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先生、キジがヤギに縄張りを宣言しています!

カテゴリー:生物

著者    小林 朋道 、 出版   築地書館
『先生!』シリーズも第五弾となったのですね。これって、すごいことですよ。もちろん、私は、全部よみましたし、このコーナーで全部を紹介しています。
鳥取環境大学という、あまり聞きなれない名前(失礼します)の大学で生物学(具体的には、動物と人間の行動学)を教える教授が、その授業の周辺で起きるさまざまな出来事を自慢話と蘊蓄たっぷりに語る抱腹絶倒のシリーズ本なのです。とりわけ写真が豊富にあるのが、私のような素人にとって理解を助けます。
スズメバチの巣が空になったところを今度はスズメが巣として利用する。それを観察している教授と学生たちを、スズメもじっと観察している。そんな写真もあります。さぞかし、このスズメも、この連中は何をしているのか不思議に思っていることでしょうね・・・。
フェレット(イタチによく似ています)の子どもは白い。なぜ白いのか?白以外の色であるためには、そのために特別な色素を細胞内で合成しなければならない。それにはコストがかかる。カモフラージュの必要のない卵は、たいてい白である。カモフラージュする必要がなければ、わざわざ白以外の色の素を合成したりはしない。なーるほど、そういうことなんですか・・・。
クザガメも登場します。カメの甲羅は、カメの身体の内部の肋骨が拡張したものである。そして、カメの成長にともなって甲羅全体が大きくなっても、六角パネルの数は変わらない。つまり六角パネルは、互いにモザイクのようにキッチリ並んだままで、一つひとつの六角パネルは、形を変えることなく、大きくなっている。ふむふむ、なるほど、ですね。
そして、カメの雌雄を判別する方法は・・・?
それには頭と両手両足を甲羅のなかへ強く押し込むこと。雄だと、尾が出ているところからペニスが出てくる。雌だともちろん出てこない。うーむ、それにしても、よく見ているものです。
クサガメとイシガメの違いは何か・・・?
ヒメネズミは森のなかで何をしているのか・・・?
小さな無人島で一人生きるシカは、どうやって生き延びているのか・・・?
この島には、大食漢であり、ミミズを主食物にするモグラがいないため、ミミズが繁栄し、それが複数のタヌキの生存を可能にしている。
わが家のすぐ近くの空き地にもタヌキの親子が棲みついていました。最近は、とんと姿を見かけませんが、どこかに立ち去ったのでしょうか、それとも、たまたま私が遭遇しないだけなのでしょうか・・・。
そしてこの本のタイトルにもなっている話です。キジの縄張りになっている草原にヤギがのんびりと草を食べているのがキジには気にいりません。なんとか脅して立ち去ろうとさせたいのですが、ヤギは知らんぷりしています。そこで、キジは一体どうするか・・・?!
飛びかかって、蹴瓜で攻撃したいのはやまやまなれど、それがうまくいくという保障は何もない。そこで、やむなく、キジはヤギを柵の上からにらみつけるだけにした・・・。なーるほど、鳥(キジ)と動物(ここではヤギ)にも、こんな葛藤があるのですね。
私よりはひとまわり下の「わかい」教授ですが、毎回とても面白く読ませてもらっています。先生、引き続きがんばって下さい。応援しています。
(2011年4月刊。1600円+税)

ニッポンの書評

カテゴリー:社会

著者   豊崎  由美  、 出版   光文社新書
私が書評を書き始めたのは2001年のことですから、もう10年以上になります。初めのころは毎日ではありませんでした。そのうち1年365日、書評をアップするようになりました。単行本を最高で年に700冊以上、このところ年に500冊ほどは読みますので、題材には不自由しません。面白くなかったら書評は書きませんし、著者の悪口を書くつもりはまったくありません。だいたい読んだ本の7割について書評を書いていることになります。
この本によると、書評ブロガーのなかには著者をけなすのを生き甲斐にしている人もいるようですが、私はそんなことはしたくありません。悪口なんて書くのは時間がもったいないとしか思えません。読んだ本で、感動を覚えた箇所や、なるほどそういうことだったのかと認識させられた部分などを紹介したくて、こうやって書評を書いています。私自身はパソコンの入力作業はまったくしません。すべて手書きです。秘書に入力してもらって、それに赤ペンを入れるのが私の楽しみなのです。
読んだ本のこれというところには、いつもポケットの中に入れている赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。書評を書くときには、赤い傍線の部分を抜き出しながら文章を整えてきます。ですから粗筋を追うのは二の次となります。
著者は三色ボールペン(主として赤と黒)を使い、付箋を貼っていくということです。まあ私とだいたい同じやり方です。
書評家の果たしうる役目は、これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者に分かりやすい言葉で紹介すること。
小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っぱるのが編集者(出版社)、書評家は後から大八車を押す役割を担っている。
書評にとって、まず優先されるべきは読者にとっての読書の快楽である。書評は、まずなにより取り上げた本の魅力を伝える文章であるべき。読者が、「この本を読んでみたい」と思わせる内容であってほしい。
書評と批評は異なるもの。書評は、対象となっている本を読む前に読まれるものであり、批評は読んだあとに読まれるもの。
書評においては、読者から本を読む愉しみをほんのわずかでも奪うことがあってはならない。プロの書く書評には、背景がある。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本の出版が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づける。それが書評と感想文の差だ。
書評をかくとき、一番気をつかうのは書き出しの部分だ。書評だって読みもの、文芸の一ジャンルだ。読んで面白くないものになってはならない。
この書評を一体どれだけの人が読んでくれているのか分かりませんが、私の力が及ぶ範囲で、これからも無理なく続けていくつもりです。どうぞ応援してやってください。
(2011年4月刊。740円+税)

しまむらとヤオコー

カテゴリー:社会

著者   小川 孔輔  、 出版  小学館 
有名な専門スーパーの発祥地が、なんと同じ埼玉県小川町にあったなんて、不思議な話です。どうしてそうなんでしょうか。たまたま、ほんの偶然ということなのでしょうか。そして、この本の著者も小川さんなんですよ・・・・。
しまむらもヤオコーも、どちらも東証一部上場企業。しまむらは全国展開し、福岡県にも店舗がある。ヤオコーは、関東地方のみで、そこでは100をこえる店舗をかまえている。そして、この二つとも、埼玉県比企郡小川町に生まれ、お互いに500メートルと離れてはいなかった。
 両社とも、売上高成長率は年間10~15%。一度出店した店はむやみに閉じることはなく、ほとんどが営業を継続している。
ヤオコーは、ディスカウント路線とは一線を画し、人々に豊かな食生活を提案する「価値提案型企業」としてのポジションを崩さず、増収増益を確保してきた。ヤオコーの目ざす「個店経営」は、できるだけ店舗に自主性を持たせ、店ごとに品ぞろえを変えることをいとわない。「セントラルキッチン方式」一辺倒ではなく、作業効率を犠牲にしてでも、店内で食材を加工できる余地を残しておく。最終加工の作業プロセスを店内に残しておくのは、働く人のモチベーションを高め、来店する顧客に商品の新鮮さと売り場のにぎわいを提供するため。そのため、メニュー開発などに、パート従業員の知恵を積極的に活用している。
 しまむらは、一貫して右肩上がりの成長を続けている。2010年の売上高は4296億円、経常利益は381億円である。しまむらの店舗は、店内の床もトイレの床も御影石だ。トイレはホテルなみに豪華にするというトップの考えによるが、そうすると掃除が楽という効果もある。うむむ、なーるほど・・・・。しまむらでは。仕事のマニュアルが確立していて、従業員は定時出社、定時退社で残業はない。うへーっ、これって、本当にそうなんですか・・・・?
 しまむらの店長は、全員が正社員である。しまむらが店舗を探すときには、セスナをチャーターして上空から観察する。うひょーっ、これってすごいですよ。しかも、出店候補地の周囲2キロ圏内に小学校が3つあることを条件とする。3つの小学校があれば、5000世帯が商圏内に住んでいる。小学校の数は、世帯数や商圏人口を推計するもっとも優れた指標になる。
 むむむ、これは、す、すごいです。さすが、ですね。
 しまむらの商品の90%は中国製。しまむらで買った客は、隣の人と同じ服を着ることは、まずない。すごいですね。商売に成功するというのは、ここまで考えるものなのですか・・・・。とても勉強になりました。
(2011年1月刊。1400円+税)

TPP亡国論

カテゴリー:社会

著者   中野 剛志 、 出版   集英社新書
いま、日本のマスコミは全体としてTPP推進一色に染まっています。かつての「郵政民営化」推進とまるで同じです。そのおかげで「郵政民営化」すれば日本の経済状況として国民の懐具合が好転するかのように錯覚してしまった人も少なくないと思います。でも、決してそんなことにはならず、身近な郵便局が閉鎖され、郵便の公共性は雲の彼方に消え去って行きました。そして、「郵政」解体をアメリカ財界は依然として狙っています。
日本の多くの庶民にとって、結局のところ「郵政民営化」って百害あって一利なしだったのではないでしょうか・・・。それでも、マスコミはそんな反省の弁を述べませんから、依然として「小泉人気」は高止まりのままです。これって、おかしなことだと私は思います。
TPPに関する議論が世論のレベルでは「開国か、鎖国か」といった単純きわまりない国式の中で進められているのに恐怖すら感じる。そもそも現在の日本は鎖国などしていない。全品目の平均関税率は、日本は韓国はもちろんアメリカよりも低い。
日本の食糧自給率(カロリーベース)は4割程度しかなく、小麦、大豆、トウモロコシはほとんど輸入に頼っているのだから、日本の農業市場は鎖国的どころか、開けっぴろげに開かれてしまっている。
TPPの交渉参加国といえば、ヨーロッパはもちろん、中国も韓国も、さらにインドも参加していない。だから、TPPによってアジアの成長を取り込むなどというのは、まったくの誇大妄想としか言いようがない。
アメリカは農産品輸出国であり、日本の農業市場の開放を望んでいるが、日本からの輸入の増加は望んでいない。TPPはしょせんアメリカの、アメリカによる、アメリカのための貿易協定にすぎない。
アメリカは、日本に輸出の恩恵を与えず、国内の雇用も失わず、日本の農産品市場を一方的に収奪することができる。これがTPPのねらいである。TPPという贈り物は、実は、日本の農業市場の防壁の中から打ち破るための「トロイの木馬」なのだ。
現在、日本経済は、企業部内に貯蓄が累積している。デフレ不況で資金需要がないため、企業がお金の使い道を見つけられずにため込んでいる。そんななかで法人税を減税しても、企業は貯蓄を増やすばかりで投資にまわさない。企業が投資しなければ、景気は上向きにはならない。法人税の減税は景気を刺激する効果をもたないまま、国の税収を減らすだけに終わる。すなわち、法人税が減税されても国民にはほとんど何のメリットもない。
日本のマスコミについての国家統制は、テレビが一番ですが、新聞だって同じようなものですよね。もう少しマスコミはキャンペーンではなく、自由な議論を呼びおこす努力をしてほしいものだと思います。
(2011年4月刊。760円+税)

王朝文学の楽しみ

カテゴリー:日本史

著者    尾崎 左永子 、 出版   岩波新書
「枕草子」の書き出し、春は曙・・・をフランス語訳で読み、それがすっかり気に入って、丸暗記するまでには至っていませんが、何度となく朝に繰り返しています。とてもよく出来たフランス語訳なのです。プロはさすがです。
古典を読むのには、「じっくり、しっかり、ゆっくり」読む法(A)と、何が書いてあるのか、さらっと「ななめ読み」しながら、興味を持ったところに眼を止めて、そこを詳細に読む法(B)とがある。このA法とB法をうまく組み合わせるのが、一番自分に適した読み方を身につける早道だ。私は、この指摘に文句なしに大賛成です。
同じ日本語でも古語と現代語で意味が異なるのですね。たとえば、
やがて・・・・現代語は「しばらくして」、古語では「そのまま」
やをら・・・・現代語は「急に、突然」、古語では「静かに、音を立てずに」
あたらし・・・・現代語は「新しい」、古語では「もったいないことに」
ゆかし・・・・現代語は「控え目で教養の深い」、古語では「見たい、知りたい」
恥(はずか)しは、古語では、褒めことばだ。あまりに立派で、こちらが恥じてしまうほど、見事な態度という意味。うむむ、こんな違いがあるのですね。
『源氏物語』の原文を読み進めるには、『古今和歌集』を十分に身につけていないと、理解が行き届かない。この『古今和歌集』も、当時の王朝人にとっては「現代詩」だった。なーるほど、もちろん、そういうことだったのしょうね・・・。
平安時代、紙は貴重なものだった。『源氏物語』の著者がなぜ厖大な紙を使えたのか。そこに強力な後援者がいたから。『枕草子』には、これを書くのに定子皇后から多くの紙を賜ったことが記されている。『和泉式部日記』についても、和泉式部は道長のすすめがあって書いた。このように、はじめに紙ありき。紙は道長の権威の象徴でもある。
『源氏物語』について、戦時中は、天皇崇拝の軍部指導下にあったから、宮廷内の不倫を題材とするこの物語は、触れてはならぬもののように扱われていた。
『源氏物語』には流麗な文章が小気味よく続いている。それは必ず、和歌が下敷きになっていた。音声的伸動、すなわち五七五七七の歌の伸調が筆致のなかに自然に生かされている。その意味で『源氏物語』は、根本的に「歌物語」なのである。
平安時代の貴族の恋愛が成就するまでには、多くの恋文がいきかった。それは主として歌であり、そこに多少の文章が添えたれた。
当時は、現代のような「信書の秘密」はない。届いた恋文は、姫君に届く前に、周囲にいる乳母(めのと)やお付きの女房たちの審査を経ることになる。恋文の巧拙、文字の巧拙、紙の色合いや、添える折り枝の取り合わせ、届けるタイミングに至るまで、その審査の対象となる。そこで合格となって初めて姫君に恋文を見せる。姫君がよいと言えば、返事を出す。
左手使いのことを「左ぎっちょ」というのは、毬杖(ぎっちょう)からきたもの毬杖とは、馬に乗って毬(まり)を打つ、今でいうとポロ競技のようなもの。なーるほど、そういうことだったのですか・・・。
日本の古典にも改めて親しみたいものだと思いました。
(2011年2月刊。760円+税)

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