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すべての生命に出会えてよかった

カテゴリー:生物

著者  桃井 和馬   、 出版  日本キリスト教団出版局 
 
 世界中の、140ヶ国に出かけて取材を続ける写真家による貴重な写真レポートです。
地球には、ひとつだって無駄な存在はない。すべての生命、すべての出会い、すべてはすべて連なっている。だから、無意味に死んではいけない。だから、人が人を殺してもいけない。
生きとし生けるものの躍動感がよく伝わってくる写真が続きます。そして、世界の人々の表情豊かなスナップ写真があります。白一色の凍れる世界で吹雪に耐える白鳥たちは、次に来る春をひたすら耐えて待っているようです。ぐっすり眠りこけているアシカの寝顔は、夢見るしあわせな時間をよくぞ表象しています。そして、ライオンの赤ちゃんが大人のメスライオンの群れのなかで気持ちよさそうに寝入っています。
 ツバルの少女のきらきらと光輝く瞳がとくに印象的です。未来は青年のもの。いや、未来は子どもたちのものなんです。青年、そして子どもたちの豊かな未来をきちんと保障するのは、大人とりわけ年寄り(私も当然その一員です)の責任です。子どもは、いつくしみと愛情に溢れている。ホント、そうでなければいません。
 この写真集は、フォトジャーナリストとして、世界各地で紛争を追い求めてきた著者によるものです。
 自然という、複雑で大きなメカニズムの一部として生かされている人間、そうであるなら、同じ宗教や民族の中で争うことも、宗教や民族で殺しあうのもあまりに空しい。
 自然と、生き物と、子どもたちと、そして壮年や老人の生き生きとした姿がよくも撮られています。奥の深い写真集でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

武士の町、大坂

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  藪田 貫、    出版  中公新書
 
 オーストリアのお城で大坂図屏風が最近(2006年)になって発見されたというのも不思議な話です。この本でも、どうしてオーストリアまで渡ったのか不明だとされています。不思議な話ではありますが、なにはともあれ、1600年の関ヶ原合戦の前の大坂城の様子が描かれていますから大きな価値があります。
 大坂には、町人が35万人から40万人いて、武士は800人、人口の2%しかいなかった。
 下宿(したやど)とは、公事・訴訟のために、町人や村人が町奉行所などに出向くときの待機所のこと。公事・訴訟は、近世における民事・刑事双方の裁判訴訟をさす。公事(くじ)のうち、金銭の貸借にかかわるものは金(かね)公事として、それを専門に扱う「御金日」が設けられていた。
 文政13年(1830年)の10ヶ月の訴訟総数は7222口、うち「糾し」が358件(5%)、公事総数4592口、うち「糾し」が202件(4%)だった。
 大量の訴訟事件を2名の町奉行と、わずかの吟味与力の手で処理するのは不可能だった。そこで、訴訟は遅延し、内済(ないさい。和解)がまん延した。奉行は定期か不定期を問わず与力や同心への褒美を欠かさない。優れた与力や同心がいるかどうかは、町奉行の実務に直結し、ひいては功績に結びつく。
 久須美祐明は、73歳にして町奉行になった。わずか300俵の大坂町奉行も珍しければ、70歳をこえた奉行も空前絶後。もって生まれた身体強健・先祖以来の質実剛健の美質、それに加えて天保改革の追い風が73歳の久須美を大坂西町奉行にした。そして、この久須美は、75歳にして一子をもうけた。
 いやはや、すごい老人ですね。そして、この老人は、三度三度の食事を刻明に記録していたのです。当時の日本の日常的な食生活がよく分かる貴重な記録となっています。
 与力だった大塩平八郎についても、かなり詳しく紹介されています。大塩平八郎は、かなりの能吏であったようです。だからこそ、不正を許さず、庶民を助けようと義をもって決起したのでしょうね。
 商人の町・大坂とは違った角度から江戸時代の大坂を知ることができました。
 ちなみに今の、大阪はかつて大坂と書いていました。ですから誤記ではありません。
(2010年10月刊。780円+税)

日本一の秘書

カテゴリー:社会

著者 野地  秩嘉      、 出版  新潮新書   
 
 弁護士である私は、サービス業の一員だと自覚しています。ですから、サービスの極意を極めたいという気持ちが常にあります。この本は、そういう意味で読みました。今さら私が秘書になろうというのではありません。この本は秘書のことも書かれていますが、要するにサービス業界で頂点に立つ人々を紹介していて、大変参考になります。
 トップバッターで登場するのは、横浜港に面したホテルニューグランドの名物ドアマンです。私も、このホテルには、昔、一度だけ入って、レストランでカレーライスを食べた気がします。戦前の1927年にオープンしたクラッシック・ホテルです。このドアマンさんは私と同世代のようです。ドアマン37年といいますから、まったく私の弁護士生活と同じです。このホテルに来るお客さんのほとんどの顔と名前を覚えているそうです。だいたい4万人の顔と名前が一致する。うひゃあ、す、すごいです・・・・。
 耳で聞いただけでは人の名前は覚えられない。はじめて来た人とは必ず握手をする。そのとき、相手の顔を見つめ、挨拶し、「お名前をうかがえますか?」と尋ねる。相手の人が「小泉です」とか言ってくれると、それで名前は忘れない。手を握りながら話をするから、相手の顔を忘れない。ええーっ、そうなんですか・・・・。
 ホテルに不倫のカップルが来たときには、タクシーのドアを開けてはいけない。男性が先に車から降りてフロントで手続をし、女性は一拍遅れて車から降り、ロビーで待つのが定法だから。その見極めが難しい。
 秘書は、カレーの「CoCo壱番館」の社長秘書が登場します。すごい秘書です。
 秘書の仕事でもっとも煩雑で、手間のかかるのがスケジュール調整だ。いかに上司にスケジュールを守らせるかが秘書の役割である。秘書検定の合格者が320万人もいると知って大変驚きました。
事務所のフロアで電話が鳴ったときには、電話を取るのは仕事に精通しているものだけで、しかも、一番、二番と順番まで決まっていた。そして、社長は客の名前を聞き直すのを許さなかった。名前を聞き直されたら、客は不愉快になるからだ。一度で、ちゃんと覚えないとダメ。
うむむ、これは難しいですね。発音の悪い人もいますしね。
 秘書は、いろいろ知っていても、ぺちゃくちゃしゃべってはいけない。秘書は、上司より目立ってもいけない。ところが、今では、パワハラやセクハラ防止のためか、一人の人間(社長など)を長く世話する秘書はいない現実がある。そうなんですよね。難しいところです。
 犯人の似顔絵を描き続けた警察官がいます。多いときには年に167枚もの似顔絵を描いたというのですから、たいしたものです。
 被害者から犯行状況の話を聞くときには、常にエンピツを動かす。そうすると、被害者は協力的になる。描くことに集中してはいけない。あくまで、聞くことが主体だ。いちばん大切なことは、絵を完成させようなど思わないこと。描きすぎてはいけない。また、本人が見て、怒るような絵を描いていけない。自分そっくりと驚くような絵を描く必要がある。似顔絵は、雰囲気と表情を描くものだ。
 写真は顔の造作を表現したようなもの。だから、絵のほうが、本人の生(ナマ)の姿をとらえている。目鼻立ちと雰囲気と表情のすべてを短時間で一枚の似顔絵につくりあげる。
 この似顔絵を活用する事件の大半は、強制わいせつと強姦罪だけである。
秋田のなまはげ素人一座の話も面白く読みました。子どもたちはサンタクロースは、小学校にあがる前には、本物のサンタクロースが来たわけじゃないことを知る。ところが、なまはげは小学校の高学年になっても、まだ本当にいると考えている子どもは多い。
 子どもだからといって、手抜きはできない。子どもは手抜きに敏感だ。子どもたちは、ヒーローが窮地を脱するところを見たいのだ。そして、ショーのあとに握手会。実は、これが大切。ショーよりも大切なのは握手会。子どもが本当に好きなのは、ヒーローと握手すること。
ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。
 博多の焼鳥屋も登場します。さっと読めて、なるほどと参考になる、ひらめきの本です。
(2011年3月刊。700円+税)

絵が語る知らなかった江戸のくらし

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  本田 豊、  出版 遊子館
農山漁民の巻です。たくさんの絵があって丁寧に解説されていますので、江戸時代の農村、山村そして漁民の暮らしぶりが実によく分かります。
江戸時代は離婚率の高い社会だった。女性も男性も、結婚と離婚は何度か繰り返した、というのが本当の姿だった。
農薬が普及する前、稲作農家にとっての大敵はイナゴだった。鯨油を田んぼに流して幼虫のうちにイナゴを駆除する。また油を燃やして駆除する方法もあった。
農村では、意外に麦が作られていた。麦からは味噌が作れたし、麦は栄養価が高い。アワやヒエなどの穀物と一緒に食べると、かなり栄養価があった。
牛は農家の重要な労働力だったが、食肉でもあり、牛肉の美味は庶民も知っていた。江戸時代には、馬は5軒の農家で1頭は飼っていた。しかし、農民が馬に乗って走りまわることはなく、馬は大切に扱われていた。
全国の被差別部落のうち、皮革に関係していたところはごく少なく、圧倒的多数は農業を営んでいた。動物の解体をしていたのは、穢多や皮多といわれていた人たちだけではなく、農民もやっていた。農民と長吏や皮多は、お互いの権利を侵害しないように住み分けていた。
冬にはワラ布団に家族全員が入って寝ていた。
農家は野良仕事の合間にしっかり食べていた。そうしないと体力が持たないからだ。
江戸時代には、風呂というと行水のことだった。
上野国(群馬県)がカカア天下だというのは、養蚕が女性の仕事だったから。現金収入があり、女性は権利意識が強くなって、発言力も強かった。
ゴボウは漢方薬として日本に渡来した。ゴボウは便通を良くし、腸内でビタミンを生産する。ところが、ゴボウを食品として利用しているのは、世界でも日本くらいのようだ。
土人というのは地元の人という意で、明治になって差別的な考え方がついたが、江戸時代には差別語ではなかった。
旗本としての吉良家の財政は三河国で良質の塩田をもっていたことから、豊かだった。ところが、後発の赤穂藩で塩田経営に乗り出して成功したため、三河の吉良家の塩が売れなくなった。こうして浅野家と吉良家は対立を深めていった。吉良家では、浅野家の塩が売れないように妨害した。その恨みが、江戸城で刃傷沙汰になった。
 うひゃあ、忠臣蔵は塩の販売競争が原因だったんですか・・・。とても面白い本でした。
 
(2009年5月刊。1800円+税)

さもなければ夕焼けが こんなに美しいはずがない

カテゴリー:社会

著者 丸山 健二、    出版 求龍堂
 
 安曇野にこもり、ただ一人の力で執筆と作庭に明け暮れる小説家のエッセイです。
 芥川賞受賞作家が執筆活動とあわせて壮絶な庭づくりに挑んでいる状況が伝わってきます。ちょっと真似できません。今回も口絵の写真で庭が紹介されていますが、まさしく芸術作品と言うべき庭です。私の庭のように、春はチューリップ、なんていうのんびりしたトーンとはうって変わって、自然との真剣勝負を感じさせる緊張感あふれる作庭の業です。
 庭作りは、自分好みの植物を片っ端から集めて植え、あとは水と肥料さえ与えておけばひとりでに様になってゆくと考えるのは大きな間違いだ。
庭と自然の決定的な差異は、要するに秩序と無秩序の違いだ。庭においては、膨大な時間を短縮するための絶え間のない手入れが欠かせず、人為的に、やや強引とも言える秩序を施してやらなくてはならない。
 大胆に棄てられない、優柔不断な性格の持ち主には作庭は向いていない。
 美は無限であり、底無しであって、ために、ひとたびそこに足を踏み入れ、本道を歩むことの醍醐味を味わってしまった者は、二度と抜け出せない。
となると、日曜の午後に何時間か庭に出ているだけの私なんか、とても庭づくりをしているとは言えないわけです。それでも、1年中、庭に出ていると、少しずつ庭の様相も変わってはきているのですが・・・。
 著者の庭は350坪。私の庭はせいぜい80坪もあるのでしょうか・・・。その350坪をめぐって展開する美の葛藤・・・。
華道家と作庭家との決定的な差異は、植物を単なる物と見なすか、生き物と見なすかにある。
 私は、庭に咲く花を摘んで生花として家の中に飾ることはしません。できないのです。せっかく生命を咲かせてくれた花を摘むなんて、心情として忍びがたくて、私にはできません。ただ、風に倒されてしまったような花は、もったいないので、摘んで花瓶に差して賞でてやります。その美がもったいないからです。
 この本のタイトルは18世紀の詩人の詩の一節だそうです。
 庭作りの執念を文章にすると、こんな本になるのですね。都会ではない、田舎に棲む良さの一つが花を育てることです。その一点で、私は著者の言動に共感します。
(2011年2月刊。1600円+税)

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