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カテゴリー: 司法

「負けへんで!」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山岸 忍 、 出版 文芸春秋
 東証一部上場企業(プレサンス)の社長が横領罪で逮捕され、長い苦難のたたかいの末に無罪判決を勝ち取った。検察は控訴することなく、一審で無罪が確定した事件を当の本人が逮捕されてから保釈されるまでの心の葛藤をリアルに明らかにしています。それは「負けへんで!」というタイトルに反して、もう負けそう、どないかして、という悲鳴の叫び声に充ち満ちています。なるほど、8ヶ月も勾留生活が続いたら、誰だって心が折れそうになるよね、そう思わせる手記になっています。
著者は大企業の社長でしたから、弁護団を次々に拡充していくことができ、まさしく最強の弁護団チームを確保できました。国選弁護人では、とても無理なことです。国選弁護人は原則として1人ですし、特別チームをつくることが認められても、オウム事件のときでも5人も6人もついていたとは思えません…。
 否認事件なので、弁護人は黙秘をすすめる。しかし、著者は「何にも悪いことしていない」「そんな卑怯なことはしたくない」「潔白だから、黙秘なんて卑怯なことをする必要はない」と、断乎として主張し、弁護人と衝突した。ここは、やはり弁護人の言うとおりに黙秘すべきなのです。黙秘は卑怯どころか、勇気あるたたかいなのです。
ちゃんと説明したら、検察官も本当のことを分かってもらえる。これは、まったくの幻想、つまり誤解なのです。
検察官は一体となって被疑者・被告人を有罪としようとがんばります。検察の威信をかけるのです。
著者は警察の留置場ではなく、拘置所に入れられ、そこの取調室で検事の取り調べを受けた。
 突然、世間から隔離され、毎日ひとりの人間だけに問い詰められる。恐怖と絶望にさいなまれる状況で、狭い空間のなか膨大な時間をともにする検察官は「神」のような存在に肥大化していくのです。
著者は山口智子検事だけが頼りに思えた。山口検事と話をしている間だけ、ホッとできた。心にしみ入る孤独から救ってくれたのは山口検事だけだった。いやはや、なんという間違いでしょう。
否認事件で保釈が認められるのは難しい。ゴーン事件では保釈中に逃亡してしまったことから、裁判所も容易には保釈を認めない。そこで、弁護団は6度目の請求のとき保釈の許可条件を工夫した。ケータイの使用期限、自宅に監視カメラ、弁護人の事務所への出頭、そして銀行預金の支払い停止。
 最後の条件は、大金を持って外国へ逃亡することのないようにするためのもの。さすが大企業の社長となると、違うものです。結果として、ついに7億円の保証金で保釈が認められました。
 この事件では検察官による取調状況が録音・録画されています。そして、ついに法廷の一部で、その録画部分が再現されたのでした。録画の画面では、取調官の顔は見れない。私は、まだ体験したことがありません。
 閉じ込められた状態で長時間の取調べが続くので、そのなかで検事の言うことに「違います」と反論し続けるには、すさまじい気力と根気がいる。
 刑事弁護人として名高い秋田真仁弁護士は、反対尋問というのは「寸止めして逃げる」が鉄則だと強調している。まったく、そのとおりです。攻めすぎると、相手に言い訳させてしまう。弁解の言葉を引き出させることになってしまう。
でも、刑事弁護では、攻めるものではない。論破することが目的ではない。お客さまを論破しようとするのは、間違い。刑事裁判は、あくまで減点主義。相手をやっつけてやろうなどと考えないこと。
大阪地検特捜部が無理な見込み捜査をして起訴したというのが、この本を読んだ感想です。村木事件もそうでしたよね。映画『ウィニー』もそうでした。この事件で少しは改められたのでしょうか…。実際のところ、検察が反省したとは、とても期待できません。
(2023年5月刊。1700円+税)

地方弁護士の役割と在り方(第1巻)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 千田 實 、 出版 エムジェエム出版部
 田舎弁護士(いなべん)を自称する岩手県一関市で活動している若者が80歳になって刊行した記念本の4冊目。
 若者は60歳から70歳までの10年間に10回をこえる手術を繰り返し、週3回の人工透析、妻から腎臓の移植を受けて健常者に近い状態に戻れたとのこと。それだけでもすごいことですね。
 ちょっとマネできないのが月に1回の事務所便り(「的外」まとはずれ)です。送付先は1000人をこえ、この32年間、一度も休んでいないそうなのです。10年間の闘病生活中も発行していたというのですから、まさしく超人的です。
 手持ち事件は常時300件、ピーク時には500件。1日10件をこえる裁判を予定していて、訟廷日誌には用紙を張り足していた。そして、裁判所も盛岡、花巻、気仙沼、仙台など…。1日に4ヶ所の裁判所を駆け回ることも珍しくなかった。私も若いときがんばってましたが、これほどではありません。
こんな働き過ぎで著者は身体をこわし、糖尿病、高血圧症、そして慢性腎不全症となり人工透析を受けるようになった。
 事務員はいつも10人ほどいた(今は7人)。
 30年ほど前(1990年)、一関市内の弁護士は4人、今は9人。岩手県弁護士会は44人が102人となった。ところが、人口は気仙沼市は30年前に10万人だったのが、今では6万人を下回っている。裁判件数も当然のことながら減少した。
そこで、田舎弁護士(いなべん)は提唱する。
 地方弁護士は裁判事件だけにとどまっていてはダメ。新たな仕事を開拓しなければいけない。たとえば、地方弁護士は家庭医的存在とならなければならない。
地方弁護士は本当に人好きにならなければならない。人好きになれば、自然に優しい顔になる。
地方弁護士は、住民があっさりと相談できるようなムードをつくらなければならない。住民が気軽に相談できるように自分を磨いておかなければならない、物事の道理をわきまえ、正しく判断し、適切に処理する能力をもつ知恵者を地方住民は求めている。これなんかは、大都市に住む住民だって同じでしょう…。
一緒に悩み、一緒に考えてくれる弁護士を住民は求めている。これも、田舎弁護士に限りませんよね。
 地方弁護士は、人間が幸せに生きていくうえで必要なことの全面にわたって知恵を提供することを仕事とすべきだ。まったくそのとおりだと私も思いますが、これまた、「いなべん」だけでなく、あらゆる弁護士にとって求められているものと思います。
 私は「政治改革」も「郵政改革」もまったくの間違いだったと今も考えています。小選挙区制導入なんて、ひどい政治をもたらしただけです。大阪の「維新政治」は、そのひどい政治のミニ版を再現しています。許せません。そして「郵政改革」。郵便配達がひどく遅れていて、法律事務所の業務遂行に支障をもたらしています。あと、国鉄の解体・民営化もひどい間違いでした。
 自民・公明の政権って、本当に悪政のかぎりを尽くしていますが、それも投票率が4割程度しかない現状が支えています。有権者のみんなが投票所に足を運べば(期日前でもかまいませんが…)、自民・公明そして維新のごまかし、冷たい政治にストップをかけることができます。あきらめたら、世の中は悪くなるばかりなんです。
 「司法改革」については異論もありますが、貴重な提言がたくさんある小冊子です。
(2023年4月刊。1650円)

近代日本における勧解・調停

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 林 真貴子 、 出版 大阪大学出版会
 明治時代、日本人は今では信じられないほど臆せず裁判を利用していました。なので、日本人は昔から裁判が嫌いだったなんていう俗説はまったくの間違いなのです。法社会学者として高名な川島武宣は私が大学に入ってからすぐに知り、とても尊敬する学者ですが、同じような過ちをおかしています。
 日本の裁判制度は明治に入ってフランスやドイツの法伸を直輸入していて、江戸時代までの裁判手続とは縁もゆかりもないというのも不正確のようです。
 この本では、明治期の法制度について、江戸時代的要素の強い連続面もあり、西洋由来の法制度という断絶面とは、ウラとオモテとして、同時に存在していたとされています。私も同感です。
 勧解は、明治期に導入されたもので、区裁判所(治安裁判所)において裁判官が紛争解決を勧める制度。非常によく利用された。勧解は本人出頭が原則で訴状や証拠書類を必要とせず、口頭で申立できた。費用は実費で(安いということ)、敗訴者負担もない。法律にこだわらす、実情に応じた解決が目ざされた。
 勧解は1875(明治8)年8月から、東京で、次に12月から全国で行われた。
 勧解を担当したのは原則として判事補。そして、本人訴訟が原則だったが、実は、代言人などが代理人をつとめていた。勧解での代理を業とする人々までいた。
 私は本書を読むまで、勧解ができたので裁判が多かったと思い込んでいましたが、実は、裁判が急激に増加したことから、その対処策として勧解が導入されたのでした。原因と結果が真逆というわけです。この勧解は、フランスの勧解制度を制度に継受したもの。
 勧解は、商事にかかり急速を要する案件と諸官庁に対する事件は除外された。なーるほど、ですね。
勧解制度は、1875(明治8)年に成立し、1891の民事訴訟法の施行とともに消滅した。
労働紛争において勧解の利用率は高かった。使用者側からは、職場から逃げ出した労働者を連れ戻そうとした。労働者側からは、不払い賃金を請求した。
 使用者側から雇人を取り戻す裁判が次々に提起されたが、その多く、約半数は請求が棄却された。また、債務者側に有利な借金整理案が示されていたようです。ちっとも知りませんでした。
 債務者からの申立は審理期間が短く、調停の成功率は8割近いほど高かった。
 勧解は非常によく利用された制度であり、この制度は急激に増加した裁判件数の軽減を狙ったもの。
とても実証的な記述のオンパレードでした。明治初~中期の日本の裁判制度の運用状況を知ることができ、大変面白く読み通しました。
(2022年10月刊。6400円+税)

葛藤する法廷

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 水野 浩二 、 出版 有斐閣
 「ハイカラ民事訴訟と近代日本」というサブタイトルのついた本です。「ハイカラさんが通る」って、なんか聞いたことがありますよね。いったいいつの話なのかな…。
 なんと、この本は明治24年(1891)年に施行された民事訴訟法の運用と、その改正法が成立・施行された1929(昭和4)年までの動きを追っているのです。
 なんで、私がそんな古い民事訴訟法に興味をもったかというと、江戸時代の民事裁判と明治時代のドイツ直輸入とされている民事訴訟法の異同また関連性の有無を知りたかったからなのです。
 私の畏友の園尾隆って元裁判官(現弁護士)は江戸時代の民事訴訟手続は明治時代にも生きていて、受け継がれているところがあると指摘しています。私も漠然と、この指摘に賛同しているのです。
 ところが、この本の著者には、その視点が残念ながら欠如しているようです(あるのかもしれませんが、私には読みとれませんでした)。それはともかくとして、この本で話題になっているところは、現代の裁判にも共通するところが多いのに驚かされました。
 たとえば釈明権の行使です。昔(明治から昭和初め)の裁判所は釈明権の行使に消極的であったらしく、弁護士の側は、それへの不満を多く述べています。
 裁判官の多くは不干渉主義をとっていたようです。当事者にまかせっきりで、裁判官がきちんと交通整理(争点の整理)をしないのです。今も少なからず存在しますが、こんな裁判官は無責任としか言いようがありません。裁判官による「過剰な介入」という批判は多くなかったとのこと。これまた、今も同じです。
このころ弁護士は、判検事とは別の弁護士試験というものがあって、それに合格すると、すぐに弁護士業務ができていました。すると、実務修習がないわけですので、初めての弁護士は勝手が分からず、困ったでしょうし、周囲も困惑させられたことでしょう。
 また、裁判にあたって、弁護士を代理人として選任しないことも少なくなかった。それは裁判官を困らせた。そこで、弁護士強制の制度の導入を唱える人たちも一定いましたが、法改正にまで結びつけることができませんでした。
 本人訴訟は、明治の当時も令和の今も一定数まちがいなく存在します。私は、これからもあまり減ることなく存続するとみています。日本人のなかには昔も今も裁判が好きでたまらないという人が一定数いるのです。これは私の実感です。
明治民訴法の下では、法廷での証人尋問は、すべて裁判官を通じて発問することになっていたようです。驚きました。
 法廷に立って証言する証人は、そのほとんどすべてが前もって訴訟当事者のいずれかからよくよく言いふくめられていた。証人は法廷では嘘をつくものだと多くの裁判官に考えられていた。
 口頭弁論というのは、昔も今も、書面を提出するだけで、実際には口頭での「やり取り」はありません。
 清瀬一郎弁護士(戦後、国会議員にもなった、有名な人ですよね…)は、東京のほうは法律解釈に重きを置き、大阪のほうは事実の真相を得ようとする点に重きを置くので、東西でかなり力点が違うとみていた。
 弁護士からすると、現実の裁判官(これも当時の…)は、しばしば近代法の常識を「権威主義的に」ふりまわす「非常識」な存在だった。逆に言うと、弁護士は、「常識や人格を備えた名判官」への憧憬があった。これは現代でも同じですね。実際には、そんな裁判官は残念ながらきわめて少数なのですが…。
ほとんどの裁判官は自分で思っているほど常識はなく、なにより「強い者」に歯向かう勇気がありません。まあ、これは、ないものねだりなのかもしれませんが…。
 明治の裁判では、法廷での証言よりも、書証に圧倒的な重点が置かれていました。法廷では偽証が多いと思われていたのです。
 それにしても、法廷で弁護士そして当事者が証人に直接尋問できなかったというのは驚きです。ただし、今もヨーロッパでは裁判官しか尋問できないという国があると聞いた気がします。フランスだったかと思いますが、これは間違っているでしょうか…。そうだとすると、日本の弁護士にとって不可欠な反対尋問ができないというわけですから、完全な欲求不満に陥ってしまいますよね。
 ということで、面白く370頁もの学術書を読み通しました。
(2022年3月刊。7700円+税)

「真実を求めて」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 布川事件の国賠訴訟を支援する会 、 自費出版
 冤罪・布川(ふかわ)事件の国賠訴訟をふり返った記録集です。A4版、75頁の記録集ですが、内容も体裁(編集)も実に素晴らしい出来上がりで、心より感動しました。桜井昌司さんの冒頭の「最後のご挨拶になりました」にも心を打たれます。
「不良少年」だった20歳のときに逮捕されて有罪となり、以来、54年間に及ぶ国家権力との「仁義なき闘い」を勝ち抜いた桜井さんに対して心から拍手を送ります。桜井さんは「挨拶」のなかで「末期がんで余命1年を宣告」されたとのことですが、いえいえまだ元気で全国を駆けめぐっています。
 最近は飯塚事件(すでに死刑執行ずみ)の再審請求で福岡まで来られたようです。
 「皆さん、本当にありがとうございました。54年間に及んだ闘いは愉しかったです。皆さんとお会いできたことが人生の宝です」
心にしみる挨拶文です。桜井さんとコンビを組んで冤罪を晴らすために闘っていた杉山さんは病死されましたが、杉山さんのお墓まいりの写真も紹介されています。
 写真といえば、桜井さんは2012年から2014年にかけて四国巡礼したようで、巡礼服の桜井さんが記録集の各所で紹介されていて、これまた心をなごませます。
 単なる活動記録集になっていないのは、「支援する会」の代表委員でもある豊崎七絵・九大法学研究院教授の講演と弁護団の谷萩陽一団長の報告が紹介されていることから、布川事件の闘いの意義、そして国賠訴訟が切り拓いた意義を確認することができます。
まずは豊崎教授の講演です。教授は、布川事件の闘いの意義は三つ。第一に、松川・白鳥(しらとり)、八海(やかい)、そして仁保(にほ)事件という、戦後の著名な冤罪事件の闘いを継承しつつ、それらを上回って、再審・国賠を闘い抜いたうえ、大変筋の通った勝ち方をした。第二に、他の冤罪事件にとって偉大なる道しるべになったこと、桜井さんが結び目(結節点)となっていること。第三に、不備の多い再審法改正の立法事実を示したこと。
 最後に、教授は今後の課題として三つをあげています。その一は、裁判所が冤罪の原因と責任の所在を明らかにするのをためらってはいけない。その二は、冤罪の責任は、警察と検察だけでなく、裁判官にもあること。その三は、冤罪の原因と責任を究明する仕組みを立法で設けること。
 いやあ、すばらしい指摘です。いずれも大賛成です。多くの裁判官は検察官の顔色をうかがうばかりで本当に勇気がありません。残念です。たまに気骨のある裁判官に出会うと、ほっと救われた気がしますが、本当にたまにです。
 続いて谷萩弁護士の報告です。国賠訴訟の判決は検察官には手持ち証拠を全部開示する義務があるとした。このことを高く評価しています。本当にそうです。検察官が私物化していいはずはありません。洪水でなくなったとか、嘘を言って提出しないなんて、公益の代表者として許されていいはずがありません。証拠を隠した検察官は職務濫用として免官のうえ処罰されるべきです。そして、最後に谷萩弁護団長は、桜井さんが本当にがんばったし、弁護団も支援する会もがんばったけれど、裁判官(遠藤浩太郎判事)に恵まれたとしています。裁判官の良心を奪い立たせるほどの運動と取組があったということでしょうね。本当に、裁判は裁判官次第だというのは、日頃の私の強く実感するところです。
 この記録集のなかには私のメッセージも載っています。本当に読みやすい体裁でもありますので、みなさん手にとって読んでみてください。桜井さん、本当にお疲れさまでした。引き続き、冤罪犠牲者の会でもがんばってください。
(2023年4月刊。非売品)

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