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カテゴリー: 社会

砂の器・映画の魔性

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 樋口 尚文 、 出版 筑摩書房
 映画大好き人間(フランス語ではシネフィルと言います)の私にとって、日本映画の最高傑作は『七人の侍』であり、それに次ぐのが、この『砂の器』ではないかと考えています。もちろん、他にも『二十四の瞳』だとか、『生きる』というのもありますが…。
 この本は『砂の器』に関してあらゆる角度から総括したものと思えます。すごいです。製作現場の裏話まで、当時のノートまで掘り起こして裏づけています。
著者の主張が最後に要約されていますので、それを紹介します。
 松本清張の作品のなかでは問題も多い長大な原作を脚本家にして製作者でもある橋本忍が大胆な「奇想」でまるで別物に改変し、それゆえの無理の多いところを野村芳太郎監督の「緻密」が細心にカバーしたところに生まれた、非常に奇異なるベンチャー映画である。
 作り手の稀有な「奇想」と「緻密」の掛け算が生んだメロドラマ性は、そこに傾けられた熱気の迫力もあいまって、日本人独特の心性に強く訴えかける特異な映画に仕上がった。
 中国の映画監督との対談もあり、中国の映画監督に対して『砂の器』は大きな影響を与えたし、中国でも大好評だったようですが、『七人の侍』ほど国際的には評価されていないようだと知ると、少しばかり残念に思いました。
 この本には、『砂の器』で子役(「秀夫」役)だった人(春日和秀氏)が登場します。子役を15歳でやめたあと、自動車関連の仕事をしていて、自分が『砂の器』で子役をしたことを妻子にも言っていなかったというのです。
 『砂の器』に出演したのは小学1年から2年生までのことで、この1年間はほとんど学校にも行っていないとのこと(今では考えられません)。
 セリフはないけれど、目力(めぢから)がすごいという評判をとっています。そして、額にひどい傷ができるような転がり方をロケ地で実際にさせられたそうです。加藤剛は、その傷を隠そうとしています。そして青森の竜飛(たっぴ)崎でのロケのときは厳寒のなかで加藤喜に抱かれて携帯カイロのようにされていたというのです。
 この『砂の器』は、松竹の城戸四郎社長が製作に反対して13年間も「お蔵入り」をして、「橋本プロ」の企画して、ようやく陽の目を見ることができたのでした。
 映画が完成して上映されたのは1974(昭和49)年10月のこと。私はこの年4月に弁護士になっていますので、恐らく川崎か東京の映画館で見たように思います。大評判になりました。泣かずにはおれない映画です。しかも号泣です。老若男女の幅広い客層で、映画後半には場内のそこかしこで観客の嗚咽(おえつ)が聞こえ、終映後のロビーには満足と称賛の声があふれていた。この年の映画配給収入の第3位となる7億円を売り上げた。
この映画の肝(きも)のひとつが出雲にある亀嵩(かめだか)地方が東北のズーズー弁と同じということです。その意味で亀嵩駅が登場するわけですが、実は本当の亀嵩駅は全然使われておらず、近隣の液の風景をパッチワークのように描き出したとのこと。すごいですね、さすが映画です。
女優の島田陽子は清純派として有名だったわけです(当時21歳)が。加藤剛とのベッドシーンでは、「気持ちをちゃんと作ってください」と監督から指示されたとのこと。大変なプレッシャーです。そして、ヌードになるとき、監督に申し入れたとのこと。「私があまりに胸がないので、お見せするのに忍びないと思って…」。すると、野村監督は、「こんなに幸薄い女性の胸が大きかったらおかしいでしょう」と言い返したとのこと。いやはや、なるほど、そうかもしれません。
 ぜひまた、『砂の器』を観てみたくなりました。
(2025年6月刊。2750円)

エヌビディアの流儀

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 テイ・キム 、 出版 ダイヤモンド社
 TSMCにしろ、このエヌビディアにしろ、台湾系アメリカ人が興(おこ)した企業なのですね。日頃、IT関係に疎(うと)い私でも、エヌビディアという世界的超大企業の存在は知っていましたので、その内情を少しばかりのぞいてみたくて読んでみました。
 エヌビディアは、大きくなるにつれ、生き残るためには未来になるべく多くの保険をかけることが肝要だと考えた。エヌビディアが競合他社と一線を画すのは、長期的な実験や投資に前向きであり、その自由な活動を収益化に結びつける能力が高いこと。
 目先の利益だけを追い求めるのではなく、ちょっと先まで考え、今はムダに思えることでもやってみるという姿勢が肝要なんですよね。最近の日本企業に欠けている視点のように思います。いかにも視野の狭い企業人が大学の研究にまで口を出して、今すぐもうかるものにばかり目を向けさせようとするのです。それでは先が伸びません。
 ChatGPTは、公開してわずか2ヶ月で月間アクティブユーザーが1億人を突破した。これは史上もっとも急成長した消費者向けアプリ。
 2023年に生成AIの需要が爆発的に伸びたとき、生成AIを完全にサポートする準備が整っていたハードウェア・メーカーはエヌビディアだけだった。
 エヌビディアには社員を引き留める柔軟な報酬制度がある。社員は入社時に証券口座を受けとり、入社1年目の終わりに初回の株式報酬の4分の1を受けとる。4年たって株式を満額行使できるようになってすぐ退社するのを防ぐため、エヌビディアは、毎年、追加で株式を付与している。これによって、社員が会社に残る理由はますます増えていく。
 そして、特別な評価に値すると認めた社員に対しては、年次の勤務評定を待たず、いつでも社員に直接様式を付与する。このような、エヌビディアの実力主義的で柔軟で機敏な報酬制度は、きわめて低い離職率に一役買っている。エヌビディアの離職率3%未満は、業界平均の13%を大きく下回っている。
 エヌビディアは弱肉強食の競争文化が生まれるのを積極的に防いでいる。
 「ひとりで負ける者はいない」というのが哲学。困ったら、積極的に応援を求めることが奨励されている。ふむふむ、これはいいことですよね。
 エヌビディアは大学を支援するだけでなく、学生たちも支援している。いちばん大事なのは、改善しようとする姿勢。
 エヌビディアの会議は、ホワイトボードを活用する。全員がまっさらなホワイトボードから始め、過去を忘れて現在、重要なことだけに集中する。ホワイトボードを使うときは、厳密さと透明性の両方が自然に求められる。ホワイトボードの前に立つたび、一から始めなければならないので、自分の考えをなるべく詳しく明快に説明する必要がある。
 存在感を保ち続けるためには、投資するしかない。投資を止めたとたん、淘汰されてしまう。成功にとって大事なのは忍耐力。人格は、挫折が逆境を乗り越えてこそ磨かれる。
 エヌビディアという会社の名前は、開発中のNVIチップに敬意を表したもの。
 少しだけエヌビディアというIT超大企業の内幕を知ることができました。
(2025年2月刊。2400円+税)

ウンコノミクス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山口 亮子 、 出版 インターナショナル新書
 人間が排出するウンコの国際比較。1日にアメリカ人は150グラム、イギリス人は100グラム。日本人は200グラムで、中国人は210グラム、インド人は300グラム。ケニア人はなんと520グラム。ところが戦前の日本人は400グラムだったので、半減している。
 日本人は85歳まで生きると、生涯に6.2トンの排出することになる。アフリカ象1頭分だ。そして、日本人は1億2400万人いるので、毎日2万5千トンを排出している。
 100万都市だった江戸では人糞尿は取引されていて、年間2万両になった。今の8~12億円。
 リンは重要な肥料。日本は中国から輸入している。
 ウンコは、肥料の3要素(リン酸、カリウム、窒素)のうち、窒素とリン酸を豊富に含んでいる。日本はリン酸アンモニウム(リン安(あん))の90%を中国から輸入している。
 リン鉱石は特定の地域に偏在している。中国とモロッコ、エジプトの3ヶ国で8割を占める。
 リンは工業用にも使われる。電気自動車のバッテリーにはリン酸鉄リチウムイオン電池が使われる。
 汚水処理場で発生した最終的な汚泥は、全量焼却している。
 著者はウンコ由来の肥料を生産し、活用することを提唱しています。たしかに、全量焼却するよりは、よほど健全かつ合理的でしょう。
 すでに下水汚泥はヨーロッパでは活用されているのです。フランスでは、畑にも牧草地にも、下水汚泥を散布するなどして、8割も農業に利用しているそうです。日本も考える必要があります。「台湾有事」とか言って、中国を敵視していますが、日本は中国に、リンとリン酸についてはすっかり依存しているのです。戦争なんて出来ませんよ。してはいけません。
 ウンコを核にした資源の循環が提起されています。画期的な提案です。この提案がホンモノになることを心より祈念します。
(2025年4月刊。950円+税)

米原昶の革命

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 松永 智子 、 出版 創元社
 米原昶(よねはら・いたる)という共産党の代議士がいました。今ではすっかり忘れられていますが、その娘の米原万里(よねはら・まり)のほうは、かなり知られているのではないでしょうか。私の書棚にも、5冊以上並んでいます。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はひどく胸の打たれる本でした。
 さて、父親です。東京選出の共産党の代議士として、私がまだ東京にいたころ活動していました。この本によると、1973年9月の衆議院本会議で、田中角栄首相に対してKCIAと国際勝共連合(文鮮明の統一協会の別働隊)を追求したというのです。この質疑を安倍晋三が銃撃されて死亡したあと、2023年8月16日に「ポリタスTV」で紹介されたところ、たちまち「時の人」になったということfです。
 姉の米原万里と同じく妹の米原ユリ(料理研究家)もそれなりに有名です。というのは、作家の井上ひさしと結婚したからです。万里もユリも、「父(いたる)が大好きで大好きで」というのでした。これは、たいしたものですね…。
 米原いたるは、鳥取の名家の生まれ。生家は国の有形文化財に登録されている。米原いたるは、鳥取中学校から東京で一高に入学し、除籍されている。
 鳥取といえば、今の石破茂首相の地盤ですが、米原いたるは、1949年には鳥取でトップ当選しています。鳥取の名家出身のなせるわざですね。東京2区からも3回当選しています。中選挙区制だったからです。今の小選挙区制は民意をきちんと反映していません。
 米原いたるは一高時代は柔道部に入って熱心に練習していたようです。ところが社研に入って活動するようになり、ついには、地下で党活動を始めたのでした。1928年ころのことです。私の父(茂)も、このころ東京で逓信省につとめて働いていました(『まだ見たきものあり』)。
 3.15事件は小林多喜二が小説にしていますが、特高が政府に反抗的な人々に対して凄惨な拷問を加えていたのでした。1929年10月、米原いたるは一高より除籍処分を受けた。その理由は「不穏の言動」というものです。信じられない理由です。
 1930年7月から1945年8月まで、米原いたるは15年間という地下生活に入ったのでした。21歳から36歳までのことです。北海道、東京、群馬、福島で偽名を使って生活していました。この間、いたるの父・米原章三は貴族院議員になっています。この15年間、造船所や鉄工所で肉体労働をし、また、雑誌の編集、返信教育に関わっていたようです。
 米原いたるは1959年から社会主義国のチェコ(プラハ)に駐在するようになります。「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集部員として、ヨーロッパ諸国への情報収集を任務としました。本名ではなく大山二郎(アヤーマ)と名乗っての活動です。中ソ論争が激しくなる中で、妻が日本に帰国してから、娘2人とプラハで3人暮らしをしていました。このころの娘たちの生活の大変さは万里の本のなかによく描かれています。
 やがて、日本共産党はソ連との関係が悪化し、1964年11月に日本に帰国しました。そして、1969年12月の総選挙で当選して国会議員として活動しはじめました。
 米原いたるは1982年5月、73歳で亡くなった。難病のALSだった。
 米原いたるは家で息子の矜持(きょうじ)からか、名家(資産家)の祖父の遺産は一銭も使われなかったという。米原いたるは、島軽西高の応援歌「祝勝の歌」を作詞した。今に至るまで、100年間、うたわれている。ちなみに、この本の著者は久留米の明善高校出身とのこと。米原いたるの曾祖父・米原章三は、「世のため人のために奉仕せよ。孫の代まで見すえた仕事をせよ」と説いたという。それを米原いたるは見事に貫き、実践した。最後に米良いたるの年譜があるのを見て、私の父と同年(1909年、明治42年)の生まれだと知りました。
 道理で、東京の一高生のころに時代背景が重なるわけです。
 それにしても米原万里が早く亡くなったのは惜しまれます。父の地下生活の15年間を追跡していたそうですから…。
(2025年2月刊。2970円)

よみがえる美しい鳥

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大川 真郎 、 出版 日本評論社
 いったい、この先どうなるんだろうと、手に汗を握る展開で始まる本です。そしていくつもの障害・困難を乗りこえ、ついに調印式にこぎつけます。このとき、恐る恐る出席した県知事までがついに感きわまって泣き出してしまいました。ところが、実は、その後も島の地下から次々に汚染物質が掘り出されるのです。いったい、どうするの、こんなに大量の汚染物質を…。
産業廃棄物ですから、悪臭がひどいだけでなく、猛毒です。それを安全に処理できるのか、処理したとして、その最終処分によって生成したものを全部島外に運び出せるのか、いったいそんな場所が日本にあるのか…。最後のところは、放射性廃棄物となんだか似ていますよね。でも、放射性廃棄物と違って、こちらはまだなんとかなりそうなのが救いです。
 豊かな島と書いて、「てしま」と読みます。瀬戸内海の小さな島です。香川県に属します。小豆島のそばにあり、近くにアートで有名な直島があります。私は映画「二十三の瞳」で有名な小豆島にも直島の美術館にも行ったことがありますが、この豊島には行っていません。今では、産業問題で有名になった島として年間4万人もの見学者があるそうです。
 かつては島の人口は3千人もいたのが、今では750人。高齢化が進み、住民運動のリーダーたちも多くは亡くなっている。
 この豊島に産業が運び込まれるようになったのは、1978年2月、香川県が「ミミズによる土壌改良可処分業」を許可したことから。ところが、「ミミズによる土壌改良というのは、まったくの嘘で、シュレッダーダスト、ラガーロープ、廃油、汚泥、廃酸、廃プラスチックなど、さまざまな有害産業廃棄物が次々に豊島に運び込まれた。しかも、大量の野焼きがあり、悪臭と煤煙が島全体を覆うようになった。
ついには海上保安庁そして兵庫県警が立ち入り捜査をするに至った。捜査を英断した兵庫県警の本部長は、あとで狙撃され、瀕死の重傷を負った、かの国松孝次警察長官でした。
結局、事業者らは、廃棄物処理法違反で逮捕され、起訴されて有罪となった(1991年7月)。
 香川県は、犯罪行為に加担していたわけですが、自らの非をまったく認めず、廃棄物の撤去にも動こうとしなかったのです。
 このとき、住民は、搬入された産業廃棄物は60万トンと推計した。しかし、最終的に撤去されたのは、汚染土壌1万3千トンを含めると91万トンを上回った。
 島民は住民会議を結成し、大坂の中坊公平弁護士に依頼した。このときの中坊弁護士と住民代表との会話が紹介されています。住民の代表(安岐正三氏)に向かって中坊弁護士は、こう言った。
 「わかった。ところであんた、金ないやろ、知恵ないやろ。あるのはなんや、命だけやないか。命は誰も一つ、平等や。あんた、もうそれしかないで。身体(からだ)張って下さい。約束できますか」
 私は個人的に中坊弁護士と話したことはありませんが、その講演は何回も聞きました。いつも、ものすごい迫力を感じました。この口調で中坊弁護士から迫られた住民は心底からびびってしまったことでしょう。
 この本の著者は中坊弁護士に「釣られて」弁護団の有力(主力)メンバーになったのでした。中坊弁護士の「人たらし」は有名でした。
 弁護団は、裁判ではなく、公調委(公害等調整委員会)を選択します。この公調委はもちろん東京にあるわけですが、さまざまな難局を経て、最終解決(調印式)するときは、なんと豊島に委員長がやってきて、豊島小学校体育館で開いたのです(2000年6月6日)。
ときの公調委の委員長は元東京高裁長官の川㟢元裁判官。真鍋知事も恐る恐る会場にやってきたが、用意した謝罪文を読み終えたあと、自分の言葉でその思いを語った。そして、会場から港まで、中坊弁護士と連れだって歩いていった。住民と弁護団も一緒に…。そしてこの状況をマスコミが撮影し、報道した。
一足飛びに終結した様子を紹介しましたが、それに至るまで、公調委は何回も決裂寸前になったのでした。肝心なことは、豊島に搬入され埋められた産業廃棄物がどれほどのものなのか、科学的に調査すること、その費用を誰が負担するか、です。3億円近くもかかります。しかし、ついに国が決断しました。
 それまで、住民は、香川県庁前で半年間にわたり、立って抗議しました。銀座で廃棄物を陳列しても訴えました(1996年9月20日)。住民大会には500人が参加。ところが、地元選出の県会議員が住民運動について、弁護団が主導する「根無し草の運動」だと攻撃したのです。
 そこで、住民は「草の根」運動を展開しました。それは、ついに39歳の若い住民代表を県会議員に当選させるに至ったのです。
 産業廃棄物は隣の直島につくられた処理施設で処理されることになりました。
 著者たち弁護団のすごいのは、公調委での最終解決のあとも弁護団を解散することなく、住民とともに最後まで関わっていることです。大変元気の出る本でもありました。いつも著書を送っていただき、ありがとうございます。引き続きの健筆を大いに期待しています。
(2025年6月刊。2600円+税)

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