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宇宙飛行士の育て方

カテゴリー:宇宙

 著者 林 公式、 出版 日本経済新聞出版社 
 
 実に面白い本です。私は宇宙飛行士になれるはずもなく、また、そのつもりもありませんが、宇宙飛行士になるには何が必要なのか、その訓練はどんなものなのか、よく分かりました。
国際宇宙ステーション(ISS)は、10年かけて、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、日本、カナダの15カ国が協力してつくりあげたもので、サッカー場の大きさがある巨大な有人施設だ。
ISSでは尿を飲料水にリサイクルする。以前は、尿や便は廃棄し、水の大部分を地上から宇宙船で運搬していた。NASAは水再生装置を開発した。
ISSは90分で地球を一周するから、45分ごとに昼と夜がやってきて、温度や明るさが目まぐるしく変わる。船外活動をしているときには、そのたびに宇宙服の中を流れる冷却水で体温調節し、暗いときには手元を照らす。
ISSは地球上の高度400キロメーターあたりを飛行しており、そこにはわずかの空気があるため、大気との摩擦で徐々にISSの高度が下がって地球に近づいてしまう。そこで、1ヶ月に1回は、ISSのエンジンを噴射して、高度を上げる。
2010年まで、日本人8人が宇宙に飛び立った。一人目の秋山豊寛氏はTBS社員だったが、TBSは宇宙旅行の費用として22億円をソ連に支払った。す、すごーい大金ですね。いま、個人旅行で10億円出せば行けるそうで、アラブの金持ちなどが申し込んでいるようです。
 今のISSには、日本実験棟「きぼう」があり、そのため、1年から1年半に1回、半年間は日本人がISSに滞在することが認められている。
 宇宙飛行士の選抜基準として、大学で文系を専攻したひとは除かれる。宇宙飛行士で一番に求められるのは状況認識。その場の「空気」を読むのも含まれている。また、条件のなかには「美しい」日本語も入っている。事故の経験を生き生きと伝える豊かな表現力ということだ。
宇宙飛行士(大卒35歳)の本給は36万円ほどである。英語力はTOEICで800点以上。雑談になっても、楽しく会話できるかも問われる。
 二次選抜まで合格すると、長期滞在適正テストがある。窓のない閉鎖施設内に10人の応募者が一週間も缶詰め状態となる。そして、24時間テレビモニターで室外から監視される。面接ではグループディスカッションをする。出しゃばって、よく分かっていないのにとにかく一生懸命な姿勢を見せようとして発言するのは評価が良くない。基本姿勢として、人の意見をよく聞くこと、そして発言が不明確になったときには、的確に質問して、いい意見をさらに論理的に整理する方向に導いていく姿勢が評価される。
 逃げ場のない宇宙では、一緒にいて楽しいやつという仲間からの評価が実はかなり大きい。分かったふりするのが、もっとも危ない。宇宙では生死にかかわる。宇宙に行く前に徹底的に失敗させる。
宇宙飛行士にも恐がりが多い。逆に、怖さを知らない人は危ない。恐怖感があるからこそ、どうすればいいか対策を考える、最後の一瞬まで、宇宙飛行士は、あきらめずに、助ける方策を追い求める。
コミュニケーションの肝は、タイミングを外さず、マメであること。ここぞというときに、労を惜しまずに話す。
いやはやすごい訓練が課されるのですね。閉じこめられて一週間の集団生活なんて、私にはとても耐えられそうにありません。でも、宇宙に行ってみたら、さぞかし爽快、気持ちのいいことでしょうね。
(2010年10月刊。1600円+税)
 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 大晦日の夜、近くの山寺へ恒例の除夜の鐘つきに出かけました。30年来、一度も欠かしたことがありません。我が家から歩いて15分、小高い山の中腹にあります。眼下に町の明かりが良く見えます。珍しく雪が降ってきました。年末年始は豪雪に見舞われるという天気予報の通りです。イヤホンでシャンソンを聞きながらじっと立って始まるのを待ちます。ひところよりは鐘をつく人が減りました。最盛期の半分くらいでしょうか。このところ、いつも最前列のグループに入っています。若いお坊さんが今年一年はどうでしたか、新年がみなさんにとっていい年でありますようにと挨拶して鐘をつき始めます。一家の安全を願って鐘をついたあと、紅白の小さな餅をいただいて帰路につきます。
 翌朝、正月の朝は銀世界になっていました。10年ぶりでしょうか。今年がどうぞ平和で穏やかな一年になることを心から願っています。

NO LIMIT

カテゴリー:社会

 著者 栗城 史多、 サンクチュアリ 出版 
 
 日本人初、エベレストの単独・無酸素登頂。そして世界初となるエベレスト登頂のインターネット生中継に挑戦。
 私はテレビも見なければ、ネットサーフィンをすることもありませんので、著者のネット中継なるものを見たことはありません。でも、恐らく、あまりにも生々しくて、怖さを感じてしまうでしょうね・・・・。
 小さな体で一人。ビデオカメラを片手に巨大な山に向かっていく。上がったり、下がったりをくり返しながら、少しずつ、少しずつ頂上を目ざす。
この本には、写真をバックとして、こんな詩のようなフレーズに満ち充ちています。それが心地よく胸に響いてくるのは、やはり山々の写真の素晴らしさが背後にあるからでしょう。
ヒマラヤでの行動には強い意志が不可欠だが、必要な力はそれだけじゃない気がする。
身長162センチ、体重60キロの小柄な登山家です。
 22歳のとき、初めての海外旅行で、北米で一番高い山に一人で向かった。これが僕にとって人生初めての挑戦だった。不可能は自分がつくり出しているもの。可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくことに気がついた。
 酸素は地上の3分の1。気温はマイナス40度近くにもなる苛酷な世界がそこにある。一歩を踏み出す勇気は、今、やりたいという自分の気持ちを信じることから生まれる。高い山の世界には、どんなに強いやる気でも、それを奪う寒さと酸素の薄さがある。身体が震えて、震えを止めるだけでも必死。持ち物はすべて、地上の3倍くらいの重さに感じる。なにもかもがすべてが苦痛で、すべてのものが遠くに感じる。
 本当に大きなことを成し遂げるためには、自分のこだわりを捨てた方がいい。執着すると、大切なことが見えなくなる。見つけた夢はどこまでも追いたくなるものだが、それはまた危険なものでもある。山登りで一番危険なものは執着心だ。この執着をなくせるかどうかによって、登山の真価が問われる。だから山に入ってからは、絶対に登りたいという思いをなくす努力をする。登りきれば幸せなのは確実だが、頂上にいけるかどうかは、最後は山の神様が決めること。
 山を登って帰ってくると、いつも思うことがある。それは地上の温かさだ。仲間がいて、温かいご飯が食べられて、そしてまた明日が迎えられる。その温かさのありがたみを再認識するために僕は山に登っているのかもしれない。
まだ28歳の若々しい登山家の生命力がびんびん伝わってきます。きっとエネルギーをもらえる本です。
 
(2010年11月刊。1400円+税)

必生・闘う仏教

カテゴリー:アジア

 著者 佐々井秀嶺、 集英社新書 出版 
 
 すごい本です。日本人の僧がインドに渡り、今やインド国籍も得てインドで仏教復興運動のリーダーになっているというのですから・・・・。
著者は3回も自殺を試みています。もちろん、みな未遂に終わったので、今日があるわけです・・・・。1回目は、1953年ですからまだ18歳です。太宰治を愛読し、女性問題で悩んだあげく、青函連絡線に乗って海に飛び込もうとしたのです。そして、大菩薩峠でも自殺を試みました。さらに、乗鞍岳に登って、自殺を図ったのですが、寒さのなかで助けてくれーと叫んだのでした。いやはや、この本は、今や大変な高僧となった著者の人間像がかなり赤裸々に描かれています。
不惜身命(ふしゃくしんみょう)とは、他者の幸福のため、みずからの命を惜しまず、力を尽くすこと。
柔和忍辱(にゅうわにんにく)とは、他者の笑顔を守るため、みずから笑顔を絶やさず、屈辱にも耐えること。
著者は、アンベートカル博士を心から慕っています。
 アンベートカル博士こそ、13世紀にムガール帝国による大虐殺によってインド史の表舞台から姿を消したインドの仏教を現代に復活させた正法弘宣の大導師である。
 このアンベートカル博士は、1891年に不可触民階級のマハール(雑役)カーストに生まれた。ガンディーは、不可触民は神の子であると主張したが、アンベートカル博士は、これに強く反対した。人間は皆ひとしく平等であるというのなら分かるが、不可触民だけを神の子と呼ぶのはおかしい。ましてや、その神がカースト差別をするヒンズー教の神の子、総称「ハリ」というのは支離滅裂もはなはだしい。このように主張して、1956年10月、アンベートカル博士は、30万人の不可触民と共にヒンズー教から仏教への集団大改宗を挙行した。
仏教は不殺生が基本なので、その闘いは非暴主義に立つ。しかし、不当な暴力を前にして、それをただ受け入れるだけでは、相手の殺生罪を容認したことになる。そうならないためには、あらゆる手段、たとえば言論活動をはじめ、署名運動、抗議デモ、座り込みなど非暴力の闘争を展開する。それが不殺生(ふせっしょう)の闘いなのだ。非暴力を貫くためには、自己犠牲をふくむ必要最小限の力の行使をみずから選択しなければいけないこともある。
それにしても、日本人がまさしく生命をかけてインドの広大な大地を仏教再興を願って日夜かけずりまわっているのです。たいした仏教家です。驚嘆しました。 
(2010年11月刊。700円+税)

中世民衆の世界

カテゴリー:日本史(中世)

 著者 藤木 久志、 岩波新書 出版 
 
 のっけから衝撃的な問題提起がなされています。年貢納入を前提として、百姓の
 逃散を認める、その年の年貢さえ払えば、百姓はどこへ行ってもかまわない、というのは、中世を一貫して近世に至っていたのではないか。「百姓は土地に縛りつけられた者」と断定すること自体が、もともと間違っていたのではないか。
 ええっ、な、なんということでしょうか・・・・。欠落人(かけおちにん)の田畠は、あくまでも「惣作」(村による耕作の維持管理)が建て前で、家財のように分散はしない、というのが焦点であった。
 村を捨てた欠落百姓を近世では「潰れ百姓」ともいった。この「村の潰れ百姓」もまた、本来、「かならず再興されるべき百姓株(名跡)」とみなされ、そのための積極的な再興作(賄い)が問題になっていた。
 村はずれに、村人たちが寄りあって建てた堂、惣堂があり、そこなら村の「方々」の断って借りるまでもない。だから、村人も気軽に旅人にそこを勧めた。惣堂は、「みんなのもの」でありながら、「だれのものでもない」と広く見なされていた。
 領主が地主に断りもなく村を他人に売り払ったとき、地元の住民は「逃散」という反対運動を起こし、売買を破棄させる。これは特異な出来事ではなかった。
 戦国の村から人夫を調達するには、その労働の程度に応じて、社会的にみて適当と思われる額の「代飯(だいは)」が支給されるのが通例となっていた。
 百姓の夫役は有償だったのであり、タダ働きではなかった。金額の多少を問わず・・・・。中世の軍役は、兵粮自弁ではないのである。
 領主側は、もっぱら朝廷に訴え、裁判によって解決するという道を選んでいた。これに対して村側は、一貫して実力行使によって解決しようとし、鎌を取る行為と、その返還要求が焦点になっていた。
 中世の日本で、百姓は意外にもしたたかで、しぶとく領主権力とたたかっていたのですね。改めて日本史を見直し、考え直してみる必要があると思いました。
(2010年5月刊。800円+税)

ヴェルサイユ宮殿に暮らす

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ウィリアム・リッチー・ニュートン、出版社:白水社
 ヴェルサイユ宮殿には私も2度ほど出かけたことがあります。まさしく豪華絢爛たる玉の宮殿です。しかし、実際にそこに住む人々にとっては、とても快適とは言いがたいところだったようです。
 太陽王と言われたルイ14世の公式な食事はいかにも豪華である。ポタージュ8種、アントレ10種、ロティ4種、アルトルメ8種、サラダ2種、果物4種、コンポート6種。うむむ、なんという種類の多さでしょう。いかにルイ14世が大食漢といえども、この全部を食べきれるはずはありません。食卓の残りは、官僚から下っ端の雇われ人にまで順々に回されていった。
 ルイ13世の狩猟用の館を、国王と宮廷の宮殿へと変貌させるには、7000万リーヴルがかかった。そのうち3900万リーヴルは城館と庭、そして、ヴェルサイユの町への水利のために費やされた。
 入浴は、衛生のためというより官能的な行為と思われており、ルイ14世が「国家の広間」の下に豪華な湯殿をつくらせたのも、寵愛する女性たちとの生活のためだった。
 お風呂はあまりなかったようです。
 ルイ14世時代のヴェルサイユには274個の椅子型便器があった。問題は排泄物の処理だった。「母なる自然の汚物」を処分する場所は、ほとんどなかった。トイレの数は、そもそも宮廷に出仕している者とその召使いたちを含め、城館の人数に見あったものとはほど遠かった。
 1780年には、城館の区域に29の汲み取り槽があり、その悪臭はひどいものがあった。年に一度の大掃除が、城館からネズミを一掃するチャンスだった。
 ルイ15世の時代になって、国王の私的な居室の中に水洗式のトイレが設置された。
 照明は、ろうそくの明かりによる。ろうそくには2種類あった。白ろうそくは、食卓や寝室用で、黄ろうそくは、質の劣るろうで出来ていた。黄ろうそくは、牛脂や羊脂の燭台のような臭いや煙は出さなかったが、白ろうそくよりも早く燃え尽き、溶け崩れも多かった。1739年に開かれた大舞踏会で使われたろうそくは、2万4千本以上だった。
 マリー・アントワネットの居室の照明予算は、冬が1日あたり200リーヴル、夏が1日あたり150リーヴルだった。年額では20万リーヴルをこえる。そして、その大部分は王妃付きの2人の女官頭が懐に入れていた。
 宮殿では、使用人が何でも窓から捨てていた。それは、不潔さとひどい臭気のもとになっていて、あまりの悪臭に我慢ならず、住居を出ようとする公爵夫人たちがいた。
 王族たちも、宮殿の不潔さに不満を口にしていた。
 うへーっ、なんということでしょうか・・・。
 ヴェルサイユ宮殿には226の居室があり、そこに1000人以上もの人々が詰め込まれていた。なんということでしょう。広大な庭に比して、宮殿のほうには1000人もの人々が生活できるとは、とても思えません・・・。
 ヴェルサイユ宮殿を生活の視点から眺めてみると、こうなります。
(2010年7月刊。2400円+税)

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