎児は母体からダルタチオンを少ししか受けとらない。帝王切開で生まれた子どものほうが、免疫系の疾患であるぜん息にかかる確率がやや高い。
出産の瞬間には、赤ちゃんの体内で大量のテストステロンが放出される。誕生直後にいったん急増したテストステロンは、すぐに減少する。思春期にはいって野放しの放出が起きるまで、その状態が続く。テストステロンが男をつくる。ところが、テストステロンは、妻の妊娠によって減る。
 胎児の五感。胎児の目にうつる子宮のなかは、いつも真っ暗というのではない。赤くなることもある。長波長の赤い光の10%は子宮に届いている。胎児は音も聴いている。胎児は、内耳にとどく低周波の音を聴いて子宮の内外に広がる世界について理解を深めている。
胎児はママの声だけは一日中聞いていても、決して飽きない。妊婦が話しはじめると、お腹の子の動きが鈍くなり、心拍数が下がる。
 胎児は音楽が好き。なかでもリズムが一番好きのようだ。胎児は、妊娠最後の2、3週間に母体の内外の環境から自発的に学習し、話し、言葉や音楽のリズムなどの基本を獲得している。
 胎児はママの食べたもののにおいを嗅いでいるだけでなく、生まれたあとも覚えていて、好んで食べるようになることが多い。
 子宮のなかで学んだ感覚を頼りに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚とフルに稼動させて赤ちゃんはママのおっぱいに到達する。子宮のなかで、いつでも、どこからでもなく聞こえていた声が、いまはママの口から出て、赤ちゃんに届いている。聞き慣れたママの声。この世にみちている奇妙な音のなかから、その安心できる声をたどっていけば、ママのおっぱいにたどり着くことができる。
 新生児は、ただ顔を認識できるだけでなく、記憶することもできる。赤ちゃんは、生まれて4時間後には、すでにママの顔とほかの女の人の顔を区別できるようになる。
新生児をママのおっぱいに引き寄せるような役目をするのは、なんと羊水のにおいである。ママの乳首は、羊水そっくりの科学物質を分泌するのだ。慣れ親しんだ羊水のにおいと味に触れて、心を落ち着ける。
 赤ちゃんに食べ物だけを与えても、人との触れあいが欠けると、発育障害が発生する。体重が増えず、身体的・情緒的発達に深刻な遅れが生じる。ネグレクト(育児放棄)や虐待の犠牲になった赤ちゃんには発育障害が発現する。
赤ちゃんには、本当の父親が誰なのかを巧に隠す技がある。赤ちゃんは、とくに誰にも似ていない状態で生まれてくるのは、理にかなっている。一般的に言えば、男性が自分の遺伝子を残すことに成功してきたのは、赤ちゃんが特に誰にも似ていないおかげなのである。
うへーっ、これってあり、ですかね・・・・。腰が抜けそうなほど、驚きました。まさしく人間の神秘ですね。たしかに、生まれたばかりの赤ちゃんって、しわだらけですよね。すぐにふっくらして可愛い顔になりますが・・・・。もっとも、私の子どもは私によく似ているとみんなから言われて安心しています。
(2009年2月刊。1600円+税)

草原の風の詩

カテゴリー:日本史(戦後)

 著者 佐和 みずえ 、 西村書店 出版 
 
 1903年(明治36年)、日本人の若い女性が中国大陸に渡り、万里の長城を越えて、モンゴルの王宮に出かけてのでした。
 実験にもとづく小説です。日本軍の中国そしてモンゴルへの侵略と支配の先兵となってしまうのではありますが、一人の日本人女性の勇敢な生き方が情感あふれるタッチで描かれています。その意味で、大変読ませます。
 そんなように紹介すると、おまえはいつから侵略日本の手先になったのかと、きついお叱りを受けそうです。まあ、そう言わずに、小説として、また、日本人女性の善意ある活躍が政治に翻弄される物語として読んでもいいかなと思います。
 それだけ、モンゴル国を取り巻く状況も描かれているということでもあります。
 侵略軍としての日本人の嫌やらしさも多少は描かれていますので、戦前の日本を知るきっかけになる本だと思いました。
               (2010年2月刊。1500円+税)

性器の進化論

カテゴリー:人間

著者:榎本知郎、出版社:化学同人
 生殖器、体つき、脳など、すべて女性が原型なのである。男性になるには、何段階もの関門があって、そのたびごとに男性にする作業が行われる。そのどこかにエラーがあると、遺伝的には男性にはなれない。つまり、ヒトの原型は女性であり、男性は精一杯がんばって細工をして男性になる。
 射精された2~3億個の精子のうち、卵子に到達する精子は300~500個でしかない。そして、医学的には、射精される精子数が1億を下まわると不妊の原因になるといわれる。卵子に到達する精子は、最低でも150は必要である。
 一番乗りした精子は自分の酵素を放出しては死んで後進に道を譲り、150番以降の順位の精子が福を得て、受精させることが出来ることになる。なんという確率でしょうか・・・。
 ヒトは、半数の人が結婚して妊娠するまで半年ほどかかっている。ヒトの妊娠率は、ほかの動物に比べて低い。なぜか?
 良い遺伝子をもつ雄を選ぶためには、配偶者をきっちり選ぶことが必要なのである。
 ヒトそして、男と女の違いを図解しながら、分かりやすく解説してくれる真面目で面白い本です。
(2010年1月刊。1500円+税)

裁かれる者

カテゴリー:司法

著者:沖田光男、出版社:かもがわ出版
 1999年9月初め、東京の中央線の快速電車に乗っていた男性が若い女性に対して携帯電話による通話を注意したところ、しばらくして、電車内で痴漢したとして改札口を出たところで逮捕されたのでした。「現行犯逮捕」というには、時間と場所が違っています。
 それでも、いったん逮捕されたら、簡単には釈放されません。結局、23日間、丸々警察の留置場に入れられたのでした。それでも、なんとか釈放され、不起訴が決まりました。
 事件のあと、1年半たって、国家賠償請求の裁判を起こしたのです。
 ところが、なんと、刑事事件としては不起訴になったのに、民事訴訟では、一審も二審も「痴漢行為をした」と認定されてしまったのです。うへーっ、と本人ならずとも驚いてしまいます。
 刑事記録は既に廃棄されていました。3年間の保存が義務づけられているのに、担当職員が一年と勘違いして廃棄してしまったのだというのです。なんということでしょう、本当なんでしょうか・・・。
 民事裁判では、男性の身長が164センチで、女性のほうは170センチ。しかも、7センチのハイヒールの靴をはいていた。ところが、女性の「腰」に男性の「股間」を接触させていたという。客観的には、ありえない。それでも、一審も二審も、女性の供述を信用した。そして、最高裁は、なんと法廷での弁論を行った。
 このとき、「被害者」の女性本人が涙ながらに意見陳述したのでした・・・。すごいことですね。
 結果は、高裁への差し戻しを命ずる判決でした。そして、高裁は、痴漢行為は認められないとしつつも、女性の虚偽申告も認められないというものでした。矛盾としか言いようのない判決です。
 この事件が世間の注目を集めた理由の一つは、周防正行監督の映画『それでもボクはやっていない』(2007年1月)にあった。私も、この映画は見ました。大変よく出来ていて、司法の現実、その問題がズバリ描かれていると思いました。
 裁判の限界を実感させる本ではあります。それにしても、本人(1942年生)と家族は、本当に大変な苦労をされたことだろうと推察します。お疲れさまでした。それでも、このような本を書いていただき、ありがとうございます。
(2010年4月刊。1000円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.