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カテゴリー: 人間

哲学な日々

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 野矢茂樹 、 出版  講談社
  著者は西日本新聞にエッセイを連載していたそうです。私は読んでいたかもしれませんが、記憶にありませんでした。東大に理系で入って、大学生として12年もいて、今では東大で哲学を教えているそうです。しかも、座禅まで教えているなんて・・・。東大駒場に、そんな場所があったなんて、信じられません。
  哲学は体育に似ている。実技なのだ。教師が問題を提示して学生が受けとめる。簡単に答えは見つからない。知識を伝えるというより、哲学を体験してほしいということ・・・。
不測の事態は必ず起きる。そんなとき、スピードと効率だけを考えて前のめりに行動していると視野が狭くなり、柔軟性を失う。だから哲学が必要となる。いったい、これは何なんだと自分のやっていることを問い直すのが哲学だ。
  座禅は、1分間に吐いて吸ってを3回以下の速さで、ゆっくりやる。吐く息とともに、今しょい込んでいる余計なものをすべて吐き出すような気持ちで静かに吐き出す。自分を空っぽにしていく。何も考えない。囚われない。こだわらない。呼吸だけに集中して、ただ空気が自分の体を通って巡っていく。そうすると、透明感と言えるような澄んだ感覚になる。
  うひゃあ、そ、そういうものなんですか、座禅って・・・。
  座禅中は、いっさいの価値判断を捨てなければいけない。
子どもを「ほめて育てる」という方針は根本的に間違っている。ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。そして、そこから抜け出せない。そうではなく、共に喜ぶこと。一緒に喜んで、子どもが感じている喜びを増幅する。そして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげる。
  なるほど、この点はまったく同感です。
哲学というのは、他の学問分野と比べて、妄想力の比重が大きい。
考えるためには言葉がなければならない。言葉によってはじめて、思考が成立する。だが、言葉はまた、思考を停止させる力も持っている。思考を停止させる言葉に対抗するには、やはり言葉しかない。冷静で、明晰な言葉を、私たちは手放してはならない。
  さすがに哲学者の書いた本だけあって、普段なら考えないような点をいろいろ考えさせられました。
(2015年12月刊。1350円+税)
 わが家の近くの電柱にカササギが巣をつくっています。山に近いからだと思いますが、3個もあります。通勤途上にカササギが枝を口にくわえて運んでいるのを見かけます。それにしても巣づくりの初めは難しいと思います。うまく落ちないように枝を組み合わせていくのですよね。誰にも教えられずに本能だけで巣づくりをします。そして、少々の強風が吹いたくらいでは巣は壊れません。
 実は、わが家の庭にあるビックリグミの木にも高いところに巣をかけましたが、結局、使われませんでした。
 電柱の巣は九電が毎年撤去してしまうのです。カササギは、それにめげずに巣をつくって、子育てするのです。偉いですね・・・。

山人たちの賦

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  甲斐崎 圭 、 出版  ヤマケイ文庫
 今から30年前、1986年に刊行された本の文庫版です。ですから、今ではもうマタギの文化なんて、東北でもなくなっているのではないでしょうか・・・。その意味では、貴重な記録になっていると思いながら、興味深く読みすすめました。著者は私と同じ団塊世代です。
 ヒグマを撃つのは、7~80メートルの至近距離。ヒグマが確実に襲いかかってくる体勢をとり、スワッという瞬間に引鉄(ひきがね)をひく。つまり、運が悪ければヒグマに逆襲され、命さえ落としかねない覚悟でヒグマに立ち向かう。ヒグマ撃ちは、一瞬が勝負。弾が急所を少しでも外れると、ひとたまりもなく襲われる。慎重に的を狙うという余裕はない。ヒグマに関しては、逃れる方法はない。ヒグマも人間が怖いので、ただひたすらにらめっこをする。すると、だいたい逃げていく。
 ヒグマ撃ちに師匠はいない。自分で体験して覚えるもの。猟師にとっての三種の神器は、犬、足、鉄砲。犬は猟師の手、足、七感となる。アイヌ犬は、ヒグマと対等に戦える猟犬だ。
 マタギの狩猟には、厳然とした役割分担がある。集団を統率するリーダーは「シカリ」と呼ぶ。鉄砲の撃ち手は「ブッパ」、獲物をおいあげる役は「勢子(せこ)」、そして全体をみて獲物を確実に仕留めるよう指図するのは「ムカイマッテ」という。マタギ言葉では熊を「イタチ」と呼ぶ。
 長野県の白馬岳のボッカが荷を担ぐときに必要なのは、力じゃなくてバランス。重量物は訓練すれば担げるようになる。自分の体重の2倍の重さなら背負う。ただ、水ものはバランスがとりにくくて、背負いにくい。
 ボッカは休憩するといっても、決して荷をおろしたり、腰をおろして休むことはない。立ちどまって、20秒か30秒のあいだ、呼吸をととのえるだけ。荷杖を尻にあてて、これにすがるようにして立ったまま休む。
ボッカにとって、胃ほど大切なものはない。胃をこわしたら、山は歩けない。
雪渓を歩くには、なにより足を濡らさないこと。足を冷やすと、歩きにくくなる。
これらの山人をたずねて文章にしたころは、著者は千葉県の公団住宅に住んでいた。コンクリート・ジャングルである。そして30年後の今は、三重県尾鷹市に根をおろしている。
 山人の生活は、うらやましくもあり、ちょっと真似できないものでもあります。
 しばし、山人の生活を偲んでみました。でも、私にはヒグマやマムシに遭遇するかもしれない、そんな山中の生活はとても無理です。そんな勇気はありません。
(2015年12月刊。880円+税)
しばらく孫が来ていました。まだ1歳になりませんので、つかまり立ちは出来ますが、歩けません。はいはいしながら母親を必死で後追いする様子はいじらしい限りです。
 手の届くところにあるものには何でも触ってみようとします。好奇心旺盛で、何か変わったものがあると、すぐに飛びつきます。離乳食なので、食事をつくるのは大変でした(もちろん、私は出来上がるのを見ているだけです)。話せませんが、一生けん命、声をかけました。こちらの言っていることは分かっているのです。右手を上げて「ハーイ」というポーズをしてくれるので、声かけは楽しいです。孫たちが帰っていくと、怒濤の日々から、夫婦二人きりの静かな毎日に戻ってしまいました。孫は、来てうれしい、帰ってうれしい存在です。

からだの不思議

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  奈良 信雄 、 出版  中経文庫
人間のからだって、宇宙の仕組みと同じほど不思議だと思います。
新生児の骨は350以上ある。成長していくにつれ、骨は長く強固になり、くっついて一つの骨となるため、全体の骨の数は減る。
背骨は、横からみると直線ではなく、ゆるやかなS字カーブを描いている。このカーブのおかげで、人間は重たい頭を支え、重量を分散させながら上手にバランスをとって、まっすぐに立つことができる。
血液は骨のなかでつくられている。骨髄で血液の生成に関わる造血幹細胞がつくられている。骨が血液をつくっているなんて、不思議ですよね・・・。
成人では、1年で20%の骨が新しく入れ替わっている。つまり、5年で全身の骨が新しくなっている。これって年齢(とし)をとっても同じなんでしょうか。
顔の表情をつくるのは、表情筋。表情筋は、自分の意思で動かせる髄意筋だが、すべてが顔面神経の制御下にある。表情筋は筋肉なので、使えば使うだけ発達する。
表情の乏しい人がいますよね。子どものころ、大人からたくさん笑わされることがなかったんですよね。気の毒な幼年時代を過ごしたのだろうと、いつも私は同情しています。5人兄弟の末っ子である私は、姉や兄たちにたくさん面倒をみてもらって可愛がられたことを(記憶としては、まったくありませんが・・・)、いま、心から感謝しています。
左利きの人は、9人に1人。
鼻は、両方の孔(あな)を交互につかい、片方を休ませながら、効率よく呼吸している。
うひゃあ、知りませんでした・・・。
太っている人は舌が肥え、首がかたくなっているため気道を圧迫しやすく、大きないびきが出やすい。
胃の容量は、空腹時には50ミリリットル以下だが、食後には1.5リットル、詰め込むと2リットルにもなる。胃には栄養を吸収する機能はない。貯蔵し、消化し、殺菌するだけ。
胃に「別腹」があるというのは、脳内にオレキシンというホルモン物質が出ると、胃や腸の働きが活発になり、胃を満たしていた食べ物が腸に押し出されて、胃の中に少し隙間ができるということ。なーるほど、そういうことだったんですね・・・。
母親と胎児は血管がつながっているのではないので、血液型が異なっていても問題はない。胎盤が大きな役割を果たしているのです。
肝臓は、全体の80%を切除しても、数日中に再生が始まり、数ヶ月から1年で元の大きさに回復する。アルコールの過剰摂取は肝臓を弱めるようです。私がビールを飲むのをやめて久しいのは、もう酔っ払って時間をムダにしないためです。
身体のなかで「薬」をつくり出すとか、体内で発電するとか、身体の不思議はたくさんありますよね・・・。
  
(2014年2月刊。650円+税)

ゆびさきの宇宙

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  生井 久美子 、 出版  岩波現代文庫
  盲ろうの東大教授・福島智氏の生きざまを紹介している本です。
目が見えず、耳も聞こえない。3歳で目に異常が見つかり、4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。14歳のとき右耳が聞こえなくなり、18歳ですべての音が奪われた。
無音漆黒の世界にたった一人。そこから救い出したのが、母の考案した「指点字」と「指点字通訳」の実践だった。恐るべしは母の愛、ですね。
盲ろう者は、黙殺され、抹殺されてきた。
盲ろうは、感覚器における全身性障害。コミュニケーションや移動に全介助が必要になる。盲ろう者は、内部の戦場体験をしている。それは、たった今も・・・。
自殺を考えたことはない。あわてなくても、いずれ、みんな死ぬのだから・・・。
盲学校の先生はこう言った。「おまえたちは、どういう位置にいるかを勉強しておいたほうがいい。社会に出ると、『見えない人間』とひとくくりにされて生きていかなければならないのだ」
盲ろうになった当初は、だれかと話していないと不安だった。沈黙は拷問だ。指を重ねて話していた。
「うるさすぎて、眠れない」。指点字は、触覚言語だ。指先など皮膚からの情報でコミュニケーションをするが、それが全身からだと、うるさすぎる。つまり、抱きしめられると、うるさすぎるということ。
いま、大学が通訳・介助するシステムが出来ている。3人の優秀な通訳介助者がいる。強いと思われていた福島氏も、適応障害になった。それで、自分も人間だと思った。どこか過信していたのかもしれない。
障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示すショーウィンドウである。
私には、目が見えず音の聞こえない世界というのは想像すら出来ません。恐ろしくてたまりません。しかし、障害者も一人の人格をもった人たちです。その人たちをふくめて生きていける寛容さが、どうやら日本社会は少しばかり弱くなっている気がします。少数者をいじめて楽しもうというヘイトスピーチなんて、その悪しき典型ですよね。許せません・・・。
  
(2015年2月刊。100円+税)

薬石としての本たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  南木 佳士 、 出版  文芸春秋
  この著者の書いたものは、心の奥底に何かしら触れあうものがあるので、どうにも私の得意とする飛ばし読みができません。わずか190頁足らずの本なのですが、読み終えるのに1時間どころか、半日もかけてしまいました。なんといっても、医師の体験を通して人間の生死と絶えずかかわっていること、そして著者自身がパニック障害そしてうつ病にかかってきたことからくる文章の重みが、頁をめくる私の手を遅くしているのでしょう・・・。
  私は床屋には月に1度、行くのを楽しみにしています。格好の昼寝タイムなのです。瞬間的にぐっすり眠ることができる心地よさが何とも言えません。ところが、著者は、一人で床屋に行けなくなってから20年以上になるというのです。
著者は60歳のとき、還暦記念出版として短編小説とエッセイを集めた本を出した。文学界新人等を受賞してから作家登録して30年、全部で30冊の本を出した。
  小説やエッセイを仕立てる気力がないときには、他者の話を聞いて編集者とともに一冊の本に仕立て上げる行為は、かろうじて作家であることを確認する一所懸命の力仕事だった。
漢字をひらがなにするのを「ひらく」という。ひらきすぎると、わざとらしくなる。しかし、漢字が適度にひらかれた文章は風通しがよくなる。
  人間ドッグの受診者は、自費で安心を買いに来ている人たちだから、可能なかぎり安心を売ってあげる。ただし、安心の安売りはしない。
  私は、40代前半から、人間ドッグに入るようにしてきました。これは、「安心を買いたい」からなのですが、平日に公然と休んで本を読む時間を確保するためでもあります。歳をとるに従い、あちこち不具合が発見されるようになりましたが、あまり気にしすぎないように努めています。まあ、それでも気にはなるのですが、、、。
  作家は書いたものを何度も推敲し、一応の完成稿をしばらく寝かせたのち、読者になりきって読んで不満な部分をさらに加筆、修正し、納得のいったところで編集者に送り、その意見に耳を傾け、主として書きすぎた部分を削ってから世に問う。それが作家のあるべき姿だ。
  これって、モノカキ思考の私にとって、よく分かる言葉です。10年ほど前に映画にもなった著者の「阿弥陀堂だより」っていい本でした。そして、すばらしい映画でしたね・・・。
(2015年9月刊。1500円+税)

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