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ニッポンの刑務所

カテゴリー:司法

 著者 外山 ひとみ 、講談社現代新書 出版 
 
日本全国に77の刑務所があり、6万2756人(2009年末)の受刑者が収容されている。未決をふくめると7万5250人、少年院や少年鑑別所などを入れると8万456人となる。
刑事施設の収容人員のピークは2006年で、このとき未決をふくめて8万1255人、既決だけだと7万1408人だった。2008年から既決の収容率は97.6%と100%を下回るようになった。
執行刑期8年以上の長期受刑者が2003年から増加している。1998年から2008年の10年間で、3113人から6529人へと2倍以上に増えた。
 女子施設については、まだ過剰収容は深刻で、2009年末でも平均収容率が既決で114%を超えている。女子受刑者は、1974年に811人だったのが、2009年末の既決収容者は4348人となっている。収容率は114%だ。
外国人の受刑者の比率は、中国人が39%、ブラジル人とベトナム人がそれぞれ10%、韓国人とイラン人もそれぞれ9%の順になっている。外国人の受刑者が増大した原因は、日本が不況になって、彼らの仕事がなくなったから。
 外国人受刑者は、塀の中から母国へ電話をかけて話すことが認められている。1000円のテレフォンカードでイランだと13分、中国だと23分間話すことが出来る。法務官が電話をかけ、相手を確認してから受刑者と替わる。別室で会話は傍受されている。
横浜刑務所の受刑者の平均年齢は49歳、平均入所数5.1回、最多は60代の26回目の服役。最高齢は87歳。罪名は窃盗32%、覚せい剤26%。この二つで6割を占める。
 高齢者が急速に増えている。60代以上の受刑者は、2001年に12.4%だったのが、2008年には24%となった。
 寮から工場へ移動するとき、受刑者が整列し、刑務官が自ら大号令をかけて引率する「行進」はなくなった。この進行については自主性を損なうものとして批判がありました。
 30%の再犯者によって60%の犯罪が行われている。65歳以上の高齢者では、2年以内に再犯を犯すのが4分の3、1年以内が半数。55歳以上では半数、20代前半では47%が2年以内に罪を犯している。
 したがって、30%の再犯者にストップをかければ、犯罪も大きく減ることになる。この再犯防止のためには、教育と出所の受け皿、つまり帰る場所と仕事があることが重要である。
 山口県美祢にある社会復帰促進センターでは、国の職員123人に対して、民間220人、非常勤をふくめて男女520人が働いている。ここに受刑者の定員は男女各500人に対して、実際には男性281人、女性310人が入所している。美祢センターは全国はじめての男女合同施設である。収容者には高学歴の人が多く、21%が大学の中退以上。
過剰収容で収容率130%になっても暴動が起きない。刑務官が丸腰でも襲われない。これは日本人のいいところだ。そうなんですね。阪神大震災のときに暴動がなくて、世界から注目されましたよね。
刑務官の待遇改善と増員なしには再犯は減らせないと私は思います。ギスギスした人間関係から犯罪は生まれるのです。日本の刑務所を取り巻く状況を概観することのできる本として一読をおすすめします。 
(2010年3月刊。800円+税)

出口のない夢

カテゴリー:アフリカ

著者:クラウス・ブリンクボイマー、出版社:新曜社
 まず、鉄砲がアフリカにやって来た。その後、ムスリムとキリスト教徒の宣教活動が始まった。そうしてアフリカで奴隷制度が始まった。組織的な人さらいの時代が400年も続いた。アフリカ大陸の歴史の暗黒部分の下手人がヨーロッパ人であったことは間違いない。
 だが、アフリカ人も、これに手を貸していた。西アフリカの諸部族は相戦っており、勝者となった族長たちは、敗者の戦士を白人に売っていた。敗者の数が十分でなく、捕虜が足りないときには族長は自身の部族民も売った。族長は兵士に村々を襲撃させ、部族民の小屋から息子や娘を連れ出した。奴隷市場で売りに出すため、つまりは族長の富を増やすためだった。多くの奴隷と交換に多くの武器が手に入った。その武器で、さらに多くの奴隷を捕らえることができた。
 奴隷制の歴史は、アフリカの歴史の核心部分をなす。トータルで6000万人の人間が絶え間なく消滅し、死亡した。火器と王たちに対する恐怖と無力感。これが記憶に刻み込まれ、それが部族を変え、民族を変え、大陸全体を変える。それは自画像も、イメージも変える。
 アフリカのイメージ・・・?
 取り残されて腑抜けの卑屈で追従的、迷信深くて怠惰、不潔で原始的。
 アフリカ大陸は、しばしばこのように見られ、記述され、扱われている。植民地を経営する国々は、アフリカには自己管理能力が欠如しているという理由をつけて植民地政策を正当化する。
 アフリカは一族郎党(クラン)の大陸だ。成功を収めた者は、分かち与えなければならない。単独であることは、アフリカでは天罰を受けるふるまいであり、呪詛を意味する。一方、集団は聖なるものだ。それは、たとえば、100ドルを稼いだ者は、50ドルを誰かに分け与えることを意味する。ここらは、日本人とかなり異なった感覚ですよね。
 ビッグ・マンという概念は、アフリカの全能の支配者。つまり諸部族の有力者、神々、虐待者をさす言葉だ。モブツ、アシン、ボカサ、ドウ、セラシェたちは、ビッグ・マンの系譜に連なる名前だ。彼らは、誇大妄想を体現する権力の象徴的人物であり、彼らの本質的な目的は、自分自身を維持することにあった。
 ハンセン病は、今日なおナイジェリアの国民的な病気であり、毎年、数千人が罹病する。その理由は、薬がないからだ。抗生物質を用いれば、ハンセン病はきわめて容易に治癒可能な病気である。
 今日、ナイジェリアは、娘たちを輸出している。少女たちは13歳か14歳だ。胸がふくらみ始めると、彼女たちは商品になる。そうなると、彼女たちは、家を、部落を、そして国を出ていかなければならない。ここでは、誰もが、それを知っているし、あまりに多くの者たちが同じことをする。
 アルジェリアは、1992年に内戦が始まり、7000人が行方不明、12万人ないし20万人が死亡した。そして今日、アルジェリアは、30以上の政党を有する民主主義国家だが、実際には、相変わらず軍事独裁国家である。
 リベリアでは、テーラー大統領による7年にわたる戦争で20万人が死んだ。テーラーは、ダイヤモンド、生ゴム、木材を売った収入で少年兵たちのための武器の購入費用に充て、残りは外国の銀行口座にためこんだ。税収およびダイヤモンド、木材取引による収入の7000万ドルから1億ドルをテーラーは自分の懐に入れた。テーラーの資産は30億ドルに上った。2006年春、テーラーはナイジェリアで逮捕され、シエラレオネに引き渡された。戦争犯罪人として裁かれる。
 ヨーロッパにおいて、1990年から2000年にかけて人口増加の89%は移民によるもの。2010年以降には100%になる。移民がなければ、ヨーロッパ大陸の人口は、この5年間に440万人減少していたはず。
 移民は、2004年に、銀行を介して1500億ドルを故国に送金した。別のルートによる送金額は3000億ドルと推定されている。
 なんと、日本にも1000万人の移民を受け入れる構想を自民党の政策チームがまとめて福田首相(当時)に提出したそうです。
 日本の人口は現在、1億2700万人ですが、50年後には、9000万人を割り込み、100年後には4000万人台になるという予測を立てて、今後50年間に1000万人の移民を受け入れて1億人の人口を維持しようという構想です。しかし、こんな議論はまったくされたことがありませんよね。
 アフリカで起きていることは、決して他人事(ひとごと)ではありません。
(2010年4月刊。3200円+税)

人間らしさとはなにか?

カテゴリー:人間

著者:マイケル・S・ガザニガ、出版社:インターシフト
 脳が人間の思考と行動をどう司っているのかは、いまだによく分かっていない。数ある未解明の問題のうちには、思考がどのように無意識の深みから抜け出して意識に上るのかという大きな謎がある。
 本当にそうなんですよね。私たちの毎日の生活のなかでは、意識されてはいないけれど潜在的意識が実際の行動にとても影響をもっているということがよくありますよね。たとえば、人前で話すときに意識のなかったことが、当意即妙で話すことがあります。こんなとき、自分のなかにもう一人の自分がいると実感します。このように、人間という存在は、意識にのぼっているところだけではとらえきれないものだと私はつくづく思います。
 左脳が知性を司る半球だ。話し、考え、仮設を立てる。右脳は、そういうことはしないが、左脳より優れた技能をもつ、とりわけ視覚的知覚の領域で秀でている。
 左脳は、右脳の670グラムと縁を切っても、分離される前と同じ程度の認知能力を維持する。脳の賢さの所以は、単なる大きさにとどまらない。つまり、左半球には知覚機能で著しく劣る点があり、右半球は認知機能にさらに顕著な欠点がある。
 脳の左半球は、事象を解釈せずにはいられない。右半球には、そんな傾向はない。
 二つの脳半球は、二つの違った方法で問題解決の状況にのぞむ。右半球は、単純な頻度の情報にもとづいて判断を下すのに対して、左半球は、手の込んだ仮設を立ててそれを拠りどころにする。
 脳は、生まれたときは、成人のたった23%の大きさしかなく、成人に達するまで拡大し続ける。人間の脳の一部は生涯を通して成長を続ける。それは新しいニューロンが加わるというのではなく、ニューロンを取り囲むミエリン鞘が成長を続けるということ。
 観察から分かっているチンパンジーの社会集団の大きさは55匹である。人間の大脳皮質の大きさから割り出した社会集団の大きさは150人。今日、狩猟採集部族の典型的な規模は、一年に一度だけ伝統行事のために集結する同族集団において150人だ。
 人間は、組織階層なしに統制できるのは150~200人であることが分かっている。
 人間の会話の中身の3分の2は、自分に関する打ち明け話であることが判明している。
 他愛もない話を分析した学者がいるのですね。
 赤ん坊は、生まれてまもないときから、何よりも顔を見たがる。生後7ヶ月を過ぎると、特定の表情に正しく反応しはじめる。顔知覚は、社会的相互行為を円滑にすすめるために膨大な情報を提供する。ただし、顔を識別できるのは、人間だけではない。チンパンジーやアカゲザルにもできる。
 チンパンジー、ボノボ、人間など、多くの種では、大人も遊ぶ。いったい、なぜか?
 大人は、もう練習の必要はないのに、なぜ遊ぶのだろう。そうなんですよね・・・。
 社会的であることを理解するのは、人間というものを理解するための基本だ。イスラエルのキブツでは、血のつながりのない子どもたちが一緒に育てられる。彼らは、生涯代わらぬ友情を育むが、お互いに結婚することはめったにない。
 人間の脳は多くの点でコンピューターとは異なっている。脳の回路はコンピューターよりも遅いが、超並列処理をする。脳は100兆個のニューロン接続をもっている。これは従来のコンピューターよりも多い。
 脳は、常に自らの配線を直し、自己組織化している。
 脳は、創発的特性を利用する。つまり、行動は、カオスと複雑さのかなり予測の難しい結果だ。
 生後8ヶ月の赤ん坊の、発達過程にある脳は、ランダムなシナプスを多く形成する。そして、現実世界をもっともうまく説明できる接続パターンが生き残る。結果として、大人のシナプスは、幼児よりも、はるかに少ない。
 脳は分散型のネットワークだ。指令を下す指揮官も中央処理装置もない。脳は密接に接続してもいるので、情報の通り道は、そのネットワークの中にたくさんある。
 脳全体の仕組みは、ニューロンの仕組みよりも単純だ。
 人間と脳について深く考えさせてくれる面白い本でした。
(2010年3月刊。3600円+税)

新・雨月

カテゴリー:日本史(江戸)

船戸 与一  著 、徳間書店 出版 
 江戸時代最後、幕末の日本の状況を実感させてくれる貴重な小説だと思いました。
  明治維新というのは、幾多の多大なる犠牲なしには実現しなかったのです。
明治維新に反抗したのが、たとえ後世になって「反動」と呼ばれようとも、薩摩や長州勢の言いなりにはならないという日本人も多かったのではないでしょうか。そして、新政府をかたちづくった薩長土肥その他の内部にも、また皇族や公じ家の中にも大いなる矛盾と激しい抗争が存在しました。
 この本は、その点を多面的な角度から描こうとした意欲的な小説です。私も、こんな本を1968年の「大学紛争」について小説として書いてみたいと思ったことでした。
 上巻1冊で500項もある大作です。かなり強引な飛ばし読みをしましたが、それでも丸2日間、3時間はたっぷりかかってしまいました。それだけ読みごたえのある本なのです。
 よく調べて書かれていますので、幕末から明治維新にかけての日本各地の雰囲気を知りたい人には絶好の本だと思いました。
(2010年3月刊。1900円+税)

たった独りの引き揚げ隊

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:石村博子、出版社:角川書店
 ロシア人(コサック)の母と日本人の父のあいだに生れた10歳の少年が終戦(日本敗戦)後、満州(中国の東北部)をたった一人で1000キロも4ヶ月歩いて、ついに日本(柳川)へ帰国できたという体験の聞き語りの本です。その状況がよく描けていることにほとほと感心しつつ、車中で読みふけってしまいました。
 満州と言えば、私の叔父(父の弟)も、敗戦後、八路軍に徴募して技術者として何年も転々としました。そのことを叔父の書いた手記をもとに少し調べて小篇にまとめてみました(残念ながら、力不足で本にまでは出来ませんでした)。また、母の異母姉の夫(中村次喜蔵)が満州の日本軍の師団長として敗戦直後に自決していたことも少し調べて、母の伝記に取り入れてみました。このときは、東京の偕行社に依頼して調査に協力してもらいました。旧軍の将校クラブが生きていることに少しばかり驚いた覚えがあります。
 主人公のビクトルは1935年、満州国ハイラルで生まれた。父親は日本人の毛皮商人、母親は亡命コサックの娘。その父はロシア皇帝ニコライ2世の直属コサック近衛騎兵をつとめていた。
 父・古賀仁吉は、1910年に、柳川で生まれた。満州事変(1931年)ころに中国大陸へ渡り、会社を営んでいた。
 敗戦後、両親と生き別れ、日本への帰国団から、ロシア人の子どもとして2度も排斥されてしまった10歳のビクトル少年は、一人で歩きはじめ、日本への帰国を目ざすのです。その旅行の描写は、体験した者ならではの迫真力にみちみちています。すごいです。
 左に線路、上に太陽、前方に木。これだけあれば前に進める。雨にうたれると体力を急速に奪われるから、気をつけていた。
 野宿で重要なのは、眠っている間に身体の熱が奪われないようにすること。ねぐらを決める前にまず確認すべきなのは天候。夜中に雨が降りそうなら、身体全体がすっぽり隠れるくらいの場所があって、足元には水を吸収しやすい砂地っぽいところを探す。次に、風向き。それから、オオカミや野犬などが来ないところ。そして、土地の人にも見つかる恐れのないところ。
 だから、ねぐらにしたのは、窪みや岩陰など、身を隠せるところが多かった。そこなら、風が当たらないし、体の熱も逃げない。首には必ず毛布を巻いておく。
 夜は怖い。月や星がなければ、あたりは漆黒の闇。音も匂いも、昼間よりずっと鋭く伝わってくる。怖いけれど、バタバタするな、落ち着けって、自分で自分に言い聞かせる。暗いときには、身動きしてはいけない。じっとして、夜の音を用心深く聞きとらなければいけない。耳はすごく敏感になる。聴覚は良かったから、相当地小さな音も聞き分けることができた。風に鳴る木の葉の音、草の揺れる音、虫の声・・・。全部が生きている。すごいなと思いながら聴いていた。一番怖いのは息を殺して近づいてくる気配だ。
 食べ物探し。草も食べた。よく分からないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても恐らく大丈夫。すぐにしおれるものは危ない。うへーっ、そ、そうなんですか・・・。知りませんでしたね。すごい野性児ですね・・・。
 『花はどこへ行った』というアメリカのフォークシンガーであるピート・シーガーが歌ったものの原詞がコサックの子守唄だったことを初めて知りました。
 少年ビクトルはロシア語を忘れないように歌ったのでした・・・。
 あしの葉は、どこへ行った?
 少女たちが刈り取った
 少女たちは、どこへ行った?
 少女たちは嫁いでいった
 どんな男に嫁いで行った?
 ドン川のコサックに
 そのコサックは、どこへ行った?
 戦争へ行った
 11歳になっていた少年ビクトルは日本人の引き揚げ隊を見て、こう思ったといいます。
 日本人って、とても弱い民族だ。打たれ弱い。自由に弱い。独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちして、パニックになる。
 巻末に主要参考文献のリストがのっています。かなり本を読んできたと自負する私ですが、こんなリストを見ると、まだまだだと思わざるをえません。
 とても面白い本でした。
(2002年3月刊。1600円+税)
 駅前で選挙運動をしていた人が、ポスターを近くに仮留めしていたところ警察に逮捕されるという事件が発生しました。なんと20日間も拘留され、家宅捜索までされたというのですが、不起訴で無事に決着しました。
 それにしても、こんな事件で20日間の拘留を認める裁判官というのは常識はずれではないでしょうか。もちろん、警察が一番ひどいのですが……。
 インターネットの自由な使用も認められない今の公職選挙法のなんでも禁止というのは、まさに時代錯誤の法律です。戸別訪問の解禁を含めて、一刻も早く選挙のときこそ国民が大いに政治をのびのび語りあえるように法改正してほしいものです。
 ちょこちゃん、いろいろ情報提供ありがとうございました。

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