法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 中国

神なるオオカミ(下)

カテゴリー:中国

著者:姜 戎、出版社:講談社
 オオカミは、草原の清掃労働者だ。牛や羊や馬、またタルバガンや黄羊、野ウサギや野ネズミ、人間の死体でさえ、すべてきれいに処理してしまう。狼は飲みこんだ羊や野ネズミの肉、皮、骨、アキレス腱を、残り滓もなく全部消化した。オオカミの口、胃、腸を通って栄養分が完全に吸収され、最後に残るのは、わずかな毛と歯だけ。万年の草原が、これほど清浄なのは、オオカミの功績が大きい。
 うむむ、なるほど、なーるほど、そうだったのですか・・・。知りませんでした。
 古代中国の農耕民族は、草原の騎兵を恐ろしい「オオカミ」と同様にみていた。「狼煙」は、もともと、オオカミ・トーテムを崇拝する草原民族の騎兵が万里の長城を越えてくるのを知らせる合図のため、烽火台であげた煙という意味だろう。オオカミの糞とは何の関係もない。
 オオカミは蚊を怖がる。蚊はオオカミの鼻と目と耳を狙って刺す。オオカミは跳びあがるほどいやがって、待ち伏せするどころじゃない。
 草原民族は、夏のあいだは、めったに羊を殺さない。羊を殺したら、食べ残した肉は保存できず、暑さとハエのせいで、2日間で臭くなってウジがわいてしまう。ハエが肉に卵を産むのを防ぐため、遊牧民は新鮮な羊肉を親指ほどの太さの細長い形に切り、小麦粉をつける。それから、ヒモをしばりつけて、パオのなかの日陰の涼しいことろに吊して乾燥させる。夏に羊を殺すなんて、ものを粗末にすることだ。
 モンゴル草原は、ふつうの小山でも、深さ50センチほどの草や土や砂利を掘り出せば、下は風化した石のかけらや石板や石ころである。木の棒でこじあければ、石材がとれる。
 ほとんどの犬はオオカミの遠吠えをまねることができる。しかし、オオカミが犬の吠え声をまねることは、まずない。小オオカミは、犬のまねをして吠えようとしたが、できなかった。でも、オオカミの遠吠えをまねると、一度で、できてしまった。
 モンゴル草原では、牛糞と羊糞が遊牧民の主要な燃料だ。草原の夏、一家の主婦が家事の切り盛りが上手かどうかは、パオの前の牛糞の山の大きさを見れば分かる。
 内モンゴルの冬は非常に寒い。羊油もバターもディーゼル・オイルも凝固する。しかし、タルバガンの油だけは液状のまま。マイナス30度の真冬でも、どろどろした油が出てくる。タルバガンの油は草原の特産品だ。大寒の雪嵐が吹きあれるなか、馬飼いと羊飼いは、顔にタルバガンの油さえ塗れば、鼻が凍傷でとれることなく、顔面も白く壊死することがない。タルバガンの油で揚げたモンゴル風菓子は、黄金色のつやがあって美味しい。火傷にもよく効き、タヌキの油と同じ効果がある。
 モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。
 遊牧民は、先祖代々、モンゴル草原で定住せずに遊牧を続けてきた。これは天(タンゴル)が定めた掟だ。
 牧草地と一言でいっても、四季の牧草地には、それぞれの役割がある。春季の出産用牧草地は、草はよいが、丈が低いから、そこに定住したら、冬の大雪に短い草が埋もれてしまい、家畜が生きるのは難しい。冬期の牧草地は、草の丈が高くて雪には強いけれど、そこに定住すると、春、夏、秋とも同じ場所で草を食べることになり、冬には背の高い草はなくなってしまうだろう。また、夏の牧草地は、水に近くないといけない。家畜はのどが渇いて死んでしまう。だけど、水に近い場所は、みな山にある。そこに定住したら、冬に家畜は凍死してしまう。
 このように、遊牧とは、それぞれの牧草地の悪いところを避けて、一つだけの良さを選ぶということ。もし、同じところに定住したら、いくつかの悪いことがいっぺんにやって来て、良いところが一つも残らなくなってしまう。そうなったら、もう放牧なんてできない。
 漢民族を主体とする中国政府は遊牧民の定着化政策をとった。しかし、そのあげく、住民の幸福感が増したかどうかは疑問だ。
 うむむ、なるほど人間(ひと)の幸福って、ホントよく分かりませんよね。
 中国政府はオオカミを害獣として殺し尽くしてしまいました。でも、そのおかげで自然の生態系が壊されてしまったのです。大自然というのが、いかに微妙なバランスから成りたっているのかということを、よくよく考えさせられる本でした。たまには、このようにスケールの大きい本を読むのもいいものですよ。
(2007年11月刊。1900円+税)

神なるオオカミ(上巻)

カテゴリー:中国

著者:姜 戎、出版社:講談社
 うひょー、すごい本です。圧倒されてしまいました。著者は、私より少しだけ年長ですが、同じ団塊世代です。文化大革命のときにモンゴルの草原に下放されました。その苛酷な体験をふまえた、世にも珍しい小説です。
 著者は、北京の知識青年として、志願して内モンゴル辺境のオロン草原に下放され、 1979年に中国社会科学院の大学院試験に合格するまで11年間、過ごしました。
 草原の人間は決してオオカミの毛皮を敷き布団になんかしない。モンゴル人はオオカミを敬っている。オオカミを敬わないのはモンゴル人ではない。草原のモンゴル人は、たとえ凍え死んだって、オオカミの毛皮をつかわない。オオカミの毛皮の敷き布団で寝るようなモンゴル人は、モンゴルの神霊をけなしている。
 オオカミは草原を守る神だ。天は父で、草原は母だ。オオカミは草原の害になる生き物しか殺さない。だから、天がオオカミをかばわない理由はない。
 草原の遊牧民の視力はよいが、オオカミの視力にはかなわない。しかし、単眼鏡をつかうと、オオカミの視力に近づける。
 オオカミとは命がけで戦うだけでは無理だ。根気もなければならない。根気よく地面に伏せておかなければいけない。
 新鮮な黄羊の焼き肉は、モンゴルの代表的なごちそうだ。とくに、猟が終わってから、狩り場で火をおこして焼きながら食べるのは、古くはモンゴルのカーン(汗)や王侯貴族が好んだ楽しみであり、草原の狩人たちにとっても逃してはならない愉快な集まりである。
 オオカミはモンゴル人の命の恩人だ。オオカミがいなかったら、チンギスカンもいないし、モンゴル人もいなかった。草原では、オオカミの餌を食べない人間は、本物のモンゴル人ではない。
 モンゴル人は天葬する。草原へ使者を運び、オオカミに食べてもらう。死者を牛車にのせて草原へ運び、牛車から死者が揺れて落ちたところが、死者の魂が天へ昇る地である。死者を裸にして草原のうえで、仰向けに寝かせる。この世にやってきたときと同じように、無一物で平然とした姿である。死者はすでにオオカミのものである。もし3日後に死体がなくなって、骨しか残っていなければ、死者の魂は天のところへ昇っていったことになる。天葬のあとは、必ず、その場所を確認しなければならない。
 うひゃあー、チベットの鳥葬のようなことが、モンゴルでもあっていたのですね・・・。草原で、もっとも辛抱強くチャンスを探すのはオオカミである。チャンスを待つ戦争の神、それがオオカミなのである。
 モンゴル草原では、オオカミにとって、牙が命である。オオカミのもっとも凶悪で残忍な武器は、上下4本の鋭い牙である。牙がなければ、オオカミの勇猛、果敢、知恵、狡猾、凶暴、残虐、貪婪、傲慢、野心、抱負、根気、機敏、警戒、体力、忍耐などのすべての品性、個性、性格は、一切がゼロになる。オオカミの世界では、片目が失明しても、足を一本ケガしても、耳が二つなくても生きられる。しかし、オオカミは牙をもたなければ、草原での殺生与奪の権を根本から剥奪されることになる。殺すことと食うことを天命とするオオカミにとって、牙がなければ、命がないのも同然だ。
 馬の放牧は、草原でもっとも困難で危険な仕事なので、体が丈夫で、大胆で、機敏で、聡明で、警戒心が強く、飢えや渇き、寒さや暑さに耐えられるようなオオカミか軍人の素質がなければ馬飼いとして選ばれない。
 馬飼いは、オオカミと生きるか死ぬかの戦いの第一線に身を置いているので、オオカミに対する態度が矛盾している。草原では、牛の放牧は一番楽な仕事とされる。牛の群れは朝早く出かけて、夜遅く帰り、草地も家も覚えている。
 馬の群れは、近親相姦を容赦なく取り除くことによって、種の質と戦闘力を高める。
 夏になり、3歳の牝馬が性に目ざめると、牡馬は慈しむ父親の顔をがらりと変えて、自分の娘を冷たく群れから追い出し、母親のそばにいることを決して許さない。狂ったように暴れ出す長いたてがみの父親は、オオカミをかんで追い払うように自分の娘をかんで追い払う。牝の子馬たちは泣いたり騒いだり、懸命にいななき、馬の群れががやがや騒ぎたてる。やっとのことで母親のそばに逃げこんだ牝の子馬を、まだひと息つく間もなく、凶暴な父親が追いかけてきて、けったりひっかいたり、いささかの反抗も許さない。それぞれの家族が娘たちを追い出す騒ぎが一段落すると、もっと残酷な悪戦、つまり新しい配偶者の争奪戦が続く。それがモンゴルの草原の、ほんものの雄性と野性という火山の爆発である。
 牡馬は草原で覇をとなえている。オオカミの群れが、自分の妻と子どもを攻撃してくるのを恐れる以外、世のなかにはほとんど怖いものがない。
 モンゴルの大草原の厳しい掟をかいま見る思いのする、いかにもスケールの大きい小説です。下巻が楽しみです。
(2007年11月刊。1900円+税)

丁家の人びと

カテゴリー:中国

著者:和多田 進、出版社:バジリコ
 いま日本に住む中国人女性実業家である丁 如霞(ティンルーシア)さんの一生を聞き書きした本です。1946年生まれということですので、私より2歳年長ですが、ほぼ同世代といえます。今は家族ともども日本で活躍していますが、中国大陸で生まれて激動の人生を歩いてきたのです。500頁もの大部な本ですが、ぎっしり人生の濃密なものが詰まった本として一心不乱に読みふけりました。
 丁家の本拠地は杭州です。残念ながら私は、まだ杭州に行ったことがありません。丁家は銀行まで有する資産家でした。太平天国軍が杭州を占領した1860年に丁家の先祖は四庫全書が荒らされているのを見て、ひそかに保存につとめました。丁家は、篆刻を始め、その会社を始めました。
 1937年に日中戦争が始まり、日本軍が杭州を爆撃し、丁家の屋敷は焼け落ちてしまった。その後、丁家の父親は南京政府で働くようになった。日中戦争が終わるまで、上海の刑務所で看守長として働いた。日本の敗戦後、南京政府の下で働いていたことから、今度は囚人として刑務所に入った。
 中国の全土が毛沢東の率いる人民解放軍によってやがて支配されます。丁家は中国共産党にその邸宅を提供します。そして、父は香港へ脱出してしまうのです。
 やがて、毛沢東の呼びかけで大躍進時代が始まり、人々は熱に浮かされたように高炉づくりに熱中します。つかいものにならない鉄がつくられます。そして、その失敗が毛沢東の権威を地に墜ちさせ、その失地回復を狙って毛沢東は文化大革命を始め、若者たちを紅衛兵に駆り立て、挽回していきます。
 このあたりが一家族の状況だけでなく、他の資料もあわせて複合的に語られていきます。
 著者も紅衛兵として活動するようになります。文化大革命のさなかの1967年12月に上海教育学院を卒業して中学校の教師になります。
 やがて文化大革命は終わり、毛沢東が死んで改革・解放路線がとられます。これで著者の夫は日本に留学することができました。著者は自費留学です。お金がありませんから、日本でアルバイトして働きます。横浜の日本料理店での皿洗いです。時給560円。そこで働いているうちに日本語を勉強しました。すごいですね。
 そのうちに上海にいる娘を呼び寄せ、一家で東京に住むようになります。天安門広場事件のころのことです。1989年6月です。一家3人で住むアパートは風呂がついていないので、近くのコインシャワーに行ったのです。3人で300円ですましたそうです。
 日本に住む中国人女性の生い立ちを聞くと、現代中国史を知ることができるという見本のような本でした。聞き書きもいいものですね。
 先週の日曜日、いつもより早く起きて仏検準一級の口頭試問を受けてきました。4回目になりますが、いつも緊張します。一回は合格しましたが、二回失敗しています。フランス語が口からスラスラ出るように(出ないのです)、この2週間ほどは車を運転中もNHKラジオ講座のCDを流してシャドーイングをしていました。それを見た人から、何してたのですかと訊かれたこともあります。
 3分前に問題文を渡され、1問を選んで3分間スピーチをします。これが難しいのです。インターネットで活字媒体が脅かされていることをどう思うか、というテーマを選びました。なんとか話したあと、4分間の質疑応答があります。
 全部で10分足らずの試験なのですが、終わったときには、まだ午前11時にもならないのに、今日一日分の仕事を早々としてしまったと思ったほど疲れてしまいました。
(2007年9月刊。2800円+税)

人間・周恩来

カテゴリー:中国

著者:金 鐘、出版社:原書房
 周恩来の実像に迫った本です。序文には次のように書かれています。
 周恩来とは、複雑な政治の環境に身を置いた複雑な政治的人物である。周恩来は率直で親しみやすいように見えてなかなか腹を割らず、品格のある学者のように見えて残酷きわまる非人間的なふるまいをすることができた。その政治の内在的な傾向は右翼的でありながら、行為の上では極左的な態度を示すことができた。うわべは国家のため人民のため献身的に力を尽くすといったイメージだったが、実際には大独裁者、毛沢東の共犯者だった。
 私も、最後の、毛沢東の共犯者だったことについては一も二もなく同感です。
 周恩来は、人民に貢献もしてくれたが、それ以上に人民に対して義理を欠いた人物である。序文の結びに、このように書かれています。
 周恩来は、文化大革命のなかで、中高級幹部や統一戦線の人士を何人も守ったが、運動全体の方向を変えたり、一連の重大事件の発生を阻止することについては、その気もその力もなかった。むしろ、周恩来によって動乱を引きのばし、それによってよりいっそう大きな損失を招くことになった。周恩来は、中国共産党内の最大の毛沢東擁護派だった。
 なーるほど、客観的にはそう言えるでしょうね。つまり、周恩来が徹底して反対していたら、文化大革命の顛末が相当異なっていたことは間違いないと思います。
 この本を読んで、周恩来が中国解放の前に裏切り者一家をみな殺しにしたことに責任があること、ソ連へ逃亡を図った林彪をモンゴル上空で撃墜させたことを知りました。
 周恩来は、1923年6月、パリ留学中に、国民党に入党している。ただし、その前の1921年にドイツ共産党とフランス共産党にも加入している。1923年6月から1926年3月までは、国民党員の身分で政治活動をしていた。
 中共中央軍事部長だった周恩来は、1931年、上海で特務工作課を指示して、中共を裏切った顧順章一家など16人を皆殺しにした。
 中国共産党内で批判された王明路線を具体的に実行していたのは周恩来だった。王明は中共内部に根をおろしておらず。スターリンがコミンテルンを通じて中共を指揮するための道具に過ぎなかった。
 林彪の乗った飛行機は、ミサイルで撃ち落とされたが、その撃墜命令を実行したのは、内モンゴル自治区のある空軍司令部直属の地対空基地である。それは是が非でも撃墜せよという周恩来の命令を受けてのことだった。
 9.13事件の処理をする指令本部は北京の総参謀部におかれ、李徳生が24時間、陣頭指揮にあたっていた。林彪の飛行機は離陸してから撃墜されるまでのあいだ。完全にレーダーの監視下におかれていた。林彪の乗った飛行機はミサイルをうちこまれて左翼を大破してバランスを崩して操縦不能に陥り、着陸強行を余儀なくされた。そこは滑走路などない、起伏のある砂漠だった。着地したときの衝撃は大きく、燃料タンクが発火した。
(2007年8月刊。2200円+税)

現代中国の産業

カテゴリー:中国

著者:丸川知雄、出版社:中公新書
 中国のテレビメーカーの競争力は急速に高まっている。第一に、中国の主要なテレビメーカーの生産管理能力が向上し、品質が向上した。抜きとり検査の合格率も1995年には97%になった。第二に、比較的限られた種類のテレビを大量生産することで生産を効率化し、部品の大量購入によって調達価格を抑えている。第三に、中国メーカーは、たとえば、従業員2万人のうち1万人が営業担当、というくらいに販売を重視し、販売網やサービス網の構築の面で日本メーカーに差をつけた。
 今、中国メーカーは普及品のテレビ、日系メーカーは高級品のテレビの市場というように、棲み分けている。
 中国の家電メーカーは基幹部品を日系メーカーなどに完全に依存している。家電製品の核心技術は基幹部品に集約されていると言ってよいので、中国メーカーがこれを外部に依存していることは、家電製品の技術革新の担う態勢ができていないことを意味する。その点で中国メーカーは、技術でも日本メーカーを激しくキャッチアップし、部分的には凌駕しているサムスンやLGなどの韓国メーカーとはまったく違い、技術競争を最初から棄権している。中国企業は技術のフォロー、つまり技術が成熟してきて日本や韓国などのメーカーが基幹部品や技術の外販にふみ切るのを待ちかねる役に徹している。
 パソコンは今や衣料を上回る中国の最大の輸出品目になった。2001年に台湾政府が台湾の企業に対して大陸でのノートパソコン生産を解禁して以来、上海市から江蘇省蘇州市にいたる地帯に台湾のDOMメーカー(他社ブランドのパソコンを開発・生産するメーカー)が退去して進出し、世界のノートパソコンの6割以上がここで組み立てられている。
 中国のパソコン市場では、ブランドなしのパソコン(中国では兼容機と呼ぶ)の存在感がとても大きい。2003年の中国市場の40%を占めているという推測がある。中国全土のインターネットカフェが購入した218万台のパソコンの87%が兼容機だった。
 中国では、他社からエンジンを購入する自動車メーカーが少なくない。エンジンを作ってさえいない自動車メーカーも多数存在する。中国の自動車産業は、世界の自動車産業の常識からおよそかけ離れている。
 中国企業の企業戦略は、第一に、積極的に他社の力を利用し、産業のなかで取りかかりやすい分野から参入する。第二に、基幹部品を他社から購入する場合でも、複社調達を行うことで特定メーカーへの依存を避け、自立性を確保する。
 中国の経験は、政府が産業の垂直分裂をおしすすめることで、自国企業の参入を促進できることを示している。
 台湾政府は、半導体の受託生産に特化した工場を設立し、半導体産業を設計専業や製造専業の企業でも参入できるものに変えた。それまで半導体産業は、設計から製造まで垂直統合できる大企業だけのものと思われていた。しかし、今や台湾は世界有数の半導体生産国に躍進し、このビジネスモデルが中国にも移転している。
 中国は、いつのまにか世界資本主義の中心に躍り出ようとしているのだろうか。
 中国の企業と産業政策について目が開かされた思いのする本でした。ここでは不十分な紹介に終わっていますが、大変勉強になった本なので、とても断片的で申し訳ありませんけれども、紹介させていただきました。      (2007年5月刊。780円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.