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イスラームの「英雄」サラディン

カテゴリー:アラブ

著者   佐藤 次高 、 出版   講談社学術文庫
 12世紀のアラブ世界で十字軍の侵略に真っ向から対決し、ついにエルサレムを奪回したイスラムの英雄・サラディンの一生を詳しく紹介した本です。とても面白く、最後まで一気に読み通しました。十字軍の内部も決して一枚岩ではありませんでしたが、対するアラブ世界も一枚岩どころか、四分五裂の有り様でした。同じイスラム教徒といっても、やはり主導権争いは激しかったのです。サラディンは12世紀の人です。イラク生まれのクルド人でしたが、30歳でエジプトを手中におさめ、十字軍からエルサレムを奪回したのでした。
 イスラムの世界は中国と並ぶ「書の世界」であり、サラディンの生涯に関する伝記史もかなり豊富である。うむむ、これは知りませんでした。アラビア文字の、あのとらえどころのない字体から、漢字のように書の世界が展開していたなんて夢にも思っていませんでした。
 サラディンは1137(1138)年にイラク北部の町タクリート(今のティクリートでしょうか?)に生まれた。父はクルド人の代官だった。現在、イラク北部からトルコにかけて1500~2000万人のクルド人が住む。アーリア系のイラン人を基礎に、アルメニア、アラブ、トルコ、モンゴル民族の侵入と混血をへて今日のクルド民族が形成された。3分の2がスンニー派、3分の1がシーア派だ。
サラディンの性格として二つのことが言える。一つは、近親者の要求を優先した。サラディンは、兄弟や自分の子どもに厚く報いた。二つ目は、性急には武力を行使せず、忍耐強かった。
サラディンは17人の息子と1人の娘に恵まれた。17人の息子のうち2人は奴隷女に生ませた子どもだった。
 サラディンが十字軍との戦いを続けられたのは、エジプト・シリアの政治的な統一に加えて、エジプトの富を十分に活用することができたからである。
 エジプト経済の基礎は農業にあった。ナイル川の西岸には豊かな農耕地が広がり、個々で生産される農産物が都市の人口を養った。
 エジプトの農民たちは、遊牧民と結託して、しばしば納税拒否の反乱に立ち上がった。農村地帯には、伝統的な遊牧生活をおくるアラブ部族がおり、農民からみれば彼らは機動力と武力をあわせもつ「強い味方」だった。
 イスラム世界では、世代をこえて受け継がれていく固定的な「騎士の身分」は存在しなかった。由緒正しいアラブの血を引く者であれ、よそ者の奴隷兵(マムルーク)であれ、騎馬戦士はすべて騎士(ファーリス)の名で呼ばれた。彼らは、いわば職業的な戦士であって、商人や職人あるいは、農民が騎士にとりたてられる道は開かれていなかった。正規軍を構成する騎士は初めの小規模なイクターを与えられ、スルタンへの忠実な奉仕を続けて戦功をあげれば、やがて軍団を統率するアミールに任じられた。
 アミールはイクター収入を用いて子飼いの騎士を養い、スルタンから出陣の命令が下れば、みずから戦備をととのえ、これらの騎士をひきいて参戦することが義務づけられていた。ヨーロッパの騎士へ与えられた封士は相互の契約にもとづいたが、イスラムの騎士へのイクターの授与はスルタンへの絶対的な服従を前提としていた。
 キリスト教徒の騎士にとって、学問や教養はかえって武勇のさまたげになるとみなされていた。この点は、イスラム社会の通念とは大いに異なっていた。
 ムスリム騎士は軽装であり、十字軍騎士は重装だった。
サラディンは死後に継承されるべき政治体制を確立することなく病没した。自らはスルタンを名乗らなかったことからも明らかなように、国家の首長の地位そのものがあいまいだった。ここに至るまでのアイユーブ朝は、サラディンの個人的な権威や人望によって、かろうじて一つにまとまっていたにすぎない。そのため、人々がサラディンを「スルタン(王)」と呼んだとしても、その権力は、決して絶対的なものではなかった。
 十字軍はアラブ世界に200年も侵略、占領、滞在していたようですが、当然のことながら、最後にはアラブの人によって放遂されました。ムスリムの首長であったサラディンの実像を初めて知ることができました。
(2011年12月刊。960円+税)

原発訴訟

カテゴリー:社会

著者   海渡 雄一 、 出版   岩波新書
 著者は現職の日弁連事務総長ですが、ながらく弁護士として全国の原発訴訟に関わってきました。
 司法は破壊的な原発事故の発生を未然に防ぐことが出来なかった。四国・松山にある伊方原発訴訟について、最高裁は次のような判断を示した。
 「原子炉施設の安全性が確保されないときは、この原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命・身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、この災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で原子炉を設置しようとするものの技術的能力ならびに・・・・施設の・・・・安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される」
 違法性を判断するにあたっては、処分の時点ではなく、現在の時点、つまり裁判で審理がなされている時点であると明示されている。そして、被告行政庁が安全に関する主張・立証を尽くさないときには、行政庁がした判断には不合理な点があることが事実上推認される。
原子力発電所は、いくら安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできません。
 もんじゅをめぐる裁判については、毎月1回、朝10時から夕方5時半まで口頭弁論期日を開いた。争点に関するプレゼンテーションを実施し、裁判所は自由に心証を形成していった。
青森県にある大間(おおま)原発は日本の核燃料サイクル政策破綻の象徴のような原子炉である。この実験炉ともいうべき原子炉を建設している電源開発は、過去に原発を保有したことがない。
日本国内に設置された原発のなかで、地震や断層の影響を受けないと言い切れる原発はない。1994年から2003年までに発生したマグニチュード6.0以上の地震960回のうち、220回が日本で発生した。世界の大地震の5分の1が日本列島と、その近くで発生している。
 福島第一原発事故において、東京電力が十分な津波対策を講じなかったことは、民事上の過失のレベルではなく、刑事上の犯罪を構成する可能性も考えなければならない。あの天下に名高い東電の歴代社長・取締役をこのまま不問に付していいなんて、とうてい思えません。皆さん、いかがですか・・・?黙って見過ごしていいと思いますか。
 地震、津波による原発の損傷から炉心溶融(メルトダウン)に至った今回の事故は、あらゆる観点からみて明らかに事前に想定できたものであり、東京電力の損害賠償責任は揺るがない。原発事故による損害賠償の枠組みについては、まずは東京電力の現有資産による賠償がなされるべきである。それで不足する部分については、被災者の支援のために国が上限を定めず援助する義務を法律上確定すべきである。
原発をめぐる訴訟に自ら長年にわたって関わってきただけに鋭い論評が各所にみられる本です。ぜひ、あなたも手にとって、ご一読ください。
(2011年11月刊。820円+税)

動物が幸せを感じるとき

カテゴリー:生物

著者  テンプル・グランディン  、 出版   NHK出版
 大切なことは、子どものころに他者との触れあいがたっぷりあり、健全な環境で暮らしたということ。発達初期の外界からの刺激には神経を保護し、脳を保護する働きがある。
オオカミは、人間のように家族単位で暮らす。オオカミの集団、つまり家族には、一組しかペアがいない。オオカミの子は、親や兄弟とは交尾しない。人間と同じように両親が家族を支配する。親は、いつまでたっても親。オオカミの家族では、優位をめぐって子どもたちが親に挑むことなどない。うへーっ、そうなんですか。オオカミの家族が人間の家族とそっくりだなんて、意外でした。
 オオカミが大きな群れで行動しない理由の一つは、捕食種なので、被捕食種のような護身の群れをつくる必要がないこと。オオカミの兄弟は優位をめぐるけんかをしない。
犬にとっていちばん自然な生活は、柵がなく、人間の飼い主がいて、おもに野外で過ごす暮らしだ。
犬は、いわば成長が停止したオオカミだ。顔がオオカミに似ている犬種ほど、おとなのオオカミと似た行動をとる。犬が母親と娘のような家族同士でないのなら、犬を飼うなら2匹にとどめたほうがよい。
犬は、オオカミの血を引いているので、「探索」の欲求が強い。オオカミは放浪する動物で、日中に知的な刺激をたくさん受け、一日に何度もさまざまな決断を下す。
犬は群れをつくると危険だ。犬は、とても社交的なので、何時間もひとりぼっちでは楽しくない。孤独と退屈で苦しんでいる犬があまりに多い。
犬は人間が喜べば、自分もうれしくなる。人間と犬は意識せずに常に互いを訓練している。
エサを取りあげられても気にしないように子犬を訓練することが大切だ。子犬にとって欲求不満を我慢させる訓練でいちばんいい方法は、「待て」と「おあずけ」を教えること。
 犬は、一日に少なくとも1時間はかまってやる必要がある。
子犬の性格を見分けるテスト。子犬をそっと仰向けにして、それから、その胸を軽く押さえつける。起きあがれない程度の圧力をかけたあと、手を離し、そのときの子犬の態度をみる。怒った目でにらみつけたり、おそろしがったりする犬は困る。ちょっとした遊びだと受け止める犬がおすすめ。
猫を飼うとき、心に留めておくべきことは、猫は本当には飼い慣らされていないこと。犬と人間の関係は共生的だが、猫と人間の関係は相互利用的。猫と人間とは、一緒にいて得る利益以上には互いをそれほど必要としてこなかった。ネコは、ある意味で、居間にすむ超小型のトラのようなものだ。
猫は環境にこだわり、小さな変化にもいちいち気がつく。猫は、犬と比べてはるかに自分の流儀にこだわり、新しい環境にうまく適応しないことがよくある。
馬は、犬に似ているところが少しある。人間を喜ばせたいのだ。馬は細部にとても敏感だ。絶対に怒りながら馬に近づいてはならない。
家畜の牛は、馬ほど恐怖心が強くないが、常に捕食者を警戒している。牛は群れで暮らす。そのため、仲間や家族と一緒にいる必要がある。
豚はとても好奇心が強い。先祖のイノシシが自然の中で長い時間をかけてエサを探していたことと関係がある。豚はかなり社交的で、性格も優しい。豚は、とても賢い。頭のよさは、アライグマ、犬、猫に次ぐ。
生き物についての深い考察がなされていて、驚嘆しました。著者は自閉症の動物学者です。
(2011年12月刊。2200円+税)
朝、ウグイスが上手に鳴くので目が覚めます。澄んだ声でホーホケキョと春到来を告げます。
庭にはアネモネの紅い花、黄水仙。チューリップのつぼみはぐんと伸び、もう少しで咲きそうです。
ついに花粉症が始まりました。目元がかゆくて、鼻水が止まりません。鼻詰まりのため、夜中に目が覚めてしまいます。春到来を待ちこがれているのですが、これだけは困ります。
子どもにも花粉症が増えているようです。その原因の一つに日本人のあまりの清潔好きがあるという記事を読みました。文明化もいいことだらけではないようです。

子どもは「育ちなおし」の名人!

カテゴリー:社会

著者   広木 克行 、 出版   清風堂書店
 教育学者による鋭い指摘には、はっと目が開かされる思いがします。
 いま大阪では政治の力で異常な「教育改革」が進められている。その本当の目的は、教師のなかから人間性を奪い、政治権力の僕(しもべ)として競争と管理の教育をすすめさせようとするものだ。子どもの元気や健康など、子どもの存在そのものに関心をもってるのではなく、点数化された子どもの一部の能力を見て、もっとがんばれと叱咤激励するのが教師の仕事だという。
 しかし、能力の原理だけに人間の意識が特化されていったとき、教師と子どもとの関係は深くむしばまれてしまう。
 秋葉原事件(2008年6月)を起こした青年は、小・中学校では学年トップクラスの成績をとっていた。
 人間関係の育ちを無視した頭だけの育ちは、人格の育ちを歪めてしまうものとなる。
幼児期から学力を能力を高めて教育中心の生活が強いられ、点数にこだわり、パニック状態になる子どもが増えている。
 関係をつくる力は、目には見えない力であり、点数化することができない。失敗もつまずきも経験できる豊かな関係の中でこそ、子どもたちは人間として育ち、育ちなおすことができる。
 携帯電話という情報端末が、いじめの質を非常に悪質にし、人の心を深く傷つけるものにしている。
 点数化し、序列化すると、子どもたちから遊びを奪うことになる。子どもたちがお互いに楽しく遊び育つことができるのは、子どもたちが横並びになっているときだ。点数化されると、子どもたちは、いつのまにか縦並びになっている。縦並びになると遊びが消えていく。
 教育とは、本来、一人ひとりの子どもが自分の長所と夢を育てることを支援する仕事であり、それを伸ばして実現するために知的、身体的、精神的な力を育てる仕事である。
 学校選択制や全国一斉学力テストの導入など、政府は教育を競争の手段と化す政策を一貫して強化してきた。
 競争の教育は、子どもと青年のなかに「自信の喪失」や「悲哀感」の強まりという深刻な問題を生み出す原因になっている。与えられた問題を要領よく解くだけの勉強、つまり学習と学力では自己決定ができず、自分が何をしたいのかさえ分からなくなって、自己喪失感を強める可能性がある。
 競争の教育は、子どもを点数に変え、子どもから余暇と遊びを奪い、生活を空洞化させる。それによって自己肯定感が育たず、人間としてもっとも大切な夢が奪われる。
 この本は、そんな困難な状況のなかでも、それをなんとか乗り越えていった実例がいくつもあげられ、救いがあります。読んで元気の出てくる本でした。
(2011年10月刊。1400円+税)

ベテルギウスの超新星爆発

カテゴリー:宇宙

著者   野本 陽代 、 出版   幻冬舎新書
 オリオン座に輝く一等星のベテルギウスが今にも爆発しそうだというのです。
 ベテルギウスは、地球からわずか640光年という近距離にある赤色長巨星です。質量は太陽の20倍、直径は太陽の100倍です。
 ベテルギウスが爆発すれば、史上最大級の宇宙ショーとなる。満月と同じくらいの明るさ、途方もなく明るい点が突如として天空に出現し、数ヶ月のあいだは昼間でも見えるほどギラギラと輝く。
 しかし、爆発から2年たつと、ベテルギウスは今より暗くなってしまい、あとは暗くなる一方で、やがて姿を消す。そして、冬の大三角形は見られなくなり、オリオンらしさも失う。
太陽にも寿命があり、その寿命は100億年。現在は、半ばにさしかかったところ。太陽の2倍の質量をもつ星は太陽の10倍の明るさで輝き、20億年で寿命を迎える。逆に太陽の半分の質量の星は1799億年の寿命がある。
 いま身近にある元素は、星と最後を飾る大爆発超新星によってつくられたもの。その意味で人間はスターダスト(星くず)、星の子であると言える。
 星くずから人は生まれ、また星くずへと帰っていく存在なのですね。
 悠久に生きたいと願ってもせんないことではあります。だって、あとに生まれてきた人にとっては先人はいずれ邪魔な存在になってしまうのですからね。先人が消えてはじめて、俊人の活躍する場所は開かれます。複雑な心境です。いつまでも若いと思っていたのですが・・・。たまには何万年どころか、何億年という単位で世の中のことをとらえてみるのは俗世に生きる私たちに必要なことだと、弁護士である私はいつも紛争をかかえて、つくづく実感します。
(2011年11月刊。780円+税)

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