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「日本の教育政策」

カテゴリー:社会

著者   OECD教育調査団 、 出版   朝日新聞社
 1970年1月にOECD(経済協力開発機構)が日本に派遣した教育調査団によるレポート「日本の教育報告書」が一冊の本になっています。1971年に発刊されましたが、40年たった今、一瞬、言葉を失うほどの衝撃的な内容です。
 この教育調査団のメンバーにはアメリカのライシャワー教授(かの有名な元駐日大使)も含まれています。ほかはフランスの元首相、イギリス、ノルウェー、イスラエルの教授たちです。
 そんな陣容の調査団が、日本の初・中等教育について、自分たちの方こそ学ぶべきだとまで絶賛しているのです。
 さらに、「優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、誰しも認めるところであろう」とほめたたえています。
 では、それほどすぐれた日本の教育を誰が今のようにダメにしてしまったのでしょうか。
 この本を読みながら、つらつら考え直してみたことでした。
 これからの日本の教育のあり方を考えるうえで必読の本ではないかと考えて、ここに紹介させていただきます。
「われわれは自分たちの国にくらべて、初・中等段階での日本の成果がいかに大きいかに、深く印象づけられた。だが、そうだからといって改善の要がほとんどないなどというつもりはなく、われわれはこの段階の学校について、重要だと思われた問題点のいくつかは、ためらうことなく提起した。しかしながら、とりわけ初・中等教育についていえば、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり、示唆するよりも、むしろわれわれ自身の方が学ぶべき立場におかれているのではないかというのが、調査団の一般的な意見であった」
「日本は、十五歳まで、すなわち中学校段階まで、差別的な学校教育をやらないよう細心の努力をはらってきた国の一つである。コースの分化をさけ、心身障害児のほかは特別の学級をおいていないし、また、優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」
「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、だれしも認めるところであろう。初・中等段階の数学教育で日本が最先端にいることは世界的に知られているが、それは日本の到達した高い水準を示す、証拠の一つにすぎない。
・・・・つねに長期的な展望のなかでとらえられねばならない。これらの改革を実現させるのにどうしても必要なのは、教師と地域住民の参加、実験計画の立案と実施にあたる機関の設立、教育養成計画に活力を与えるためのおたがいの努力、新しい法律や規則、予算などであろう。・・・・・
 弾力性にとみ、拘束性の少ない教育計画を立てて、もっと自由な時間、もっと選択自由な教育課程、もっといろいろなことができる課外活動、もっと親密な生徒同士の協力を実現させ、生徒の個性を発達させるべきだと考える。・・・・・
 規律と競争だけでなく協力を、受容と模倣だけでなく想像を―そうしたことに強い関心を向けるべき時機が、すでに到来しているのではなかろうか」
「中等教育はどこの国でも、さけがたい大きなジレンマをかかえている。すなわち一方では、子どもたちの多様な必要に、また多様な適性と能力に、教育課程をどう対応させていったらよいのだろうか。と同時に、それぞれに異なる能力をもち、また異なる進路をめざす子どもたちができるだけ長い期間、仲間としていっしょに活動できるような共通の教育の場をつくるには、どうしたらよいのだろうか。どの教育段階であれ、子どもたちに優劣の序列をつけることは避けねばならない。そうした格づけは、彼らの知的、道徳的な発達を妨げ、またそれがもたらす差別は、やがて彼らが成人したとき、社会階層の上下の別離をいっそう拡大するように作用するからである」
「一般的にいって、生徒を将来の職業の目標あるいは知識の獲得能力によって、早い段階で区別するやり方は、社会断層を硬直化させ、しかもその断層間の社会的距離を広げる結果になり、かえってその利点は失われてしまう。学校は、多様な能力水準をもった子どもたちの必要をみたし、多様な便宜や教育を与えるべきであると、われわれは考えている。どのようなタイプの学校も、多様な能力をもった子どもたちを受入れ、ほぼ同じ資格をもった教師を擁し、また同じ水準の施設設備をもたなければならない」
「文部省は日本の教育の内容に対して、非常に強力な公的支配力をもっている。その点では、世界においてもっとも中央集権化された官庁の一つかも知れない。
(一)  各教科における学習指導要領を決める権限をもっている。また、その権限は詳細な点まで指示するようになっており、教育課程に変化をあたえようとする教師の自由は制限されている。
(二)  使用されるすべての教科書に対して、検定許可の権限をもっている。この権限は、歴史のような教科書にかかわる場合に、画一的な政治的価値を押しつけるという危険をはらんでいる」
いかがでしょうか。いずれも、今日の日本に生かすべき、忘れてはいけない大切な指摘ではないかと思いました。
(1972年11月刊。980円)
 連休の三日三晩、至福のときを過ごしました。1954年制作の映画『二十四の瞳』を三回に分けて毎晩寝る前に見たのです。なにしろ2時間20分ほどの長編ですから。それにこのDVDを探しまわってなかなか見つかりませんでしたが、結局なんと80円で借りることができました。
 教師という職業の崇高さ、一人一人の子どもを大切にすることの大切さ、時流に流されていくことの怖さ、涙なくして見れない感動の大作です。
 子どもたちと一緒になって遊ぶシーン。桜の咲く丘を汽車ごっこする有名なシーンなど、子どもたちも本当に楽しいそうです。
 貧しい家庭に育ち、学校に通えない。修学旅行に行けない。そして「将来の希望」という題を与えられて作文が書けないと泣き出す子ども。家庭訪問し、子どもたちと一緒に鳴く大石先生です。
 男の子たちは軍人志望。疑問を述べる大石先生は弱虫と言われます。それだけならいいのですが、アカだと批判が立ち、校長先生から今のご時勢に流されない。見ザル、聞かザル、言わザル。お国のために役立つ兵士をつくるのが教師のつとめだといさめられるのでした。
 そして、やがて生徒たちは出征していきます。戦後、大石先生は再び岬分教場につとめるようになります。そして教え子たちが戦死したことを知るのです。

情熱の階段

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   濃野 平 、 出版   講談社
 スペインで日本人闘牛士が孤軍奮闘しているなんて、ちっとも知りませんでした。ユーチューブで、その活躍ぶりがきっと見られるのでしょうね。見てみたいものです。
 著者は世界唯一の現役の日本人闘牛士です。一人前の闘牛士になるための悪戦苦闘ぶりが生々しく、その苦しい息づかいとともに伝わってくる迫力ある本でした。なにより、単なる成功譚で終わっていないところが素晴らしい。決してハッピーエンドの世界ではなく、これからも闘牛士として苦難の道が続くことを想像させます。がんばれ、日本人青年。つい、こう叫んでしまいました。
 私は、この動物を殺す。剣の一撃によって。食べるためではない。毛皮を剥(は)ぐためでもない。この大きな角をもった猛獣を、大勢の観客の前でただ殺す。
人によっては、血に飢えた残酷な者たちによる野蛮な儀式だという。
 人によっては、危険な恐れない勇者たちによる偉大な芸術であるという。
 スペイン闘牛、それは生と死をめぐる見世物だ。その舞台上では、動物への感傷が入る隙間はない。
 著者は世界唯一の現役の日本人闘牛士。
牡牛の前に立っているときは、それほど怖さを感じない。やるべきことや考えるべきことが多くて、恐怖を味わう暇があまりないからだ。むしろ、恐怖は闘牛の始まる前と終わってしばらくしたころにやって来る。
 この試合さえ無事にすんだら、もう二度と闘牛なんかやらないから、自分を護ってほしいと、何かに祈ってすがりつきたくなることもある。牡牛は怖い。大怪我をする危険はいつだってある。観客は、もっと怖い。そこにあるのは、自分自身とのたたかいだ。その背中、肩甲骨の間の小さなくぼみ、そこに剣を正しい角度で突き入れると、牡牛は死ぬ。
 過去に日本人でプロ闘牛士の世界に足を踏み入れたのは2人だけ。著者は3人目になります。
闘牛士が優れた縁起で観客の心をつかみ、「真実の瞬間」と呼ばれる仕留めをうまく決めることができれば、褒賞として牡牛の耳一枚が与えられる。それ以上の価値がある闘牛であったと判断されたら、耳二枚、さらに尻尾まで闘牛士に贈られる。
 闘牛士たちは一頭あたり20分、全6頭からなる2時間あまりの興行がつづく。闘牛につかわれる牡牛の血統は、乳牛や食用牛などの飼い慣らされたおとなしい動物ではない。自己防衛本能により、あらゆる外敵に対して攻撃を仕掛ける性質がもともと備わっている。自分以外に動く、あらゆる対象物へとためらうことなく攻撃を仕掛けるのが大きな特徴だ。
 スペイン全土には1300をこえる闘牛牧場がある。そして闘牛場はスペイン全土に500もある。それは3つの格式にクラス分けされている。闘牛は年間2000回も開催されている。ただし、入場料は高い。田舎町で3~4000円もする。
牛は、たった一度しか闘牛に使えない。牛は闘牛士と10数分ほど対峙することによって、闘牛士本人とおとりであるカポテやムレタとの区別がつくようになり、2度目は迷わず闘牛士の体を攻撃する。だから、闘牛で使われた牡牛は、演技終了後に殺されて食肉となる。闘牛場内で直ちに解体されて、販売される。
 牡牛の死に至るまでの過程こそが、もっとも重要視される。
面白い闘牛に出会うのは簡単なことではない。10回みて、1回か2回、面白い闘牛があれば良いほうだ。
 闘牛術は、あくまでも勇気という前提条件の上に成り立っている。闘牛士には、自らがもつ本能的な恐怖を理性によって抑えることが求められている。だから、実際には、闘牛士と牡牛とのたたかいでは決してない。牡牛は、闘牛士のつくり出す作品の素材にすぎない。恐怖心に負けず果敢におのれの限界にまで挑む、自らの弱い心と常に争い続ける闘牛士の内部にこそある。つまり闘牛とは、自分自身との闘いなのだ。
 試合に出される牡牛は、過去に一度も闘牛士と対峙していない牡牛から選ばれる。
闘牛術の習得の難しさは、生きた牛相手の練習機会を得ることが、きわめて難しい点にある。
 なーるほど、そうなんですか。私はてっきり、あの牛たちは何回も挑戦しているとばかり思っていました。
闘牛士として挑戦するためには大変なお金がいります。そのため、著者はオレンジ農場で働いたり、日本に戻って東京の築地市場でアルバイトをしたりしていました。
スペイン闘牛界において、闘牛収入だけで生計を立てられる闘牛士は、スペイン全土でわずか数十人程度でしかない。
いやはや、とんでもない厳しい世界です。そんななかで、よくも日本人闘牛士として頭角をあらわしたものですね。すごいものです。日本人の青年(ここでは男性)もたいしたものではありませんか。この本を読むと、思わず力が入り、また、元気が出てきます。のうのさん、体に気をつけてがんばってくださいね。
(2012年3月刊。1400円+税)

秀吉の朝鮮侵略と民衆・文禄の役(下)

カテゴリー:日本史

著者   中里 紀元 、 出版   文献出版
 この下巻では、秀吉の朝鮮侵略のとき日本軍がいかに残虐なことをしたのか、おぞましい事実が明らかにされています。後の日清戦争(1894年)のときにも明妃虐殺をはじめ非道いことを日本軍はしましたが、その300年前にも同じように日本軍は残虐非道を働いていたのでした。
 文禄の役で、日本軍は朝鮮全道を支配していたのではなく、全羅道には駐留することが出来なかった。これは現地の義兵の抵抗が強かったということです。
 日本軍のなかでも加藤清正の残虐ぶりは軍を抜くようです。
 加藤清正は朝鮮二王子を捕まえていた。朝鮮軍の応援にやってきていた明軍は朝鮮二王子の返還もふくめて講和交渉に来た。その明軍の使者の面前で王子の従者の一人である捕虜の美女をはりつけにして槍で突き殺してしまった。それを見た明の使者や供の者が恐れおののいたと清正の高麗陣覚書に誇らしげに書かれている。朝鮮・明では、この残虐行為によって、清正は鬼と呼ばれた。
 日本軍は朝鮮・明軍と戦うときは兜の下の面当しや背に負った色とりどりの小旗、そして日本刀を日の光にあてギラギラと輝かせて相手を恐怖させる戦術をとった。
 天下様たる秀吉の威光をもってしても、朝鮮に渡る船の水夫・加子の逃亡を止めることは出来なかった。日本民衆の漁民の抵抗と朝鮮民衆の一揆の抵抗とが一致して秀吉の朝鮮侵略は半年あまりで挫折した。
 小西行長、宋、平戸松浦の1万5千の兵が守る平壌城に対して明軍の総大将・李如松は、明軍と金命元の朝鮮軍をあわせる20万の大軍で迫った。日本軍は明軍の攻撃によく耐え奮闘したが、1万5千のうち5千人ほどしか残らなかった。そして、小西軍は平壌から敗走した。このことは、日本軍の将兵に大きな衝撃を与えた。
 明軍が小西軍を敗走させた最大の原因は、食糧不足だった。釜山から兵糧が届かなくなっていた。
秀吉は、徳川家康や前田利家と軍議を重ねたが、家康や利家は名護屋在陣の10万をわけて朝鮮へ渡海させることは出来ないと主張した。それは、薩摩で反乱が起きたように、国内でまた反抗が起きたとき、弾圧する軍事力を残すためだった。秀吉は朝鮮へ将軍を出すことも出来ず、くやし涙を流した。
秀吉は、自分への絶対服従を再確認するため、三名の大名を処罰して、日本軍の士気を引き締めた。この三大名とは、豊後の大友義統(よしむね)、薩摩和泉の島津又太郎、そして、上松浦(唐津)の波多三河守親(ちかし)である。
 フロイスは、日本軍の兵士と輸送員をふくめて15万人が朝鮮に渡り、そのうち3分の1にあたる5万人が死亡したと報告している。この5万人のうち、敵に殺された者はわずかで、大部分は、労苦、飢餓、寒気そして疾病によって亡くなった。
 第一軍の小西行長軍は、65%の人員が減少した。第二軍の加藤軍は1万人が渡海して4千人が消えてしまった。
恐るべき侵略戦争だったわけです。よくぞ調べあげたものです。清鮮での虎退治で有名な加藤清正がこんなに残虐なことをしていたとは、知りませんでした。
(平成5年3月刊。15000円+税)

巨大戦艦「大和」全軌跡

カテゴリー:日本史

著者   原 勝洋 、 出版   学研
 大艦巨砲主義の頂点に立つ「大和」は、巨大主砲9門、発砲時の衝撃に耐え、船体の53.5%の主要部のみに防御を集中する「集中防御」を採用した。艦幅が広く、喫水の浅い、速力を出すには不利な船型をした船艦だった。それでも、「大和」は最高時速50キロを発揮した。「大和」型戦艦の建造について山本五十六・航空本部長は次のように反対した。
 「巨艦を造っても不沈はありえない。将来、飛行機の攻撃力はさらに威力を増し、砲戦がおこなわれる前に飛行機によって撃破されるから、今後の戦闘では、戦艦は無用の長物になる」
 まことに至言です。その言葉のとおりになりました。ところが、当時の海軍首脳部は、航空攻撃の威力について「実践では、演習どおりにはいかない」と考え、山本航空本部長の反対意見を押し切った。
 海軍軍令部は、アメリカと量で競争することはできないのでアメリカより前に巨大戦艦を建造し、射程の長い砲を搭載し、アウトレンジで敵が決戦距離に入る前に先勝の端緒を開くという、質で対抗する考え方を強調した。
 主砲40センチ砲の一門の製造に要した鋼塊重量は725トン、鍛錬重量は417トンで、仕上がり重量は166トンだった。
 発射速度は30秒に一発。弾丸を一発発射するのに、29.25~30.5秒かかる。「大和」が9門の主砲を一斉に同一舷、同方向に向かって発砲したときには、8000トンの反動力が生じる。
 「大和」の艦艇からから最上甲板までの船体の高さは6階建てのビルに相当した。「大和」に立ち入った者は、誰一人として、この巨艦が沈むとは思わなかった。
 昭和17年11月のソロモン海戦のころまではアメリカ軍もレーダー操作に不慣れだった。しかし、翌18年7月のころには、アメリカ軍の夜戦能力は射撃用レーダーの進歩と射法の改良によって急速に向上していた。同年11月には、日本海軍はアメリカ軍のレーダー射撃に太刀打ちできなくなっていた。
 大本営発表では勇ましい「戦果」をあげているということだったが、実はアメリカ空母はすべて健在という正しい情報を得ていた第14方面軍もいた。ところが、参謀本部の瀬島龍三少佐が正しい情報を握りつぶしてしまった。
 瀬島龍三については、今なおその崇拝者が少なくありませんが、こんなことをしていたのですね。許せませんよね。
 結局のところ、「大和」はその9門の主砲をまったく活用することがないまま無数の航空攻撃の下に撃沈させられてしまったのでした。
 「大和」の性能そしてその最期に至るまでを、アメリカ軍の記録をも掘り起こして刻明に解明した貴重な本です。宇宙戦艦ヤマトとちがって、ここには「男のロマン」はないというしかありません。
(2011年8月刊。2300円+税)

豚のPちゃんと32人の小学生

カテゴリー:生物

著者   黒田 恭史 、 出版   ミネルヴァ書房
 小学生のクラスで3年間、豚を飼っていたという体験記です。そのクライマックスは、なんといっても、卒業のときの残された豚の処遇をめぐるクラス討論会の模様です。
 次の学年に引き継ぎ、ずっと学校で豚を飼い続けるという声が有力です。でも、豚って、あまりに大きくなりすぎると、自分の足で身体を支えられなくなるようですね。ゴロンと横になって、喰っちゃ寝の生活をするとのこと。そんな巨大な豚を小学生が本当に世話できるでしょうか。
 もちろん、食肉センターに引き渡すという声もありました。でも、それは自分たちが食べるというのではありません。もう誰も学校で面倒みられないから、豚を手放すだけなのです。決して豚を殺して食べていいというわけではありません。たとえ、結果として、そうなったとしても、そこまではもう子どもたちの考え及ばない世界なのです。
 映画は見ていませんが、今から9年前に出版された本を読んだのです。実際の話はそれよりさらに10年前、1993年のことでした。テレビで放映されると、反響は大きく、抗議の電話がじゃんじゃんかかってきたそうです。それでも、動物愛護映画コンクールで内閣総理大臣賞を受賞しました。私も受賞してよいと思います。実際、毎日のように、私たちは豚肉を食べているわけですから、子どもたちの教育実践として生きた豚を飼って悪いはずがありません。
 それにしても豚の世話って、大変なようです。
 ぶた(Pちゃん)の好きなものはトマト、嫌いなものはキャベツ。
 子どもたちはPちゃんの処遇を決める過程で、食肉センターへ見学にも行きました。もちろん、希望者のみ、親が同伴して、です。
32人のクラスは食肉センター派と引き継ぎ派と16人対16人、真っ二つに分かれた。同じように3年間かかわってきた子どもたちが、見事に分かれてしまった。不思議だった。筋書きのない授業をすすめるなかで、このクラスを担任した教師は悩みました。結局、Pちゃんは食肉センターに送られ、子どもたちが豚を食べるわけでもありませんでしたが、そこに至る教師の苦悩がリアルに伝わってきました。それを感じることが出来ただけでもいい本だと思います。橋下流の「教育改革」では、こんなことをしている著者なんて最低評価しかされないことでしょう。なぜなら、直接的に「学力向上」に役立つとは思えないからです。
 でも、本当の学力、考える力、仲間を支えあう力は大いに育成できたのではないでしょうか・・・。
(2008年11月刊。2000円+税)

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