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カテゴリー: 日本史(戦前)

「治安維持法100年」

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 萩野 富士夫・歴教協 、 出版 大月書店
 治安維持法が制定されたのは、今からちょうど100年前の1925年。その後、2度の改正を経て、猛威をふるった。そして、日本国内だけでなく、植民地として支配していた朝鮮と台湾にも運用された。
 日本では1945年に廃止されたが、朝鮮と台湾では戦後も長く戒厳令が敷かれたりして、人権を蹂躙する治安体制が続いた。
 1925年に制定された治安維持法は1945年に廃止されるまでの20年間、社会変革の運動や思想をおさえこみ、戦争遂行の障害とみなしたものをほぼ完璧に封殺した。
治安維持法の成立は、普通選挙法の成立と同じ時期。このことは私も知っていましたが、同時に日ソ国交の成立とも関連しているのこと、これは全く知りませんでした。ロシア革命が1917年に成功して、それからまだ8年しかたっていませんでしたから、日本の支配層が非常なる危機感をもっていたのでしょうね…。
弾圧のなかで思想転向者が多数うまれた。その方向で転向を促進するため、思想犯保護観察法が1936年に成立・施行された。
1925年に制定されたときの治安維持法はわずか7条だったのが、1941年3月、2度目の改正によって65条にまで増えた。それまで拡張解釈していたのを条文にした、つまり運用の実態を条文化した。これって、いかにも本末転倒ですよね。
1945年8月の日本敗戦後も日本政府は治安維持法を廃止など念頭になく、運用の継続を図った。驚くべきことです。そこで、GHQ(占領軍)が10月15日に「人権指令」を発して、ようやく治安維持法は廃止された。
1945年8月15日をもって直ちに収容されていた政治犯全員が釈放されたというわけではないのです。そのため、三木清などが敗戦後なのに、刑務所のなかで病死しています。本当に残念なことです。
特高警察の解体も、GHQの指令によってようやくなされたのでした。ところが、特高警察官たちは、しばらく野に伏せていただけで、やがて大手を振って表に出てきて、国政トップにまで出世していきました。ひどいものです。
朝鮮半島での治安維持法の運用は、日本以上に苛烈でした。
拷問もひどいもので、それによって得た「自白」により、死刑が科されていった。
日本では判決として死刑はなかったが、朝鮮では48人が死刑判決を受け、最終的に18人が死刑となった。
中国の「満州国」でも治安維持法と同旨の法令があった。七三一部隊の殺戮工場へ「マルタ」として送られた人々も少なくないようです。
この本には、治安維持法に抗した人々の運動が紹介されています。この人たちは、治安維持法に反対するためというより、自分たちの目ざすものを一生けん命に追い求めていたところ、官憲のほうが、それを許さず、治安維持法違反として次々に検挙していったのだと思います。京都学連事件。長野県の教員赤化事件、兵庫県の新興教育運動、唯物論研究会、北海道綴方教育連盟…。
そして、治安維持法が、今、再び生き返り、日本を戦争へもっていこうとする動きがあるという警鐘が乱打されています。この12月、長崎の人権擁護大会で、日弁連(日本弁護士連合会)は「戦争をしない、させない、長崎宣言」を採択しようとしています。
再び千雄の惨禍を受けないよう、過去の歴史に学ぶことの大切さを改めて認識させてくれる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。ついては、昔学生の眼から見た昭和初めの時代を描く「まだ見たきものあり」(花伝社)もおすすめします。
(2025年3月刊。2200円+税)

口笛のはなし

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 武田 裕熙 ・ 最相 葉月 、 出版 ミシマ社
 口笛の世界チャンピオンに「絶対音感」の著者がいろいろ質問している面白い本です。
 口笛も指笛も周波数が高い。指笛だと数キロ先まで音が届く。女性が口笛を吹いてはいけないというのは文化を超えて世界共通。霊や悪運を呼ぶという。
口笛のコミュニティは狭いので、口笛を吹けると、世界大会やオンラインでつながって、世界中の人とつながる。
口笛は楽器で、口笛音楽は器楽。
ビートルズのポール・マッカートニーは、楽譜の読み書きが苦手だから、作曲するときは、ジョンと口笛を吹きあったと話している。
 アメリカには職業口笛奏者を養成する学校があった。1909年に設立され、1990年代まで続いた。
ディズニー映画に口笛は欠かせない。「夕陽のガンマン」で楽曲を担当したエンニオ・モリコーネは口笛をテーマ曲に使った。
 口笛は、今も科学的には完全に解明されていない。口の中で何が起きているか見えないので、説明できない。誰もが学べる教育システムが確立していない。
声道全体が楽器と考えられている。その中を空気が通ったときに、出口のところで小さな空気の渦ができて音が出る。さまざまな周波数の音の一部が口の中の空間と共鳴して、音程をつくる。
口笛はヘルムホルツ共鳴だとされてきたが、今では間違いだとされている。口笛は非常に独特な原理で鳴っている。口笛に一番近いのはフルート。気柱共鳴の一種で音が鳴っている。
 声にはいろんな波が混ざっているが、口笛は単純、純粋な音と言える。
男性も女性も口笛に違いがない。そこは歌と違う。口笛は声帯の振動を使っていない。だから、男と女で違いがない。下とあごで音程が決まっている。
口笛は自分で音をつくる作音楽器。口笛はバイオリンやトロンボーンと同じで、機械的に音程が決まっていない。
 口笛で和音が吹ける。一人でハモれる。
 ハーモニカと同じで、吸っても音が出る。息継ぎをしないでずっと演奏が出来る、夢のような楽器。日本には全国各地に口笛教室がある。これは世界的には珍しい。
「上を向いて歩こう」の坂本九は、自分で口笛を吹いている。
 いやあ、口笛のことを初めて知りました。口笛が上手に吹ける人が、歌のほうは音痴だということもあるそうです。
 この本にはQRコードがのっていますから、聞いてみました。すごいです。読んで聞いて楽しい本でした。
(2025年2月刊。2200円)

わたしの人生

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 ダーチャ・マライーニ 、 出版 新潮クレスト・ブックス
 第二次大戦中、イタリア人が日本で収容所に入れられているということを初めて知りました。
 著者は2歳のとき日本に来ました。父親は北海道帝国大学でアイヌ文化を研究していました。なので、札幌で幸せな生活を過ごしました。その後、京都に移っていたところ、1943年にイタリアが連合国軍に降伏したため、日本政府は在留イタリア人に踏み絵を迫ったのです。あくまでファシスト政権に忠誠を誓うかどうか、です。
 両親そろって拒否したため、名古屋郊外の天白村にあった民間人抑留所に入れられました。両親は孤児院に入れるか問われたとき、それも拒否し、一家4人(娘2人)で収容所で厳しい・苦しい生活を過ごすことになりました。
 7歳から9歳まで、育ち盛りの少女なのに、すさまじい飢えを体験することになったのです。
 監視する警察官たちは、日本政府の支給する食料を横取りしたため、収容されていた人たちは栄養不足から病気になっていきました。警官たちの残飯まであさり、野菜をとって食べ、ヘビやカエルを捕まえて子どもたちに食べさせたのです。
 たまに親切な日本人もいましたが、たいていは敵性外国人だとして、またイタリア人は裏切り者だと罵倒する日本の軍人たちがほとんどでした。日本の風習を知っている著者の父親は彼らの前面で包丁で指を切断して抗議までしています。
 野菜不足から脚気になり、すると頻尿になった。
 収容所では、子どもがいても子どもは配給の対象にはなっていなかった。なんということでしょう…。子どもだった著者は空腹のあり、地面をはっているアリまで食べたとのこと。指でつぶして口に入れ、かみもしないで呑み込んだ。しばらくして中毒にかかって、もう食べられなくなった。いやはや、アリを子どもが食べただなんて…。
 毎晩、死ぬ準備をした。輪廻(りんね)観を信じていたから、死んだらすぐに、生前のふるまいによって、別の姿に生まれ変わると思っていた。
 収容されたイタリア人は16人。ユダヤ人教授、宣教師、商人、元外交官など…。
 日本人の警官たちは、毛布を1枚ふやしてとか、ノミやシラミ退治のための殺虫剤がほしいと頼むと、「おまえらは裏切り者だから死んであたりまえなんだ。寛大だから生かしてやってるんだ」と答えた。
 日本の敗戦が色濃くなっていくと、配給が減っていった。1日の配給はひとり生米一ゴウ(130グラム)のみ。
 日本の敗戦によって解放された。自由の味は、かけがえのないものだった。そして生命と太陽に恋する肉体を回復させるエネルギーが戻った。
 著者は、過去の記憶を未来に生かすべきだと考え、自分の収容所での体験を語り、また書いたのです。
(2024年11月刊。2145円)

大本営発表

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 辻田 真佐憲 、 出版 幻冬舎新書
 「大本営発表」というコトバは、今でもデタラメなことを公然と言って恥じないという意味で使われることがあります。この本では、「あてにならない当局の発表」とされています。
3.11福島第一原発事故は、危く東日本全滅という超重大事故になるところでしたが、政府(原子力安全・保安院)と東京電力はあたかも重大事故ではないかのような発表を繰り返しましたので、これこそまさしく現代の「大本営発表」だと批判されたのは当然のことです。
 大本営発表とは、1937年11月から、1945年8月まで、大本営による戦況の発表のこと。大本営とは、日本軍の最高司令部。
 ところが、当初の大本営発表は事実にかなり忠実だった。なぜなら、緒戦で日本軍は次々に勝利していたからです。嘘をつく必要なんてありませんでした。
 問題は、日本軍が次々に重大な敗退をきたすようになってからです。本当は敗北したのに、それを隠そうとして、「大戦果」を華々しく報道しはじめました。
 大本営発表によれば、日本は連合軍(その内実はアメリカ軍)の戦艦を43隻も沈め、空母に至っては戦艦の2倍、84隻も沈めたとする。ところが、実際に喪失したのは、戦艦4隻、空母は11隻でしかなかった。ひとケタ違います。これに対して、日本軍の喪失は戦艦8隻か3隻、空母19隻が4隻に圧縮された。そして、撤退は「転進」、全滅は「玉砕」。本土空襲はいつだって「軽微」なものだった。
 大本営のなかで、作戦部はエリート中のエリートが集まる中枢部署で、傲岸(ごうがん)不遜であり、発言力がきわめて強かった。報道部は、作戦部に逆らうのが難しかった。
 新聞は、部数拡大をめぐってし烈な競争をしていた。そこで新聞は前線に従軍記者を送り込み、「従軍記」を連載し、世間の耳目を集めることによって販売部数を伸ばしていった。
 新聞は結局、便乗ビジネスに乗ったわけで、それは毒まんじゅうだった。事態を批判し検証するというメディアの使命を忘れ、死に至る病にむしばまれてしまった。
 しかも、大本営は新聞用紙の配分権を握っていたので、報道機関をコントロールできた。こうして、日本の新聞は、完全に大本営報道部の拡声器になってしまった。
 戦果の誇張は、現地部隊の報告をうのみにすることに始まった。ミッドウェー海戦で、日本の海軍は徹底的に敗北した。アメリカ軍は日本軍の暗号を解読していた。日本軍には情報の軽視があった。日本軍は、そもそも情報収集と分析力が不足していたので、戦果を誤認しがちだった。
 「転進」発表が相次ぐなかで、国民のなかに大本営発表を疑う人々が出てきた。決して大本営発表のいいなりばかりではなかった。
 山本五十六・連合艦隊司令長官が戦死したことを知り、海軍報道部の平出課長はショックで卒倒した。さらに、山本の次の古賀峯一司令長官も殉職してしまった。
海軍は敗北の事実を国民に伝えなかっただけでなく、陸軍にも真実を告げなかった。その結果、陸軍はフィリピンで悲惨な戦いを余儀なくされた。
 特攻隊に関する華々しい大本営発表によって、地上戦の餓死や戦病死という現実は、国民の視界から巧みに消し去られた。
 アメリカ海軍の空母は1942年10月以来、1隻も沈んでいない。それほどまでに頑丈だった。逆にいうと、日本海軍はアメリカ海軍にほどんど太刀打ちできなかった。
 大本営発表は、確たる方針もなく、その時々の状況に流されやすい性質をもっていた。とりわけ損害の隠蔽は、これに大きく影響を受けた。
 今のマスコミが、かつての大本営発表のように、当局の意のままに流されないことを切に願います。と同時に、SNSにおけるフェイクニュースの横行を同じく大変心配しています。
(2016年8月刊。860円+税)

一身にして二生、一人にして両身

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 石田 雄 、 出版 岩波書店
 東大の社会科学研究所(社研)の教授であり、政治研究者として高名な著者が父親のこと、戦後日本のことを語った本です。
父親は戦前、内務官僚として警視総監もつとめました。熊本の五高時代からの親友である大内兵衛(東京帝大経済学部教授)が治安維持法違反で特高警察に逮捕された。
 人民戦線事件。前年まで警視総監をして管内各署を巡視していて、すべてを知り尽くしていたと思っていたところ、大内兵衛が留置されていた淀橋警察署に出かけて想像もしない状況を見聞した。自分の親友が狭い雑居房でスリや強盗と一緒に劣悪な条件でスシ詰めにされていたのを知った。それを知った父親はすぐに警視庁に行き、そのときの警視総監である安倍源基(特高の警察の元締として悪名高い)に会い待遇改善を要請した。大内兵衛は「憎むべき」思想犯なので、安倍警視総監が快く改善に乗り出したとは考えられない。ただ、先輩の頼みなので、無下には扱えず、淀橋署より混み方の少ない早稲田警察署に大内兵衛は移された。そういうことがあったのですね。留置場のひどさは想像できます。 
日本の敗戦後、父親は、「たくさんの人を縛った罪滅ぼし」をするため、刑事被告人の国選弁護人をしはじめた。そして、国選弁護人として何回も小菅刑務所(東京拘置所)で被告人に面会し、話しているうちに、犯罪者に対する観方が180度変わった。
 権力の側から見ていたときは、被疑者・被告人は悪い人間で、それを捕えて罰するのは必要だし、当然のことだと思っていた。ところが、被告人の眼で見ると、彼らは、まさしく社会的矛盾の被害者だと考えられる。また、死刑囚の弁護をしているうちに、死刑制度は廃止すべきだと考えるようになった。
 そうなんですね。昔も今も、目の前の現実をしっかり受けとめると、考え方が180度変わってしまうことがあるのですね…。
 著者は、「政治改革」をマスコミと多くの学者が礼賛するなかで、結局、小選挙区制が導入されたことを苦々しく振り返っています。今の日本の政治をおかしくしている原因の一つが、この小選挙区制です。元の中選挙区制に戻すか、全国完全比例代表制に変えて、民意が国政に正確に反映されるようにすべきだと思います。
 日本人が第二次世界大戦の被害者であることは間違いありません。しかし、同時に加害者側でもあったことを忘れてはいけないと、著者は再三強調しています。まことにそのとおりです。朝鮮半島そして中国大陸への侵攻だけでなく、東南アジアへ広く進出していって、多くの罪なき民衆を殺し、資源を奪い、市民生活を破壊していったのです。
 それは、戦後の朝鮮戦争そしてベトナム戦争についても言えます。日本は明らかに加害者であり、戦争による利益を受けたのです。
考えさせられる事実、そして指摘がありました。
(2006年6月刊。2400円+税)

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